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王賊 Crown & Crime  作者: ふん
居場所の値段

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第二部「死体と、消えた住人」

 翌朝、パットンは約束通り牢屋まで無開けに来たのだが、その表情はおかしかった。


「良い夜は過ごせなかったのか?」

「ふざけてる暇はない。いいか……聞け。昨夜、隣の部屋の住人が死んだ。そして、その死体が消えた」

「ふざけてる暇はないんじゃなかったのか? ……本当なのか? 昨日知り合ったばかりだぞ」

「来い」


 パットンは説明するよりも、現場を見せたほうが速いだろうとグライムを連れ出した。


 南区画の通りには人だかりができていた。

 新居の前の路地に、野次馬が群れている。

 荷を背負ったリザードマンがが足を止めて首を伸ばし、露店のドワーフが手を止めて様子をうかがっていた。

 

 グライムは衛兵の横をすり抜けて、階段を上った。


 アリシアの部屋の扉は開いていた。

 部屋の中は、昨日とは別の光景だった。

 床に血だまりがあった。家具はほとんどない部屋だったが、その分、血の広がりがよく見えた。


 呆然と立ち尽くすグライムの肩を、パットンは慰めるように叩いた。


「オマエのアリバイは私が完璧に証明できるのが幸いだな」


 パットンは昨日二人が踊っているのを見て、良い関係に向かっているのだと思っていた。

 だが、違う。

 グライムは冷静にこの場所を分析していた。


 彼が部屋の中を静かに歩き回り始めると、パットンの手が肩から離れた。

 

 窓を開けて外を確認し、壁を見て、床を見た。

 昨日の光景と頭の中で合成していく。

 それからクローゼットを開けた。

 空だった。


「昨日は何かあったかのか?」パットンが聞いた。

「しっかり確認はしていないが、開きかけのクローゼットの扉から、服が入っているのが見えた。あとは羽根の手入れ道具と、飾り物がいくつか」


 グライムはクローゼットに落ちていた抜け羽を拾い上げると、そのまま視線を上げて、クローゼットの棚を見た。

 底に鳥の巣のようなクッションが敷き詰められており、貴金属に付着した垢の汚れが移っていた。


 そのまま流れるような動作で、床の血だまりの縁にしゃがんだ。

 指を近づけて、乾き具合を確かめる。


「死体がないのに血だけあるってことか?」

「発見者がいる。死体があったが、消えた。というのが正確だ」


 グライムは窓の桟に目をやった。細い羽根が一本、白く光っていた。それを指でつまみ、しばらく眺めた。


「パットン、ひとつ聞く。アリシアの死体を発見したのは誰だ」

「隣の住人だ。朝、廊下で血の匂いがすると言って扉を叩いた。鍵がかかっていなかったので中を確認したところ、倒れているアリシアを発見した。人を呼びに行って、戻ってきたら消えていた」

「発見から戻るまで、どのくらいかかった」

「……十分程度だと聞いている」

「十分か」グライムは立ち上がった。「それだけあれば十分だ」

「何が十分なんだ」

「逃げるのにだ」


 パットンは眉を寄せた。死体が逃げるものかと、当たり前の常識に眉間にしわを作った。


「逃げた? 死んでいたんだろう」

「死んでいたように見えた、が正確だ」グライムはクローゼットをもう一度確認した。「荷物が全部ない。昨日はあった。つまり今朝、荷物を持って出た。死人は荷物を持って逃げない」

「では、偽装か?」

「そうだ」グライムは窓の外を見た。「アリシアは自分で血を出して倒れた風に見せかけ、隣人に発見された。発見者が慌てて離れた隙に荷物を持って窓から出た。ほらよく見ろ。血が木に染み込まず、盛り上がってるところがあるだろ?」


 グライムの言う通り、木目に染み込み乾くのではなく、油絵のように盛り上がっている。


「血なら木目に吸われる…だがこれは覆っているだけだ。この現場をキャンバスだと思え、ここが誰かが死んだ現場にしては、絵になりすぎてる」

「オマエの仮定を採用するとしてだ。なぜそんなことを」

「簡単だ。家賃だろう」グライムは静かに言った。「死人が出た部屋の家賃は下がる。で、安くなった部屋を、別のハーピィが借りれば、安くなった部屋に住める。昨日、アリシアは言っていた。『家賃は払うってば』ってな。捕まえたきゃ、次に入ってくる ハーピィだけじゃない、渡り種族が裏で情報交換してる可能性もある。ほら、窓枠に新しい傷がある。逃げ出す時に爪を引っ掛けたんだろう」


 パットンは窓枠についた傷跡見てから、おそらく飛んで逃げたであろう空を眺めて、ため息をついた。


「泣き寝入りということか……」

「そうでもない。大家を調べろ。アリシアがそこまでするほど、家賃交渉が行き詰まっていたはずだ。そっちに問題がある。なんかやってるのは確かだ。調べれば、しょっ引く理由はあれこれ落ちてると思うぞ。というよりよ……。最近はどうも一般市民が金を持ち過ぎだと思わねぇか? 色々権力の傾きが起きてる気がするけどな」

「グライム……オマエが気にすることではない」


 パットンが衛兵に指示を出そうとしたところで、カックラウが駆け上がってきた。


「王子……。別の場所で同様の報告が入っています」


 そう耳打ちされるとパットンが目を見開いた。そして、聞き耳を立てているグライムと顔を見合わせた。


「同様の、とは」

「血だまりと、死体の消失です。東区画の集合住宅で」


 グライムの目が細くなった。


「アリシアと同じか。ハーピィか?」

「それが……住人はドワーフ族の男だそうで」


 しばらく沈黙を身にまとっていたが、「行くぞ」とグライムが言った。

 今度は自分から。




 東区画の集合住宅は、南区画の古く、さらに雑多だった。


 石と木材が継ぎ接ぎのように重ねられた建物が並び、通りには鉄と油の匂いが漂っていた。

 通りの出入り口はドワーフの多い区域らしく、窓からは金槌の音が絶えず響いている。

 石造りの外壁が黒ずんでおり、入口の前に衛兵が一名立っているので、すぐに現場がわかった。


 周囲が騒ぎ出すことなく、情報規制されているのは、衛兵の数からもわかった。


 衛兵は、パットン姿を見つけるとすぐに報告した。

「三階の部屋で血だまりが発見されました。住人は消えています。争った跡もなく、鍵も壊れていないことから、衛兵の間では自殺ではないかという話も」

「住人は誰だ」

「ドワーフ族の男です。ヤーグという名前で、鍛冶職人をしていたと」


 パットンが話を聞いている間、グライムは何も言わずに建物に入った。


 現場の部屋に入ると空気が違った。明らかに血の匂いが濃い。

 床には確かに血だまりがあった。だが――広がり方が違う。

 

 グライムは一歩だけ踏み込んで、それが本物の血だとわかるとすぐに足を止めた。


 その背中に「外から侵入した跡はない」とパットンが話しかけた。「鍵は壊れていない。争った形跡もない。アリシアと同じだ。ドワーフも家賃交渉に行き詰まっていたか?」

「ハーピィは飛んで逃げられるけど、ドワーフはそうも行かないだろう。そもそも本物の血を使う理由がない」

「ハーピィから聞いたんじゃないのか? 同じ手を使ったら怪しまれるから、絵の具をより血に見せた可能性だってある」

「その線も捨てきれない」

「調べるか……専門家を連れてくる」

「その必要はない。だろ?」


 グライムに肩を叩かれたカックラウは、その態度を不快に思い、わずかに眉を動かしたが、何も言わずにしゃがんだ。

 血だまりに顔を近づけ、鼻を動かした。

 まるで睨みつけるようにして、現場の痕跡を嗅ぎ分ける。


 そして、数秒後。その険しい表情のままで立ち上がった。


「……血が、一人分じゃないです」


 部屋の中が静かになった。


「どういうことだ」


 パットンは意味がわからないと、自身も床に残された血を観察した。


「二人分、あるいはそれ以上の血の匂いがします。混ざっています。一種類は新しい。もう一種類は……少し古い」


 グライムはカックラウの話を聞きながら、部屋の中を一定の速度でウロウロして考えをまとめ始めた。


「これはハーピィの件とは違う。明らかにここで誰かに殺されてる。だが、現場はどう見ても自殺だ」


 パットンもグライムの意見に同意だった。

 血の解析をカックラウの嗅覚に任せ、グライムの推理に加わった。


「確かに……争った形跡はない」

「だけどここには血が残っている。それも時間差がある複数人の血だ」

「黒魔術か? 儀式の類で調べてみるか……」

「パットン……。わかるだろ? これはハーピィの詐欺に見せかけた殺人だぞ。黒魔術になすりつけるなら、部屋にニオイが残ってる。そして、残ってるなら、アンタの忠犬が真っ先に指摘するはずだ」


 カックラウは不服そうな表情で、グライムの言葉に頷いた。


「呪術にはニオイがつきものです。ですが、ここには血の匂いしか残されていません」

「争った跡がないのではなく、争いを見せていない。あるいは、争いが起きる前に終わった」グライムは窓の縁を指で触れた。「傷がある。最近ついた傷だ。ハーピィの時の傷と違って、摩擦による焦げあとがある。縄か何かを引っかけて引きずったあとだ。三階から縄で何かを降ろした」

「死体か!」

「そうだ。死体のドワーフは自分では動けない。誰かが運んだ」


 パットンは窓の外を見下ろした。

 裏通りに面した窓だった。昼間でも人通りが少ない。夜ならほぼ誰も通らない。


「カックラウ、この区画で過去一ヶ月以内に同様の事案がなかったか調べろ。血だまり、住人の消失、荷物の消失。どれか一つでもいい」

「わかりました」




 報告は夕方に来た。

 東区画と南区画の境目にある古い路地で、過去三週間のうちに少なくとも四件の不審な空き室が確認されていた。いずれも住人が突然いなくなり、部屋に少量の血の跡が残っていた。

 衛兵は引っ越しか、家賃滞納による逃走と判断し、事件として扱っていなかった。

 パットンはその報告書を手に、グライムの長屋に入った。

 グライムはすでに荷物を入れ終えており、窓際に座って外を眺めていた。引っ越し初日、それも事件が起こっている真っ只中だというのに、落ち着いた顔をしていた。


「今回の二件とは別に四件だ」とパットンは言った。「過去三週間で」

「四件か」グライムは報告書を受け取った。「住人の種族は……ハーピィが二件。ゴブリンが一件。ドワーフが一件。つまり三週間前には、ハーピィの詐欺の方法を知っている可能性がある。あとにその部屋に入った住人は?」

「ハーピィのあとにはハーピィが入っている。グライムの言う通り、死体偽装の詐欺の可能性が高い。だが――」

「疾走したゴブリンとドワーフも同じ数だけいる。全員、今回の区画の住人か」

「そうだ。南区画と東区画の境目に集中している」


 グライムは報告書を読みながら、少し目を細めた。


「狙う種族を絞っていない。ということは、種族が目当てじゃない。別の理由で選んでいる」


 パットンは椅子を引いて座った。


「動機は何だと思う?」

「わからない。でも、選ばれている。これが種族の儀式だったとしたら、関連性があるはずだ」

「ゴブリンもドワーフも特定の信仰はない種族のはずだ。無神論者を狙った、宗教殺人の可能性もある」

「それなら抵抗を見せるだろ?」グライムは窓の外を見た。「ハーピィが関与していない過去の二件。そして、今回の一件も、住人が自分の意思で部屋にいる。争った跡がない。招き入れたか、呼ばれたかして、中で死んでいる。無理やりではない」

「なぜ無理やりでないとわかる」

「血溜まりが出来ているが、返り血の跡がないからだ」


 パットンはしばらく沈黙した。窓の外で、夕暮れの街が橙色に染まっていく。


「組織だと思うか」

「少なくとも個人じゃない」とグライムは静かに言った。「死体を運び出すには少なくとも二人は必要だ。三階の窓から縄で降ろすなら、上で固定する者と下で受ける者がいる。運んだ先も必要だ。死体を保管する場所か、処理する場所か。一人でできることじゃない」

「目的は何だ」

「四件とも、南区画と東区画の境目に集中している。これは偶然じゃない」

「どういう意味だ」

「死体が消えている。自分で動けない者が消えた。つまり誰かが運んだ。運ぶには経路が必要だ。この部屋から無事下ろしても、重い荷を抱えて人通りのある表通りを歩けば、必ず目撃者が出る。だが四件とも、誰も見ていない」

「夜中に動いたということか」

「夜中でも、王都の衛兵は巡回している。荷馬車で大通りを走れば止められる。つまり、表に出ずに動ける経路が必要だ。地下か、建物の裏を繋ぐ通路か。そしてその経路の出入口が、この区画の境目にあるはずだ。四件が境目に集中しているのは、全員がその経路の近くで狙われているからだ」




 カックラウがパットンの元へ報告に来たのは、夜も深まった頃だった。

 南区画と東区画の境目にある古い石造りの建物の地下から、人の出入りがあったという。


 建物の周囲を見張っていたところ、深夜に荷を積んだ手押し車が建物の裏から出てき、二人の人間が素早く動いて、路地の奥へと消えた。


「追ったか」

「はい。ただ、途中で匂いが消えました。いえ、正しくはニオイを魔力で上書きされました。何らかの風魔法を使ったと思われます」

「どこまで追えた」

「東区画の外れにある倉庫街の手前まで。そこで消えました」

「倉庫街か。絞り込めた」パットンは立ち上がった。「カックラウ、明日昼間の時間に匂いを追え。夜は怪しまれる」


 カックラウはグライムに向けて短く頷くと、そのまま部屋を出ていった。


 パットンはカックラウの足音が遠ざかるのを聞くと、嫌な予感に堪えきれずに思わず漏らした。


「これは……治安の問題じゃないな……」





 翌朝、カックラウの報告を受ける前に、パットンは隠れ家へと向かった。


 家ではグライムが、何年も住んでいたかのような自然な振る舞いで朝食を作っていた。


 フライパンの油が温まり、細長いウインナーが静かに反り返る。

 裂け目から脂がにじみ、ぱちりと弾ける音が朝の空気をほどいた。


 グライムは低く鼻歌を続けながら、「アンタも食うか?」と訪ねた。


「真面目な話がある」

「ダイエットか? ならウインナーはやめとけ」

「真面目だと言っただろ。今回の件……国が預かることとなった。協力してもらったのに済まない」


 パットンは頭を下げた。そして、頭を下げたまま言葉を続ける。


「複数の死体が計画的に動いている。種族を問わず選んでいる。外部への経路まで用意している。個人にできることじゃない。組織だ」パットンは静かに続けた。「そして、組織がこれだけのことをこの街でやっているなら、目的がある。治安を乱したいだけなら、もっと派手にやる。これは……何かのために、静かに動いている」


「パットン……」

「何だ」

「アンタ、オレに嘘が下手だって言われたこと理解してないのか?」

「嘘はついてない」

「そうだ。嘘はついてない。でも、真実も言ってない――だろ?」


 パットンは黙った。

 正解だと伝えるための沈黙ではない。

 ここでなにか言えば、そこからグライムが真実につなげる可能性がある。

 ここで黙るというの唯一の正解だった。


 グライムは無言の押し問答に負けたと話題を少しだけ変えた。


「……一つだけ聞いていいか」

「何だ」

「この件を国で預かると言うなら……まさか部屋も移動するのか?」

「ハーピィの件は国とは関係ない……いや、なんの心配をしてる」

「せっかく良い家を借りたんだぞ。ここからまた牢屋に戻すなら、アンタは相当嫌なやつだ」

「いや……書かねばならない書類があるので、これで失礼する。今日は呼び出すことはない。ゆっくりしていろ。ささやかだが祝いの品も後で届かせる」


 パットンがすぐに踵を返し部屋を出ていくと、グライムは二階の窓から裏通りを眺めた。パットンが裏通りを抜けていくことはないが、グライムは人通りの層が変わるまでただただ眺めていた。

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