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メンヘラオジサン博之。42歳。死んだ。電車にひかれて。気づくと郊外。ここはどこだ。腹が減った。飯にありつきながら情報収集。

死んだ。

 たぶん、間違いなく死んだ。

 博之はそう思った。

 四十二歳。会社員。

 もう何回休んだのかも分からない。仕事に行けば気分が沈み、休めば休んだで

 「俺は何をしてるんやろ」と自己嫌悪に陥る。

 小説を書いたり、動画を上げたり、何かしらやってはいた。

 けれど、それで人生が劇的に変わるわけでもない。

「もう、何してええか分からんな……」

 そんなことを考えながら駅のホームに立っていた。

 次の瞬間だった。

 なぜそうしたのか、自分でも分からない。

 吸い込まれるように身体が前へ動いた。

 大きな光。

 耳をつんざく音。

 そして、一瞬だけ感じた強烈な痛み。

 そこで記憶は途切れている。

「……痛っ」

 博之は目を開けた。

 青空だった。

「え?」

 身体を起こす。

 草原。

 いや、草原というほど何もない場所ではない。

 土の道が伸び、その向こうには畑があり、さらに遠くには巨大な街が見える。

「……どこや、ここ」

 立ち上がって自分の身体を見る。

 紺色のスーツ。

 白いシャツ。

 革靴。

 ポケットを探ったが、スマホも財布もない。

「いやいやいや……」

 確かに死んだはずだった。

 あの光も覚えている。

 痛みだって覚えている。

「なんでスーツのままやねん」

 そこだけ妙に現実的なのが腹立たしい。

 夢かとも思った。

 だが風は冷たいし、土を踏めば靴も汚れる。

 腹まで減っていた。

「まあ……とりあえず街行くか」

 考えていても仕方がない。

 四十分ほど歩くと、大きな城壁が見えてきた。

 もっとも完全な中世という感じでもなかった。

 石造りの建物の向こうに、木造の屋根も混じっている。

 瓦のようなものまである。

 門の上には旗。

 そのさらに向こうには何本もの煙突。

 空を見上げれば、巨大な船のようなものがゆっくりと飛んでいた。

「飛行船……?」

 博之は目を細める。

 街の外側には鉄の線路らしきものも伸びている。

「なんやこれ。ファンタジーと明治時代ごちゃ混ぜにしたみたいやな」

 門番らしき男に恐る恐る声をかけた。

「あの、すいません」

「なんだ?」

 通じた。

 それだけで博之はかなり安心した。

「ここ、どこですか?」

 男が怪訝な顔をする。

「どこって……ナガトだが」

「ナガト?」

「港都ナガト。知らんのか?」

 街へ入る。

 想像以上に大きかった。

 大通りには馬車。

 小型の蒸気車らしき乗り物。

 露店。

 武器を背負った人間。

 着物に似た服を着た者もいれば、完全に西洋風の服装の者もいる。

 巨大都市だった。

 三十万人。

 いや、もっといるかもしれない。

「ゲームみたいやな……」

 博之は呆然と呟いた。

 若い頃に読んだライトノベル。

 遊んだRPG。

 そんなものが次々と頭に浮かぶ。

 だったらギルドがあるのか。

 魔法もあるのか。

 冒険者がいて、魔物がいて。

「ステータスオープンとか言ったら出るんかな」

 小声で試す。

「ステータスオープン」

 何も起きない。

「……恥ずかし」

 とにかく情報が必要だった。

 記憶喪失ということにして話を聞こう。

 問題はその前に。

「腹減った……」

 金がない。

 一文無し。

 異世界転生したところで、腹は普通に減るらしい。

 大通りから少し外れたところで、薪を積んでいる食堂らしき店を見つけた。

 博之は腹を決めた。

「あの、すいません」

「はい?」

 五十代ぐらいの太った女が振り返る。

「俺、金ないんですけど」

「帰んな」

「早い早い」

「金ないんだろ?」

「働きます。薪割りでも皿洗いでも掃除でも何でもするんで、飯食わせてもらえません?」

 女は博之を上から下まで眺めた。

 腹。

 スーツ。

 革靴。

「……あんた、その身体で薪割れるの?」

「たぶん」

「たぶんって何だい」

「会社員やったんで、薪割ったことないです」

「カイシャイン?」

「いや、なんでもないです」

 女は呆れながら斧を渡した。

「じゃあ、あれ割ってみな」

 二十分後。

「はぁ……はぁ……」

「遅いねえ!」

「四十二歳のおっさんにはしんどいんですよ!」

「知らないよ!」

 それでも一時間ほど働くと、パンと肉入りのスープを出してくれた。

「うま……」

 涙が出そうだった。

 温かい。

 ただそれだけで嬉しかった。

 食べながら事情を聞く。

 この街は大陸西部でも有数の港湾都市。

 博之がいる国は巨大な大陸国家で、その周囲にはいくつもの国がある。

 海の向こうには島国も存在するらしい。

 国同士の小競り合いは絶えない。

 貴族が土地を治め、王がいる。

 商人組合。

 職人組合。

 冒険者ギルド。

 魔法使い。

 魔物。

 鉄道。

 蒸気船。

 飛行船。

「めちゃくちゃやな」

「何がだい?」

「いや、俺の知ってる世界観が全部乗せされてるなと思って」

「さっきから何言ってるんだい」

 女は眉をひそめた。

「で、あんた。何ができるんだ?」

「何が?」

「仕事だよ。剣は?」

「無理です」

「魔法」

「使ったことないです」

「職人は?」

「できません」

「船乗り」

「船酔いします」

「馬は?」

「乗ったことないです」

 女が博之の腹を見る。

「狩り」

「この体型見て聞きます?」

「だよねえ」

「自分で言うのもなんですけど、異世界に放り込まれた人間としては、

 かなりハズレの部類やと思います」

「イセカイ?」

「ああ、気にせんといてください」

 女はしばらく考えてから、奥を指差した。

「まあいいよ」

「え?」

「薪割り。皿洗い。掃除。荷物運び。それくらいならできるだろ」

「それは、まあ」

「記憶が戻るか、身の振り方が決まるまで、しばらく下働きしてな」

「飯は?」

「出すよ」

「寝るところは?」

「倉庫でいいなら」

 博之は黙った。

 そして深く頭を下げた。

「……ありがとうございます」

「なんだい、急に」

「いや」

 異世界に来た。

 剣もない。

 魔法もない。

 金もない。

 チート能力があるのかすら分からない。

 四十二歳。

 腹の出たメンヘラオジサン。

 そんな男の異世界生活は――。

 勇者でも、冒険者でもなく。

 港町の食堂の薪割りから始まった。

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