第2話 居場所の値段
マリアが刺繍の針を置いたのは、パットンが話し始めてから三分も経たないうちだった。
それはつまり、本腰を入れて聞くという意思表示だった。パットンはそれに気づいていたが、彼女の好意に甘え、気づいていないふりをして、ただの雑談のように話し続けた。
「その……グライムという男を、継続的に使いたいと思っている」
「そう」
「ただ、牢に入れたままでは限界がある。街に出るたびに大仰な魔法の拘束具をつけて連れ回すのも、効率が悪い」
「そうね」
「だから、何か別の管理方法を考えたい。マリア……キミの意見が聞きたい」
マリアはしばらくパットンを見ていた。
蝋燭の光が揺れて、彼女の顔に柔らかい影を作る。
「パットン」
「何だ?」
「それ、私に相談することじゃなくて、もう答えが出ているんじゃないの」
パットンは黙った。
「管理方法を聞きに来たんじゃなくて、背中を押してほしくて来たんでしょう」
「……そういうわけでは」
「おかしな人。ならなぜ、もう答えを持ってるのに私に聞くの?」
パットンはまた黙った。
マリアはそれ以上追わなかった。代わりに、ゆっくりと紅茶のカップを持ち上げた。
「城下町に家を借りればいいんじゃないかしら」
「……実は私もそう思っていた」
「でしょうね」マリアは微笑んだ。「魔法錠で行動範囲を制限すれば、逃げ出す心配もないわ。パットンにとっても、お忍びで動く時のアジトができる。グライムにとっては牢よりずっとまし。誰も損をしない」
「そう簡単なことではない。犯罪者を野放しにするわけにはいかない」
「野放しじゃないわ。魔法錠で繋いだまま、鎖を少し長くするだけよ。ワンちゃんだって、鎖長くした方が自分で餌を食べるわ」
パットンは何も言えなかった。
犬扱いに怒るべきか、正論として受け取るべきか、判断できなかった。マリアはその沈黙を見て、少し満足そうな顔をした。
翌日、パットンは地下牢の階段を降りた。
グライムはお決まりの格好で、壁にもたれて目を閉じていた。
だが、パットンが近づく足音を聞いて、待ってましたと言わんばかりに、かっと目を開けた。
「おっ、やっと来たな」
「話がある……」
「城下町に家でも借りてくれるんだろう? やっとこの牢屋ともお別れか」
「……なぜわかった」
「こうなると思ってた」グライムは格子にもたれたまま、のんびりと言った。「マリアが黙ってるわけがないからな。昨夜、相談に行っただろ」
「なぜそれを……」
「アンタが自分一人で決める時は、もっと早く来る。悩んでる時は一晩置く。昨日は来なかったから、誰かに相談したんだろうと思った。そしてアンタが相談できる人間は、この件についてはマリアしかいない」
パットンは額に手を当てた。
この調子だと、自分の一挙手一投足から今朝のメニューまでグライムに当てられそうだ。
「……話を聞け」
「聞いてる。アンタが話さないだけだ」
「城下町に家を借りる。そこに移れ。魔法錠で行動範囲は制限する。指定した区画から出ようとすれば、その場で拘束される。それ以外は自由だ」
「自由……ね」グライムは少し笑った。「王族が自由の意味を知らないってのは、本当なんだな。まぁ、冷たく硬い床の牢にいるよりましだ。ここが痔にさせるための拷問部屋なら、相当優秀だぞ」
「出るのか? 出ないのか?」
肝心の言葉が出てこないのでパットンは苛立ったが、それはグライムからしても同じだった。
「違うだろう。パットン――いや、パーター。出すのか、出さないのかだ」
牢屋の中にいても、グライムは強気だった。
彼にも詳細な理由は不明だが、自分の力をパットンが利用したがっているのは先の事件でも分かる通り、明確だった。
「わかった……。グライム……オマエの力を継続的に借りたい。この国は各国の輸出入の起点だ。異種族が混在し、文化も魔法体系も違う連中が同じ街で暮らしている。そこから生まれる事件は、普通の衛兵では対処できないものも多い。オマエのように裏の事情に詳しく機転が利く聡い人間が必要だ」
グライムはしばらく黙っていた。
天井を見上げて、しばし考える。
パットンの言っていることは本音だ。本音だが、真実ではない
嘘がつくのが下手なパットンなので、そこを見破るのは簡単だが、肝心の真実は影も見せなかった。
グライムはそこが気になったが、彼は嘘が下手な以上に頑固という性格が特徴だ。
そこをつついてもなにも出てこないもわかる。
それでも、王子の中でも飛び抜けて正義感が強いのも事実であり、真実を隠すのに本音と正義感以上に誠実なものはない。
グライムは100の安全は諦めて、100の安心を取った。
「わかった。よろしくな、パータ―」
格子の隙間から伸ばされるグライムの手を、パットンが握ることはなかった。
「パットンだ」
「あのなぁ……咄嗟の場合でもそういう態度をとるつもりか? 慣れとけよ。犯罪がバレるのは、名前を呼ばれた時の反応が鈍くなったり、過剰になったりする時だぞ」
「それこそが過剰の決めつけだ」
「自分で考えるからわかんねぇだよ。置き換えろよ、自分と相手を。名前で揺さぶりをかけるなんて常套手段だろ。だが、良い提案がある。肉球ちゃんなら、どんな反応でもからかわれてると思われる。それでいくか?」
改めて格子の隙間から握手を求めて手を伸ばしたグライムだったが、またしてもその手が握られることはなかった。
変わりに魔法錠が開く、焦げて蒸した魔力が放出されるニオイが広がる。
「まさか今から行くのか? 手続きは?」
「必要はない。この地下牢は私と、オマエの言う【犯罪者】しか知らん。自分で言っていただろう……」
「どうだったかな」
グライムは自分の意志で牢屋を出ると、地平線が広がる草原のど真ん中に立ったように、深々と深呼吸をした。
そして、珍しく清々しい顔で「自由の香りだ……」と呟いた。
「ところで……どっちがいい? 手首と足首。首は目立つからな、どっちからか選べ」
パットンは腕輪にしか見えない魔法錠を指に引っ掛け、チャラチャラと振って楽しそうに鳴らしながら聞いた。
「足にする……手にあったら、女口説いてる時にいちいちアンタを思い出す」
「女を口説くつもりか?」
「嫉妬か? ならせめて宝石でもつけて送ってくれ。時間も金も使わない男に、嫉妬する検知なんかねぇぞ」
「自由の身ではないんだぞ。……犬の鎖を伸ばしただけだ。私の部下が対になる魔法錠を身に着けている。そいつから離れると、拘束魔法がかかり動けなくなる覚えとけ」
「いいのか?」
魔法錠の仕組み。今はしている話の全てが正しいとは思わないが、嘘を付く必要もない。なぜそんなことをわざわざ言うのか、グライムは謎だった。
「肝心な時に拘束魔法がかかったら困るだろう」
「なるほど……。パータ―、マリアに言われただろ。相当尻に敷かれてるんだな」
「ヒッポグリフの小便をかけて、悪臭のマーキングをしてもいいんだぞ。魔法生物の排泄物による追跡は効果があるからな」
「わかったよ……」
グライムが左腕を出すと、大きな輪をした魔法錠がかけれる。錠がかかると、すぐに伸縮して手首にピッタリと収まった。
これで、グライムがパットンの監視下から逃げるは不可能になった。
外に出ると、寄り道をすることまっすぐにパットンが選んだ家へと向かった。
そこは石造りの建物が並ぶ通りの一角にあり、家の前の看板には「万族対応」と書いてある。
異種族の流入が増えてから、こういう商売が成り立つようになった。
二人は一回を軽くまわると、二階にまで上がり、一番広い部屋を見渡した
「どうだ。いい部屋だろ。よく日も入る私の書斎にしたいくらいだ」
既にパットン部下が掃除の手配をしており、家具付の立派な一軒家は、既に生活のニオイがしていた。
。
「こんなとこに本を置いたら日差しで褪せるのが早くなるぞ」
「わかってる……。本を読んだら気持ちいいということだ」
パットンはムッとして揺り椅子に腰掛けると、窓から優雅に流れる街の時間を見下ろして眉間のシワを伸ばした。
「おい、パータ……。なにやってるんだ」
「荷物を運ぶ前の一休みだ。心配するな私のものは私が運ぶ」
「何言ってんだよ……こんなところ住むわけがないだろう。なに考えてんだ?」
「こんな一頭地は他にないぞ。誰も買えないから余ってるんだ。有効利用するにはちょうどいいだろう」
「あのなぁ……。誰も買えない土地を買ったら、誰もが知ってるやつになるだろ? それは王子のアンタでも、王子の影になって動くオレにしても都合が悪いだろ。こんなの急にポンと買うやつは、貴族か豪商か王族に決まってる」
パットンは再びムッとした。だが、今度は自分浅はかな考えにだ。
自分の【ある計画】のために 犯罪者のグライムを利用する。それにはグライムの存在が、城の人間であっても他にバレては困るのだ。
「言っただろう。自由の身ではないぞ」
「こんないい家に住んでるのにか? 使用人はどうする? まさか城から派遣するつもりか? 言い訳は? 住民の噂話からオレの存在がバレるぞ」
グライムがあっという間に欠点を上げると、パットンはまいったと頭を振った。
反論の余地もない。グライムの言う通りだった。
そして、その一瞬の間に、亜人の男が二人の間を割って入ってきた。
「すまん」と通り抜ける亜人に向かって、グライムは「気をつけろ」と軽く怒鳴ったが、亜人はそのまま喧騒に消えていった。
グライムはその一瞬のやり取りの間に手渡されたメモを読み上げた。
「そうだ。南区画の通り沿いに、最近空きが出た集合住宅があるを知ってるか?」
「なんでオマエがそんなことを知ってる」
「逆に聞けどよ。なんで知らないと思ってる? だからオレに力を借りたいんだろう」
「怪しい……」
「そりゃそうだろう。パーター……今のアンタから見たら、今日のオレの朝食だって怪しいところだらけだ。不動産まで疑う気か? だとしたら、もうオレの問題じゃないだろ。国の崩壊の危機だ。違うか?」
「わかった……」パットンは口では敵わないと諦めた。「だが、私たちは行かない。部下に借りさせる。いいな?」
「どうぞ」
パットンの考えでは不動産とグライムが裏で組んでいると思っていた。
なので、彼が「待った」と付け加えた時、内心キタと興奮していてた。
「どうした? 問題でもあるか?」
「城下町の本通りにある、あの立派な飯屋があるだろ。あそこが怪しい……部下に予約を取らせるべきだ」
「……行くぞ」
「飯の予約か?」
「部屋を見に行くんだ」
「部下は?」
「もう指示は出した」
「それじゃあ、やってることオレと変わんないだろ」
「いいから黙ってついてこい」
「それはオレの台詞だ。指示は出せても、結果を受け取ることは出来ないだろ? 場所わかるのか?」
一瞬優位に立ったと思ったパットンだったが、すぐにグライムへのペースへと戻された。
二人がついた場所では、縦に長い建物が二棟並ぶ通りだった。
一階と二階で部屋が分かれていて、それぞれ窓が、一階は表通り向き、二階が裏通り向きになっている。
情報が集まりやすく、人の出入りが多い通りの近くという、まさにうってつけの物件だった。
「こちらです」
既にパットンの部下の一人が、家の前に立っており、すべて手続きを済ませていた。
「ご苦労。カックラウ」
「契約はすべて済ませています。移動するなら今日にでも」
パットンにカックラウと呼ばれた長身の男は、パットンの私兵であり、パットンの命令にだけ従う部下の一人だ。
つまり地下牢の見張りでもあり、グライムの性格も知っている。
カックラウは、パットンよりも輪をかけたような真面目な性格なのでグライムとは相慣れない。
今もグライム全く無視で、パットンにだけ視線を向けている。
「まだ住むって決めてもないのにか? さすがパーターの部下だな」
「カックラウは優秀だからな。一を聞いて三動く男だ」
「バカ犬だって言ってんだよ。名前を呼ばれたら、ワンって鳴いて、尻尾を振って、それを追いかけ回すんだろ? そこらの犬だって、一聞いて三動くぞ。マーキングも含めれば四だな」
グライムはバカにしたように言うが、まるっきり的外れでもない。
カックラウはパットンの忠犬。それは比喩ではない。
彼は犬の獣人であり、他の二人の部下も獣人だ。
三獣士と呼ばれ、パットンの命令を秘密裏に遂行する者たちだ。
「周辺には香草を売る店と古道具屋がり、ほとんどが二、三階建ての石造りの建物です。特徴もない建物の割には、他種族が移動する通りにも面していて、身を隠すには最適化と」
カックラウの説明を真面目に聞くパットンだったが、その隣りにいるはずのグライムはいつの間にか姿を消していた。
家から出たわけではない。裏通りが見える二階へと上がったのだ。
グライムは窓の外を眺めていた。
表通りの人の流れ、香草屋の軒先、向かいの建物の窓。
言葉からの想像だけでは足りなかった、実際の光景を見て情報を整理していく。
先程、すれ違った亜人はボンドとグレッチェンの二人だ。
盗みをしたときと全く同じ手法を使い、グライムに情報を書いた紙を渡したのだ。
パットンからの監視から逃れるのは不可能。
だが、ここは表と裏の通りを隔てる壁のような存在の家だ。
深い情報は流れ込んでこなくても、浅い情報は飛び交うのにうってつけ。
まさにグライム好みの家ということだ。
「悪くない……。ちょっと高いか」
思いの外、内装の作りは良かった。
紛れるのであれば、もうワンランクは生活レベルを下げたほうが良さそうだというのがグライムの思いだったが、紛れすぎると今度はパットンの存在があやふやになってしまう。
取り繕うにしても、許容範囲内の家だ。問題はないと判断した。
あとは、隣にどれだけ音が漏れるかだ。
家の隔たりは、半身になりながら通り抜けられるくらいの路地しかなく、あまりに薄い壁だと、密接していなくとも話し声が漏れる可能性がある。
確かめるために、隣の部屋との壁を軽く叩いたが、なにも起こらない。
徐々に大きくして、普通ではありえない生活音レベルの騒音を立てると、ようやく隣人がのそっと窓から顔を出した。
「家賃は払うってばぁ……。あら、人違いみたい」
そう言って顔を出したのは若いハーピィの女だった。
羽先をカラフルに染め、いかにも現代風のハーピィだ。
「本当に人違い?」
「……知り合いだったかしら?」
「それはこれからの会話による。知り合いか……それとも恋人か」
「もしかして口説いてるの?」
「それは決めるのは君だよ」
「アリシアよ」
「アリシア。いい名前だ。北方の風を思い出すよ。グライムだ」
「グライムね。それで、グライムはここに引っ越してくるの?」
アリシアは太陽に手を伸ばすように、グッと体を伸ばしながら言った。
美しい翼が広げられ、純白が影を作り、カラフルな羽先が光に僅かに色を付けて透かした。
「そうしようと思ったんだけど……もしかしたら、そっちの部屋に引っ越したほうがいいかも」
「絶対にダメ」
彼女は翼を広げると、絶対に部屋の中は見せないと影を作った。
「そんなに危険な男に見える?」
「ハーピィは街から街へと移る、【渡り種族】なのよ。若い女一人、気をつけるべきことはわかってるわ」
「だろうね。その羽先の色。イドドの民族カラーから来てるだろう? 緑が続いて赤と青でまた緑で挟む。意味は自立だ」
「イドドの事知ってるの?」
「知ってるよ。亜熱帯地方にいるハーピィの中でも古い種族だろう? 求愛の踊りは芸術だったよ。そこで習ったんだ」
グライムは翼を大きく広げて踊るハーピィの求愛ダンスを、羽織っていたマントを翼に見立てて踊って見せた。
すると、アリシアのテンションは上がった。
羽先を染めるのは、若いハーピィの反抗と捉えられがちだが、グライムはその歴史と文化を知っている。
そのことが嬉しかったのだ。
アリシアの警戒心は一気に溶け、窓から飛び立つと鳥の足でグライムの肩をガッチリ掴んで「せっかくだから踊りましょう」と自分の部屋へ連れ込んだ。
彼女の部屋は質素で、家具はほとんどない。
代わりにあるのは、身を飾るものばかりだった。
「さぁ、身を寄せて」
アリシアが翼を広げると、その動きに合わせて、グライムも一歩踏み出す。
合わせようとはしない。ただ、ダンスの流れに乗る。
その瞬間だった。ふわりと グライムの背中で、マントが膨らんだ。
風など吹いていない。
それでも確かに、内側から押し上げられるように、布が生き物のように揺れた。
アリシアの目が細められる。
「やるじゃない」
「習ったって言っただろ。ハーピィの求愛ダンスは、男が身も心も許して、全てを女性に任せるんだ」
「そうよ、それでいいの。ハーピィの踊りはね、風に触れたかどうかだけが全部だから」
彼女は一歩引き、翼を大きく広げ、今度は試すように、少しだけ速く回るが、グライムもついて動く。
そうするとまた――マントが膨らんだ。
今度はさっきよりも自然に。
まるで最初からそこに風があったみたいに。
「本当に上手ね」アリシアが楽しそうに笑う。「ちゃんと“ついてきてる”」
「風にか?」
「私に、よ」
そのまま風の勢いに距離を詰める。
二人の視線がぶつかる。
「……合格」
小さく呟いて、彼女は踊りを止めた。
余韻の中で、グライムのマントだけがわずかに揺れている。
遅れて、魔力の風が抜けていくように。
アリシアはそれを見て、ほんの一瞬だけ―― どこか寂しそな顔をした。
「いい部屋よ、ここ」
「顔は、そうは言ってない」
「あなたとはもう少し早く空いたかったわ、グライム。悔しい……」
アリシアはグライムの頬にキスをすると、「またね」と二階の窓から窓へと、連れてきたときと同じように部屋へと返した。
上機嫌で戻ったグライムを待ち構えていたのは、眉間に深いシワを作ったパットンだった。
「外に出た瞬間舞踏会か? ……呆れてものも言えない」
「王子なら、ダンスの一つでも混ざりに来るべきだろう」
「私は、女性をあてがうためにオマエに家を用意するわけじゃないんだぞ」
「そりゃそうだろう。マリアに怒られる。オレが言ってるのは、文化の交流が大事だってことだ。こんだけ他種族が出入りしているところで、ハーピィ踊りの一つも踊れないと苦労するだろう」
「答える義理はない。それより、いい忘れたことがある」
そう言うとパットンは、カックラウに指示を出した。
カックラウが短い遠吠えをすると外で馬のいななきが聞こえる。
それはグライムを牢屋まで護送する馬車だった。
「もう一日牢屋だ」
「そこの犬が許可を取ったんだろ? 今日からだって住めるはずだ」
「それはそうだが、私がこういうとは思いもしなかっただろう?」
「そりゃな。アンタは無駄なことが嫌いだろう?」
「だからだ」
「まさか、それで勝ったつもりか?」
「勝負はしてない。だが、負けたと感じたなら、それは負けになる。覚えとけ、王族の中じゃ、勝ち負けは目に見えない……」
喋りすぎたと注意をするように、カックラウの咳払いが響く。
「とにかく、明日また迎えに行く。最後の夜だ、良い夜を過ごすといい」
翌朝、パットンは約束通り牢屋まで無開けに来たのだが、その表情はおかしかった。
「良い夜は過ごせなかったのか?」
「ふざけてる暇はない。いいか……聞け。昨夜、隣の部屋の住人が死んだ。そして、その死体が消えた」
「ふざけてる暇はないんじゃなかったのか? ……本当なのか? 昨日知り合ったばかりだぞ」
「来い」
パットンは説明するよりも、現場を見せたほうが速いだろうとグライムを連れ出した。
南区画の通りには人だかりができていた。
新居の前の路地に、野次馬が群れている。
荷を背負ったリザードマンがが足を止めて首を伸ばし、露店のドワーフが手を止めて様子をうかがっていた。
グライムは衛兵の横をすり抜けて、階段を上った。
アリシアの部屋の扉は開いていた。
部屋の中は、昨日とは別の光景だった。
床に血だまりがあった。家具はほとんどない部屋だったが、その分、血の広がりがよく見えた。
呆然と立ち尽くすグライムの肩を、パットンは慰めるように叩いた。
「オマエのアリバイは私が完璧に証明できるのが幸いだな」
パットンは昨日二人が踊っているのを見て、良い関係に向かっているのだと思っていた。
だが、違う。
グライムは冷静にこの場所を分析していた。
彼が部屋の中を静かに歩き回り始めると、パットンの手が肩から離れた。
窓を開けて外を確認し、壁を見て、床を見た。
昨日の光景と頭の中で合成していく。
それからクローゼットを開けた。
空だった。
「昨日は何かあったかのか?」パットンが聞いた。
「しっかり確認はしていないが、開きかけのクローゼットの扉から、服が入っているのが見えた。あとは羽根の手入れ道具と、飾り物がいくつか」
グライムはクローゼットに落ちていた抜け羽を拾い上げると、そのまま視線を上げて、クローゼットの棚を見た。
底に鳥の巣のようなクッションが敷き詰められており、貴金属に付着した垢の汚れが移っていた。
そのまま流れるような動作で、床の血だまりの縁にしゃがんだ。
指を近づけて、乾き具合を確かめる。
「死体がないのに血だけあるってことか?」
「発見者がいる。死体があったが、消えた。というのが正確だ」
グライムは窓の桟に目をやった。細い羽根が一本、白く光っていた。それを指でつまみ、しばらく眺めた。
「パットン、ひとつ聞く。アリシアの死体を発見したのは誰だ」
「隣の住人だ。朝、廊下で血の匂いがすると言って扉を叩いた。鍵がかかっていなかったので中を確認したところ、倒れているアリシアを発見した。人を呼びに行って、戻ってきたら消えていた」
「発見から戻るまで、どのくらいかかった」
「……十分程度だと聞いている」
「十分か」グライムは立ち上がった。「それだけあれば十分だ」
「何が十分なんだ」
「逃げるのにだ」
パットンは眉を寄せた。死体が逃げるものかと、当たり前の常識に眉間にしわを作った。
「逃げた? 死んでいたんだろう」
「死んでいたように見えた、が正確だ」グライムはクローゼットをもう一度確認した。「荷物が全部ない。昨日はあった。つまり今朝、荷物を持って出た。死人は荷物を持って逃げない」
「では、偽装か?」
「そうだ」グライムは窓の外を見た。「アリシアは自分で血を出して倒れた風に見せかけ、隣人に発見された。発見者が慌てて離れた隙に荷物を持って窓から出た。ほらよく見ろ。血が木に染み込まず、盛り上がってるところがあるだろ?」
グライムの言う通り、木目に染み込み乾くのではなく、油絵のように盛り上がっている。
「血なら木目に吸われる…だがこれは覆っているだけだ。この現場をキャンバスだと思え、ここが誰かが死んだ現場にしては、絵になりすぎてる」
「オマエの仮定を採用するとしてだ。なぜそんなことを」
「簡単だ。家賃だろう」グライムは静かに言った。「死人が出た部屋の家賃は下がる。で、安くなった部屋を、別のハーピィが借りれば、安くなった部屋に住める。昨日、アリシアは言っていた。『家賃は払うってば』ってな。捕まえたきゃ、次に入ってくる ハーピィだけじゃない、渡り種族が裏で情報交換してる可能性もある。ほら、窓枠に新しい傷がある。逃げ出す時に爪を引っ掛けたんだろう」
パットンは窓枠についた傷跡見てから、おそらく飛んで逃げたであろう空を眺めて、ため息をついた。
「泣き寝入りということか……」
「そうでもない。大家を調べろ。アリシアがそこまでするほど、家賃交渉が行き詰まっていたはずだ。そっちに問題がある。なんかやってるのは確かだ。調べれば、しょっ引く理由はあれこれ落ちてると思うぞ。というよりよ……。最近はどうも一般市民が金を持ち過ぎだと思わねぇか? 色々権力の傾きが起きてる気がするけどな」
「グライム……オマエが気にすることではない」
パットンが衛兵に指示を出そうとしたところで、カックラウが駆け上がってきた。
「王子……。別の場所で同様の報告が入っています」
そう耳打ちされるとパットンが目を見開いた。そして、聞き耳を立てているグライムと顔を見合わせた。
「同様の、とは」
「血だまりと、死体の消失です。東区画の集合住宅で」
グライムの目が細くなった。
「アリシアと同じか。ハーピィか?」
「それが……住人はドワーフ族の男だそうで」
しばらく沈黙を身にまとっていたが、「行くぞ」とグライムが言った。
今度は自分から。
東区画の集合住宅は、南区画の古く、さらに雑多だった。
石と木材が継ぎ接ぎのように重ねられた建物が並び、通りには鉄と油の匂いが漂っていた。
通りの出入り口はドワーフの多い区域らしく、窓からは金槌の音が絶えず響いている。
石造りの外壁が黒ずんでおり、入口の前に衛兵が一名立っているので、すぐに現場がわかった。
周囲が騒ぎ出すことなく、情報規制されているのは、衛兵の数からもわかった。
衛兵は、パットン姿を見つけるとすぐに報告した。
「三階の部屋で血だまりが発見されました。住人は消えています。争った跡もなく、鍵も壊れていないことから、衛兵の間では自殺ではないかという話も」
「住人は誰だ」
「ドワーフ族の男です。ヤーグという名前で、鍛冶職人をしていたと」
パットンが話を聞いている間、グライムは何も言わずに建物に入った。
現場の部屋に入ると空気が違った。明らかに血の匂いが濃い。
床には確かに血だまりがあった。だが――広がり方が違う。
グライムは一歩だけ踏み込んで、それが本物の血だとわかるとすぐに足を止めた。
その背中に「外から侵入した跡はない」とパットンが話しかけた。「鍵は壊れていない。争った形跡もない。アリシアと同じだ。ドワーフも家賃交渉に行き詰まっていたか?」
「ハーピィは飛んで逃げられるけど、ドワーフはそうも行かないだろう。そもそも本物の血を使う理由がない」
「ハーピィから聞いたんじゃないのか? 同じ手を使ったら怪しまれるから、絵の具をより血に見せた可能性だってある」
「その線も捨てきれない」
「調べるか……専門家を連れてくる」
「その必要はない。だろ?」
グライムに肩を叩かれたカックラウは、その態度を不快に思い、わずかに眉を動かしたが、何も言わずにしゃがんだ。
血だまりに顔を近づけ、鼻を動かした。
まるで睨みつけるようにして、現場の痕跡を嗅ぎ分ける。
そして、数秒後。その険しい表情のままで立ち上がった。
「……血が、一人分じゃないです」
部屋の中が静かになった。
「どういうことだ」
パットンは意味がわからないと、自身も床に残された血を観察した。
「二人分、あるいはそれ以上の血の匂いがします。混ざっています。一種類は新しい。もう一種類は……少し古い」
グライムはカックラウの話を聞きながら、部屋の中を一定の速度でウロウロして考えをまとめ始めた。
「これはハーピィの件とは違う。明らかにここで誰かに殺されてる。だが、現場はどう見ても自殺だ」
パットンもグライムの意見に同意だった。
血の解析をカックラウの嗅覚に任せ、グライムの推理に加わった。
「確かに……争った形跡はない」
「だけどここには血が残っている。それも時間差がある複数人の血だ」
「黒魔術か? 儀式の類で調べてみるか……」
「パットン……。わかるだろ? これはハーピィの詐欺に見せかけた殺人だぞ。黒魔術になすりつけるなら、部屋にニオイが残ってる。そして、残ってるなら、アンタの忠犬が真っ先に指摘するはずだ」
カックラウは不服そうな表情で、グライムの言葉に頷いた。
「呪術にはニオイがつきものです。ですが、ここには血の匂いしか残されていません」
「争った跡がないのではなく、争いを見せていない。あるいは、争いが起きる前に終わった」グライムは窓の縁を指で触れた。「傷がある。最近ついた傷だ。ハーピィの時の傷と違って、摩擦による焦げあとがある。縄か何かを引っかけて引きずったあとだ。三階から縄で何かを降ろした」
「死体か!」
「そうだ。死体のドワーフは自分では動けない。誰かが運んだ」
パットンは窓の外を見下ろした。
裏通りに面した窓だった。昼間でも人通りが少ない。夜ならほぼ誰も通らない。
「カックラウ、この区画で過去一ヶ月以内に同様の事案がなかったか調べろ。血だまり、住人の消失、荷物の消失。どれか一つでもいい」
「わかりました」
報告は夕方に来た。
東区画と南区画の境目にある古い路地で、過去三週間のうちに少なくとも四件の不審な空き室が確認されていた。いずれも住人が突然いなくなり、部屋に少量の血の跡が残っていた。
衛兵は引っ越しか、家賃滞納による逃走と判断し、事件として扱っていなかった。
パットンはその報告書を手に、グライムの長屋に入った。
グライムはすでに荷物を入れ終えており、窓際に座って外を眺めていた。引っ越し初日、それも事件が起こっている真っ只中だというのに、落ち着いた顔をしていた。
「今回の二件とは別に四件だ」とパットンは言った。「過去三週間で」
「四件か」グライムは報告書を受け取った。「住人の種族は……ハーピィが二件。ゴブリンが一件。ドワーフが一件。つまり三週間前には、ハーピィの詐欺の方法を知っている可能性がある。あとにその部屋に入った住人は?」
「ハーピィのあとにはハーピィが入っている。グライムの言う通り、死体偽装の詐欺の可能性が高い。だが――」
「疾走したゴブリンとドワーフも同じ数だけいる。全員、今回の区画の住人か」
「そうだ。南区画と東区画の境目に集中している」
グライムは報告書を読みながら、少し目を細めた。
「狙う種族を絞っていない。ということは、種族が目当てじゃない。別の理由で選んでいる」
パットンは椅子を引いて座った。
「動機は何だと思う?」
「わからない。でも、選ばれている。これが種族の儀式だったとしたら、関連性があるはずだ」
「ゴブリンもドワーフも特定の信仰はない種族のはずだ。無神論者を狙った、宗教殺人の可能性もある」
「それなら抵抗を見せるだろ?」グライムは窓の外を見た。「ハーピィが関与していない過去の二件。そして、今回の一件も、住人が自分の意思で部屋にいる。争った跡がない。招き入れたか、呼ばれたかして、中で死んでいる。無理やりではない」
「なぜ無理やりでないとわかる」
「血溜まりが出来ているが、返り血の跡がないからだ」
パットンはしばらく沈黙した。窓の外で、夕暮れの街が橙色に染まっていく。
「組織だと思うか」
「少なくとも個人じゃない」とグライムは静かに言った。「死体を運び出すには少なくとも二人は必要だ。三階の窓から縄で降ろすなら、上で固定する者と下で受ける者がいる。運んだ先も必要だ。死体を保管する場所か、処理する場所か。一人でできることじゃない」
「目的は何だ」
「四件とも、南区画と東区画の境目に集中している。これは偶然じゃない」
「どういう意味だ」
「死体が消えている。自分で動けない者が消えた。つまり誰かが運んだ。運ぶには経路が必要だ。この部屋から無事下ろしても、重い荷を抱えて人通りのある表通りを歩けば、必ず目撃者が出る。だが四件とも、誰も見ていない」
「夜中に動いたということか」
「夜中でも、王都の衛兵は巡回している。荷馬車で大通りを走れば止められる。つまり、表に出ずに動ける経路が必要だ。地下か、建物の裏を繋ぐ通路か。そしてその経路の出入口が、この区画の境目にあるはずだ。四件が境目に集中しているのは、全員がその経路の近くで狙われているからだ」
カックラウがパットンの元へ報告に来たのは、夜も深まった頃だった。
南区画と東区画の境目にある古い石造りの建物の地下から、人の出入りがあったという。
建物の周囲を見張っていたところ、深夜に荷を積んだ手押し車が建物の裏から出てき、二人の人間が素早く動いて、路地の奥へと消えた。
「追ったか」
「はい。ただ、途中で匂いが消えました。いえ、正しくはニオイを魔力で上書きされました。何らかの風魔法を使ったと思われます」
「どこまで追えた」
「東区画の外れにある倉庫街の手前まで。そこで消えました」
「倉庫街か。絞り込めた」パットンは立ち上がった。「カックラウ、明日昼間の時間に匂いを追え。夜は怪しまれる」
カックラウはグライムに向けて短く頷くと、そのまま部屋を出ていった。
パットンはカックラウの足音が遠ざかるのを聞くと、嫌な予感に堪えきれずに思わず漏らした。
「これは……治安の問題じゃないな……」
翌朝、カックラウの報告を受ける前に、パットンは隠れ家へと向かった。
家ではグライムが、何年も住んでいたかのような自然な振る舞いで朝食を作っていた。
フライパンの油が温まり、細長いウインナーが静かに反り返る。
裂け目から脂がにじみ、ぱちりと弾ける音が朝の空気をほどいた。
グライムは低く鼻歌を続けながら、「アンタも食うか?」と訪ねた。
「真面目な話がある」
「ダイエットか? ならウインナーはやめとけ」
「真面目だと言っただろ。今回の件……国が預かることとなった。協力してもらったのに済まない」
パットンは頭を下げた。そして、頭を下げたまま言葉を続ける。
「複数の死体が計画的に動いている。種族を問わず選んでいる。外部への経路まで用意している。個人にできることじゃない。組織だ」パットンは静かに続けた。「そして、組織がこれだけのことをこの街でやっているなら、目的がある。治安を乱したいだけなら、もっと派手にやる。これは……何かのために、静かに動いている」
「パットン……」
「何だ」
「アンタ、オレに嘘が下手だって言われたこと理解してないのか?」
「嘘はついてない」
「そうだ。嘘はついてない。でも、真実も言ってない――だろ?」
パットンは黙った。
正解だと伝えるための沈黙ではない。
ここでなにか言えば、そこからグライムが真実につなげる可能性がある。
ここで黙るというの唯一の正解だった。
グライムは無言の押し問答に負けたと話題を少しだけ変えた。
「……一つだけ聞いていいか」
「何だ」
「この件を国で預かると言うなら……まさか部屋も移動するのか?」
「ハーピィの件は国とは関係ない……いや、なんの心配をしてる」
「せっかく良い家を借りたんだぞ。ここからまた牢屋に戻すなら、アンタは相当嫌なやつだ」
「いや……書かねばならない書類があるので、これで失礼する。今日は呼び出すことはない。ゆっくりしていろ。ささやかだが祝いの品も後で届かせる」
パットンがすぐに踵を返し部屋を出ていくと、グライムは二階の窓から裏通りを眺めた。パットンが裏通りを抜けていくことはないが、グライムは人通りの層が変わるまでただただ眺めていた。
そして、その日の夜が更けた頃、パットンはマリアの私室を訪ねた。
中に入ると、室内はすでに仕事の終わりに近い静けさに沈んでいた。
灯りは抑えられ、机の上だけが必要最低限に照らされている。
そこにはいくつかの書類が積まれていた。読み終えたものと、まだ手を付けていないもの、その境界が曖昧なまま並んでいる。
マリアは顔を上げないが、パットンの存在に気づいていないわけでもない。
彼が話しかけるのをいつものように待っている。
パットンは机の前まで歩み寄り、椅子に手をかけたまま一度止まった。
そして、長い沈黙を響かせてから「やあ」と声をかけた。
「今日はずいぶん声を掛けるまで長かったのね。初めてのデートを思い出すわ」
マリアの言葉に少しだけ眉間のシワを緩めると、パットンは短く息を吐いた。
そして、座ると同時に、ここへ来た理由が形を取り始める。
報告ではない。確証もない。
ただ、切り離して扱えなくなった違和感だけが残っている。
「預けることにした……」
パットンは短くそう言い、それ以上は続けなかった。
その言葉だけで足りる領域であることを、互いに知っているからだ。
マリアはすぐには反応しなかった。
手元の紙を一枚だけ整え、端を揃える。その無駄のない動作が終わってから、ようやく顔を上げた。
視線は鋭くも柔らかくもなく、ただ、与えられた言葉をそのまま受け取り、重さを量っている。
「預ける、のね」
繰り返された語は同じでも、置かれ方が違う。
それだけで、言葉の意味がわずかにずれる。
パットンには諦め、マリアには確認の意が入っていた。
「ああ……。もう城から出ることはない預かりものだ……」
「そう」
「ああ」
それっきりパットンは黙った。
マリアはその沈黙をそのまま受け取り、机の上へと視線を落とした。つられてパットンも視線を追う。
積まれた書類の中に、向きの揃っていない一枚が混ざっていた。
マリアはそれを直すことなく、愛おしそうに紙の端に触れた。
「グライムは預かりものじゃないでしょう?」
「なんでアイツの名前が出てくる」
「あなたにとって、この書類と一緒だから。積み重ねられた上辺の嘘の中に交じる、一つだけの真実よ。そして、彼は上辺に紛れることも出来る」
マリアは書類の向きを戻すと、全てを束ねてテーブルに置いた。
「彼もそのうち気付くわよ。それとも気付かせたいの? 私に愛の告白をさせた時みたいに」
「マリア……」
「わかってるわ。それがわからないから、こんなに遠回りしてるんだもの。妬けちゃうわ」
「グライムが私の乗っていた馬車を襲ったのは……絶対に偶然ではない……」
「必然ってこと?」
「自然だ。自然にあいつは山賊と呼ばれるようになった。馬車の襲撃一つでな。この国の内情をなにも知らなかったら、そんなバカなことをは起こさない。……奴はなにかを知っているはずだ」
「教えましょうか?」
「聞いているのか!?」
「あなたを信用しているのよ。少しだけ、他の王子たちよりも」
「利用と言うんだ。それに、その話を城でするのは危険だ……」
「グライムにとって利用は信用と一緒だと思うわ。今度は正式な場で食事を一緒にしたいわね」
「マリア……君まで危険に晒したくはないんだ」
「ええ……わかってるわ。だから、今夜はゆっくり休みましょう。頭を使いすぎると、疲れて」
マリアは書類をしまうと、パットンをベッドの縁に座らせるように促した。
甘えるようにベッドへ誘われた彼だったが、ベッドに倒れ込む前に急に姿勢を正した。
「待った……。今『今度は正式な場で』と言ったな。隠れて一緒に食事をしてたんだな」
「肉球ちゃん……頭を使いすぎよ」
「隠れて食事をしてたんだな」
マリアは小さく息をつき、口元だけでわずかに笑った。
それ以上パットンが追うことはしない。
変わりに「こいつめ」と彼女をベッドへ押し倒した。
言葉を重ねれば説明になるが、いま必要なのは説明ではなく、理解されたという事実だけだからだ。
同じ夜。グライムは窓を開けたまま、裏通りを眺めていた。
月明かりが石畳を白く照らしている。さっきまで怪しげな手押し車が走っていた路地だが、今は何もない。
ただ、石畳が光を返しているだけだ。
「おお、良い酒だ! やっぱ王族ってのは気前がいいな」
ゴブリンのボンドが、高級ワインを手にとってテンション上げた。
「口止め料みたいなもんだ。気にせず飲めよ。オマエにはその権利が十分にある」
「どういうことだ?」
「数ヶ月前にゴブリンの集落にあった地震。ありゃ人工的なもんだ」
「どういうことだ? 次も同じセリフを言わせたら、縁を切るぞ。もったいぶってバカにはされるのは嫌いなんだ……」
「継承者争いに巻き込まれたってことだ。今回の件、国が預かるって言ったのは、それ以上オレに調べさせないためだな。足を踏み込めば、他の王子が出てくるっていう警告でもある」
「なるほど……口止め料に酒を送ったってことだな。王族もやること、庶民の賄賂と変わらねぇんだな」
ポンッとワインのコルク栓が抜ける音が響くかが、グライムが顔を上げることはなかった。
ボンドはコップに注ぐことなく、水のように高級ワインを飲んだ。
ゴクゴクと喉を乗らす音が夜風に混ざる。
グライム考えていた。
パットンの言動や表情を、グライムは頭の中で何度も思い出しては、同じシーンを繰り返す。
この国が、内側から壊されようとしているかもしれない。
それも身内によって。
国家崩壊を恐れているの関係者は、パットンだけとは限らない。
だが、城の中で何かが動いているのは確かだった。
王族の間で、あるいはその周辺で、“誰か”が“誰か”を出し抜こうとしている。
グライムの口の端が、少し動いた。
パットンが乗った馬車を襲ったのは、間違いなかった
捕まえられたのは想定外だったが、逆にそれが答え合わせにもなっている。
パットンは自身が乗っていた馬車を襲われたことを、“誰か”に知られたくなかったのだ。
だからグライムは誰も知ることない特別な地下牢に幽閉された。
そして、隠されるか闇に葬られる存在の自分に、今協力を求められているのは、確実にそのお城の面倒事の一端である事件の解決だ。
グライムはボンドからワインの瓶を奪い取ると、喉を鳴らして月を見上げた。
「悪くない夜だ」
「なにカッコつけてんだ」
ボンドの嘲笑に、グライムは気持ちの良い笑顔で返した。
「そう正に括弧付きだ。王子の括弧にはなにがついてる。そいつを暴くのが先か、お宝が先か……。なっ? 悪くない夜だろ?」
「待った……なんでこんな話を話した?」
「悪くない夜だ」
「共犯者にするつもりか? そうなんだろ! おい聞けよ!! 聞けったら!!」
グライムはボンドに背中を叩かれながら、少し窓から身を乗り出して隣の部屋を覗いた。
明かりの消えた主人を失った部屋から、北方の風が吹き抜けた気がした。




