序章番外2:「勇者」になってくれた少年。
わしの力に導かれ、「地球」から人の子がやってくる。それは淡く小さな光の玉。ふよふよと漂う、頼りない光だ。
やってきたのは一つだけ。わしに応えてくれたのは、一つだけ。それでいい。それだけでいい。誰も応えてくれるのではなないかという不安が、一気にほどけていった。
元々欲しかったのは一つだけだ。「勇者」の数が多ければいいというものではない。注げる力には限りがある。ただ一人の「勇者」を徹底的に強化し、「魔王」を打倒してもらう。それがわしらの元々の計画だったのだから。
導かれた光の玉が輝き、人の形を取り始めた頃。「地球」の神は静かに己の世界に戻っていった。
わしと光にそれぞれ笑みを一つ残して。
わしには激励を、光には慈愛と期待を込めた笑みだった。
わしは「地球」の神に頭を下げ、改めて光――人の子に向き直った。
それから人の子、「勇者」と話し合った。
「勇者」は最初、乗り気ではなかったようだ。まぁ、当然か。「勇者」が暮らしていたのは「地球」でも特に平和な地域だったようだからな。突然戦ってほしいと言われて、すぐに頷けるものではないのだろう。
それでも。わしらにはこの子しかいない。この子が最後の希望なのだ。わしに出来るのは、ただ頼むこと。できるだけ誠実に。真摯に。この子の良心に、訴えかける事だけだろう。
この子自身に選び取ってほしい。わしらの世界のために戦うことを。
………そうでなければ、わしは、この子の心を歪めるしかない。
できる事なら、それは、避けたい。避けたいのだ。わしらのせいで戦いを強要するのだ。罪を重ねるのだ。ならば少しでも。はじまりだけでも。せめて。
幸いと言っていいのか。わしが呼べる「勇者」が彼一人である事と、わしの世界の現状を、「勇者」が現れぬ場合の未来を知って、思いを固めてくれたらしい。
どうやらこの子は人の命が失われる事に強い忌避感があるようだ。
これで一つ、肩の荷が下りた。
だがこれからだ。すべては、これから。さぁ、まずはこの子をわしの世界に招こう。待ち望んだ「勇者」を、わしの世界に連れて帰ろう。
そうして、掴むのだ。平和を。取り戻すのだ。あの穏やかで美しいわしらの愛しい世界を。本来の姿を。もう一度。
わしの世界へ、天界へと連れ帰った「勇者」の魂と肉体にさっそく力を与えていく。
まずは加護を。天界にあるすべての神の力を練り合わせ、「勇者」のために作り上げた特別性の加護だ。
加護は魂を保護し、肉体を強化する。
魂の保護は「勇者」の精神を守る。これで「勇者」はけして折れることはない。戦うことの恐怖、命を奪うことの罪悪感、仲間を失うことの絶望。すべてをすべて、あるがままに感じさせた上で、その負担のみを極限まで軽減させる。すぐに立ち上がり、前を進むように促す。希望や義憤を忘れぬように、しかしそれに溺れぬように。
肉体の強化は「勇者」に戦う力を与える。隔絶した身体能力、ありとあらゆる戦闘技術、莫大な魔力、それらを十全に扱うための素養と知識。これで「勇者」は「魔王」と対等以上に戦えることだろう。
次は戦うための装備を。「魔王」を確実に倒すため、「勇者」の持つ理を効率よく伝えるための武器。いわゆる特効武器、というやつだ。これは見た目こそ剣の形をしてはいるが、剣ではない。実際には「勇者」が望む形へと変形する特別性の神器だ。剣だろうと弓だろうと盾だろうと、勇者が望みを読み取り変わる。
防具は軽鎧を用意した。ありとあらゆるダメージを軽減し、多少の破損ならば修復するように。
他にも腕輪などの装備品をいくつか。これらはすべて補助のための道具だ。魔法の発動を補助したり、癒しの力を高めたりなど、状況によって使い分けられるように。
「勇者」へ力を与える過程で、わしらはこの子の過去を見た。「勇者」となってくれた人の子を知った。
名前は香之宮翔。16歳の少年。幼いころに両親を亡くし、老いた祖母に育てられた。その祖母もまた、わしが呼ぶ少し前に亡くなったようだ。
あぁ、なるほど。この子の忌避感はこれが元のようだ。死への忌避感というよりは、残される事への忌避感。それが人の命が失われる事への忌避感へとつながっている。
友人を、親しいものを作ろうとしなかったのもこれが原因のようだ。両親を突然失ったこと、近い将来祖母を失うこと。それが、親しいものを作ってもすぐに失ってしなうのではないかと、残されてしまうのではないかという恐怖を生んでいるようだ。
ふむ…。これは、よくない。とてもよくない。この心は、「魔王」と戦う上で邪魔になるだろう。ならば、わしらのやることは一つだ。
元々、「魔王」の軍勢と戦う上で、「勇者」には補助として供をつけようと思っていた。いくら「勇者」が一騎当千の力を持っていようとも、多勢に無勢では「魔王」の元へたどり着く前にやられてしまうかもしれんのでな。数の暴力とはよく言ったものだ。
「勇者」の供には天使族をつけるつもりだった。天使族はわしらの使いだ。わしらの身の回りの世話や仕事の補佐をするための存在。人類種の姿を模し、頭上に光輪を、背に光翼を持った人形。それが天使族だ。
天使族に自我らしい自我はない。仕事をする上では必要がないからだ。長く在り続けて自我を得たものがないわけではないが、それとて数えるほど。とても希少な存在だ。
わしらが当初、「勇者」につける天使族は新たに生み出した個体にするつもりだった。自我を得た個体は天界でわしらの補佐をしておるのでな。彼ら彼女らは天界から動かすつもりはなかった。
だが、「勇者」の恐怖を克服させるためには彼ら彼女らのような存在が必要だと判断した。簡単には失われない存在が、「勇者」の友と成り共に生きられるようような存在が。
更に追加として、「勇者」の供に神獣を加えることにした。神獣は一定以上の力を得た生き物の事だ。いずれ神の領域に足を踏み入れる可能性を手にした、最も強き7体の生き物たち。
神獣たちは四〇年前の「魔王」の猛攻が始まってすぐ、多くの人類種を逃がすために奮闘し、大怪我を負って戦線を離脱していた。個体によっては打ち取られる寸前までいってしまったが、寸でのところで天使族が庇い転移させることで何とかすべての神獣が生き残っていた。
神獣たちは傷を癒すため、すべて第一大陸に呼び寄せいていた。彼らの傷ももうじき癒える。ならば「勇者」と共に戦場へ戻ってもらうのがよかろう。
彼らもまた簡単に死ぬことはない。強者であるがゆえに。そして彼らは知性が高く、人類種との交流が可能だ。特定の種族と共存しておる神獣もいるくらいだ。
彼らもまた、「勇者」の友となり「勇者」の恐怖を払拭してくれることだろう。
さぁ、これでわしらに出来ることはすべてやり終えた。あとは「勇者」にすべてを託し、見守るのみ。
そしてわしらは「勇者」を下界へと送り出した。
そうしてすべてが終わった。「勇者」は役目を果たしてくれた。わしらの、子らの願い通りに。「魔王」を打倒し、この世界に平和を取り戻してくれた。
ありがとう。ありがとう。「勇者」。―――いいや、カケル。わしらはこの恩を忘れぬ。けして、けして、忘れることはない。
たとえ君がいなくなったとしても。たとえどれだけの時が経とうとも。この日を、君を、忘れることは消してないだろう。わしが死んでも、次の「創造神」は君を覚えている。君に感謝を忘れない。君を譲ってくれた「地球」の神への感謝を忘れない。
君を「地球」に帰してやることはできないが、君がこの世界で少しでも幸せに生きられるよう、わしらは助力を惜しまない。まぁ、下界の復興にかかりきりになってしまうわしらに出来ることは少ないのが。わしらは君を見守っているよ。
そして君の物語はいつか必ず、「地球」の神へと届けるとしよう。
ありがとう、カケル。どうか穏やかで美しいこの世界を楽しんでおくれ。