第一部「鎖を、少し長く」
マリアが刺繍の針を置いたのは、パットンが話し始めてから三分も経たないうちだった。
それはつまり、本腰を入れて聞くという意思表示だった。パットンはそれに気づいていたが、彼女の好意に甘え、気づいていないふりをして、ただの雑談のように話し続けた。
「その……グライムという男を、継続的に使いたいと思っている」
「そう」
「ただ、牢に入れたままでは限界がある。街に出るたびに大仰な魔法の拘束具をつけて連れ回すのも、効率が悪い」
「そうね」
「だから、何か別の管理方法を考えたい。マリア……キミの意見が聞きたい」
マリアはしばらくパットンを見ていた。
蝋燭の光が揺れて、彼女の顔に柔らかい影を作る。
「パットン」
「何だ?」
「それ、私に相談することじゃなくて、もう答えが出ているんじゃないの」
パットンは黙った。
「管理方法を聞きに来たんじゃなくて、背中を押してほしくて来たんでしょう」
「……そういうわけでは」
「おかしな人。ならなぜ、もう答えを持ってるのに私に聞くの?」
パットンはまた黙った。
マリアはそれ以上追わなかった。代わりに、ゆっくりと紅茶のカップを持ち上げた。
「城下町に家を借りればいいんじゃないかしら」
「……実は私もそう思っていた」
「でしょうね」マリアは微笑んだ。「魔法錠で行動範囲を制限すれば、逃げ出す心配もないわ。パットンにとっても、お忍びで動く時のアジトができる。グライムにとっては牢よりずっとまし。誰も損をしない」
「そう簡単なことではない。犯罪者を野放しにするわけにはいかない」
「野放しじゃないわ。魔法錠で繋いだまま、鎖を少し長くするだけよ。ワンちゃんだって、鎖長くした方が自分で餌を食べるわ」
パットンは何も言えなかった。
犬扱いに怒るべきか、正論として受け取るべきか、判断できなかった。マリアはその沈黙を見て、少し満足そうな顔をした。
翌日、パットンは地下牢の階段を降りた。
グライムはお決まりの格好で、壁にもたれて目を閉じていた。
だが、パットンが近づく足音を聞いて、待ってましたと言わんばかりに、かっと目を開けた。
「おっ、やっと来たな」
「話がある……」
「城下町に家でも借りてくれるんだろう? やっとこの牢屋ともお別れか」
「……なぜわかった」
「こうなると思ってた」グライムは格子にもたれたまま、のんびりと言った。「マリアが黙ってるわけがないからな。昨夜、相談に行っただろ」
「なぜそれを……」
「アンタが自分一人で決める時は、もっと早く来る。悩んでる時は一晩置く。昨日は来なかったから、誰かに相談したんだろうと思った。そしてアンタが相談できる人間は、この件についてはマリアしかいない」
パットンは額に手を当てた。
この調子だと、自分の一挙手一投足から今朝のメニューまでグライムに当てられそうだ。
「……話を聞け」
「聞いてる。アンタが話さないだけだ」
「城下町に家を借りる。そこに移れ。魔法錠で行動範囲は制限する。指定した区画から出ようとすれば、その場で拘束される。それ以外は自由だ」
「自由……ね」グライムは少し笑った。「王族が自由の意味を知らないってのは、本当なんだな。まぁ、冷たく硬い床の牢にいるよりましだ。ここが痔にさせるための拷問部屋なら、相当優秀だぞ」
「出るのか? 出ないのか?」
肝心の言葉が出てこないのでパットンは苛立ったが、それはグライムからしても同じだった。
「違うだろう。パットン――いや、パーター。出すのか、出さないのかだ」
牢屋の中にいても、グライムは強気だった。
彼にも詳細な理由は不明だが、自分の力をパットンが利用したがっているのは先の事件でも分かる通り、明確だった。
「わかった……。グライム……オマエの力を継続的に借りたい。この国は各国の輸出入の起点だ。異種族が混在し、文化も魔法体系も違う連中が同じ街で暮らしている。そこから生まれる事件は、普通の衛兵では対処できないものも多い。オマエのように裏の事情に詳しく機転が利く聡い人間が必要だ」
グライムはしばらく黙っていた。
天井を見上げて、しばし考える。
パットンの言っていることは本音だ。本音だが、真実ではない
嘘がつくのが下手なパットンなので、そこを見破るのは簡単だが、肝心の真実は影も見せなかった。
グライムはそこが気になったが、彼は嘘が下手な以上に頑固という性格が特徴だ。
そこをつついてもなにも出てこないもわかる。
それでも、王子の中でも飛び抜けて正義感が強いのも事実であり、真実を隠すのに本音と正義感以上に誠実なものはない。
グライムは100の安全は諦めて、100の安心を取った。
「わかった。よろしくな、パータ―」
格子の隙間から伸ばされるグライムの手を、パットンが握ることはなかった。
「パットンだ」
「あのなぁ……咄嗟の場合でもそういう態度をとるつもりか? 慣れとけよ。犯罪がバレるのは、名前を呼ばれた時の反応が鈍くなったり、過剰になったりする時だぞ」
「それこそが過剰の決めつけだ」
「自分で考えるからわかんねぇだよ。置き換えろよ、自分と相手を。名前で揺さぶりをかけるなんて常套手段だろ。だが、良い提案がある。肉球ちゃんなら、どんな反応でもからかわれてると思われる。それでいくか?」
改めて格子の隙間から握手を求めて手を伸ばしたグライムだったが、またしてもその手が握られることはなかった。
変わりに魔法錠が開く、焦げて蒸した魔力が放出されるニオイが広がる。
「まさか今から行くのか? 手続きは?」
「必要はない。この地下牢は私と、オマエの言う【犯罪者】しか知らん。自分で言っていただろう……」
「どうだったかな」
グライムは自分の意志で牢屋を出ると、地平線が広がる草原のど真ん中に立ったように、深々と深呼吸をした。
そして、珍しく清々しい顔で「自由の香りだ……」と呟いた。
「ところで……どっちがいい? 手首と足首。首は目立つからな、どっちからか選べ」
パットンは腕輪にしか見えない魔法錠を指に引っ掛け、チャラチャラと振って楽しそうに鳴らしながら聞いた。
「足にする……手にあったら、女口説いてる時にいちいちアンタを思い出す」
「女を口説くつもりか?」
「嫉妬か? ならせめて宝石でもつけて送ってくれ。時間も金も使わない男に、嫉妬する検知なんかねぇぞ」
「自由の身ではないんだぞ。……犬の鎖を伸ばしただけだ。私の部下が対になる魔法錠を身に着けている。そいつから離れると、拘束魔法がかかり動けなくなる覚えとけ」
「いいのか?」
魔法錠の仕組み。今はしている話の全てが正しいとは思わないが、嘘を付く必要もない。なぜそんなことをわざわざ言うのか、グライムは謎だった。
「肝心な時に拘束魔法がかかったら困るだろう」
「なるほど……。パータ―、マリアに言われただろ。相当尻に敷かれてるんだな」
「ヒッポグリフの小便をかけて、悪臭のマーキングをしてもいいんだぞ。魔法生物の排泄物による追跡は効果があるからな」
「わかったよ……」
グライムが左腕を出すと、大きな輪をした魔法錠がかけれる。錠がかかると、すぐに伸縮して手首にピッタリと収まった。
これで、グライムがパットンの監視下から逃げるは不可能になった。




