エピローグーーみんながいる未来へ
前回のお話はーー
裕一の本音を知ったカズマはA's追悼式典に出席する。別れの場となるはずだったその日、思いもよらない再会と真実が待っていた。笑顔と約束に包まれながら、それぞれの未来が静かに動き始める――。
夏休みが始まった。
『西島自動車整備工場』。
いつもと変わらず、少しだけ開いたシャッターの隙間から中を覗く。
オイルの匂い。
工具の音。
そして――車を修理する、その背中。
その姿を見ただけで、胸の奥に張りついていた何かが、ふっとほどけた。
そこにいる。
変わらない。
それだけで、安心できた。
「ただいま……」
少し上ずった声でそう言うと、
「おぅ、おかえり」
裕一は手を止め、いつものように優しく笑った。
振り返った顔と目が合う。
カズマはすぐに視線を逸らした。
「GTR、直ったんだな!」
わずかに上ずった声のまま、車へ歩み寄る。
あの日、刻んでしまったはずの傷は、もうどこにもなかった。
手を伸ばしかけて、ほんの一瞬だけ止まる。
それでも、指先はそっとボディに触れた。
指先に伝わるのは、いつもと同じ感触。
よかった。
小さく息が漏れる。
カズマは、しばらくそのままボディに触れていた。
――もう一度、乗れるのか。
そんな思いが、わずかに胸をよぎる。
そのとき。
「行くか?」
背中越しに、声が落ちた。
振り返ると、裕一は、いつもの調子で外を指す。
その一言に、考えるより先に口が動いた。
「うん!」
条件反射のように、カズマはGTRの助手席に乗り込んだ。
エンジンがかかり、車が動き出す。
――気まずい。
車内で今まで何を話していたかも思い出せずに、カズマの脳内がパニックになる。
その沈黙の中で、ふと気づく。
……あれ?
これ……前も……
嫌な予感が、じわじわと広がった。
次の瞬間。
何やってんだよ、オレ!!
このパターンで、養成校の校門前に置き去りにされた。
首都高環状線で裕一と勝負させられた。
嫌な記憶を思い出し、今回はどこに連れて行かれるのかと怖くなる。
裕一はいつもと変わらず、すかした顔で運転している。
脳内パニックのカズマの焦りなど何も知らず、ゆっくりとGT-Rが停車した。
裕一は何も言わず、先にドアを開けて外に出る。
「……は?」
ワンテンポ遅れて、カズマも車を降りた。
見上げた空――見覚えのあるアスファルトの匂い。
胸の奥が、ざわついた。
ゆっくりと、視線を巡らせる。
――ここは。
あの時、裕一と勝負した場所。
首都高速都心環状線。
ほんの少し前のはずなのに、ものすごく昔に感じる。
懐かしさも感じるが……カズマにとっては、まだ苦い場所だ。
「もう一回勝負するか?」
「……嫌味かよ!」
裕一は満足したように鼻で笑う。
「何回やっても、俺が勝つけどな」
――カチン、と来る。
……分かってる。
でも、それだけじゃない。
胸の奥が、ざわつく。
――約束したんだ。
逃げるな。
カズマは顔を上げる。
「オレ……」
一度、息を飲む。
「プロフェッショナル・ジョーカー、目指してる」
まっすぐに、裕一を見る。
「そのために……」
カズマの決意を持った言葉が、静かに落ちる。
「運転、教えてください!」
裕一は、一回り大きくなったようなカズマの姿に、遠い過去を思い出していた。
『ボクも大きくなったらGTR運転するんだ!』
助手席の少年は、キラキラした瞳で嬉しそうに笑っていた。
自分を見上げるキラキラとしたその瞳は、真っ直ぐな強い光を放つ瞳になっている。
なんだかそれが、たまらなく……愛しく感じる。
少年は、未来に向かって歩きだした。
しばらくの沈黙。
裕一は何も言わなかった。
ただ、ポケットに手を入れる。
次の瞬間。
小さな音を立てて、何かが放られた。
反射的に、カズマはそれを掴む。
手の中に収まったのは――GT-Rのキー。
「壊すなよ」
一拍置いて、裕一は口の端をわずかに上げる。
「覚悟しろよ!」
本気とも冗談ともつかない、その言い方が気に入らない。
「あーもー分かってるよ!」
裕一に急かされて、カズマはGT-Rの運転席に乗り込む。
エンジンをかけると、黒豹は答えるように唸る。
夏の空の下。
――少年は、未来に向かって走り出した。
お読みいただきありがとうございました。
これで、この物語は最終回です。
お付き合いいただき、ありがとうございました。




