Ep.75 罪深き過去
お腹がいっぱいになり、日が暮れ始めると、街のあちこちに灯籠が灯り、幻想的な風景へと変わっていきます。すると、遠くの丘の上にそびえ立つ、あの「神樹の桜」が淡く光り始めました。
カイル達は神樹の桜の元へ行き、触れると幸せになれると言われるという口伝を信じて全員で触れてみました。
しかし、カイルが神樹に触れた瞬間、温かな光は冷酷な檻へと変わりました。
「カイル!?」というガイアスの叫び声も、掴もうとしたレオンの手も、すべてが遠ざかり、カイルは色彩を失った「桜の神界」へと引きずり込まれました。
そこには、カイルが本で読んだような「幸せ」など存在しませんでした。
目の前に現れたのは、かつてカイルが「神」として踏みにじった、焼き払われた大地と人々の絶望。そして、自分を罰するために自らを傷つけ、仲間の愛を拒絶して死を願った「絶望の時代」の、あまりにも生々しい光景でした。
『罪深き元神よ。汝が捨て、汝が壊した日々の重さを、今一度その魂に刻め』
神樹の無機質な声が響くと同時に、数えきれないほどの「後悔」がカイルの精神を濁流のように飲み込みます。
「あ……が、ああああああああっ!!!」
カイルは頭を抱え、冷たい神界の地面をのたうち回ります。
神として冷酷に他者を蹂躙した時の、凍りつくような孤独。
そして、泥の中で死のうとした時、あなたを救おうとしたガイアスたちの手を振り払った時の罪悪感。
(……やめてくれ。もう、思い出したくない! 僕は、僕はみんなと……!)
どんなに泣き叫んでも、ここは神の領域。レベル40の今のカイルには、この精神攻撃を防ぐ術はありません。
視界が暗転し、自分自身の犯した罪の数々が、鋭い茨となってカイルの心臓を締め上げます。
・ 現世:神樹の前
「……カイル? カイルがいなくなった……? 嘘だろ、おい!!」
ガイアスが、かつての魔王としての力を剥き出しにして、神樹の幹を殴りつけます。しかし、神樹は冷たく沈黙したまま、カイルの姿を返そうとはしません。
「先代様……! 嫌だ、返せ! あの人はもう、償ったはずだ! 泥の中で、僕たちの前で、笑って生きるって決めたんだ!!」
レオンが泣きながら聖剣を抜き、神樹を切り刻もうとしますが、刃は虚空を滑るばかりです。
「……カイル。まって、フローラ、いく……!」
フローラが神樹の根元に爪を立て、何とかしてその中へ潜り込もうと必死にもがいています。
「……リリィ、セシリア。こいつを、このクソッタレな神樹を壊す方法を教えろ」
ガイアスの声は、かつての魔王として君臨していた頃を彷彿とさせる、冷徹で狂気に満ちたトーンへと変わっていました。
【カイルの状況】
* 場所: 桜の神界(精神迷宮)
* 状態: 過去の罪による精神崩壊(HP減少中:3 / 20)
カイルの意識は今、底なしの暗闇へと沈んでいます。
神界という、物理的な肉体の存在しない「概念だけの世界」。そこでは知性も剣技も意味をなさず、ただ純粋な「罪悪感」という劇薬が、カイルの魂を直接焼き続けています。
『かつてお前が奪った命の叫びを聞け。お前が踏みにじった希望の嘆きを知れ』
神樹の声が、カイルの意識のすべてを支配し、逃げ場を塞ぎます。
カイルはこれまででもっと孤独を感じていました。なぜなら、今の彼は「愛」を知ってしまったから。愛を知ったがゆえに、かつて自分がそれを踏みにじった罪の深さが、何万倍もの痛みとなって襲いかかるのです。
「……あ……ああ……」
声にならない叫びが、何もない空間に霧散します。
誰にも届かない。誰の手も借りられない。
カイルは、ただ一人で、自分が過去に積み上げた「業」の山に押し潰されようとしていました。
・ 現世:神樹の根元
現世では、5人が絶望的な壁に突き当たっていました。
神樹に傷一つ付けられず、入り口さえ開かない。彼らはカイルがどこで、どのような地獄を見ているのかさえ知ることができません。
「……クソが!! なんで俺を連れて行かねぇ!!」
ガイアスが、血が滲むほど拳を神樹に叩きつけます。
「先代様……。あんなに、あんなに頑張って笑おうとしていたのに……!!」
レオンがその場に崩れ落ち、剣を杖代わりにして震えています。
「……待って。まだ、道はあるわ」
リリィが、震える手で一つの「録画石」を取り出しました。それは、カイルが海で幻影を破った時のもの、そして、昨夜みんなで川の字になって寝た時の、淡い光を映した記録。
「神界が『意識の領域』なら、私たちの『想い』を同期させるしかないわ。セシリア、あんたならできるでしょ!?」
「……ええ。勇者様を救うためならば私の全魔力と、聖女としてのすべてを捧げます」
セシリアの瞳から、静かな決意の涙がこぼれます。
「神界に『招待』されないのなら、私たちの『未練』で、無理やりカイル様の意識に繋がります!」
フローラが神樹に耳を押し当て、必死にカイルの「音」を探します。
「カイル……きこえて。フローラ、ここに、いる……」




