徹夜明けのいろんなハードルの下がり具合は異常
……とりあえず、先輩の話を信じるならば、国民全員が御使いのことを忘れてるからもう追い回されることはない。よし、ちょっと街を歩いてみようではないか。どうせ御使いの資料をトアに見せて一緒に考えてもらわないといけないし。
そして外に出て、僕は太陽の下、声を掛けられずにゆっくりと歩ける幸せをあらためて噛みしめた。いやー、屋根の上じゃなくて道を堂々と歩けるのって素晴らしいね。この際、それが謎の魔法によるものだということはいったん置いておこうではないか。うん、僕が御使いでよかったことなんてそんなにあったわけでもないし、国の皆様には忘れてもらっても一向に問題ないのでは。
僕は先輩に買って帰るお土産を考えながら上機嫌で道を歩いた。いやあしかし、道はいいね。傾いてないし、足場がぐらぐら揺れたりもしない。僕は笑顔で足元を一歩一歩踏みしめながら道の素晴らしさを再確認する。
「おい、待て」
でも先輩曰く、忘れる魔法の効果範囲が広いのは先輩の力じゃないらしい。……ということは消去法でウルタルかぁ。あいつえげつない手段持ってそう。そしてサイコパスモードの先輩は目的のためなら躊躇なくそれに乗りそう。……あ、でも先輩の目的って、僕が追い回されるのをどうにかしたい、っていうのだったよね。なんだめっちゃいい人やん。先輩ありがとう。誰だよサイコパスモードとか言ったやつ。でもウルタルかぁ……聞くのが怖いけど……はっきりさせといた方がいいよねこれ。よし、帰ったら問い詰めるか。
「こら、お前! 止まれ!」
「……へ?」
いきなり大声で呼ばれたので振り返ってみると、そこには杖をこちらにつきつける2人組の姿があった。……あれ、誘拐? また? ……先輩の魔法が効いてない人もいるってことかな? まあいい、よし、逃げるか。
僕は屋根に飛び上がり、そのまま逆方向に向かって逃走を開始する。……やっぱり今日も屋根の上を走ることになってしまった。そして、後ろから焦ったような声が追いかけてきた。
「こら待て! くそ、早い!? おい、応援を呼べ!」
応援とな。白昼堂々、大勢で人さらい、応援を呼ぶ。ここの治安はいったいどうなってるんだ。警察も見たことないし。僕は荒んだ街の現状に大いに心を痛めながら屋根の上をひたすらに走る。後ろの声も、どうやってかはわからないけどついてきてるみたいだった。
「不審な人物が逃走しました! 応援願います!」
ふと、後ろからそんな台詞が聞こえてきた。さすがに後ろの人が自分で自分のことを不審だと申告しているわけではないと思う。すると、え、こっち……? 僕が不審者として追われてるってこと? なんて失礼な話なんだろう。ただ僕は迫りくる危機を回避しようとしただけなのに。……いや待てよ。ということは相手はきちんとした人なのかもしれん。まずはちゃんと説明しなければ。
僕は屋根の上で急ブレーキをかけて止まる。すると急制動のせいか、グシャ! という轟音とともに、足元で屋根が大きく凹んだ。……いかん。後で弁償しに来よう。僕はとりあえず屋根から道に降りる。しばらく待つと、さっき声を掛けてきた2人組が息を切らせてすごいスピードで追いかけてきた。
「すみません、急に声を掛けられてびっくりしたもので……」
僕はとりあえずえへへと笑って誤魔化してみる。……いやでも冷静に考えると、びっくりしたからっていきなり屋根に上って走り出すのはおかしいかもしれない。なるほど! じゃあしょうがないな! とはならない気がした。
「いや、だからって……」
「それだけびっくりしたんですよ! ああ怖い……怖いです……。私はこれからどうなってしまうんでしょうか……」
やっぱりあんまり誤魔化しきれなかった。なんかじろりと睨まれたので次は縮こまってみる。ぶるぶる、僕悪いスライムじゃないよ、とか言ってみるべきか。もしこれで駄目なら、1匹何か魔物を召喚してその隙に逃げよう。……順番的には何が出るっけ……? ウツボの後だから……えーっと……魔王城の魔物のどれかか。
僕が縮こまったまま、街を犠牲にして逃げ切るプランBを考案していると、彼ら2人はしばらくこちらをじっと見て。やれやれとかぶりを振り、大きく溜息をついた。
「わかった、わかったよ。怖がらないで。ちょっと話を聞かせてほしい、それだけなんだ」
……やった! ちょろいもんだぜ。ふふ、男はみな外見に騙されるとはよく言ったものよ。まあ協力を求めるといってくるならやぶさかではない。僕もこの街の治安の悪さには胸を痛めていたからね。
僕は満面の笑顔を彼らに向けた。彼らもそれを受けて、少し笑顔になってくれる。……うん、友好的で大変よろしい。
「もちろん、私にわかることでしたら!」
「じゃあ、まずは身分証を見せてくれないか」
「身分……証……?」
……なんだそれ初めて聞いた。でも持ってること前提で話しかけられているということは、普通は持ってるのか。持ってない、と言ったら怒られそう。……よし、忘れたことにしよう。必殺宿題やったけど家に忘れました作戦。僕は現代でも、薬局に行った時にこの手でおくすり手帳を持っていない危機を何度も乗り越えてきたものだ。
僕はできるだけしおらしく、しずしずと答える。大変申し訳ない! という態度が伝わればいいのはどこの世界でも同じのはず。やったはずなのにこの場に持ってこれていないのは大変遺憾であります。
「すみません……家に忘れちゃいました……」
「……忘れた……?」
彼らは揃って訝しげな顔をした。僕もそれを見て首を傾げる。3人の間になんだか微妙な空気が流れた。……なんだろう?
「いや、手を見せてもらえたらいいんだよ。市民か一時滞在の者なら、そこに小さな印章があるはずだ」
へーそうなんだすごい。僕はこっそり自分の手を見てみた。裏表、両手ともにそんなものはない。そもそも僕に覚えがないんだから、それも当然だった。この市に住んでたら自然と浮かび上がってくるとかそういう超常的なものでもないみたい。……あれ? 確かにここの市民登録とかした覚えが全くないな。えーっと……。
気づくと、じりじりと2名は距離を詰めてきていた。どうかお2人にはさっきまでの友好的な雰囲気を思い出していただきたい。
「不法移民か? どうやって門を越えてきた?」
「いや、普通に歩いて越えました……」
なんか普通に通してくれたと思うんだけど。
「そんなわけあるか! それこそ王族か、教会の上層部でもなければ素通りなんてあり得ない」
「……あ」
そうか、御使いだったからスルーしてくれたのかも。でもそのせいで市民登録抜けてるの? ……いやまあ確かに、神の使いが市民登録するのはおかしいかもしれん。普通に生活する気かよ、みたいになっちゃうもんね。けどそのせいで今ピンチなんですけど。
「……事情を聞かせてほしい。来てもらえるよな、お嬢さん?」
僕が武器屋の裏口から入っていくと、トアは予想通りカウンターでうつ伏せになってぐーたらしていた。というか、だるそうでいつもより眠そうな気さえする。彼女は振り向かずに僕に向かって問いかけた。
「……どうして裏手から入ってくるんですか?」
「ちょっと国家権力から逃げていました」
「へえそうですか」
僕の真実の訴えはトアにあっさり聞き流された。というかもう表通りをうかうか歩けないんだけど。……あ、そうか。今から身分証発行してもらえばいいや。どうやるんだろう?
「あの、私、身分証が欲しいんですけど」
「……何ですか唐突に。ここは武器屋ですけど……」
「あ、はい、それは知ってます。身分証が欲しいんです」
「……ここは武器屋ですけど……」
「あの私の身「ここは武器屋ですけど」
あ、被せられた。駄目っぽい。これはどうやら他の人に聞いた方がよさげか。トアはいつもより不機嫌そうな眼差しで、じろりと僕の方を見た。
「…………あのですね、私、徹夜明けで真剣に眠いんです。ちゃんとした用事でないと叩き出しますよ」
「ごめんなさい。あの実は、さっき急に道で職質されて混乱してまして……」
僕のその言葉を聞いて、なぜかトアは目を真ん丸にした。普段眠そうに閉じられてるからか、やっぱり見開くと目がめっちゃ大きい。そして、なぜか彼女はカウンターに突然突っ伏した。そのままぷるぷると肩を震わせ始める。……え、いや、どうしたの。体調悪いのかな? 僕はおそるおそる彼女の顔を覗き込んだ。
「……っ……ふふっ……」
いや、なにわろてんねん。
しばらくしてトアは顔を起こし、ちょっと赤くなっているものの、澄ました表情で僕の方を見た。いちおう笑いは収まったらしい。……うん、まあ徹夜明けって笑いのハードルだいぶ下がるよね。わかる。……でも何が彼女の琴線に触れたんだろう。さっきなんて言ったっけ? えーっと……。
「混乱してます」
「?」
「道で急に」
「……」
「職質されました」
「ふふっ」
「これか! もう! なんでですか! なぜ友人が道で職質されてそんなに笑えるんですか!? 面白い要素なんかないでしょ! むしろ一緒に怒ってくださいよ!!」
僕が憤慨すると、トアはもはや笑いを隠そうともせずに、浮かんだ涙を拭きながら途切れ途切れに言った。
「ふふっ、だって……。よりによって神の使いが、道で職質されたとか……よっぽど怪しかったんだろうなってふふっふふふそれであわてて身分証ってふふふふ、ああ苦しい」
…………おや?




