↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
りせた。小噺 ~温度差で風邪ひくエッセイ集~  作者: Resetter


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
57/98

耳障りのいいこと。心の栄養?



 やあみんな。

 りせた。だよ。


 元気にしてる?

 心の栄養足りてるかな?


 筆者は全然足りてないぜー!

 ……まぁ、それはどうでもいいか。


 でさ。

 ふと、思ったことがあるんだ。


 よくさ、心を温めるための言葉——って、あるじゃない。

 詩集とか、そんなやつ。


 あれ、耳障りがいいというか。なんというか。

 優しい言葉……とか、名乗ってるよね。


 もちろん、見てみたりしたこともあるけども。

 実践してみたこともあるけども。

 全く腑に落ちない感じなんだよなー。


 なんでだろうなーって、考えた。


 てかさ。

 そもそも、優しいって、なんだろうね? って話だよな。


 欲しいものを与える……ということだろうか。

 相手を慮る……ということだろうか。

 寄り添う……ということだろうか。

 気遣う……ということだろうか。

 献身……だろうか。


 そんな感じの文脈で使われている気がするんだけど、どうだろか。


 と、いうことはだ。


 不特定多数に向けられた、優しい言葉——とやらは、優しくないと思うんだよね。


 なぜなら。


 本なら本の。Webならモニターの。

 向こう側にしか、その作者はいない。


 誰に届けるとも想定していない、大勢に向けて放った言葉であるからだ。

 つまり。特定の個人に、寄り添ってはいないよな。慮ってもいない。気遣ってもいない。献身的でもない。


 欲しいものを与えるということには、たまたま合致することもあるかもしれないが。別に、読者個人のことを考えた言葉ではない。


 発したその言葉に、何の責任も負わないもの。誠実さの欠片もないものだ。


『ありのままでいいんだよ』


 という言葉なんて、ひどいものだ。

 そんなこと、あるわけないのに。


 社会でそんなことをすれば、煙たがられたり、最悪捕まったりするだろう。全員が『ありのまま』になった社会を想像してみたらいい。弱肉強食の、無法地帯だろうに。ヒャッハーで、ひでぶだぞ。


 現に、筆者は昔、チンピラだったのだが。

 そんな輩にも、『ありのままでいいんだよ』と、届くんだぞ?

 当たり前に、そんなことはなかった。暴言と暴力と軋轢を生んだぞ。


 そんなのは例外?


 いや、違う。

 不特定多数に向けて放った言葉は、誰が受け取るのか分からないんだ。

 その言葉を受け取る人間を見もしないで、そんな言葉を放つとか、無責任にも程があるという話なのだ。


 いいように解釈できてしまう言葉は、個人間のやり取りと、大勢への言葉と、使い分けるべきだと思うのだ。


 ひとは、弱い。

 それは、精神を保つ力であれ、理性を保つ力であれ、だ。

 こんなものを売るのは、その弱さにつけ込んだ、汚い商売でしかない。

 筆者には、そう思えてしかたない。


 本当に浸透してしまったら、世の中はどんどん酷くなる恐れすらある。

『南無阿弥陀仏と唱えれば、極楽浄土に逝ける』みたいなことだ。戦乱の歴史だろう。

 だからこそ、耳障りがいいだけの言葉の蔓延は、避けたほうがいいと思うのだ。


 "優しい言葉"は、一定の効果があるように思えるかもしれないが。

 日々に、苦しんでいるそのひとに、まやかしの快感だけを与えているに過ぎない。


 耳障りのいい言葉を、心の栄養だと受け取って、翌日には社会で傷付いて……では、不毛だろう。

 対処療法的というよりも。むしろ、麻薬のようなものだ。タチが悪い。悪循環だ。

 依存性も高いし、効果すら短いからな。魔法の言葉なんかじゃない。麻薬の言葉だ。


 もちろん、言論の自由はある。

 だからこうして、筆者も自由に述べているわけだが。


 麻薬の言葉は、優しい言葉だと世間では思われているようだが。

 筆者的には、本当の優しさは、誠実であることの上に立っていると思うのだ。


 誠実さとは、誤魔化さないことだ。


 現実は、痛い。

 それはおそらく、人類史は、ずっとそうだ。

 その時代その時代で、どう適応するかが、苦楽に作用すると思う。

 その最適解に近いものを提示する。


 または、優しさを示したい側が、ここまではする、これは無理。と、きちんと相手に伝える。

 こういうことではないだろうか。


 カウンセラーとかの技術って、こういう誠実さがあると思う。

 でもそれは、対面だから使える技だ。


 不特定多数に向けた、一方的な発言は、同じ言葉だったとしても、途端に中身が空洞化してしまう。

 そこに相手は、いないのだから。


 少なくとも、診察もせずに薬だけ売る医者なんかいないだろう。

 全員コレ飲んどきゃ治るぜ! なんていう万能薬なんて、ないだろう。


 "優しい言葉"を万能薬として堂々と使う輩は、解ってやっている詐欺師的思考か。言葉への誠実さが足りない、責任感のない人間か。どちらかだろうな。

 優しさで、善意で、不特定多数に向けての言葉は、紡がないだろう。思慮に欠けるからな。


 本当に、そこに優しさがあるのなら。

 ちゃんとひとりひとりに向き合って、ひとりひとりに最適な形で届けなくてはいけないだろ。

 言葉は、本来コミュニケーションツールなんだから。

 扱いが、軽すぎる。雑すぎる。

 傲慢で怠慢で欺瞞でしかない。


 ああ、でも。

 宗教の勧誘のような側面も、あるのかもしれないな。

 善意の悪事。そんなこともあるか。


 だが、そうだとしても、相手のことをやはり見ていない。自己都合でしかないな。


 ……と、まぁこんなことを考えたわけだが。

 一言補足しておくと。筆者は"優しさ"を否定しているわけではないのだ。

 むしろ、本当の意味で優しくされるのは、大歓迎である。つーか、してくれ。優しくしてくれ。

 

 ……まぁ、それはいいか。


 それに、商売上——納得出来る優しさも、ちゃんとある。

 ちなみに、バファ〇ンではない。


 やはり、不特定多数に優しさを届けたいなら、物語形式にするのがベストだろうと思う。

 そこには、きちんとした文脈があり、しっかりとした背景や、理由が存在するからだ。


 優しい物語を書けるひとは、すげーよな。尊敬に値するよ。

 ああいう、道徳心を育てる……というか、心の奥深くの栄養になるものは、素晴らしい。


 筆者も、そんな創作物を観たり読んだりしては、涙している。

 結構スッキリする。

 やはり、能動的に摂取するほうが、効果もありそうだ。


 しかしながら。筆者は、そういうものを書くの、結構苦手かもしれない。

 そういうシーンのある物語、書いたことあるけど、あんまり人気なかったもんなー。


 まぁ、残念ながら、向き不向きはあるけども。

 ひとりの物書きとして、読者さんには誠実でいたいなぁと思った次第。


 ……と、いうわけで。

 たまには、かなり真面目に書いてみましたよっと。


 まぁ、筆者は社会的弱者なのでね。

 弱者から搾り取ろうとする系のビジネスモデルとか、思考誘導系とか、あんまり好きじゃないのよね。

 だから、騙されるひとが、ひとりでも減ればいいなーって、思ってね。

 それだけの話さー。


 さてと。

 優しい物語でも見に行くかなー。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。