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バタフライ・エフェクト/Butterfly Effect  作者: 蒼春-Aoharu
第一章 幻想神域の異端者(イレギュラー)
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第十一話 穢土練成



 三日月の光が、砕け散ったアスファルトの破片を冷たく照らしていた。

 その光は地面に散らばる瓦礫の輪郭だけを浮かび上がらせ、夜の静けさを一層際立たせている。

 周囲には巨大な手裏剣が地面に突き刺さったまま残っており、その二枚の手裏剣の間に挟まれるようにして、龍三と小雪は立ち尽くしていた。

 そんな二人の前に、自らを春風凛(はるかぜりん)と名乗る少女が佇んでいる。

「……本当に、凛なのか?」

 小雪がにじり寄るように一歩踏み出し、まるで信じられないものを見るような目で静かに問いかける。

「はい! 本物の凛でござりますよ、小雪様!」

「なんと……! 暫く見ぬ間に立派になったのう!」

「えへへーそうですか? いやぁそれほどでもぉ~。小雪様こそ、相変わらずお美しいままで」

 戦場のど真ん中の会話とは思えないやり取り。

 だがその空気だけで、凛と小雪が旧知の間柄であることはすぐにわかった。

 二人がどんな関係なのか気になる所ではあるが、今はそれを深く考える余裕はない。

 凛の目の前――龍三達から見て背後。

 そこに壁のように突き立てられていた巨大な手裏剣が、土偶の腕力で無造作に横へと放り投げられる。

「おっと」

 凛の声は軽い。

 だが、その瞬間には既に空気が変わっていた。

百鬼羅刹(なきりらせつ)

 背後から響く低い声。

 土鬼が何かを口にした瞬間、巨大な手裏剣が真横に一閃される。

「……っ!?」

 龍三が息を呑むより早く、凛が視線を上げた。

 横断された手裏剣はそのまま光の粒子となって消滅し、その後ろから土鬼がじっとこちらを睨みつけるようにして立っていた。

「よもや、ここまで追ってこようとは……。何処までもしつこい女よ」

「それはこっちの台詞でござります」

 凛は一歩も退かない。

「本当は、ここであったが百年目! と申したいところでござりますが――今は状況が変わりました」

 軽い口調のまま、しかし空気は一段と張り詰める。

「とりあえず、積もる話は後にしましょう」

「……っ! 荒覇吐鬼(アラハバキ)!」

 凛の意図を察したのか、土鬼が間髪入れずに土偶の名を叫ぶ。

 すると、命令を受けた土偶――荒覇吐鬼(アラハバキ)は即座に反応した。

 巨腕を振り上げ、三つに裂けた鍵爪を開いて凛へと掴みかかる。

 同時に土鬼も妖術を発動し、地面から無数の土の手を噴き出させ、龍三達三人を絡め取らんとする。

 ――だが、その全てが届くより早く。

風遁(ふうとん)天津風(あまつかぜ)!」

 凛は両手を合わせて天へ掲げる。

 次の瞬間、それを地面へ叩きつけるように降り下ろした。

 直後――

 凛の足元の空気が、勢いよく爆ぜた。

 轟音と共に突風が渦を巻き、交差点一帯を飲み込む。

 砂塵が巻き上がり、視界が一瞬で白に塗り潰された。

「……っ!?」

 龍三が思わず目を細める。

 凛の放った風は、ただの風じゃない。

 視界を奪うために練られた、意図的な”壁”だ。

「な――」

 驚く暇もない。 

 次の瞬間、龍三の身体がふわりと浮いた。

 足裏から、地面の感触が消える。

「え?」

 右脇に龍三。

 左脇に小雪。

 凛は二人を抱え上げ、夜空を見上げる。

「ちょっ――!?」

「暴れないでくださいね。舌を噛みますよ」

 軽い調子の忠告。

 直後、凛が地面を勢いよく蹴り――

 そのまま、三人の身体が宙へと跳ね上がった。

「はぁっ!?」

 龍三の声が裏返る。

「なんと!」

 対する小雪は、声は驚いているが意外と冷静だ。

 重力を振り切るように、凛の身体が更に加速する。

 風を纏っている。いや――風そのものになったかのような速度だった。

 視界が下へ流れる。建物の屋根もみるみるうちに遠ざかっていく。

「と、飛んでる……!?」

 やがて、ある程度の高さまで飛ぶと、そこで上昇は止まった。

 止まってすぐ、凛は空中で体勢を傾け、そのまま前方へと滑るように進み始めた。

 夜気が頬を打ち、眼下の街並みが後方へと流れていく。

「ふぅ、間一髪でござりましたね。お二人とも、大丈夫ですか?」

「え? あ、ああ」

「うむ。助かったぞ、凛……」

「良かった。小雪様も、本当にご無事で……」

 安堵の息を零しながら、凛は空中で姿勢を安定させる。

 赤いマフラーが、尾を引くように彼方へと流れた。

「もう少しの辛抱ですので、お待ちくださいね」

 凛は軽い調子でそう言うが、龍三はそうもいってられない。

 何せ脇に抱えられた状態で空を飛んでいるのだ。

 高度も相まって、足のつかない浮遊感に背筋がぞくりとする。

 このまま振り落とされたら――そんな想像が頭をよぎるくらいにはびびっていた。

 ――が、それと同時に。

 どうやって空を飛んでいるのかという疑問も、抑えきれずに浮かび上がる。

「な、なぁ……これどうやって空飛んでるんだ? もしかして、これも霊能力なのか?」

「おお、霊能力をご存知でしたか!」

 凛がぱっと表情を明るくする。

「はい。これは”浮世離れ(うきよばなれ)”と言いまして……。私と、私が触れた物の”浮力”を操ることができる能力なのです」

「浮力?」

「はい。簡単に言うと、物を重くしたり、軽くしたりできる能力と思っていただければ」

「へぇ……すげぇな。じゃあ、今俺の身体も軽くなってるってこと?」

「そうですよ。ただ、小雪様は何故か能力が効かないみたいなんですよね……」

「え?」

 その時、凛が不意にはっとした顔をする。

「あ、ああでも! 小雪様はその……蝶みたいに軽いので! 全然気になりませんからね!」

 取り繕うように、やや早口でまくしたてる。

「……別に、無理して気を遣わんでもよいぞ」

 それに対し、小雪は落ち着いた様子で答えた。

 凛の霊能力が通用しない。

 それは間違いなく、小雪の体質によるものだろう。

 外からの干渉を一切受け付けない霊能力――不可神域。

 善悪を問わず、小雪に変化を及ぼすもの全てを拒絶する不変の力。

 その性質上、凛の浮力操作もまた拒絶の対象となってしまったのだ。

「思えば、凛にはまだ妾の能力を見せたことはなかったな」

 そう呟くと、小雪はそっと目を閉じた。

 次の瞬間、凛の腕に掛かっていた重みがふっと軽くなる。

「あ、軽くなりました! なんで?」

 凛が驚いて脇に抱えている小雪の方を見る。

「妾の身は、外からもたらされる変化を(ことごと)く拒絶してしまう。それ故、凛の霊能力が効かなかったのであろう」

「……そうだったんですね。小雪様にそんなお力があったなんて、私知りませんでした」

「見せる機会もなかったからな。今は凛の霊能力を受け入れておる故、もう案ずる必要もなかろう」

「申し訳ありません。本来であれば、私が対処すべきところでしたのに……小雪様のお手を煩わせてしまいました……」

「気にするな。これしきのこと、造作もない」

 凛は「うぅ……小雪様……」と小さく唸り、ほんの僅かに肩を落とす。

 凛はそのまま、前傾姿勢を保った状態で夜の空を滑るように進んでいく。

「……」

 龍三は凛に抱えられたまま、恐る恐る視線を落とした。

 遥か下方(かほう)には深夜の街並みが広がっている。

 人の気配はまばらで、道路はひっそりと静まり返っている。

 それでも完全に眠ることはなく、道路にはぽつぽつと車のライトが流れ、街灯やビルの明りが、黒い地表に散らばる星のように瞬いていた。

「あ、そろそろ見えてきましたよ」

 凛が小さく声を上げ、眼下へと視線を向ける。

 そして、地上を探るように目を細め。

「えーっと……確かこの辺りに……」

 一瞬の間。

 次の瞬間、ぱっと表情が明るくなった。

「あった!」

 その声と同時に、三人の身体が緩やかに高度を下げていく。

 風の流れが変わり、落下ではなく”導かれるような降下”へと変わった。

 やがて足元に近づいてきたのは、塗装された地面と――

 一台の白い軽自動車だった。

 すとん、とほとんど衝撃もなく着地すると、凛はそのまま車の方へ歩み寄る。

「ささ、どうぞ。今、鍵を開けましたので」

「え? これって……」

 訝しむ龍三に、凛はくるりと振り返る。

「失敬な。盗難車じゃありませんよ? ちゃんと私名義で購入した車ですから」

 少しだけ頬を膨らませてから、すぐに表情を引き締める。

「そんなことを言っている暇はありません。ささ、急いで。お早く!」

「は、はい」

「うむ」

 促されるまま、龍三と小雪は後部座席へ滑り込む。

 ドアが閉まる音が、やけに大きく響いた。

 凛は迷いなく運転席に乗り込み、シートに身体を沈める。

 キーを回すと、次の瞬間、エンジンが低く唸りを上げた。

 間を置かず、アクセルが踏み込まれる。

 白い軽自動車は、弾かれるように走り出した。


 エンジンの振動が、車内に響く。

 窓の外の景色は、既に夜の色に包まれていた。

 あれ以降、土鬼からの追撃もない。

 車内には、僅かながら落ち着いた空気が戻りつつあった。

「龍三、この者は凛。妾の大切な友人じゃ」

「た、大切だなんて、そんな……えへ、えへへ」

 照れたように頬をかく凛。

「俺は朝日奈龍三。……えっと、凛さん?」

「あ、凛で構いませんよ。多分、龍三殿の方が私より年上だと思いますし」

「え……ちなみに歳幾つ?」

「十四です」

「俺より一つ下……」

「正確に言うと、来月の八月十日が私の誕生日なんです」

「いや、聞いてねぇよ」

「八月十日、ハートの日で覚えといてくださいね♡」

「だから聞いてねぇよ!」

 ばちこーんと龍三に向けてウインクしながら凛が言う。

 龍三は苦笑とも困惑ともつかない表情を浮かべ――

 遅れて、はっとしたように目を見開いた。

「……てか、十四歳が車なんか運転したら駄目だろ!?」

「ふっふーん。私の所属する退魔庁では、隠密派だけ特例で十四歳から車の免許を取得できるのです」

 じゃん、と言いながら、凛は一枚のカード差し出した。

 龍三はそれを受け取り、何気なく視線を落とす。

 それは紛れもなく車の免許証だった。

 春風凛という名前に顔写真と、順に目を移していき、そして生年月日――

 ただ、そこに記されていた年齢は。

「……十八歳?」

 思わず顔を上げる。

「はい」

 凛はにこやかに頷いた。

「いやいやいや、さっき十四歳って……」

「あ、それは本当ですよ?」

「じゃあこれは何だよ」

「ほら、一般の方に正体がバレると色々と面倒なので。免許証には十八歳と明記されていますが、実年齢は十四歳、みたいな?」

「偽装じゃねぇか!」

「大丈夫でござりますよ! ちゃんと退魔庁を通した特例措置で、国から正式に許可貰ってますから」

「本当かよ……」

「……凛」

 その時、小雪が間を割って入るように静かに凛の名を呼ぶ。

「龍三は地上に降りて途方に暮れていた妾を助けてくれた、命の恩人なのじゃ」

「……っ! そうだったんですね。龍三殿、小雪様を助けてくださり、ありがとうございます」

 先ほどまでの軽い調子とは違い、どこか改まった声音で感謝の言葉を口にする凛。

「い、いや、俺は別に……乗り掛かった舟というか」

 言いながら、龍三も気恥ずかしくなって視線を逸らすのだった。

 その隣で、小雪がくすりと笑った。


 白い軽自動車は夜の道を滑るように走る。

 街灯の光が、フロントガラスを淡く流れていった。

 凛は前方に視線を向けつつ、周囲の気配を探るようにちらちらと窓の外を見る。

「……ここまで離れれば、一先ずは安全かと」

「……? 離れればって、どういうことだ?」

 龍三の問いに、凛はバックミラー越しに視線を向ける。

「あの妖魔――土鬼は、自分の縄張りに踏み込んだ人間の居場所を探知できるんです」

「縄張り……」

「ええ。穢れた土を広げた範囲ですね。その中にいる限り、こちらの居場所は筒抜けになってしまう」

 土偶や土の手が自分達を正確に狙ってこれたのはそれが理由か、と龍三が内心で納得する。

 同時に、土鬼に追われている時に小雪が発した、”穢れが濃くなっている”という言葉を思い出す。

 あの時、既に自分達は土鬼の縄張りに足を踏み込んでいたのだろう。すぐに攻撃してこなかったのは、他の石化した被害者たちと同様に、罠にかけて襲うつもりだったのかもしれない。

「ですが、ここは奴の縄張りから外れています」

 凛は淡々と続ける。

「穢れを媒介にした探知は届きません。少なくとも、さっきのように正確に位置を掴まれることはないでしょう」

「そっか……」

 龍三が小さく息を吐き、シートに背を預けた。

 車はそのまま本線へと合流し、やがて首都高速道路へと乗り入れた。

 流れる街の灯りが、窓越しに途切れなく続いていく。

 ほんの一時の静寂が、車内を包む。

「それにしても、本当に久しいな。凛。十年ぶりになるか……」

「はい! もうそんな前になりますか……」

 弾むような声で、凛が応じる。

 ――十年ぶり。

 その言葉に、龍三はふと引っ掛かりを覚えた。

 確か、凛は十四歳だと言っていたはずだ。

 ということは、十年前となると……四歳。

 そんな幼い頃からの知り合いなのか。

 思わず、バックミラー越しに凛の横顔を見やる。

 そして――

 もう一つ、気になることがあった。

「……」

 ちらりと、今度は横目で小雪を見る。

 見た目だけなら、凛や桜華とそう変わらない。

 年の頃も、同じくらいに見える。

 それなのに。どこか達観しているというか、年相応とは思えない大人びた落ちつきがあるのだ。

「うむ。もう二度と会うことは叶うまいと思っていたが、よもや、あのような形で再び巡り合えるとは思わなかったぞ」

「私もでござりますよ。本当に驚きました。月の都にいるはずの小雪様が、まさかあんな場所にいるなんて」

 そこで、凛の表情が僅かに引き締まる。

「月の都で、何かあったんですか?」

「それがのう……妾にも、よくわかっておらぬのじゃ」

 小雪は静かに首を振る。

「地上に降りてくるまでの記憶が、全くなくてな……」

「記憶がない……?」

 凛が眉根を寄せる。

「そう、ですか……。ですが、月の都で何か異変があれば、退()()()()()()()()()()()はずですし。それに、小雪様のこととなれば、流石の月の都も黙ってるはずがないと思うんですよね……」

 一瞬、言葉を切る。

「それがないということは……うーん、何が起こってるんでしょう?」

 その時、当然のように口に出された凛の言葉に、龍三は眉根を寄せる。

 昼間、小雪から聞いた話では、退魔師というものは、もっと独立した存在に近い印象だった。

 だが、今の凛の言い方からして、月の都と退魔師の間には上下関係のようなものがあるように思える。

「……なぁ」

「はい?」

「月の都と退魔庁って……どういう関係なんだ?」

 純粋に疑問に思ったことを凛に問いかける。

「んー、そうでござりますねぇ」

 凛は少し言葉を選びながら。

「わかりやすく言いますと……退魔庁は、月の都の管理下にある組織になります」

「管理下?」

「はい。その総本山が月の都で。そして、それらを束ねる最高位にいるのが――そこに御座(おわ)す、月詠小雪様なのです」

「……え?」

「……っ!」

 凛の言葉が、静かに車内へ落ちる。

 龍三は言葉を失い、隣にいる小雪へと視線を向ける。

 すると小雪もまた、何も言わずに彼を見返した。

 その表情は、いつもの余裕を湛えたものではなかった。

 悲しさとも、諦めともつかない影が、ほんの一瞬だけ瞳の奥に滲んでいた。


 ――この世界で、自分と対等に言葉を交わす存在はほとんどいない。

 立場というものが、最初から距離を決めてしまうからだ。

 だが、龍三だけは違った。

 彼は、目の前の”月詠小雪”という肩書きではなく、ただの「小雪」として接してくれる。

 それがどれほど特別なことか、本人はおそらく分かっていない。

 だからこそ、小雪もまた、()()()()()を明かすことはしなかった。

 まだ出会って間もないとはいえ、明かしてしまえば、築き上げたこの関係性が壊れてしまいそうで……。

 怖くて、言い出せなくなっていたのだ。

 

「……小雪って、そんなに偉い人だったんだな」

 龍三は、ようやくその意味を噛み砕くように呟いた。

 それでもなお、口にする呼び方は変わらない。

 完全に無自覚だった。

 それくらい本人にとっては、小雪と名前で呼ぶのが自然になっていたのだ。

「そうでござりますよ、龍三殿。呼び方には気をつけませんと……人によっては、不敬と取られることも――」

「凛……」

 その時、小雪が少しだけ語気を強めて、凛の名を呼んだ。

 その一声に、凛の肩がぴくりと跳ねる。

「……! はいぃ」

 思わず背筋を伸ばし、反射的に弱々しく返事をする。

 先ほどまでの軽い調子が、噓のように引っ込んでいた。

「全く……」

 小雪は小さく息を吐く。

 呆れたような響きではあるが、そこに棘はない。

 小雪もわかっているのだ。凛が意地悪で龍三に忠告しているわけではないことを。あくまでも、龍三の身を案じての発言であることも。

 ほんの一瞬だけ視線を外し、それから改めて言葉を続けた。

「気にするな。龍三は普段通りで良い。いつものように、小雪と呼んでおくれ」

 龍三の目を見て、はっきりとした声で言う。

 それは命令ではなく、小雪の意志だった。

「……でも、いいのか?」

 龍三は戸惑いを隠しきれないまま問い返す。

 立場の重さを知ってしまった以上、軽く呼ぶことに躊躇いが残る。

「よい。妾が許す」

 しかし小雪は短く、揺るぎなくそう言い切った。

 それ以上の言葉は不要だと言わんばかりに。

 そこまで言われてしまっては、もう何も言えない。

 小雪が溜め息を一つ零す。

「……妾のことはもうよい。それよりも――」

 静かに、前方へ目を向ける。

「凛は、あの妖魔について知っておるようじゃったな」

「……はい」

「もしや、彼奴(あやつ)の黒結晶を壊した退魔師というのは――」

 その言葉に、凛は一瞬だけ目を伏せた。

「……土鬼は、私たち隠密派が討伐任務に当たっていた妖魔でござります」

 視線は前方のまま。

「仲間と連携して、なんとか黒結晶を破壊することはできたのですが……」

 一拍。

 ハンドルを握る手に力がこもる。

「何故か、土鬼の身体は崩壊しなかったんです……」

「土鬼の身体が崩壊しておらぬ理由に、あの石化した者達が関わっているのではないか?」

「…………小雪様も、奴の機巧(からくり)にお気づきになられましたか」

 凛が小さく頷く。

「はい。土鬼は、石化した人達から生命力を吸い上げて、身体が崩壊しないように維持しているのだと思われます……」

「やはりそうか……」

 小雪が腕を組んで顎に指を添え、神妙な面持ちを見せる。

「生命力を吸い取られた人達は、どうなっちまうんだ?」

 龍三の問いに、凛はすぐには答えなかった。

 ほんの一瞬、言葉を選ぶような間が空く。

「……勿論、完全に吸い尽くされれば、命を落としてしまうでしょうね」

「そんな……」

 龍三の声が僅かに震える。

 その反応を見て、凛も色々察したのだろう。

 何かを言いかけて、口をつぐむ。それから先の言葉を、どうしても言い出せない。

 代わりに、小さく息を吐いた。

「私の仲間も、土鬼によって石に変えられてしまいました」

「……っ!」

「石に変えられてから、もう三日になります。後どれくらいもってくれるのかわからない。だからこそ、一刻の猶予もないんです」

「そうだったのか……」

「申し訳ありません」

 ぽつりと、零れるような声だった。

「私が土鬼を取り逃がしてしまったばっかりに、こんな大変なことに……」

「それは仕方なかろう」

 間を置かず、小雪が言葉を返す。

「想定外の事態じゃ。凛一人の責ではない」

「ですが……」

 凛が言葉を詰まらせる。

「黒結晶を壊しても消滅しない妖魔など、妾も聞いたことがない。前代未聞じゃ。”大妖怪”ですら、黒結晶を破壊されれば例外なく消滅するというのに……」

 一瞬の沈黙。

 その時、凛がふと何かに気づいたように小さく声を上げた。

「あ……そうだ」

 ハンドルを握っていた片手を離し、左手を軽く掲げる。

「龍三殿、今のうちにこれを」

「?」

 次の瞬間。

 何もなかったはずの掌の上に、淡い光が集まり――

 すっと、一本の刀が姿を現した。

「え!? 刀が急に現れた!?」

 目を見開いて驚く龍三。

 それを見て、凛は僅かに口元を緩めた。

「これは護神刀(ごしんとう)と言いまして、私たち退魔師の仕事道具なんです。普段は霊体化していて見えも(さわ)れもしませんが、霊力を込めることでこうして実体化できるんです」

 軽く刀を掲げて見せる。

「魔の穢れから身を守ってくれる、優れものなんですよ。これ、一応護身用に渡しておきますね」 

 差し出されたそれを、龍三は恐る恐る受け取った。

「あ、ありがとう」

「あげませんよ?」

「わかってるわ!」

「……して、凛。これからどこへ向かうのじゃ?」

「まずはお二人を安全な場所まで送り届けます。その後、土鬼の様子を確認しに戻るつもりです」

「左様か……」

 小雪は不安そうに表情を曇らせながらも、その感情を押し込めるように言葉を続けた。

「どうか、無茶だけはしないでおくれ」

「ご安心を! 何かあればすぐに逃げ出しますんで! 私、逃げ足だけは早いですから!」

 軽い調子で言い切る凛。

 その言葉に、小雪は小さく溜め息を吐く。

「全く……」

 呆れたように呟きながらも、その表情はどこか柔らかい。

 しかし、三人はまだ知らない。この時、既に龍三達の背後にまで、魔の手が迫ってきていることを。

 凛達の乗る車は、今も高速道路を滑るように走っている。

 左右には、無数のビルが壁のように立ち並んでいた。

 ガラス張りの外壁が夜の光を反射し、白や青の人工的な輝きが、幾重にも重なって流れていく。

 ビルとビルの隙間に、僅かに覗く夜空。そこに浮かぶ月さえ、どこか遠く感じられた。

 ――その時。

 凛の視線が、ふと横へ流れる。

 車のサイドミラー。

 そこに、一瞬だけ”何か”が映り込んだ。

「……?」

 凛が眉を潜める。

「……なんでしょう?」

「どうしたのじゃ?」

「いえ、今……なにか」

 言いかけて、視線を再びサイドミラーに戻す。

 次の瞬間。

 ビルの側面を、影のようなものが這うように走り抜けた。

「……え?」

 それを見た凛が、言葉にならない声を上げる。

「……どした?」

 そこで、龍三が反射的に問い返す。

 だが、その答えを待つより早く――龍三は自ら確かめるように車の窓を開けた。

 窓を開けた途端、夜風が一気に車内へ流れ込む。

 そして窓から顔だけを出し、外へ視線を向けると。

「……っ!」

 視線の先にあるものを見て、龍三は目を疑った。

 ビルの側面を、あり得ない速度で駆ける影。

「あれは……」

 巨大な手首を脚のように使い、壁に食い込ませながら――

 ビルからビルへ。

 建物から建物へ。

 常識を逸脱した軌道で、跳躍する。

 その上に乗るようにして、迫ってくる異形の影の正体。

 それは――

「土鬼!」

 龍三が、追跡者の名を叫ぶ。

「なんじゃと!?」 

「お二人とも、しっかり捕まっててください。速度を上げます!」

 凛がアクセルを踏み込む。

 エンジンが唸りを上げ、車体が一気に加速した。

 ――その直後。

 重い衝撃音が、背後で炸裂する。

 路面が砕け、破片が跳ね上がる。

 サイドミラーの中に、土と瓦礫を巻き上げながら着地する土鬼の姿が映った。

「気持ち悪ぅ! マジで蜘蛛みたいな動きだな……!」

「冗談言ってる場合じゃないですよ! どうしてあいつがここに!?」

 凛が背後にいる土鬼を睨みながら、動揺を隠し切れない声で言う。

 土鬼の探知能力は地面に足を着いた瞬間に発動する。だからこそ、わざわざ空を飛んで縄張りから離れた場所まで移動したというのに。

 その瞬間――小雪の脳裏に、ひとつの記憶がよぎった。

 土鬼と初めて対峙した、あの時。

 あの妖魔は確かに言っていた。

 ――異様な霊力の気配を感じて、と。

「……」

 一瞬の沈黙。

 やがて、小雪は静かに目を伏せる。

「妾じゃ……彼奴は、妾の身体から発する霊力の気配を追ってきたのじゃ」

「小雪様の……?」

 凛は前を向いたまま、視線だけを後部座席にいる小雪へと向ける。

 再び視線を前に戻すと、前方に分岐路が見えた。

 それを見て、凛はある策を思いつく。

「……お二人とも、もう一度しっかり捕まっててくださいっ!」

 二車線の高架道路。

 凛の運転する車は、丁度右側の車線を走っている。

 そのまま、凛は車を左へ寄せた。

 前方には、下道へと続く分岐路。

 すると、それを見た土鬼もまた、進路を変える。

 ()()()()ように、左へ。

 そして――

 分岐に差し掛かる――次の瞬間。

「――ッ!!」

 凛がハンドルを鋭く切り返した。

 タイヤが悲鳴を上げる。

 車体が大きくスライドしながら、右へ跳ねるように戻る。

 本線へ。

 一瞬のフェイントだったが、今の土鬼相手にはそれだけで十分だった。

 土鬼の乗っていた土の手首は止まらない。いや、止められない。

 軌道の修正は間に合わず、そのまま下道の方へ誘導させれてしまう。

 下道に入った瞬間、土鬼はすぐに事態を察し、連動するように、土の手首の指先ががりがりと路面のアスファルトを削りながら急停止する。

 遠のく車のエンジン音。

 凛の車は速度を維持したまま、本線を走り抜ける。


 本線へと戻った車は、そのまま速度を落とすことなく走り続けていた。

 背後からの気配は無い。

 サイドミラーに映るのは、ただ流れていく夜の光だけ。

 はぁ、と凛が疲れたように深いため息を零す。

「な、なんとか振り切ったぁ……」

「まだ油断ならぬぞ。すぐにでもまた、追ってくるやもしれぬ」

「そうですね、気を引き締めない――と」

 その時だ。

「……っ?」

 凛の視線が、前方で止まる。

 車の進行方向――その先に、突然、何かが投げ込まれた。

 それは赤く、鋭く光るもの。

 空中で一瞬だけ弧を描き、ふわり、と軌道を落とす。

「……あれは――」

 次の瞬間。

 バチッと、赤い結晶から電光が走った。

「なっ……!?」

 空気が震える。

 それと同時に、道路が軋んだ。

 アスファルトがひび割れ、浮き上がる。

 まるで見えない力に引き寄せられるように、路面の一部が、結晶へと吸い上げられていく。

「まずい……!」

 凛が咄嗟に急ブレーキを踏み込むも、間に合わない。

 既に前方の道路のほとんどは赤い結晶に取り込まれて道そのものがなくなっていた。

 不安定になった残りの路面が崩落を初める。

 そして、土がうねり、形を成し――その奥から。

 巨大な遮光器土偶――荒覇吐鬼(アラハバキ)が姿を現した。

 正確には、上半身だけ形成された状態。

 それが、龍三達の前に立ち塞がる。

「……っ!!」

 次の瞬間、路面が完全に崩落した。

 支えを失った車体が、宙へと投げ出される。

 重力が反転するような感覚と共に、視界がぐるりと傾く。

 次の刹那。

 龍三の身体が何かに引き寄せられた。

 右腕を強く掴まれる感触。

 同時に、小雪の身体も反対側から引き寄せられる。

 その人物は、他でもない。凛だ。

 両脇に二人を抱え、そのまま空中で体勢を整える。

「危なかったぁ……! お二人とも、お怪我はありませんか?」

「なんとか……」

「うむ」

 凛の咄嗟の行動と判断のおかげで、怪我一つなく助かった。

 あの状況で、迷いなく二人を掴んで体勢を立て直す凛はやっぱり只者じゃない。

 風が渦を巻き、落下の勢いを殺していく。

 眼下には――

 高架下を流れる黒い水路が口を開けていた。

 砕けたアスファルトと、横転した車体が次々と吸い込まれていく。

 轟音と共に、水飛沫が高く跳ね上がった。

「凛の車が……」

「いいんですよ、お二人の命に比べたら、あれくらい……あれくらい……」

 精神的ダメージは思ったよりも大きいらしい。

 上半身だけ形成されていた荒覇吐鬼(アラハバキ)も水路に落ちて、水に浸かった部分から順に、土が溶けるように崩れていく。こちらに向かって腕を伸ばしながら沈んでいく姿が、まるで龍三達に助けを求めているように見えて、どこか哀愁を誘う。

「……っ」

 それを見届けた凛は二人を抱えたまま軌道を変え、地面に着地。

 そのまま龍三と小雪の二人を地面へと降ろした。

「し、死ぬかと思った……」

 龍三達が降り立ったのは、高架下に沿って設けられた細い遊歩道だった。

 周囲は薄暗く、街灯もまばらだ。

 コンクリートの柱が等間隔に並び、視界の奥は影に沈んでいる。

 その奥の暗がりから――

 ――ギィ……と耳に残る、あの不快な金属音が響く。

「……!」

 龍三の背筋に冷たいものが走る。

「ここが終点か?」

 低く、濁った声と共に、暗闇の奥からゆっくりと、土の手首から降りた土鬼が姿を現した。

「どういう風の吹き回しですか?」

 凛が一歩前へ出る。

 視線は逸らさず、真っ直ぐに土鬼を射抜いた。

「今までのお前なら、尻尾を巻いて逃げているところでしょうに」

「ふんっ今まではな……」

 軽い調子で土鬼が答える。

「あいつ、小雪を狙ってるんだ」

「え……? 小雪様を?」

 一瞬、凛の表情が固まる。

 次の瞬間、ぐっと拳を握り締め。

「どうして小雪様を狙うんです?」

 凛が鋭く問いかける。

 すると土鬼は、低く濁った声で呟いた。

「……嘘か真か、常夜の巫女の身体の中には、()()()()()()()()()()()()――『幻想神域(げんそうしんいき)』が眠っていると聞いた」

「……幻想、神域?」

 小雪の眉が、僅かに寄る。

 その言葉は、小雪にとっても初耳だった。

「なんじゃ、それは……?」

 戸惑いの眼差しを土鬼に向ける。

 少なくとも、自分の内にそんなものがあるという自覚など、一切ない。

「知らぬか。まあいいだろう」

 土鬼は肩を揺らしながら低く嗤った。

「知っていようがいまいが、結果は変わらん。貴様の内にそれが在るという事実さえわかれば、それで十分だ」

 濁った眼光が、小雪を射抜く。

「誰からその話を聞いたのじゃ?」

「さあな。忘れた」

「……なっ」

「有象無象の名など、いちいち覚えていない」

 吐き捨てるような声音。

 龍三が眉根を寄せる。

「じゃあお前、名前も知らない奴の話を信じるってのか?」

「無論だ」

 即答だった。

 その声には迷いがない。

「どんな願いでも叶うというのなら、この滅びゆく我が身を、再び完全なものへと戻すこともできよう」

 土鬼の声が、低く響く。

「それこそ――常夜の巫女よ。お前と同じ、()()()()()()()にだってなれるだろう」

「……っ!」

 小雪の目が見開かれる。

「貴様、どこまで妾のことを……」

「え、不老不死……?」

 龍三が思わず呟く。

 その視線が隣にいる小雪へと静かに向いた。

 小雪はそれを知られたくなかったのか、龍三に見つめられて「ぁ……」と弱弱しい声を漏らす。

「……龍三」

 小雪は、どこか縋るような表情をしていた。

 唇が僅かに引き結ばれ、言葉を飲み込むように震えている。

 その時だった。

 風が吹く。

 いつの間にか、龍三達の前から凛の姿が消えていた。

 次の瞬間には、すでに凛は土鬼の懐へ踏み込んでおり――

「はぁっ!」

 いつの間にか手に持っていた光の苦無の先端を、容赦なく叩き込む。

 しかしそれを、菜切り包丁の面で受け止める土鬼。

 鋭い金属音と共に、土鬼の身体が足底を滑らせながら後退する。

「そう急くな。逃げはせん」

「……どうやら、本気で小雪様を狙っているようですね」

「当然。俺の目的はただ一つ、常夜の巫女を手に入れることのみ。それ以外はどうでもいい。だが――」

 土鬼の口元が歪む気配。

「いい加減、追い回されるのも面倒だ。貴様ら諸共、ここで塵芥(ちりあくた)へと還してくれようぞ」

「その言葉、そっくりそのままお返ししましょう」

 呼応するように、手に持っていた苦無が無数の指先ほどの光の粒となり、凛の背後でぽうっと浮かび上がる。

 散っていた粒子は引き寄せられるように収束し、渦を巻くように凝縮していく。

 やがて、淡い光が形を成し――円環の中心に、直径一メートルほどの光の手裏剣が静かに顕現した。

「ここであったが百年目。今度こそ祓われてもらいますよ、土鬼」

「できるものならばな……」

「ここはお前の縄張りからかなり離れた場所にあります。本来の力の十分の一も引き出せないのでは?」

 凛が再び踏み込もうとした、その瞬間。

土蜘蛛(つちぐも)!」

 土鬼の声が上がると共に、頭上から、影が落ちる。

 巨大な土の手首が、凛目掛けて叩き落された。

「っ!」

 頭上から降ってくる土蜘蛛を紙一重で回避。

 さらに追撃の腕を光の手裏剣を使って捌き、距離を取る。

「お前の言う通りだ。忍びの娘よ……」

 土鬼がゆらりと前に身体を傾ける。

「確かに、随分と遠い所まで来てしまった。ここでは思うように力も発揮できまい」

 だが、その声に笑みが混じる。

 すると土鬼は、突然、巨大な菜切り包丁の刃先を自らの掌へと押し当てた。

「なればこそ。ここを、()()()()()()()()()()()()!」

「……!?」

 ぐ、と刃が食い込み、そのまま後ろに引いた。

 ズバッ!!

 掌が裂け、鮮血が弾けた。

 赤が、宙を舞う。

 滴り落ちる血が、地面を濡らす。


「血は穢れの(みなもと)……」


 土鬼は更に拳を握り込み、無理やり血を絞り出す。


「さぁ――穢れた大地よ」


 血が、地面に染み込んでいく。


「正者の魂を食らい尽くせ!!」


 空気が軋む。


「――穢土練成(えどれんせい)


 その言葉と同時に、地面が大きく脈打った。

 黒く濁った大地が、まるで産声を上げるかのように蠢き始める。






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