第八話 “無能者”達の覚悟
「女神の祝福を封じた所で女神様に会う事など不可能だ」
最奥の部屋の中央部。その場で腕を組み、アルドは教壇に立った教師の如くカツカツと靴音を立てて歩きながら講釈を垂れていた。
「何故なら、女神様の肉体は当の昔に朽ち果て、現在権限している女神様の多くは精神体であるからだ。そう」
そこまで言ってアルドはくるりと回転し、アリシアとレイラの方に体を向けて止まる。
「女神様は多数存在する。それこそ、この世に存在する男の数と同等か、それ以上に」
胸を張って誇らしげにそう口にしたアルドに杖を向けながら、アリシアは敵意の眼差しのままに返す。
「なんともありがたみのなくなるお話ね。要するにそいつらは女神を語ってる偽物の女神だってことでしょう?」
「そう思うのも無理はない。無理はないが……その考えは真実ではない。太古の昔より女神様は確かに存在し、現在もまた、この世界を守ってくださっている」
アルドの言葉にアリシアは鼻で笑う。
その様子は普段の彼女を知る者ならば別人かと思うほどの態度だっただろうが、アルドの態度は変わらない。寧ろ、アルドの傍にいたセリアと、アリシアの隣にいたレイラの2人の方が驚いているくらいだった。
「なーにが守ってくださっている……よ。女を切り捨てて、男だけを守る存在が女神様? 冗談はやめて。今でこそ改心したみたいだけど、貴方の昔の異名……知っているのよ? ……そんな貴方の口から、世界を見守るとか……冗談でも聞きたくないわ」
「ふむ。もっともな意見だ。それに関しては返す言葉もない……が、今の議論はそこではあるまい」
アリシアの言葉に特に動揺のようなものも見せずにアルドはアリシアに背を向けてセリアのすぐ傍まで歩を進めると、その場で再び振り返る。
その馬鹿にしたかのような態度にアリシアは眉を寄せて杖を握り締め、レイラはわけがわからないのかポカンとした表情を浮かべたままだ。
「ここで最初の議論に戻るがね。女神様に会うためにはこんな部屋で待っているだけではダメなのだ。何故なら、女神様の精神体は本来力を与えた男の魂と結びつくからだ。男が裏切った場合相手の女に呪いをかける女神様も……まあ、いるのだろうが、バッドスキルを与えられたといってもその女に女神様が宿るわけでない以上、スキルが無効化された所で別に痛くも痒くもなかろうよ。……再びその男に近づきでもしない限りは」
アルドの言葉にようやくレイラが反応する。
その反応はどうにも「そんな話は初めて聞いた」とばかりのようだった。
「ならば、掛けられたバッドスキルを本当の意味で無効化するにはどうすればいいか? 曲がりなりにも女神様がかけた強力なスキルだ。今現在出回っている魔道具、魔術、スキル。どれも効果など無かろうな。あるとすれば……同じような強力なスキルを使う相手に頼む……か」
そう口にすると、アルドは自らの右手を掲げてヒラヒラ揺らす。
まるで、その手にその力が握られているかのように。
「ここで今回の目的を考える。その女はゲオルグ達に『女神の討伐』を頼んだようだ。騎士の女のバッドスキルを治してもらうという本当の意味での目的からは外れているように見えるが、実はその女の言っている事はあながち間違いでもない。何故なら、先の議論であった“女神に会う”事と、“女神を討伐”するという行為は切っても切れない関係にあるからだ。つまり、何が言いたいかというと──」
「ダークプリズン!」
アルドの言葉が終わる前にアリシアの口から紡がれた呪文は、闇の上級魔術の一つだった。
呪文の詠唱によって作り出された黒光りした半透明の板が四方八方に展開し、元々狭い部屋だった最奥の間を包み込むように展開された。
「えっ!? ちょっと!?」
「む!? アリシア! どういう事か説明を……っ!」
セリアとレイラ。それぞれから上がる声も聞こえていないのか、今度は完全にはっきりとした敵意をその眼差しに乗せて、アリシアがアルドを睨みつける。
手にした杖にも魔力が乗って、いつでも発動可能な状態だ。
最奥の間はスキルの発動は阻害するが、魔術に関しては一切の制限を設けていなかったのだ。
「──女神様が宿っている男の魂を消滅させればめでたく女神様は権限するのさ。すぐ近くにいる女を寄り代にして……な」
◇◇◇
「────ライデン!! ここにいるんだろ!? 開けて、ライデン!!」
一つの決意をしたライデンの耳に唐突に入ってきた声は、よく知った仲間の一人によるものだった。
「ゲオルグ?」
少女の手を握りつつ振り向いたライデンの視線の先にあるのは光を帯びた青い扉。
恐らくは外から扉を叩きつつ呼びかけているのだろう事は知れたが、魔力を帯びた扉はびくともしないらしく、ただ、その声と音だけがライデン達の耳に届いてきていた。
「ああ、やっぱりここにいたのか! アルドから直ぐにライデンを助けに行けって言われて来てみたけど、それらしい場所がここしか無かったから、いなかったらどうしようかと思っていたんだ」
「……アルドが?」
ゲオルグの言葉にライデンは少しだけ考える素振りを見せたものの、直ぐに疑問を頭の中から打ち消した。普段からわけのわからない行動を取り続ける相手である。あの男の行動に一々疑問を抱いていてはやっていけない事を短くない付き合いで理解していた為だった。
それよりも、恐らく自らのスキルを使用してここまで追ってきたはずのもう一人の仲間の言動の方が気になったのである。
「それらしい所を探した……って? お前お得意の【完全変質者】を使って来たんじゃないのか?」
「【変質者】じゃないよ!? 【追跡者】だから! 【完全追跡者】!!」
ライデンの言葉に目を剥きながら反論したゲオルグだったが、直ぐに真剣な表情に変えると右拳を思い切り扉に叩きつけながら叫ぶ。
「って、そんな事はどうでもいいんだよ! 僕は確かに【完全追跡者】を使ってライデンを追ってきたんだ。それなのに、何かに妨害されてここに弾かれたんだ! 多分、この扉が何らかの仕掛けになってると思うから、ライデンの方から開けて欲しんだよ!」
ゲオルグが使用する事の出来る【完全追跡者】は、自分が名前を知っている“生物”のいる場所へ行く事の出来るスキルだった。その力は絶大で、その移動に距離は関係ない。それこそ、世界中どの場所にいても追いかける事が出来る規格外のスキルだった。
しかし、距離さえ無視する一見欠点のなさそうなそのスキルも、実は様々な条件下において妨害される事も多々あった。
その一つにスキル無効化等能力の発動自体を妨害するような力場も含まれていた。
【女神の祝福】とて絶対ではない──
それは、今回のゲオルグのスキルだけでなく、ライデン自身、今、この瞬間全く発動させる事の出来ない自分自身のスキルも同様だと考えていた。
だからではないだろうが。
「……悪いが、その扉は開けられない…………今は」
「どうして!? 理由はわからないけど、今ライデン達は何か困っているんだろう!? そうじゃなくちゃ、アルドが僕に助けを求めるはずが…………ん? 今は?」
何かに気がついたらしいゲオルグの声を聞きながら、ライデンは握り締めたナターシャの手から、既に虚ろな視線を漂わせるだけになってしまったナターシャの顔に目を向ける。
「そう。今はまだ……だ。その扉がしまった時点でこの部屋の中でスキルを発動させる事の出来ない仕掛けが発動した。恐らく、上の最奥の間とは比較にならない程強力なやつだ。何しろ……この身に宿っているはずの女神の気配すら感じられぬ程だから」
「な……なんだって……?」
ライデンの言葉にゲオルグは扉の外で後ずさる。
女神の気配を感じる事が出来ないという事実は、ゲオルグ達祝福を受けた者達にとってある意味絶望に似た状況であるからだ。
すなわち、今のライデンは嘗ての無能冒険者に戻ってしまったということなのだから。
「……ライデン……そ、その場所は……安全……なんだろうね?」
扉に右手を当てながら、恐る恐る投げかけたゲオルグの言葉に、ライデンは口端をほんの少しだけ上げるように笑う。けれど、その顔をゲオルグが見る事が出来たならば、そのあまりに悲観的な笑みに安心することなどできなかっただろう。
「……ああ。安全さ。これ以上ないって位にな。……ただ、残念ながらそれほど時間はないらしい」
ライデンはナターシャの胸元を撫でていた左手を自分の顔の前に翳す。
──手の平にこびり付いた真っ赤な液体が、まるでナターシャと自身の残り時間のように思えて、ライデンの中で何かが切れた。
「時間? 時間って何さ? よくわからないけど、その場所に危険はないんだね? で、この扉と部屋は僕らのスキルを封じてしまう……と。それなら、一度僕は戻ってアルドを連れてくるよ! アルドの【剣】ならきっとこの扉も切れるから! だから──」
ズンッ!! と。
ゲオルグの台詞を遮ったのは、恐ろしく大きなハンマーで、地面を叩いたかのような重量感溢れる衝撃と振動。
その音にゲオルグは振り向き、そして気がついてしまう。
嗚呼、その例えは何も間違ってはいなかったと。
金属の塊をハンマーと例えるならば、それはまさしくハンマーだろう。
ただ、人の形をして動いているという点を除けば。
「……ごめん、ライデン。どうもすぐにはアルドを迎えに行く事は出来ないみたいだ」
上半身を前傾にして、野生の獣が獲物に向かって襲いかかるように牙をむく。
視線を向けた先にいるのは、円柱状の鉄塊を繋ぎ合わせただけのようにも見える動く人型。
恐らくはこの遺跡の守護者であろう──魔導人形。
「……構わないさ。時間については俺が何とかする。その、覚悟は決めた」
ライデンは左手の平で何度も自分の顔を撫で付ける。
何度も何度も。
それが、己の覚悟を決めた行為であるかと言うように。
「でも、安心して。この扉はこの僕が体を張ってでも守るから」
「ああ。何も心配などしていない。俺が体を張ってでも、2人の命は消しはしない」
ゲオルグは二つ目のスキルを発動する。
それにより、ゲオルグの体の筋肉が膨張し、更にその筋肉を覆い隠そうとでも言うように、金色の体毛が現れた。
その姿は、さながら一匹の神獣のようであった。
「僕は負けない」
完全に獣──金色の狼の姿になったゲオルグは牙を剥き──
「俺は諦めない」
ライデンは少女の血で染まった顔に決意の色を浮かべて──
『絶対に!』
2人の決意の叫びの声が上がった刹那。
今は廃れてしまった遺跡の地下に、大地を揺るがす轟音と、夥しい光が発生した。