才能が欲しい
皆様ご機嫌麗しゅう。
筆者は今日も鬱々と過ごしております。
暑いの嫌いだー。誰か太陽のボリューム下げてくれよぉー!
年中20度くらいで統一して欲しいところ。ひとつよろしく。
そして。毎日のことながら、小説書くのも四苦八苦しておりまする。
才能が欲しい! ってことでございますなー。
哀しいことに。全くもって人気の出ない筆者の作品群。もし才能があれば、伸びるんだろうなーと、妄想しておるわけですな。
ってか。
才能ってさ。
全ての人が才能を持っている……とかいう話、あるやん?
これって、本当なのかねぇ?
ただの綺麗ごとなのかな?
どっちなんだろーねー?
まぁ、そんなわけで。
今日も現実逃避したいと思います。
お付き合いヨロー!
で。
才能ってさ。
そもそも何なんだろうね?
使われている文脈的に考えると。他者よりも抜きんでた何かの能力、ということになるのかね。
と、いうことはさ。
無人島で独り暮らしという状況だとすると。
才能もクソもないってことになるよね。
だって、比較対象がないんだからさ。抜きん出てるか判らないって話だ。
まぁ、極端な例ではあるけども。
とはいえ。
全ての人に才能がある、という言葉は、成立しないってことになるよね。
比較対象がない場合は、必ずあるからね。
てか、そもそも。
才能って、誰かが評価する前提の言葉だよね。
つまり。
他者に気付かれたかどうか。
そして、本人が気付いているか。
さらに、他者に求められるかどうか。
この辺りで、才能とか呼ばれるんじゃないだろうか。
社会的な価値があるかどうかが、認められる鍵。そんな話なんだろうね。
ギネスブックって、そういう意味なんだろうなー。
アレに載ったら……"どんなにくだらないこと"でも、すごい! って認められるもんな。
要するに。
周囲と比較して、優れているもの。且つ、周囲が認めるものを、才能と呼ぶのだと思う。
そして。
その能力が、同種の能力と比較して、より優れたものが、より一層持て囃されるわけだな。
この辺りも、持たざる者からは才能と映るが、持つ者同士だと、ただの優劣なんだよな。
と、なるとだよ。
どの辺りからを才能と呼ぶんだい?
って話になるよね。
結局、ものすごく主観の話なのだ。
よって。
全ての人に才能があるって話は、やっぱり成立しないんだよな。
自分には才能がないと思っている人間や、才能という概念を知らない人間がいる以上、全くもって成立しない言葉である。
耳障りのいい綺麗ごとでしかないということだな。
誠に残念である。
つまり、筆者は何の才能も持っていないということが、揺るぎようのない事実として確定してしまった。
誰にも気付かれず、誰からも求められず、自身で気付くものもない。社会的な価値を生む何かも、何ひとつ持っていない。
結局のところ筆者は、この社会を形作っている才能豊かな優秀な人物たちの恩恵に縋りついて、何とか生きているだけだ。
社会貢献度が低い、生産性が低い、消費だけの存在など、ゴミ同然である。いや、世界を汚すだけでしかないし、いない方がマシまであるな……。かなしみ。
だから筆者は、才能あるひとが羨ましいのである。堂々とお天道様の下を歩けるように、なってみたいのだ。
あー。
才能が欲しいなー。どっかに落ちてないかなー。
当然、拾っても、交番には届けねぇぜ! ありがたーく使わせてもらうんだからねっ!
早く人間になりたい!
……まぁ、正直なところ。承認欲求で才能を欲してる、というより。
楽して稼ぎたいだけなんだけどな!
HAHAHA!
すまん!
……あれ?
よくよく考えたら……
一生困らない金さえあれば、なんもいらないかもしんねぇ!
そしたら。
富で富を生んで、生活が大変な子供たちなんかに、金を恵んだりして、いい気分になってやるんだ! (笑)
偽善活動って、気分良さそうだからな!
あ。
その時に備えて、綺麗ごとの練習しないと、か?
——よし。
「全ての人間は等しく尊い存在で、素晴らしい才能を持っているものだ」
……これでいい?




