博之42歳異世界12か月目。少しだけ自分のための夜。
商会を立ち上げてから、何日かが過ぎた。
新しく入った三人も、まだ多少の問題はあるものの、それぞれ仕事を覚え始めている。
夜。
帳簿係たちも帰り、横丁の店もほとんど片付いた頃。
博之が自分の部屋で寝ようとしていると、扉が叩かれた。
「博之さん」
「ん?」
「ちょっと、こっち来ません?」
エレナだった。
「何?」
「いいから」
呼ばれるまま、博之は隣のエレナの部屋へ入る。
以前のボロ小屋とは違って、ちゃんとした寝台があり、小さな机もある。
「だいぶ片付きましたね」
「商会?」
「商会も、この家も」
「ああ。エレナさんの部屋の方がよっぽど家らしいけどな」
「博之さんの部屋、寝台しかないじゃないですか」
「物ないねん」
「机くらい置いたら?」
「あるやろ、一応」
「帳面積んであるだけでしょう」
博之は笑った。
「本とか買っても、俺こっちの文字まだそんな読めへんしな」
「少しずつ読めるようになってるでしょう?」
「料理と値札と帳簿くらいや」
「十分すごいですよ」
「結局、俺にあるんアイデアだけやからな」
唐揚げ。
餃子。
サンドイッチ。
朝飯。
冷たい果物の飲み物。
思いついては試して、当たったら残す。
「それでここまで来たんですから」
エレナが静かに言った。
「そういうところ、私、やっぱり好きですよ」
「……急に言うなよ」
「何回も言ってます」
「慣れへんねん」
エレナは笑う。
「娼館にも行かず、よく頑張ってますね」
「行く暇ないもん」
「暇があったら行くんです?」
「いやいや」
博之は慌てて手を振った。
「今、店考えるん楽しいねん。ほんでソラのこともあるし、ユーリさんの治療費もあるし、
また怪我して困ってる冒険者おったらどうするかとか考えてたら……」
「結局、人のことばっかりですね」
「そうか?」
「そうですよ」
ソラを鑑定に行かせた。
ユーリの治療費を立て替えた。
セラの時も同じだった。
店で働く子供たちのことも気にしている。
「博之さん、自分のこと結構ほったらかしです」
「まあ……そうかもしれんな」
「だから私が気にしてるんです」
「え?」
エレナが寝台の方を軽く叩いた。
「今日はこっちで寝ません?」
「……ええの?」
「ご褒美です」
博之は少しだけ考えた後、
「ほな……ありがたくご褒美いただきます」
「ふふ」
「なんやねん」
「そういうところが博之さんらしいなと思って」
その夜は、久しぶりに商売の帳面も、次の料理も考えずに眠った。
◇
翌朝。
「……まだ眠い」
「もう少し寝ます?」
「店見に行かな」
「一日くらい大丈夫ですよ」
「いや絶対なんか起きる」
そんなことを言いながら二人でぐだぐだしていると。
下から声が響いた。
「おーい! おっちゃん!」
「ほら来た」
「セラさんですね」
博之が下りていくと、セラが大きな荷物を抱えて立っていた。
「今日からこっちにも荷物置かせてもらうで」
「ええよ。二階のパーティー用の部屋使って」
「ユーリとソラにも言うとく」
「適当に使って。壊すなよ」
「壊さんわ」
そこへエレナも階段を下りてくる。
セラが二人を見る。
博之。
エレナ。
そしてもう一度博之。
「……ん?」
「何?」
「なんか二人、空気怪しない?」
「怪しくない!」
博之が即答した。
「へえー」
「何その顔」
セラがにやっと笑う。
「別に?」
「朝からめんどくさいな!」
エレナは横で何も言わず微笑んでいる。
「エレナさんも何か言って!」
「何をです?」
「ほら!」
セラはますます楽しそうだった。
「まあええわ。それよりユーリ、また返済持ってくる言うてたで」
「ほんま?」
「最近ちょこちょこ稼げるようになってきたからな」
「無理だけはせんよう言うといて」
「自分で言いや。どうせここ来るし」
「それもそうやな」
セラは荷物を置きながら、少し考えた。
「なあ、おっちゃん」
「何?」
「商会落ち着いたらさ」
「うん」
「別の地区、一緒に飯探しに行かへん?」
「飯?」
「こっちにない料理あるかもしれんやろ。おっちゃんそういうの好きやん」
「ああ、それええな」
「ほんま?」
「仕入れとか店の参考にもなるし」
「……そっちかあ」
「何?」
「いや、何でもない」
セラが小さく肩を落とす。
後ろでエレナが笑っていた。
「セラさん、頑張りましたね」
「結構ちゃんと誘ったつもりやったんですけど」
「博之さんですから」
「何しゃべってんの?」
「何でもないです」
二人が揃って答えた。
「なんやねん」
博之だけが首を傾げる。
商会。
横丁。
冒険者。
新しい家。
気づけば博之の周りには、ずいぶん人が増えていた。
本人だけは、その中で自分がどう見られているのか、相変わらずよく分かっていなかった。




