正体 2
田中 明愛梨の体は痩せ細っている。骨が皮から浮き上がっているのが見え、瞳は大きく見開かれているが瞬き一つもしていない。
死んでいる――――。
薄々は分かってはいたが、こう目の前に突きつけられると何とも言えない気持ちになる。
「…………」
俺は明愛梨をジッと見ながら考え込む。
いつ死んだかにもよるが。田中 明愛梨が行方不明になったのはかなり前だ。骨と皮だけになってしまっているが、それにしては腐敗していない。肌も変色していない。臭いもしない。
まさかまた偽物か。
眉を潜める。
俺は明愛梨に注意を払いながら床に転がったぴーちゃんを拾い上げる。ぴーちゃんの翼を優しく撫でてから帯に挟んだ。
異様な気配はさらに強くなっている。そしてその異様な気配は磔にされている田中 明愛梨からだ。
『人喰いの屋敷』の本体はこれか……。
俺は磔にされている田中 明愛梨に厳しい目線を向ける。大刀を真っすぐ上に振り上げた。
どういうつもりで田中 明愛梨の姿をしているのかは知らないが。この不自由な生活を今日で終わらせてもらう。
強く大刀を握った。その時。
「いいんですか、斬ってしまって」
「!」
聞き覚えのある声だ。
俺は警戒しながら声の主へと目を向けた。
眼鏡をかけている茶髪の男性。一見すると大人しそうな優男だが。
俺はこいつを知っている……――。
―――――――
異変が起きる前の朝、俺はいつも通り『喫茶 百鬼夜行』を営んでいた。
「やあ」
そこに田中 明愛梨がやって来る。いつもは昼過ぎか夕方に来るのに、今日は珍しく速い。しかも明愛梨はついこの前産んだ赤ん坊、陽を抱えてはいなかった。その代わりに後ろには眼鏡をかけた茶髪の男性がいた。爽やな雰囲気があり、いかにも優男という感じだ。
今日は家出じゃなさそうだな。かといって後ろの男と浮気……ということもなさそうだ。
俺はオレンジジュースを二つ持って、席に持っていく。
「それで。今日は一体何の用なんだ」
「剣さんが今日は陽を見てくれるんだ。たまには一日休んで来いってさ」
「ほう。で、そこの男は」
俺は男の前にオレンジジュースを置く。男はオドオドと目を泳がせている。
「ここに来るちょっと前に会ってな。この辺りで美味しい飲食店を探しているんだと。それでここに連れてきたんだ」
「飲食店って。ここは喫茶店だが」
「まあいいじゃないか。似たようなもんだろ」
そう言って明愛梨はオレンジジュースを一気にガブ飲みする。
「じゃあ私は行く」
「随分早いな」
「まぁな。こっちに来てからというもの、あまり遊べなかったからな。今日は一日、徳島の有名所に行くつもりなんだ」
「それで朝早いのか」
「ああ。今日一日は退治屋のことも、家のことも。何もかも全部忘れて楽しむつもりだ」
明愛梨は「じゃ。そこの男のことを頼むぞ」と足早に喫茶店を立ち去った。
残ったのは相変わらず目を泳がせている男一人。
俺は明愛梨の勝手な行動にため息を吐きたい気持ちを堪えて、営業スマイルを浮かべた。
「飲食店ですのでガッツリとしたものはないですが」とメニューを差し出す。
男はメニューを震える手でペラペラとめくりながら、「それじゃあハムサンドを」とメニューを指差した。
「かしこまりました」
俺は営業スマイルを浮かべつつ、キッチンへ向かう。
「………………」
「どうしたの」
俺がキッチンに入ってずっと黙っているのが気になったのか、雪女が話しかけてきた。
「……あの男。なんだかおかしくないか」
「? そう?」
雪女はキッチンから少し顔を覗かせて首を傾げた。
「たしかにちょっと怯えすぎっていうのはあるけれど。たまにいるじゃない。私達が人間じゃないって感づいている人が」
「いや、そうじゃない」
「そうじゃないって?」
「アイツが連れてきたっていうのが不思議なんだ。アイツ、警戒心が強いだろ。しかも妖怪じゃなくて人間に対して警戒心が強い。それなのに道端であった人間をここに連れてくるか」
明愛梨は家出先にこの喫茶店を選ぶくらいにはこの場所が気に入っているように見えた。だからこそ、会ったばかりの人間をこの喫茶店に案内したのが妙だ。
雪女は首を傾げながら「気のせいじゃない?」と出来たばかりのハムサンドを男のもとへ運んでいく。
そこからが長かった。男は五時間ほど喫茶店に居座った。もちろん喫茶店だからかなりの長時間居座る客もいる。その客の大多数は本を読んだり、仕事をしたり。ここは和室だから寝てしまうやつもいるが。この男のようにボウッと座っているだけで長時間いる客はまずいない。
朝が過ぎ、昼が過ぎて、客はこの男一人だけになっていた。
「類は友を呼ぶのかねぇ」
隅でパイプ椅子に座っているコナキ爺が口を開く。
「明愛梨さんが規格外の人だから。そういう人を呼び込むのかねぇ」
「はた迷惑だな」
重いため息が口の端からこぼれた。その瞬間――。
「!!!」
突如として黒い異質な気配が足元から湧き上がってくる。
思わずキッチンから飛び出した。だが異様な気配はキッチンにとどまらず、『喫茶 百鬼夜行』全体を包みこんでいる。
俺は男性の元に駆け寄る。
何が起きているのか分からないが。逃げるにしても。この異様な気配を探るにしても。戦うにしても。人間が邪魔だ。
俺は強引に男の腕を掴む。
「悪いが今日は」
そう言ったところでハッとした。男は口元に気味の笑みを浮かべている。
「!」
今、気付いた。こいつ。妖怪の気配もしないが、人間の気配もしない。
「お前、一体」
そう問いかけた。だが男は答えることなく、俺の腕を払いのけて立ち上がる。その間にも、あちこちから妖怪の悲鳴が上がっている。
「おい!」
俺は男に詰め寄ろうとした。その途端、足元から黒い影が浮かび上がる。
「!」
武器を手に取りたいが、大刀はもちろんここにはない。裏方だ。
「クソ」
黒い影は俺の眼前まで迫っていた。そして――黒い影は一気に俺の心臓を突き刺した。
「ぐっ……」
体が前に傾く。痛みで足元がふらつき、膝が崩れ落ちる。俺は右手で胸を押さえて荒く呼吸をする。
キーンと耳鳴りがする。他の妖怪の悲鳴が遠ざかる中、妙な声がはっきりと聞こえた。
――私は家が何より恐ろしい。だって。家は人を喰ってしまうじゃないか。だから私は家が恐い、恐い、恐い――
この声は…………田中 明愛梨。何だってこの場にいないアイツの声が。
俺はゼェハァと息を荒くしながら正面を向く。男が俺の前で薄気味悪い笑みを浮かべて立っていた。男は俺の肩に片足を乗せる。重みで体が前のめりになり、頭を畳にこすりつけられた。
「良かったな。お前たちは人喰いの屋敷に選ばれたんだ」
「がっ、ぐふっ……」
上手く言葉が発せることができない。口からは血だけが滴り落ちる。
「だが人喰いの屋敷はまだ生まれたばかり。それに距離が遠すぎる。これじゃあお前たちをこの場に留めることしか出来ないか」
男はニヤニヤと笑いながら後ろを向くと、軽やかな足取りで喫茶店を後にした。
ここまで読んでいただいてありがとうございます。
いよいよここまできたか~と達成感と寂しさを感じています。
更新が遅いですが、『人喰いの屋敷編』完結まで長く応援していただけたら嬉しいです。




