閑話:クリストファーの話
その執着を心地よく感じる様になったのは、いつからだっただろうか。
俺はクリストファー・ルツ・ダーヘン。このダーヘン王国の第1王子だ。王である父と王妃である母は政略結婚で2人の間に愛は無い。そんな2人の間に生まれた俺にも愛は注がれなかった。何不自由ない生活は与えられても、愛は与えられなかった。
俺が8歳の頃、俺の婚約者を選ぶためにお茶会が開かれるようになった。同じ年頃の子供たちが集められた。貴族とはいえ子供は子供だ。やかましくて仕方が無かった。
そんな中でも一番煩わしいのは、ヘンリエッタ・クラヴィス公爵令嬢であった。婚約者でもないのに婚約者の様に振る舞う。他の女どもが近づこうものなら威嚇する。何より、俺より年下にもかかわらず化粧が濃い。しかし、公爵令嬢であるため無下にも出来なかった。
俺の一挙手一投足に一喜一憂するヘンリエッタ。煩わしくも段々と面白くなってきた俺は一つの実験をした。
ある特定の侍女に必要以上に笑いかけ、馴れ馴れしくした。周りからは、その侍女に懐いているように見えただろう。もちろん、ヘンリエッタから見ても・・・。
そして事件は起こった。
その侍女は城から外出した際に暴漢に襲われ、城に来なくなったのだ。そんな事件が起こった後のお茶会でヘンリエッタが俺に言った。
「やっと、あの女が居なくなったわ」
顔には出さなかったがゾクッとした。俺に此処まで執着している人間に初めて出会った。そう思った。そう、執着だ。ヘンリエッタからの感情は愛ではない。ただの執着だった。
そのことを残念に思う自分には気が付かなかった。ただ、その執着を心地よく感じる自分を発見した。
この執着を感じ続けられるならと、ヘンリエッタを婚約者に選ぼうとした矢先、ヘンリエッタの母が公爵と離婚し、国外へ出て行ってしまった。そのことを口惜しく感じた。
周りは婚約者を宛がおうとしたが、学校を出るまで決めないと言い張った。ヘンリエッタを念頭に置いていた訳ではない。しかし、彼女以上の執着を持つ人物が現れることを期待していた。
そして、俺は3年生になった。最後の学年だ。今年の新入生の中に、強い執着心を持つ生徒が出てくるだろうか。現れなければ適当に婚約者を決めなければならない。そう思っていた。
「アンリ・ムシューです。よろしくお願いいたします」
壇上に立つ地味な女生徒をどこかで見かけた気がした。しかし、その時はそれだけだった。
最近、クロードの様子がおかしい。そして、視線の先には必ずムシューが居た。俺はムシューについて少し調べることにした。そして、調べてみて驚いた。彼女はヘンリエッタ・クラヴィスであった。
俺は信じられなかった。雰囲気が違うのは勿論だが、俺への執着心が一切消えている。むしろ、俺を避けている節がある。
夏休みの最後に王宮でパーティーを開いた。ヘンリエッタは軽く化粧をし、深緑のドレスを着ていた。ますます幼い頃のヘンリエッタに見えない。
少し外の空気を吸いに中庭に出ると、キャラベルに絡まれた。やはり女は煩わしい。キャラベルが去った後、気配を感じて声をかけてみると、現れたのはヘンリエッタだった。
昔のヘンリエッタと違ってまともな事を言うようになった。そう感心していて、ふと思いついた。エスコートを申し出れば、昔のように喜ぶのではないか・・・と。
しかし、ヘンリエッタは喜ばなかった。むしろ少し顔を引きつらせていた。会場に戻るとさっさと俺の傍を離れた。本当にヘンリエッタなのかというくらい、俺への執着心が無くなっていた。
2学期になり、文化祭の準備で生徒会も忙しくなってきたある日。
「クロードは何処へ行った」
「探してきます」
「俺も行く。座ってるのも疲れた」
俺はカイムと共にクロードを探しに行った。そこで見たのはピアノで知らない曲を演奏するヘンリエッタだった。
俺の知らないヘンリエッタがそこに居た。その事に傷ついている自分に驚く。
ヘンリエッタのパートナーになろうとするクロードを宥めカイムと先に帰す。確かめたい事があった。
「俺の名前を呼んでみてくれないか?」
昔みたいに、執着を込めて俺の名前を呼んでみてくれないか?
「・・・クリストファー様」
そこには一切の執着は無く、怯えと罪悪感が詰め込まれていた。
「ああ。やっぱり、俺の事はもう・・・」
「え?」
俺の事はもうどうでも良いのか?不審がられないように礼を言って立ち去った。去り際に「アンリ」と呼んだ俺の声の方にこそ、執着が込められていた。
文化祭当日。ヘンリエッタの演奏にクロードが乱入した。俺は二人の様子が気になり舞台袖へと向かった。
「クロード達は?」
「控室の方へ向かいました」
教えられた通り控室の方へ向かう。扉を開けようとすると中で何か叫んでいる。
「守るなんて嘘!!私を利用して何がしたいの!?帰る。帰るわ。ベザント国に。だから、もう私の事は忘れて!関わらないで!!」
帰る?ヘンリエッタが?忘れる?ヘンリエッタを?
その時の自分の感情を表現するなら、まさしく『執着』であろう。俺はヘンリエッタを帰さない。忘れない。心の底からそう思った。
扉を開けるとヘンリエッタが倒れ、クロードが支えたところだった。
「医務室に運べ」
「あれ、会長。聞いていたんですか?」
「途中からな」
「なんだ。僕とヘンリエッタだけの秘密だったのに」
「・・・気が付いているのが自分だけだと思っていたのか」
ヘンリエッタに執着している人間が自分だけだと思っていたのか。
それからクロードの動きを探っていくと、なんとクロードはヘンリエッタを公爵家に戻し、自分が婿となるよう動いていた。
そんなことはさせない。ヘンリエッタは俺のものだ。
ヘンリエッタの公爵家への復帰がほぼ確定したと分かった時、俺はヘンリエッタを生徒会室へ呼び出した。
ヘンリエッタだということに気が付いていた俺に、彼女は戸惑っているようだった。
「会長は、私がヘンリエッタだって・・・」
「気付いていたよ。元婚約者候補だ。当たり前だろう」
君こそ、どこに『執着』を置いてきてしまったんだい?でも、まあ良い。これからは俺が『執着』をあげるよ。
「そこで相談なんだが。ヘンリエッタ。私の婚約者になる気はないかい?」
これは愛ではない。執着心が私を動かしているのだ。




