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幻想神域の零能力者(イレギュラー)  作者: 蒼春-Aoharu
第一章 バタフライ・エフェクト/Butterfly Effect
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第十三話 奥の手



 宣言通り、土鬼(どき)が動く。

 両腕を交差するようにして、ゆっくりと菜切り包丁を構える。

 すると、大地に染みついた穢れがまるで引き寄せられるように刃へと集まり始めた。

 黒い泥が刀身を覆い、絡みつき、やがて脈打つように蠢き出す。

「……っ」

 龍三の背筋を、嫌な悪寒が走った。

 刃を覆う穢れの中から、次々と人の顔が浮かび上がる。

 泣き叫ぶ顔。

 怒り狂う顔。

 憎悪に歪む顔。

 百鬼(ひゃっき)の怨念を封じ込めたかのような穢れが、刃に纏わりつく。

「――百鬼羅刹(なきりらせつ)

 次の瞬間。

 土鬼は交差させていた両腕を大きく振り抜いた。

 轟ッ――‼

 爆発的な衝撃と共に、刀身を覆っていた穢れそのものが巨大な斬撃となって解き放たれる。

 夜闇を切り裂きながら迫る漆黒の刃。

 以前、凛の光牙手裏剣を容易く横断した一撃。

 まともに受ければ、ひとたまりもない。

「っ――!」

 龍三は咄嗟に足を踏み込み、右手を前に突き出した。

 迎え撃つように、破魔の焔が燃え上がる。

 青と黒。

 相容れぬ二つの力が正面から激突した。

 爆ぜた焔が闇夜を染める。

 青き奔流が漆黒の斬撃を飲み込み、禍々しい穢れはあっという間に浄化の焔によって焼き祓われた。

「……ほう。今のを防ぐか。大したものだ……」

 土鬼が感心したように呟く。

 自らの術を破られたにも拘わらず、土鬼に動揺の色はない。

 その様子に、龍三は得体の知れない気味悪さを覚える。

「生身の人間ならば、今頃、胴が泣き別れになっているところ。やはり()()()、ただの異能の力ではないな?」

「……っ!?」

 土鬼の発言に、龍三が目を見開く。

(……こいつ、俺の焔が見えてる!?)

 今まで龍三にしか見えていなかった青い焔。

 今日だけで既に小雪と凛の二人がその存在を認識していた。

 それだけでも信じ難い出来事だったというのに、今度は目の前の妖魔までもが、破魔の焔をはっきりと視認している。

 なぜ土鬼にまで焔が見えているのかはわからない。

 小雪と凛、そして目の前の妖魔。

 三者に共通するものがあるとすれば、霊的な存在――あるいは、霊的な力と関わりのある者。

 もしかすると、この焔はそうした者達にのみ見えるのかもしれない。

 そんな龍三の胸中など知る由もなく、土鬼は淡々と話を続ける。

「思えば、先ほど鎖を焼かれた時もそうだった……。貴様が触れた部分から、まるで穢れを辿るように焔が鎖全体へ広がったな」

 穢土練成は本来、穢れた土を媒介として発動する妖術。

 一方、龍三の焔はその根幹である穢れそのものを焼き祓う。

 不用意に地続きの術を放てば、術式ごと打ち消される危険性があった。

「……ますます興味深い。穢れのみを焼き祓う焔か。なんとも忌まわしい力よ」

 くつくつと土鬼が嗤う。

「だが、所詮は付け焼き刃。力の本質を理解しておらぬ今の貴様では、我を祓うことなど遠く(あた)わず」

「っ……!」

 反論しかけた龍三の耳に、小雪の切迫した声が飛び込んだ。

「龍三、あれを見よ!」

 小雪の指差す先へ、反射的に顔を上げる。

「あれは……!?」

 思わず息を呑んだ。

 土鬼の背後にそびえるビル群。

 気づけば、その壁面や屋上に無数の手首だけの異形――土蜘蛛(つちぐも)が這っていた。

 穢れの斬撃を防がれた時点で、土鬼は既に次の手を打っていたのだ。

 地続きの妖術は相性が悪い。

 そこで土鬼が出した結論は、至極単純なものだった。


 ――ならば、繋げなければよい。


 穢れを独立した個体として切り離し、一斉に襲わせる。

「いくら妖術に効力があるとわかっていても、この数は捌き切れまい?」

 深編笠の奥から、冷ややかな声が響く。

 まるで勝利を確信しているかのような口ぶりだった。

 事実、土鬼の見立ては間違っていない。

 たとえ破魔の焔を以てしても、この物量を全て対処するには限界があった。

 わらわらと蠢く手首だけの異形が、ビルの壁面を這い降りる。

 それらは次々と龍三達の眼前へ降り立ち、五本の指を脚のように蠢かせながら、獲物の匂いを嗅ぎつけた蟲の群れのように迫ってくる。

 その時、一体の土蜘蛛が音もなく龍三の背後に忍び寄っていた。

 五本の指を大きく開き、獲物を握り潰さんと異形の手が迫る。

「龍三!」

 小雪の鋭い声が響く。

 ほとんど反射的に、彼女は龍三の背へ身を寄せると、そのまま迷いなく掌を突き出した。

 背後から襲い掛かろうとしていた土蜘蛛が、拒絶能力によって弾き返される。

 更にその身体は、反射された衝撃に耐えきれず空中で粉々に砕け散った。

「っ!」

 龍三は思わず振り返る。

「小雪!」

 そこには、背中を預けるように立つ、小さな少女の姿があった。

「後ろは妾に任せよ」

 小雪の凛とした声。

 その言葉に、不思議と胸の奥が熱くなる。

「……っ! ああ!」

 力強く頷き返した龍三は、再び前を向いた。

 次の瞬間。

 龍三達を取り囲んでいた土蜘蛛達が一斉に指を蠢かせ、怒涛の勢いで襲い掛かってきた。

「くっ……!」

 龍三は両手を振るい、迫る異形の群れを破魔の焔で焼き祓う。

 一体一体の力は大したものではない。

 焔に触れた端から、異形の手は悲鳴を上げる暇もなく灰となって崩れ落ちていく。

 それでも数が違った。

 一体を焼き祓えば、また一体。

 消し去った先から、新たな異形が闇の奥より這い出てくる。

 まるで底のない蟻地獄。

 終わりなど存在しないとでも言わんばかりに、土蜘蛛達は龍三の行く手を執拗に塞いだ。

「くそっ! 次から次へと、ゴキブリかっての!」

 左から迫る一体を拳で殴り飛ばし、正面から飛び掛かってきた二体を青い焔で焼き払う。

 さらに背後から忍び寄ってきた異形の手へ。

「……っ!」

 小雪が能力によって弾き飛ばした瓦礫が直撃した。

 拒絶の力によって加速した破片は砲弾のような勢いで土蜘蛛を貫き、その身体を粉々に砕き散らす。

 龍三は迷うことなく前だけを見据えた。

(妖魔は穢れから生まれる存在。なら、土鬼本体にも俺の焔は通用するはずだ)

 あの土偶――荒覇吐鬼(アラハバキ)を凛に差し向けたのも、龍三とは相性が悪いと判断してのことだろう。

 そうとなれば、狙うべきはただ一つ。

 ――土鬼。

 無数の土蜘蛛を焼き祓いながら、龍三は着実に土鬼との距離を詰めていく。

 その様子を土鬼は安全地帯から悠然と眺めていた。

 そして、静かに両腕を交差させる。

 巨大な菜切り包丁へ、周囲に漂う濁った穢れが再び集束していく。

 黒い泥が刃を覆い、蠢き、絡み合い。

 百鬼の怨念を封じ込めたかのような禍々しい塊へと変貌する。

百鬼羅刹(なきりらせつ)!」

 轟ッ――!!

 振り抜かれた刃から放たれた漆黒の斬撃は、その進路上にいた土蜘蛛達さえ容赦なく薙ぎ払いながら龍三へ襲い掛かった。

 味方ごと斬り捨てる。

 躊躇など微塵もない。

「っ!」

 土蜘蛛の群れに翻弄されながらも、龍三は辛うじてその一撃を視界に捉えた。

 咄嗟に右手を振るう。

 濁った穢れと青き浄火(じょうか)

 相反する二つの力が再度激突する。

 空気が震え、空間そのものが悲鳴を上げた。

 結果は、火を見るよりも明らかだった。

 まるで穢れを餌とするかのように、接触した瞬間、青い焔が勢いを増して黒い斬撃を覆い尽くす。

 先ほどの焼き直しのように、穢れの塊は音もなく崩れ、跡形もなく消滅していった。

 だが、土鬼の追撃は終わらない。

 今度はまるで(せき)を切ったように周囲から大量の土蜘蛛が龍三へ押し寄せる。

 十。

 二十。

 三十。

 無数の手が一斉に群がり、瞬く間に龍三の姿は土蜘蛛の山へと飲み込まれていった。

 その姿は、さながら巨大な蟻塚。

「――っ!」

 小雪は思わず口元を両手で覆う。 

 息を呑み、目を見開いた。

 当然だ。土蜘蛛もそれなりの重さがある。

 一体だけでも人を押し潰しかねない質量を持つ。

 それが幾重にも折り重なり、一斉に龍三へ覆い被さったのだ。

 物量と質量。

 二つの暴力の前では、生身の人間などひとたまりもない。

 あれでは身動きも取れない。

 龍三の姿は完全に見えなくなり、誰もが、その結末を予感した。

 しかし。

 次の瞬間、夜の空気を震わせる轟音と共に、蒼き炎柱が天を衝いた。

 爆ぜるように噴き上がった破魔の焔は、龍三へ群がっていた異形をまとめて飲み込み、その悉くを灰へと還していく。

 蒼炎が渦巻く中。

 一つの影がゆっくりと姿を現した。

 朝日奈龍三。

 その両手では、なおも青き焔が激しく揺らめいている。

 焔の帳が晴れ、遂に土鬼を視界に捉えた。

 目と鼻の先に土鬼がいる。

 距離も残り数メートルもない。

(行ける! これなら!)

 龍三は迷うことなく力の限り地を蹴った。

 土鬼へ向かって一直線に駆ける。

 更に右腕を力一杯に伸ばし、少しでも土鬼との距離を縮めようとする。

 一センチでも、一ミリでもいい。

(もう、少し……!!)

 願うように、心の中で叫びながら――。

 破魔の焔を纏った拳が、土鬼の眼前へ迫る。

 その時だった。

穢土練成(えどれんせい)地嵐(じあらし)

 土鬼の低い声が響く。

 同時に、その手が地面へ叩きつけられた。

「――ッ!?」

 龍三の足元でアスファルトが爆ぜる。

 正確にいうと、噴き上がったのはその下に眠る土。

 砕けた大地が唸りを上げ、巨大な渦となって天へと駆け上がる。

 まるで地の底に潜む大蛇が、その身をもたげたかのように。

 轟音を伴って渦巻く土の本流は、逃れる暇すら与えず龍三を飲み込んだ。

 激流に攫われた木の葉のように、その身体は成す術もなく遥か上空へと打ち上げられる。

 更に、砕け散ったアスファルトの破片が弾丸のように全身へ叩きつけられた。

「がぁっ!!」

 鈍い衝撃と共に、身体中に激痛が走る。

 肺の空気が強制的に吐き出され、視界が激しく揺らぐ。

 朦朧とする意識の中、龍三の目に映ったのは遥か下方に広がるアスファルトの道路だった。

 この高さから落ちれば、ひとたまりもない。

「やっ……べぇ……!」

 背筋が凍り付く。

 ふわりと浮く感覚も束の間。

 龍三の身体は重力に引きずられるようにして、真っ逆さまに落下を始めた。

 地面が目前まで迫る。

(このままじゃ……頭から落ちて本当に死んじまう!?)

 思わず目を細め、せめて頭だけでも守らなければと腕を交差して守りの姿勢に入る。

 重傷は避けられない。

 そう覚悟を決めた矢先だった。

 横合いから、一陣の風が唸りを上げる。

「ぐあっ!」

 圧縮された風の塊が、龍三の身体を横殴りに突き飛ばした。

 激しい衝撃。

 だが、その一撃によって落下の軌道が逸れる。

 真っ直ぐ地面へ叩きつけられるはずだった身体は大きく横へ流され、そのまま道路の上へ激突した。

 何度も跳ねるように転がりながら、龍三は辛うじて受け身を取る。

「うっ……!」

 全身に焼けつくような痛みが駆け巡る。

 砕けたアスファルトの破片によって刻まれた傷口からは血が滲み出ていた。

「はぁ……はぁ……」

 だが、息はある。

 まだ戦える。

「……邪魔が入ったか」

 土鬼が鬱陶しげに呟く。

 深編笠の奥の視線は、小雪へ向けられていた。

 そして再び龍三を見据える。

「今ので死んでおけば、苦しまずに済んだものを……」

 どこまでも冷たい声。

 まるで憐れむような口調だった。

「あと一歩、届かなかったな小僧」

 片腕を静かに掲げられる。

 呼応するように、周囲の穢土が渦を巻きながら掌へ収束していく。

「無論、その忌火(いみび)を我に届かせるつもりも、毛頭ないがな」

 濁った土塊が蠢き、やがて無数の針状へと変貌した。

「――土蜂(ゆするばち)!」

 豪雨の如く放たれた無数の土針。

 その光景は、さながら獲物を食らわんと押し寄せる蜂の群れ。

 直撃すれば、その身は文字通り蜂の巣となるだろう。

「っ――!」

 逃げ切れない。

 龍三がそう悟った、その時。

「龍三っ……!」

 切羽詰まった声と共に、横から飛び出した小雪がそのまま龍三の前へ躍り出る。

「小雪!?」

 両手を広げ、その身を盾とするように小さな体で龍三を庇う。

 そして、小雪へ降り注いだ無数の土針は、見えない壁に阻まれるように一斉に弾かれた。

 それだけではない。

 拒絶された針群は、勢いを失うどころか来た時を遥かに凌ぐ速度で跳ね返る。

「――っ!」

 容赦なく、術を放った土鬼自身に無数の凶針が牙を剥いた。

 流石の土鬼も咄嗟に身を引く。

 激しい土煙が舞い上がり、その姿を覆い隠した。

「龍三、大事はないか?」

 小雪が振り返る。

 青色の瞳には、隠し切れない不安が滲んでいた。

「小雪……悪い。助かった」

 龍三がそう答えた途端。

 小雪の張り詰めていた表情がふっと和らいだ。

「良かった……!」

 胸を撫で下ろし、安堵したように息を吐く。

 その姿を見て、龍三はふと先程の出来事を思い出した。

「てか、さっき俺を吹き飛ばしたのって……もしかして、小雪か?」

「……うむ」

 小雪がこくりと頷く。

「風の塊を拒絶して、龍三の身体を吹き飛ばしたのじゃ」

「え?」

「先刻、編み出した」

「……」

 龍三はしばし茫然と小雪を見つめた。

 戦闘中。しかも切迫した状況で、新しい使い方を思いついたというのか。

 相変わらず、とんでもない巫女さんである。

「あ、痛くはなかったか?」

 ふと、小雪の表情が曇った。

「咄嗟に思いついたものだった故、力の加減も上手くできなかったのじゃが……」

「いや、むしろ丁度いい加減だったよ。おかげで助かった」

 龍三が苦笑を浮かべる。

「本当か?」

「ああ」

「うむ。それなら良かった!」

 ぱっと花が咲いたように小雪の顔に笑みが広がる。

 戦いの際中だというのに、その笑顔を見ていると不思議と心が軽くなった。

 ――だが。

 二人が束の間の安堵に浸っていた、その時。

「……忌々しい」

 低い声が空気を凍らせた。

 舞い上がっていた砂塵が徐々に晴れていく。

 その向こうで、土鬼が静かに佇んでいた。

 微動だにしないその姿は、まるで二人のやりとりを冷ややかに見下ろしているかのようだった。

(放っておいても問題ないと思っていたが……)

 深編笠の奥で、土鬼は静かに思考を巡らせる。

(ややもすると、常夜の巫女の存在そのものが、今後の戦局において障害となるやもしれぬ)

 土鬼が鬱陶しそうに心の中で吐き捨てる。

(かくなるうえは……)

 そして。

「っ!?」

 突如、地面から伸びた黒い鎖が龍三の足首へ絡みついた。

「なっ!?」

 反応する間もなく、その身体が勢いよく後方へ引きずられる。

「龍三!」

 小雪が駆け寄ろうとした、その瞬間。

 土鬼が片手を小雪にかざす。

「……黄泉塚(よみづか)

 周囲に蠢ていた土蜘蛛達が、一斉に小雪へ殺到する。

「――っ!?」

 無数の異形の手は互いに絡み合い、積み重なりながら、瞬く間に巨大な半円球状の土塁を形成していく。

 まるで巨大な墓標。

「くっ……!」

 小雪は咄嗟に両手を突き出した。

 圧縮された風の塊が放たれ、迫る土蜘蛛達をまとめて吹き飛ばす。

 しかし、吹き飛ばされた傍から、新たな土の手が穴を埋めるように群がってくる。

(いかん……!!)

 風の弾丸が次々と土蜘蛛を打ち砕くも、間に合わない。

(攻撃しても、すぐに穴を塞がれてしまう!)

 みるみるうちに視界が狭まっていく。

「龍三!」

「小雪!」

 互いに名を呼び合う。

 だが、その声も閉じゆく土塁の向こうへ吸い込まれるように遠ざかっていく。

 そして――

 最後の隙間すら埋め尽くされ、小雪の姿は完全に闇の中へと飲み込まれた。

「小雪っ!! くそ!」

 この状態では助けにも行けない。

 龍三は咄嗟に右手へ破魔の焔を宿す。

 青い焔が鎖を焼き祓い、拘束が解かれる。

 勢い余って地面を転がりながらも、龍三はすぐさま起き上がった。

「……っ!」

 目の前には、大きなドーム状の土壁。

 小雪の姿は、どこにもいない。

「そんな……」

「案ずるな」

 巨大な菜切り包丁を引きずりながら、土鬼がゆっくりと歩み寄る。

「常夜の巫女は不変の存在。死ぬことはない」

「……っ!」

「最も、不死であることと、自由であることは別の話だがな」

「…………てめぇ」

 その言葉に、龍三の顔が歪む。


 小雪から自由を奪う。

 その考えだけは、その言葉だけは、どうしても許せなかった。

 月の都で、自由なく過ごしてきたという小雪。

 土鬼の言う不老不死の話も、おそらく事実なのだろう。

 小雪と凛の会話を聞いた時に覚えたあの違和感。

 年齢に似つかわしくない達観した雰囲気。

 あらゆる変化を拒絶する不可神域という能力。

 そして、土鬼に不老不死の存在と告げられた時に見せた、あの悲し気な表情。

 点と点が繋がる。

 全てを照らし合わせれば、答えは一つだった。

 小雪は、不老不死。

 老いることもなく。

 死ぬこともできない。

 永遠を生き続ける存在。

 月の都での暮らしを語る時の小雪は、どこか退屈そうだった。

 けれど、もしその退屈な日々が一年や二年ではなく、なん十年も、何百年も……。

 あるいは、それ以上の歳月だったとしたら――。

 龍三には、想像もつかない。

 終わりのない時間の中で。

 どれほどの孤独を抱え。

 どれほどの退屈を苛まれ。

 どれほどの諦めを積み重てきたのか。

 龍三には、想像もできない。

 そして同時に、何故自分がこんなにも感情的になっているのか戸惑った。

 小雪とは、既に日を跨いでいるとはいえ、まだ出会って半日程しか経っていない。

 それなのに、どうしてこんなにも小雪のために怒りを露わにできるのだろう。

 なぜこんなにも許せないのだろう。

 自分でもわからない。

「……っ」

 龍三は拳を強く握り締める。

 ギリ、と軋む音と共に、その手に破魔の焔が静かに灯った。

 胸の奥で渦巻くこの感情に名前は付けられない。

 だが、その全てが今は一つの怒りへと変わっていた。

「…………」

 龍三は黄泉塚(よみづか)へ視線を向ける。

 巨大な土壁は依然として小雪を閉じ込めたままだ。

(あの中じゃ、小雪も上手く拒絶能力を使えないのか……?)

 小雪の不可侵域は自らへ向けられたあらゆる干渉や変化を拒絶する能力だ。

 彼女の能力をもってすればあんな土壁、容易く破壊できるはず。

 それでも脱出できないということは――もしかすると、あの黄泉塚には何か別のからくりがあるのかもしれない。

「……待ってろ小雪」

 龍三はゆっくりと顔を上げ、目の前に立ちはだかる脅威に、今一度向き合う。

「すぐに助けに行くからな」

 胸の奥で燃え盛る怒りを、そのまま両手の焔へ乗せて。

「……ふん。これで、我らを阻む者はいなくなったな」

 菜切り包丁を持った土鬼が、再び龍三の前に立ち塞がる。

「そして、貴様を守る者もいなくなった」

「……っ!」

 土鬼が巨大な獲物を横薙ぎに振るう。

 百鬼羅刹(なきりらせつ)

 放たれる穢れの斬撃。

 横に。縦に。斜めに。夜闇を切り裂く無数の凶刃が、獲物を食らわんと龍三へ襲い掛かる。

 龍三は様々な角度で飛んでくる黒い斬撃を破魔の焔で焼き祓い、時には避けて再度土鬼に肉薄する。

 しかし。地面を這っていた数体の土蜘蛛が、その行く手を阻む。

「邪魔だ!」

 拳が唸る。

 正面から迫る異形の手を焼き祓い、右から飛び掛かってきたもう一体を身を捻って躱す。

 返す拳に宿る破魔の焔。

「くそっ!」

 龍三は息を切らしながら、迫り来る異形を次々と焼き祓っていく。

 身体は鉛のように重かった。

 妖魔には疲労や痛みといった概念はない。

 それ故に、長引けば長引くほど、体力という制約を持つ人間が不利になる。

 しかも、妖魔は黒結晶を破壊しない限り、いくら傷を負わせても再生する。

 絶望的な消耗戦。

 龍三の身体にも、じわじわと疲労が蓄積していた。

(土鬼の身体に、なんとか触れさえすれば……倒せるはずなんだ)

 穢れを焼き祓う焔。

 その力は、穢れから生まれた土鬼自身にも通用するはず。

 問題は、その距離。

 土鬼がそんな接近を易々と許すはずもない。

 穢れた土を自在に操る妖術。

 接近しようとすれば、あらゆる手段で阻まれる。

(どうすればいい? どうすれば……!? 土鬼の穢土練成(えどれんせい)を攻略する方法はないのか!?)

 焦る思考。

 その間にも、土鬼の追撃は激しさを増す一方だった。

「この状況で、なお勝機を見出そうとしているのか?」

 深編笠の奥で土鬼が嗤う。

(いたずら)なり」

 片手をゆっくりと掲げられる。

 すると、まだ残っていた数体の土蜘蛛達が一斉に宙へ跳び上がった。

「実に愚か、無駄な悪足搔きだ!」

 飛び上がったそれらは、空中で形を変え、やがて鋭く尖った剣へと変貌する。

 次の瞬間。無数の剣が豪雨の如く龍三へ降り注いだ。

「――っ!」

 一振り目が地面へ突き刺さる。

 二振り目を破魔の焔で焼き祓い。

 三振り目が肩を掠めた。

 休む暇もなく降り注ぐ黒剣。

 歯を食いしばりながら、龍三は襲い来る刃を次々と捌いていく。

 その時だった。

 ――ドゴッ!!

 突然、地面に突き刺さった土剣を粉砕しながら、横合いから黒い影が唸りを上げて突っ込んでくる。

「――っ!?」

 疲労と焦燥。積み重なった消耗が、その反応を僅かに遅らせる。

 受け身を取る暇もなく、鈍い衝撃が脇腹を(したた)かに打ち据えた。

「がっ……!」

 肺の空気が一気に吐き出される。

 龍三の身体が宙を舞い、視界が回る。

 そのまま道路へ叩きつけられ、何度も転がった。

「ぐっ……!」

 苦悶に顔を歪めながら、龍三は顔を上げる。

「一体、なにが……」

 そこで初めて、自分を吹き飛ばしたものの正体を目にした。

 視線の向こう。 

 土蜘蛛に乗った土鬼の手に握られていたのは、鎖に繋がれた大きな分銅(ふんどう)

 先程、身体に直撃した黒い塊。

 その正体は、あの巨大な分銅だったのだ。

「どうした小僧? 随分と動きが鈍くなっているようだが?」

 深編笠の奥で、土鬼が冷たく嗤う。

 龍三は荒い息を吐きながら、震える脚に力を込める。

 脇腹を襲う激痛が呼吸のたびに全身へ広がった。

 だが、ここで倒れるわけにはいかない。

「ちくしょう……いってぇ……」

 歯を食いしばりながらゆっくりと顔を上げる。

 その時、不意に視界の端へ剥き出しの地面が映り込んだ。

 地嵐によって捲れ上がった道路。

 砕けたアスファルトの下から露出した土。

 その光景を目にした瞬間、龍三の脳裏に一つの考えが閃く。

(……土鬼の妖術は、穢れた土を自在に操る能力。そして俺の焔は、穢れそのものを焼き祓うことができる力)

 龍三の視線が足元に移る。

(なら、地面に染み込んだ穢れを、こいつでまとめて焼き祓うことができるんじゃ……)

 一瞬、希望が胸を(よぎ)る。

 だがすぐに、別の問題が頭をもたげた。

(いや、でもそれなら、焔を出した状態で地面に手を付いていた時、既に穢れを祓っていたはずだ)

 龍三は眉を寄せた。

(何が違う……?)

 考えろ。

 何か、見落としているものがある。

 焦りを押し殺しながら周囲へ視線を巡らせる。

 そして再び、穴が開いた道路へ目を向けた。

 ――そこで。

 龍三の思考が一本の線となって繋がる。

「……そうか」

 思わず呟きが漏れる。

(……俺が触れていたのは土じゃなくて、()()()()()()()()()()()()()()()()だったんだ)

 理解した瞬間、畝の奥で全ての歯車が噛み合った。

 同時に、自分への苛立ちが込み上げる。

 なぜこんな単純なことに気づかなかったのか。

 土鬼の能力に目を向けるあまり、肝心の足元を見ていなかった。

 だが、今ならわかる。

 つまり、直接土に――穢土に触れさえすれば――。

 龍三の予想が正しければ、土鬼の穢土練成(えどれんせい)を根本から封じることができる。

 視線が走る。

 地嵐によって捲れ上がったアスファルト。

 この戦場で唯一、剥き出しとなった地面。

 あそこだ。

 正気があるとすれば、あそこしかない。

「……!」

 龍三は迷うことなく地を蹴った。


「…………?」

 

 深編笠の奥で土鬼が眉を顰める。

 本来ならば、この状況で狙うべきは術者である自分のはず。

 それなのに、龍三は土鬼へめもくれず疾走している。

 その異様な行動に、土鬼は僅かな違和感を覚えた。

「何をするつもりだ?」

 直後。

 土鬼の姿が霞のように消える。


「――!」

 その瞬間だった。

 走る龍三の視界が、不意に揺らいだ。

 目の前の景色が――世界が、二重に重なって見える。

 前方へ駆ける今の光景。

 そして背後から迫る黒い影と、首筋へ振り下ろされる巨大な刃。

 二つの景色が寸分違わず重なり合い、それらは一瞬にも満たない時間で龍三の脳裏を駆け抜ける。

(今のは……!?)

 この感覚に、龍三は身に覚えがあった。

 それは既視感。

 昨日の朝から何度も経験してきた不可解な現象。

 何を見たのか、自分でもわからない。

 ただ一つ、確かなことがある。

 このまま走れば危険だ。背後から何かが来る。

 そんな確信にも似た感覚が、胸の奥から込み上げていた。

「――!」

 考えるより先に身体が動く。

 龍三は咄嗟に右腕を跳ね上げた。

 そして、現実もまた、脳裏に映った光景を寸分違わずなぞっていく。

 土鬼は土蜘蛛の背に乗った状態で龍三の背後へ回り込み、その首元へ巨大な刃先を振り下ろしていた。

 戦闘経験も未熟な素人が反応できる速度ではない。

 いや、仮に熟練の退魔師であっても、反応できるか怪しい神速の一撃。

「――っ!?」

 振り返る暇もない。

 滑走の勢いのままに、土鬼は分銅から切り替えた菜切り包丁を流れるように振り降ろし、刃先を龍三の首元へ突きつける。

 だが。

 龍三はその一撃を、破魔の焔で防いでみせた。

 咄嗟に掲げた右手から破魔の焔が迸り、横薙ぎに振るわれた攻撃を受け止めたのだ。 

 菜切り包丁は青い焔に焼かれ、ボロボロと塵になって消滅ていく。

「……?」

 土鬼は龍三の今の動きに明らかな違和感を覚えた。

(この速度に……反応しただと?)

 あり得ない。

 確実に首を切り落としたと思っていたのに。

(…………)

 危険なのはあの焔だ。

 使い手である龍三そのものは脅威ではない。

 そう判断していた。

 だが、今の動き。

(あれは……)

 考察は最後まで続かなかった。

 龍三がこちらへ振り向いたからだ。

 左手に破魔の焔を纏わせながら、そのまま無防備となった胴へ拳を叩い込もうとしてくる。

「……っ!」

 次の瞬間、土鬼の全身を戦慄が駆け抜けた。

 理屈ではない。

 魂そのものが、警告を鳴らしていた。

 その焔をこの身に届かせてはならないと。

 触れさせてはならないと。

 本能が叫ぶ。

「穢土練成――」

「――っ!」

 龍三の足元で地面が蠢く。

「――土竜穿地(もぐらうがち)!」

 刹那、鋭い土の杭が地中から突き上がった。

「がっ……!」

 真下から現れた攻撃に、龍三も反応できない。

 地中から伸びた土杭が腹部へ直撃し、骨が悲鳴を上げる。

 血反吐を吐きながら、龍三の身体は道路の上を何度も転がった。

 土蜘蛛から降りた土鬼は、菜切り包丁を穢土から形成して静かに握る。

 そして、道路に転がっている龍三を見下ろし、確信する。

 既に満身創痍。

 最早、避ける力も残っていまい。

 それでも驚いたのは、そんな瀕死の状態の龍三が地に足をつけて再び立ち上がったからだ。

「……まだ立ち上がるか。一体、何が貴様をそこまで駆り立てる?」

「はぁ……はぁ……」

 龍三が息を切らしながら、ゾンビみたいに一歩、また一歩とゆっくり歩みを進める。

「ふんっまあよかろう。どのみちこれで、積みだ」

 龍三の背後。

 地面の下から、一本の土杭が射出された。

 土竜穿地(もぐらうがち)

 いや、先ほどとは違う。

 鉾先は鋭利に尖り、まるで巨大な槍のようになっている。

 直撃すれば、人体など容易く貫通する。

 これが本来の土竜穿地(もぐらうがち)の形だ。

 先ほど龍三の腹部を打った杭は、まだ形成の途中だった。

 そのため、奇跡的に龍三は貫通を免れた。

 だが今回は術が完成した状態。

 避けられるはずがない。

 まして、背後からの一撃。

 見えてすらいないのだから。

 ――だが。

 龍三の身体が、僅かに横へ流れた。

 そのまま、鋭い土杭が鼻先を掠める。

「……なに!?」

 龍三がその一撃を紙一重で躱した瞬間。

 初めて、土鬼の顔に動揺の色が浮かんだ。

(またしても……!? 今の動きはなんだ……!?)

 見えているはずがない。

 背後からの完全な死角。

 気配を悟られぬよう放った文字通りの必殺の一撃。

 それを、あの少年は振り返ることすらせずに避けてみせた。

 否。あれは偶然などではない。

 土蜘蛛に乗って背後から奇襲を仕掛けた時も、あの少年の身体能力では反応できない速度だった。

 にも関わらず、何故かこの少年はそれに対処してみせた。

 まるで――

 そこから攻撃が来ることを、”予め知っていた”かのように。


 ”予知”。


 そんな馬鹿げた言葉が土鬼の脳裏をよぎる。

(在り得ぬ……!!)

 あの少年は霊能力を扱えない。

 霊力の気配もない。

 あの青き忌火を除けば、ただの一般人だ。

 その青き忌火すら未だに得体の知れない異質な力なのに、この少年は更に別の能力まで隠し持っているというのか?

(馬鹿な……)

 だが、今までそんな兆候は一度として見られなかった。

 もしも予知能力を有しているなら。

 戦闘の際中に、幾度となく未来を読んだかのような動きを見せていたはず。

 百鬼羅刹(なきりらせつ)

 地嵐(じあらし)

 土蜂(ゆするばち)

 あらゆる局面で、もっと容易く自身の攻撃を避けていたはずだ。

 だが、現実は違う。

 少年は何度も傷つき、血を流し、時には常夜の巫女に助けられていた。

 ならば、今の動きは何だ?

 偶然か。

 否、あれは偶然で片付けられるような躱しかたではなかった。

 まるで、()()()()()()()()()()()()()()()かのような――

「……っ!」

 そこで、土鬼の思考が止まる。

 龍三は倒れていなかった。

 満身創痍の身体を震わせながらも、しっかりと両足で立っていた。

 そして、その右手には――

 先ほど、自らが放った穢れによって形成された一本の杭。

 ()()()()()()()土杭を掴んでいた。

「まさか……」

 深編笠の奥で、土鬼の表情が凍り付く。

 自身の様々な妖術を悉く焼き祓って見せた青き忌火。

 荒覇吐鬼(アラハバキ)百鬼羅刹(なきりらせつ)、土の鎖など、その全てで見せてきた現象。

 そして今、龍三の手に触れられているのは、一つの杭ではない。

 地中深く、自らが支配する穢土そのものへと繋がる一本の道。

「貴様!!」

 初めて、土鬼の声に焦りが滲んだ。

 そんな土鬼を見据えながら、龍三は静かに口を開く。


「終わりだ」


 龍三の右手で、青い焔がゆらりと揺らめく。

 その眼差しは、真っ直ぐ土鬼を射抜いていた。


「土鬼」


 次の瞬間、龍三の右手から溢れた青い焔が、土杭を伝って地中へと走った。

 まるで導火線を走る火のように。

 青い焔は、地中に染み渡った穢れを次々と焼き祓い、土鬼が支配していた穢土そのものを青く燃え上がらせる。

 破魔の焔は止まらない。

 地続きとなった穢れを辿り、その全てを浄化していく。

 やがて、大地を覆っていた禍々しい気配が、完全に消失した。

 静寂。

 そして、土鬼の顔から初めて余裕が消える。

「くっ!」

 穢土がない。

 土鬼の支配していた大地から、穢れが完全に消えていた。

 それはつまり、穢土練成の土台そのものが消失したということ。

 ただ一つ、小雪を覆っている土塁だけは崩れていなかった。

 道路の上に築かれたその檻は、地面と繋がっていなかったため、破魔の焔が届かなかったのだ。

 しかし――

「これで……!」

 龍三が拳を握る。

「お前はもう、穢土練成を使えない!」

 土鬼に向かって一気に駆け出す。

 限界など、とっくに超えていた。

 だが、止まれない。

 ここで決める。

 ここで土鬼を祓えなければ、こんな絶好のチャンスは二度と来ない。

 その時、一体の土蜘蛛が行く手を阻んだ。

「どけぇッ!」

 青い焔が爆ぜる。

 土蜘蛛は一瞬で焼き祓われた。

 土鬼との距離が縮まる。

 十歩。

 五歩。

 三歩。

 そして、龍三は残る力を振り絞り、力強く踏み込んだ。

 破魔の焔を纏った拳が、土鬼の眼前へ迫る。

 ――だが。

「……っ!?」

 何故かそれ以上、龍三の拳は届かなかった。

 気づけば、龍三の身体は全身を鎖で覆われ拘束されていた。

「そんな……っ! なんで!?」

 龍三が目を見開く。

 自分の身体を拘束している鎖の先を見る。

 それは、龍三の背後。

 地面へ突き刺さった巨大な菜切り包丁が目に入る。

 その刀身から、無数の鎖が伸びていた。

(いつの間に……っ!?)

 そこで、龍三も気づく。

(そうか、あの土蜘蛛が目の前に現れた時だ)

 あの時、一瞬だけ視界が土蜘蛛によって覆い隠された。

 その一瞬の隙に、土鬼は土蜘蛛の陰に隠れて、菜切り包丁を龍三の後方へ投げ捨てていたのだ。

 そして刀身から形成した鎖で、最後の勝機を掴んだ。

 穢土練成は確かに封じた。

 そう思い込んでいた。

 だが違う。

 破魔の焔で焼き祓ったのは、あくまでも地続きになっている穢土だけ。

 土蜘蛛が独立して動いていたように、菜切り包丁もまた、地面から切り離された独立した穢土だった。

 龍三は、それを見落としていた。

「うっ……ぐうっ!」

「……危うかった。本当に、最後の最後まで肝を冷やさせてくれる」

 その声に、先程までの余裕はない。

 だが、そこには確かな安堵が混じっていた。

 それは、長い年月を生きた妖魔が、初めて人間相手に死を意識した瞬間でもあった。

「見事なり」

 深編笠の奥から、静かな賞賛の声が漏れる。

「これまで長い刻を生きてきたが、霊能力者でもないただの人間に、ここまで恐怖を抱かされたのはお前が初めてだ。それだけで賞賛に値する」

「くっ……くそっ!」

 龍三は必死にもがく。

 全身に絡みつく鎖を、破魔の焔で焼き切ろうとする。

 だが、その間にも、土鬼の次なる一手は動き始めていた。

「貴様を侮ったことを、心から謝罪しよう」

 凛と対峙していた荒覇吐鬼。

 その巨体を()()()()()()()()が、黒い泥となって崩れ落ちる。

 そして、土鬼の周囲へ集まり始めた。

「故にこれは、俺からお前に捧げる――せめてもの敬意の表明だ」

「……!」

 龍三が顔を上げる。

 その瞬間。

 大きな地鳴りと共に、龍三の周囲を巨大な土壁が囲んだ。

 否。それは壁などではない。

 四方から迫る黒き濁流。

 それは巨大な津波のように龍三を飲み込まんとしていた。

 逃げ場はない。

 上空すらも覆い尽くされ、龍三を完全に閉じ込める。

「貴様の焔は、妖術の効力を打ち消せるようだが……」

 土鬼が静かに告げる。

「妖術によって操っている土そのものまでは、打ち消せまい?」

「……っ!?」

 圧倒的な質量。

 迫り来る黒き奔流。

 その中心で、ようやく鎖を焔で焼き切った龍三。

 だが、もう遅い。


穢土瀑布(えどばくふ)――」


 巨大な土壁が、一斉に龍三へ雪崩れ込む。


奈落葬送(ならくそうそう)


 轟音と共に、黒い津波が全てを飲み込んだ。




 轟音が止む。

 黒き濁流はゆっくりとその動きを止め、やがて巨大な土塊となって静寂を取り戻した。

 辺りには、もう龍三の姿はない。

 完全なる生き埋め。

 常人ならば、圧死していてもおかしくはない。

「……」

 土鬼は静かにその場へ歩み寄る。

 そして、ゆっくりと片手を持ち上げた。

 すると土塊が蠢く。

 ずるり。まるで獲物を巣穴から引きずり出すように、土の中から一人の少年が姿を現した。

 全身は土と血に塗れ。意識はなく、力なく項垂れている。

 土鬼は深編笠の奥から、その姿をじっと見下ろした。

「流石に死んだか?」

 しばしの沈黙。

「だが、貴様には、まだやって貰わねばならんことがある」

 そう呟くと、土鬼は龍三へ歩み寄る。

 そして、無造作にその顔を鷲掴みにした。

「奥の手というものは、最後まで残しておくもの……」

 次の瞬間、土鬼の掌からどす黒い穢れが流れ込んだ。

堕羅尼魔羅(だらにまーら)

 龍三の身体が、頭から順に石に変えられていく。

 まるで生きたまま鉱物へと変えられていくように、石化は次第に全身へ広がっていった。

「貴様も、結局、友と同じ末路を辿ることになったな。お前の身体は、このまま俺の穢れを受け入れ続ける」 

 土鬼の声は静かだった。

「そして最後には、人でも妖魔でもない、新たな器となるのだ」

 怒りもない。

 憎しみもない。

 あるのはただ、長い年月を生きた妖魔の、冷徹な執着だけ。

「さらばだ、小僧。もう二度と会うことはあるまい。安らかに眠るがいい」


 ――そして、この日。


 朝日奈龍三は死んだ。



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