第4話:氷結の反撃と、影を纏う暗殺者
その瞬間、刺客の琥珀色の瞳が驚愕で大きく見開かれた。
眼前に立つ男が、先ほどまで足元で這いつくばっていた「出来損ないの王子」などではなく、かつて世界を絶望から救い出した『本物の怪物』であることに、男はまだ気づいていなかった――。
「――っ!」
思考の隙を与えることなく、俺は超加速で踏み込み、その懐へと飛び込んだ。
(※アクション・戦闘描写)
体幹を鋭くひねり、右拳のストレートを放ちながら、続けざまに左回し蹴りを叩き込む。
怒涛のコンビネーションを完璧な精度で予測された男は、身を反らして紙一重でそれを回避した。
しかし、俺はその回避行動の硬直を見逃さない。
狙うは、男の右手。母上の形見である緑色のクリスタルペンダント(※注:直前で奪われた紫晶から、相手が保持する緑の光景へ瞬時に対応)を投げ捨てようと腕を引いたその刹那――俺は素早く右手を伸ばし、水属性の第2段階――『氷結』を発動させた。
冷気と水気が奔流となって掌から迸り、男がペンダントを握る右腕へと直接触れる。
「なっ……!?」
瞬間、凄まじい零下が周囲の空気を凍りつかせ、男の右腕全体が瞬く間に厚い氷の装甲に包み込まれていく。
圧倒的な冷気により、男の動きが完全に固まった。
その表情には、自分が何を受けたのかも理解できていないような、底知れない恐怖と信じられないという色が浮かんでいる。
俺は凍りついた彼の指の隙間から、目的のペンダントを素早く、しかし確実につかみ取った。
そのまま体を翻し、大きく後ろへバク転して距離を取る。
だが、事態はそれで終わらなかった。
男は凍結した腕の内部で高密度の魔力を一気に爆発させ、『ブレイズ』――通常の炎を凌駕する超高温の第2段階の炎を放ったのだ。
轟音とともに周囲に黒煙が立ち込め、凄まじい熱風が吹き荒れる。
男の腕を覆っていた氷が瞬時に融解し、滴る水蒸気の中で男は再び腕を大きく引き戻し、バキバキと音を立てる筋肉をほぐしながら不気味に笑った。
男はタタッと一歩踏み出し、鋭い眼光のまま、うつむき加減のフードの隙間から不敵な笑みを漏らした。
「ハハハ……素晴らしい。まさか、愚物と蔑まれていたあの無能な王子が、俺の手から直接こうして品を取り返すとはな。実に感服したぞ」
男は皮肉な称賛の笑みを浮かべ、面白そうに声を立てて笑う。
その言葉を聞きながら、俺は冷静に自らの立場を分析していた。
周知の通り、俺は王家の血を引く人間でありながら、一般的な『元素共鳴』の適性や、魔法、あるいは神殿の予言といった特別な才能を一切持たないとされている。
世間から「クズ王子」と呼ばれ、無能の烙印を押されている俺が、ここで下手に全力を出し続けるのは得策ではない。
やはりこの男は、この帝国の内部の人間――あるいは、俺の秘密を探るために送り込まれた刺客に違いなかった。
「まさか、お前がこれほどの『元素共鳴』の使い手だったとはな……しかも第2段階の魔法まで完璧に操るとは」
男は不敵な笑みを崩さぬまま、一歩、また一歩と距離を詰めてくる。
琥珀色の瞳が、冷徹に俺の全身を品定めするように見据えていた。
(――これ以上、ここと深く関わるのは危険だ)
これ以上の戦闘は周囲の警戒を招く。
俺は即座に踵を返し、その場から全速力で駆け出した。
男は薄気味悪い笑みを浮かべたまま、静かに俺の背中を追跡し始める。
(※パークール・追撃戦描写)
夜の帝都。
密集して立ち並ぶレンガ造りの建物の屋根を舞台に、死闘の逃走劇が幕を開けた。
俺は跳躍の勢いを殺さず、軽快なステップで次々と屋根を飛び越えていく。
背後からは、男が放つ属性の刃や火球の遠隔攻撃が容赦なく雨霰と飛来する。
「くっ……!」
爆風が足元の瓦を砕き、破片が頬をかすめる。
頭上で炸裂する魔法の閃光を紙一重で回避しながら、俺は下を向いた。
真下では、夜の街の喧騒の中で一般の市民たちがそれぞれの営みを続けている。
彼らを巻き込まないよう、俺はあえて人の少ないルートを選びつつ、屋根から屋根へと跳び続けた。
そして、一つの大きな建物を飛び越えたその時――。
真下にある狭い路地に差し掛かった瞬間、俺の視界にある光景が飛び込んできた。
行き止まりに近い薄暗い一角。
そこに、一人の女が立っていた。
黒のタイトなシャツに身を包み、完璧なプロボディラインを強調した漆黒のパンツ姿。
前髪を切り揃えた美しいピンク色の髪を揺らし、琥珀色の鋭い瞳を光らせながら、彼女は手元に束ねられた大量の紙幣の束を数えていた。
――ガシャアァンッ!!
「ぐっ……!」
背後から放たれた風と木の葉の複合魔法――第2段階『樹海』の力による強靭な植物の根と魔力の刃が、俺の足首を絡め取るように襲いかかった。
突発的な足払いにバランスを崩し、俺は盛大に体勢を崩してアスファルトの路面へ文字通り転がり落ちた。
「ガハッ……!」
鈍い衝撃が腰を直撃し、痛みが走る。
反射的に受け身を取りながら後方へ身を退こうとしたその時、俺の背中は柔らかい、しかし引き締まった誰かの身体へと激しくぶつかった。
「――っ、いったい何をする気よ、アンタ!」
不機嫌極まりない冷たい声が降ってきた。
振り返ると、そこには先ほどまで紙幣を数えていたピンク髪の美女が、鋭い敵意を孕んだ瞳で俺を睨みつけていた。
彼女は手にしていた金の束を中断させ、不快感を露わにしている。
その顔立ちと、纏う独特の殺気ある雰囲気を一目見た瞬間、俺の脳裏に一つの答えが浮かび上がった。
――アサシン。
金銭の報酬と引き換えに、あらゆる闇の仕事を請け負うプロの暗殺者。
彼女のような存在は、特定の組織に属しながら、裏社会で高い戦闘力と精密な殺害技術、そして高い身のこなしで知られている。
アサシンの中には、純粋な剣術だけでなく、魔術や『元素共鳴』、あるいは神殿の予言の力を秘めた者までいるという。
(――好都合だ)
俺はこの絶望的な状況を打破するため、瞬時に打算的な思考を巡らせた。
男に追われている「無力で情けない無能な王子」という演技のまま、俺は彼女の背後へとすがりつくように身を隠した。
両手をわなわなと震わせ、怯えた臆病者のように装う。
「ひっ……! た、助けてくれ……!」
あまりの情けない態様に、彼女の眉間に深いシワが寄り、あからさまな軽蔑と嫌悪の表情が浮かんだ。
「――おい、そこのクズ。すぐにそこから離れろ。これ以上私を煩わせるなら、その首を切り落とすわよ」
路地の奥から、黒いフードを被った男が冷酷な足取りで歩み寄ってくる。
男の纏う殺気が、路地の空気を凍りつかせていた。
「ねえ、お姉さん……! あいつが、あいつがしつこく俺の命を狙ってくるんだ……! お願いだ、あの男を追い払ってくれ! 持っている金なら、いくらでも払うから……!」
俺は恐怖に引きつった声を演じながら、必死に彼女の背中にしがみつく。
ピンク髪の美女――その冷ややかな瞳の色が、俺の「持っている金なら、いくらでも」という言葉を聞いた瞬間、わずかに、しかし明確に色を変えた。
「……金、だって? 本当に?」
先ほどまでの冷徹な judesu(不機嫌)な表情が嘘のように消え去り、彼女の顔に打算的な輝きが戻る。
「あ、ああ……! 頼む、助けてくれ……!」
「……ふふ。いいわよ、王子様。商売成立ね」
彼女は壁際に立てかけておいた愛用の長剣を鮮やかな手際で抜き放つと、一歩前に出て堂々たるアサシンの戦闘態勢を取った。
熟練したアサシン特有の、わずかな隙もない洗練された足さばき。
それを目撃した瞬間、目の前まで迫っていた黒ずずくめの男は、ぴたりと足を止めた。
相手が手強いプロの暗殺者であることを見抜いたらしい。
男は不快そうに舌打ちを鳴らす。
「ふん……。その男を護るというのなら、命拾いしたな、クズ王子」
男は冷ややかな視線を俺に投げつけた後、これ以上の深追いは不利と判断したのか、凄まじい速度でその場から跳躍し、闇の中へと姿を消していった。
「ふう……」
俺は思わず小さく息を吐き出し、胸をなで下ろした。
(一体、あの男の正体は誰だ……? 俺を狙うとしたら、やはりあの兄たちか?)
王宮の中で俺を目の敵にし、存在を消そうと躍起になっている他の二人の弟たち。
ルシアンではない。
あの真面目な弟がこんな陰湿な暗殺を仕掛けてくるはずがない。
となれば、残る他の兄弟たちの仕業である可能性が高い。
だが、あの男が放った属性の気配や体躯は、どの弟のそれとも微妙に一致しない……。
「はい、それじゃあビジネスの話よ」
思考の海から引き戻された俺の前で、ピンク髪の美女が冷ややかな笑みを浮かべながらスッと片手を差し出してきた。
「依頼は完了したわよね? 約束の報酬を払いなさい」
俺は無言のまま、自分の外套の内ポケットから、先ほどまで持っていた大量の紙幣の束を取り出し、その大部分を彼女の手に握らせた。
彼女の目が、ずしりと重い金の束を見た瞬間に輝いた。
「っ……! こ、これだけの額を即決で……!」
先ほどまでの冷たい judesu な態度はどこへやら、彼女の表情は一気に華やぎ、満面の笑みに変わる。
「さすがは王子様、太っ腹ね! 信用できる男じゃない。私、こういう大金持ちのお客様、大歓迎よ」
彼女は嬉しそうに札束を胸元にしまいながら、柔らかな微笑みを向けた。
「これから何か困ったことがあったら、いつでも私を呼びなさい。お金さえ払えば、どんな仕事でも完璧にこなしてあげるわ」
「……あ、ああ、助かったよ」
俺はぎこちなく頷きながら、彼女の横をすり抜けるように歩き出した。
すれ違う瞬間、俺は先ほどまでの怯えた臆病な仮面をそっと外し、冷徹で無機質な「本来の目つき」へと戻る。
そのわずかな表情の変化を彼女は敏感に察知したのか、首をかしげながら不思議そうな視線を俺の背中に向けた。
「……私の名前はリラ・ヴァイン。また仕事が欲しくなったら、この街で私を探しなさい」
背後から、彼女の声が響いていた。
「……リラ・ヴァイン、か」
俺はその名を心の中で反芻しつつ、誰にも知られていない秘密の場所へと足を急がせた。
帝都の片隅。
表向きは誰も近づかない廃棄された古い酒場の地下。
その重厚な鉄製の隠し扉を押し開けると、そこには全く異なる空間が広がっていた。
(※地下アトリエの描写)
白亜の石造りの壁が続き、まるで王宮の一角をそのまま切り取ったかのような、絢爛豪華で広大な地下アトリエ。
部屋の中央には、高級なヴェルベットのソファと、天井から暖かな光を落とす魔導式のシャンデリアが設置されている。
壁一面には膨大な古文書や魔法書が収められたオーク材の書架が並び、部屋の奥には巨大な大理石の机が鎮座していた。
そして、そのアトリエの中心――床に埋め込まれた青銅の台座の上で、神秘的な青い光を放ちながら静かに回転する巨大な『蒼の魔力結晶球』。
その結晶球の前に立ち、腕を組んで難解な文献を読み漁っていた老人が、足音に気づいてゆっくりと振り返った。
背筋がピンと伸びた銀髪の老騎士――かつて俺にすべての戦闘技術と元素共鳴の極意を叩き込んでくれた、母方の叔父であり、唯一俺の正体を知る最強の協力者だった。
「おや、戻ったか、リュウ」
「……ただいま、叔父上」
俺は足早に彼の傍らへと歩み寄り、その青い結晶球の前に立った。
そして、右手を優しくその冷たい球体に触れさせる。
俺の体内に残る微弱な魔力の波長と記憶の断片が、結晶球へと流れ込んでいく。
シュウウッ……と淡い光の粒子が舞い上がり、球体の表面に先ほどの路地裏で起きた出来事――あの黒ずずくめの男がペンダントを奪い、俺を追いつめ、そしてリラというアサシンが介入した一連の一部始終が、鮮明な立体映像として投影された。
「叔父上、この男の正体を調べたい。あの男が持っていた魔力の質と、あの動き……見覚えはないか?」
俺は腕を組み、険しい表情で叔父を見つめた。
叔父は分厚い眉根を深く寄せ、鋭い老いた目を細めながら、結晶球に映し出された黒ずずくめの男の影をじっと凝視する。
画面の中の男が剣を構えた瞬間、叔父の表情がかすかにこわばった。
「……むっ」
低く唸るような声が、地下室の静寂に響く。
「どうしたのですか、叔父上。何か心当たりが?」
俺が問いかけると、叔父はしばらく沈黙を守った後、奇妙な一言をぽつりと呟いた。
「いや……なぜか、この男の気配には、妙な既視感がある……どこかで、確実に味わったことのある波動だ」
その言葉を聞いた瞬間、俺の背筋に冷たいものが走った――。
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