死
はろはろー。
みんなげんきー?
りせた。だよー。
最近さ、割と思うんだよね。結構長生きしたなーって。
昔ばなしシリーズなんて書いてると、特にさ……。
昔は、あんなに小さかったり若かったのにねぇ。
今や……すっかり別人のようだ。中坊くらいの頃は、『大人になる前に死にたい』とか言ってたようなヤツがさ。
昔は、まともに作文すら書いたことなかったのに。こんなエッセイとか書いてるしなぁ。随分と変わってしまったものだ……。
なんてこった。って話である。
それもある種、成長なのかも知れないが。単純な話、歳をとったのだ。
つまりは。
いつの間にか、寿命に近付いているんだなーと思うのだ。
まぁ、ある日突然、事故や事件で死ぬ……とかもあるけどさ。
筆者も、別に不死身じゃないからなー。
いつかは、死ぬのだ。
寿命がいつなのかは、知らんけど。
人間にとって、時間とは有限なのだよな。人間は、必ず死ぬのだから。
映画を観てても思うけど。
普段の生活でも思うけど。
人間って、死に対して、なんだか色々な考え方というか、捉え方があると思うんだ。
あるひとは、「かなしいことだ」と言う。
あるひとは、「終わりだ」と言う。
あるひとは、「救いだ」と言う。
あるひとは、「天国へ行く」と言う。
あるひとは、「生まれ変わる」と言う。
まぁ、自分が死んだとして。それでどうなるかは、まだ死んだことないから分からんけど。
っていうか、『死んだ記憶がない』という方が、スピリチュアル的には正しいのか? 知らんけど。そんなの、誰も証明してないしなぁ。
とにかく。
死とは、基本的に生物には訪れるもので。
だが、本能的に根源的な恐怖感を感じるもので。
だから、避けようとする本能が、わりと働くのだろうけど。
それでも、何をどうしても『抗えないもの』だよな。
だから、抗いたい感じになるひとと、救いを求めるひと……絶望と希望が生まれるんだろうな。
それを左右するのは、生の充実感だろうかね。端的に、だけど。
きっと、他にも理由はあるだろうから、さ。
筆者の場合だと。
人生は楽しいものではないし、楽だった訳でもない。
でも、苦しんだり痛かったりするのは嫌だから、死は回避するようにしている。
過去、死んでも不思議はないような目に何度も遭ってるけど。結果、今、こうしてのうのうと生きてるしな。
しかし。本当の意味で死にたくないのかと問われたら……。
まぁ、こんな人生はリセットしたいと思う。というか、無でいいかも。生まれ変わりとか要らない。やり直しも要らない。
上手くやれる気がしないし。
楽しい人生というものが、想像出来ないからなぁ……。
……って、ソレ。処女作のプロローグだな。
いや。
『楽しい人生』
想像は、出来る。ふんわりと。好き勝手豪遊してる感じだろ。
自分がそんな楽しい人生を歩んでいることを想像出来ない……ってのが、正確な表現だな。
だからおそらく、筆者的には、『死』は『解放』なのかも知れない。
救いとかは、思わないけどね。
生が充実していると、死に絶望を感じやすく、生に絶望を感じていると、死に希望を見出しやすいのかね。
筆者は、自分の死に対しては中途半端だな。
しかしだよ?
近しいひとが死ぬのは、すごく嫌なんだよな。まぁ、ペットもだけど。
とても辛い気持ちになるのだ。……随分と利己的な話ではあるが。矛盾が過ぎる。
出来ることなら、自分より先に死なないで欲しいとさえ思うしな。
だからなんか、不思議だよなーって思うんだ。
『死』は、概念ではなく、現象なのに。
何故か色々な解釈があって、抱く気持ちすら異なる。
なんなら、『死ねばいいのに』って思うひとが死んだら、嬉しいとさえ思うこともあるよね。
ざまぁ! ってさ。
そして、今こうして書いてる間にも、世界の何処かで誰かが死んでいる。が、それは結構どうでもいいわけだ。知らないところの、知らないひとの話だから。
『死』か。
筆者が死んだら、どう思われるのかなー。
悲しまれるのかな。
喜ばれるのかな。
それとも、別の何か……かな。
まあ、周りにひとが多いタイプじゃないけど。
筆者的には、すぐに忘れて欲しいけどね。
無で、いいのだ。
だが。
ひとの感情は、そのひとのものだ。他人がどうこう出来る部分は限られる。
だとすると、遺言書いとくべきなんだろうな。
葬儀も、遺影も、墓も、無しで頼む、と。
死して屍拾うものなし。
生物の原点だよな。
でも、公的な遺言って、お金掛かるんだよな?
……終活前に就活ですな。
無に、なりたいから。




