97 〈現夢〉で皆と邂逅す
幾つかの水路を潜り抜け、俺達は水中を移動しながら、目的の場所に向かった。泳ぎでの移動はあまり慣れていなかったが、インファンタが連れて来てくれた〈水妖馬〉のおかげで、楽に移動することができるようになった。
ケルピーは上半身が馬、下半身が魚となっている幻想種で、水中を駆けるように泳ぎ、小魚や水草などを食べて生活している。気性は穏やかで、向こうからヒトを襲うようなことはしないが、敵意を向ける相手には、果敢に抵抗する強さも持っている。
前肢の蹄から繰り出される一撃や、大きな体躯を俊敏に動かす尾の攻撃は、水中では想像できない程、強力だ。インファンタ達は、ケルピーを手懐け、乗用馬として使役しているらしい。
「今や私だけとなってしまったので、この子達も野に放してあげないといけませんね」
そう言って寂しそうに笑うインファンタに、俺は掛ける言葉が見つからずに、ケルピーを操ることに意識を集中した。折角知り合ったのだから、俺に出来ることがあれば良いのだが…。
下水に比べ整備がされているためか、上水路は魔物の気配が少ない。ケルピーの速度がかなりのものであるのも理由の一つになるだろうが、移動自体はかなりスムーズだ。
とはいえ、魔物が皆無ということもなく、ここまでも数度の戦闘を熟していた。〈人喰魚〉や〈大海蛆〉、〈大呑鱓〉といった、淡水棲・海水棲を問わず襲って来るのだが、インファンタの話では、上流からの淡水と、港側からの海水が混じり、所謂汽水域となっているらしい。
魔物はある程度の環境の変化には簡単に適応してしまうので、地下水路独自の生態系になっている、ということなのだろう。
迎撃に際し、ワルワラは折角の剣が使えない、と零しながらケルピーから離れるように位置を取り、短剣を振るう。逆に俺は左手を鎗状に変化させ、ケルピーを騎馬に見立てた騎兵戦闘を選択する。
インファンタは戦うことなく、後方で待機している。彼女は竜に仕える巫女ということで、魔法使いとしてかなりの実力があるようだが、今のところ、魔法を使う必要のある強敵が現れていないこともあって、観戦モードとなっている。
「もう少しで目的の場所です」
インファンタが並走しながらケルピーを寄せ、俺の耳元で話しかけてくる。
「了解だ」
俺はワルワラに声を掛け、インファンタの駆るケルピーの速度に合わせるように、騎乗したケルピーを操った。ワルワラは騎乗経験がないので、俺の背中にしがみつくように掴まっている。
「これ、楽しいですね! あたいも魔法が使えたら、この子達と一緒に泳げるのになぁ」
ワルワラはそう言って嬉しそうに笑っている。失敗したり、呪いを受けたりと散々な目にあっていたが、元気になって何よりだ。
今も呪いに苦しんでいる者がいるのは承知しているが、気を張り詰め過ぎても上手くいくわけじゃない。これくらいの余裕があるほうが、結果として上手くいくものだ。
俺は微笑むとケルピーの動きに身を委ねた。俺達を乗せたケルピーは、インファンタの操るケルピーの後ろにピタリとついて、軽快に泳いでいく。
幾度かの分岐路を経由し、俺達が到着したのは、かなり奥まった場所にある、桟橋のようなところだった。
「本来、ここは街への地下搬入路でした」
インファンタがそう言って説明を始めた。地下水路が迷宮になる前、水路の幾つかは物資を輸送する水路としても利用されていた。
日本でも江戸時代、縦横に張り巡らされた水路を利用して物流が盛んに行われていたが、ル・グルゥの街も水の都の例に漏れず、活用しているわけだ。
そして、中継地点となる場所には、地下倉庫と共に、桟橋を設けて荷船が停泊できるようにする。そこから地上へと運び、物流を円滑に行っていた。
迷宮となり、呪いに苦しむ現状では、もはや本来の機能は望むべくもないわけだが、インファンタにとってはランドマークならぬ『目印』として重宝しているらしい。
「水路としての機能は失われていますが、保管されている物資はそのままです。地上への通路が生きている倉庫もありますから、管理を続けているそうですわ」
インファンタはそう言って、胸元に下げたペンダントを持ちあげると、口に咥えた。そして軽く息を吸って吹く。
ペンダントから、澄んだ音色が響いた。どうやら笛だったらしい。笛を吹いて暫くすると、通路の奥から姿を現したのは、小柄な体躯の〈窮鼠人〉だ。
「インファンタ、今日は何用だ? 配給にはまだ早いと思うが」
流暢な竜語を発し、そう言って鼻先に掛けた眼鏡をクイッと持ち上げる。姿からは想像もつかない渋い声に、思わず目を瞠る。
「ふむ、見慣れぬ者達がいるな…。インファンタ、ここにあまり他人を連れて来るな」
管理が面倒になる。そう言ってラットリンクはため息をつく。ただでさえ、迷宮化して面倒が増えているというのに…。ラットリンクはそう言ってブツブツと呟いていたが、不意に俺達に視線を向けると、
「それで、何の用だ?」
と今度は共通語で問いかけて来た。随分と学があるようだ。
「初めまして。俺はヴァイナスと言います。こっちはワルワラ」
「こんにちは」
俺は挨拶をすると礼をする。俺の紹介にワルワラも頭を下げる。俺はここまでの経緯を簡単に説明した。インファンタにも聞かせるため、会話は竜語で行う。ワルワラには悪いが、暫く付き合ってもらおう。
サファイアドラゴンを倒したと聞いた時には、ラットリンクも目を見開いたが、インファンタに視線を送ると、インファンタが何も言わずに頷いたのを見て、俺に先を促した。
「それで、今回の呪いの元凶らしきものが、この先にあると聞いたので、ここに来たわけです」
「成程な。だが、そこに至る道は『封印』してある。一度封印を解いたら、戻すことは非常に困難だ。解きたくないのだが…」
俺の言葉に、ラットリンクは難色を示す。封印と言ったが、そんなことができるのだろうか? 疑問はあるが、ここで引くわけにはいかない。
「元凶を断たねば、何も解決しません。蒼竜ザフィリを退けた俺達の力、信じてもらえませんか?」
「…エゴン、このまま放置していたところで、何一つ解決しません。貴方が水路の管理に命を懸けているのは知っていますが、街が滅びれば意味がないのでは?」
エゴンと呼ばれたラットリンクは、目を瞑り何かを考えている。そして、目を開くとじっと俺達を見た。
「だからと言って、『封印』を解くわけにはいかない。お前たちの実力は大したものなのだろうが、だからと言って解決できると確証があるわけでもあるまい。そんなあやふやな状況で、封印を解くことなどできん」
エゴンはそう言って首を振る。その後はインファンタが何を言おうとも、目を閉じて黙っている。
「無理無理、そいつ相当な頑固者だ。聞く耳持たねえよ」
不意に通路の奥から声が掛かった。エゴンはこれ見よがしにため息をつき、あいつら、まだいたのかと独りごちた。
「遅かったな」
「ちょいと手ごわい相手と闘っていたからな」
掛けられる声に、俺は笑顔で答えを返し、差し出された拳に拳を打ち付ける。
ゼファー達もここに辿り着いたようだ。俺の姿を認めたロゼ達が、笑顔で飛びついて来る。
「ガデュス様!」
ロゼ達に続いてガデュス達も姿を現した。ワルワラが喜びの声を上げて出迎える。ガデュス達も集まると、俺の前で膝を着く。
「主殿、御無事で何より」
「お前らも到着してたんだな」
「御意。水路の迷宮は初でしたからな。少々難儀しましたが、水に入らなければどうとでもなりますな」
そのために、通れる場所が限られましたが。そう言って笑みを浮かべるガデュスの肩を叩いて労う。
「やれやれ、何人いたところで結果は変わらんだろうに」
エゴンはそう言って首を振る。
「おいおい、これだけの戦力が揃ったんだ。いい加減扉を開いてくれよ!」
「お願いします。必ず呪いを解き、街を救って見せますから」
ゼファー達が口々にお願いするが、エゴンは頑として首を縦には振らない。気の長いほうではないキルシュが苛立たし気に俺に向かって提案する。
「ねぇヴァイナス、貴方の【開錠】で何とかできない?」
「やってみないと何とも言えないけど…」
「言っておくが、扉の封印は【開錠】では開かんぞ。特殊な儀式を施しているからな」
俺の言葉を遮るように、エゴンが言葉を被せてくる。どうやら、強引に何とかできるわけじゃ、ないみたいだな。何とかして、エゴンを説得しないと。
俺は【翻訳】の魔法をインファンタに掛ける。これだけ人数が増えてしまうと、竜語での会話を理解できる者の方が少ないからな。共通語で会話する以上、インファンタにも伝わらないのは少々面倒だ。
横でワルワラがホッと息をつく。ようやく会話の内容が分かるということで安心したようだ。ワルワラにも【翻訳】を使えば良かったか。けど結構SPも使うからなぁ。
俺がそんなことを考えていると、徐にインファンタが口を開く。
「エゴン、街を救いたくはないのですか?」
「そんなことはない。確証がなければ、今危険を冒すべきではない、と言っているのだ」
ここまで封印に拘るのだ。エゴンは何か知っているのだろうか?
「エゴンさん、もし宜しければ、知っていることを教えて頂けないでしょうか?」
俺の問いに、エゴンはピクリと眉を動かしたが、それっきり黙ってしまう。
「そこまで頑なに封印に拘るのには、何か理由があるのではないですか? 例えば、元凶に心当たりがあるとか」
重ねて問いかけるが、エゴンは黙ったままだ。ゼファーはイライラと髪を掻きむしるが、エゴンの態度は変わらない。
「ヴァイナス、こうなったら力尽くで…」
「ゼファー、そんなことをしてもエゴンさんは封印を解いてくれないよ」
「でも、エメの命が…」
ゼファーの言葉に首を振り、ロゼの焦りを帯びた声には頷きで答える。俺は失礼を承知で、敢えて考えを口にする。
「この呪いの元凶は、貴方の知り合いが引き起こしているのですね?」
その言葉に、エゴンはビクリと肩を震わせる。沈黙を続ける口元は、きつく噛み締められている。推測だったけど、どうやら当たっていたらしい。
「エゴン、まさか扉の先にいるのは…」
「…時が経てば、気持ちにだって変化が訪れる。それまで、そっとしておいてくれ」
インファンタが哀しそうに声を掛けるが、エゴンはそれだけを言うと、踵を返そうとする。
「そう、ベリトなのね」
ベリト? インファンタとも知り合いなのだろうか。そのヒト? が今回の呪いの元凶?
「ベリトはエゴンの恋人です。彼の親友の妹だそうで、彼と共に水路の管理をしていました。姿を見なかったので、呪いに罹り動けないのかと思っていたのですが…」
「ベリトは今、思い違いをしているんだ。絶対に理由がある。時が経てば落ち着いて、こんなことは止めてくれる…」
成程、それで扉を封印し、時が解決してくれることを待つ、ということにしたわけだ。
封印を解かないのも頷ける。俺達が武威を示したのは逆効果だったわけだ。封印を解けば、元凶であるベリトを殺して解決するのは目に見えている。
呪いで苦しむ身内を持つ余裕のない俺達が、説得するという選択肢を取ることは考えられないだろう。扉を開けてくれないのは明白だった。
「お前、そんな理由で…!」
掴みかかろうとするゼファーを俺は抑える。俺達だって身内が呪いに罹らなければ、見て見ぬふりをした可能性もある。エゴを通すのはお互い様だ。ならば、他に説得できる材料は…。
親友か。その言葉に、俺は思い出すと共に、エゴンに声を掛ける。
「申し訳ありませんが、時は一刻を争います。この間にも、失われている命がある」
俺はそう言って、懐から指輪を取り出した。それをエゴンに向けて差し出す。エゴンの足が止まり、俺の手の中にある指輪を凝視した。
「何故、お前がそれを持っている?」
「トルベンから託されました。彼からの伝言です。『手を貸してやってくれ』と」
エゴンは俺の掌から指輪を取り上げると、じっくりと観察する。本物であることが分かったのか、大きく息を吐くと、俺の手に指輪を戻した。
「…いくらあいつの頼みでも、封印を解くことはできん…」
「トルベンも呪いに罹っています」
「!?」
俺の言葉にエゴンは顔を上げる。
「このまま放置すれば、トルベンも呪いで命を落とすでしょう。お願いします、扉を開いてください」
「…一つ、約束してくれ。ベリトを殺さない、と」
「…それは約束できません」
俺の言葉に、エゴンは俺を睨みつける。俺は正面から視線を受け止めた。どういう理由があるのかは分からないが、説得が通じない時には、命を奪うことを考慮しないといけない。ここで嘘をついて扉を開いてもらうことは簡単だが、トルベンの妹である、ということを知ったうえで命を奪うことに、嘘をつきたくはなかった。
俺とエゴンは暫く無言で見つめ合ったが、やがてエゴンは肩を落とすと、一つ頷き、もう一度俺を見た。
「…ならば、俺をベリトの元に連れて行ってくれ」
何故、とは聞かない。答えは分かり切っているからだ。俺は頷くと、右手を差し出した。エゴンはその手を握り締め、今度こそ踵を返す。
「一体、何がどうなったんだ?」
ゼファーが俺達のやり取りを見て、首を傾げている。ロゼ達も不思議そうに見つめていた。
「扉を開けてくれることになった、そういうことさ」
俺はそれだけを伝え、エゴンの後に続く。すると、
「ヴァイナス、私も連れて行って欲しいの」
インファンタがそう言って声を掛けて来た。
「危険だぞ?」
「構わないわ。ベリトは私の友達でもあるの。どんな結末であっても、この目で見届けたい」
インファンタはそう言ってじっと見つめてくる。俺は頷いた。だが、どうやって移動する?
「これを使うわ」
インファンタはそう言って、髪飾りを外した。そして、その中に収められていた、小さな容器を取り出す。
「私達に伝わる秘薬よ。これを飲めば、ヒトの足を得ることができるの」
「その代わり、声を失うとか?」
俺は冗談めかして言うと、インファンタは目を丸くして、
「何で知っているの? この秘薬について一族以外には秘匿されているのに…」
と驚いた。ほんとに魔女の秘薬かよ。まんま人魚姫だな…。
「一応確認するけど、恋が成就しないと、泡となって消える、なんてことはないよな?」
「なにそれ? そんなことはないわ。効果が消えるまで、声を失うだけで」
流石にそこまで一緒じゃないか。と、待てよ。
「その効果って、どれくらい保つんだ?」
「分からないわ。使ったことがないもの。あの『呪い』と違って、時が経てば効果は必ず消えるけど」
魔法も使えなくて苦労したわ、まさか呪いで声を失うとは思わなかったもの。と肩を竦めるインファンタに、そこまでしてついて来る必要があるのか? と、俺は喉元まで出掛かった言葉を飲み込む。インファンタの目は、そんなことは覚悟の上だということを伝えてくる。
「声を失うと、何かと不便だから、宜しくね」
インファンタはそう言うと、どういうことだ? と俺が問い掛ける間もなく、迷いなく薬を飲んだ。すると、すぐに変化が訪れた。
魔法現象特有の光を放ったかと思うと、インファンタの身体が水に沈んでいく。俺は慌てて手を貸すと、インファンタは俺の首に手を回し、しがみついてきた。そしてそのまましっかりと腕を回す。
豊かな胸に顔を抱え込まれたまま、俺はインファンタを引き上げる。すると、その下半身は既に人のそれへと姿を変えていた。ゆっくりと桟橋に降ろしてやるが、インファンタは満足に立つことができず、その場に腰を落としてしまう。
やはり、二本の足で立つことには慣れていない。俺は視線に気を付けながら、インファンタの足を眺める。そして、怪我はないか確かめた。
歩くこと、立つことに慣れていないと、ちょっとした動きで捻挫したり怪我をしたりするからな。俺はインファンタの足を取り、足首を捻って痛みがないかを調べる。
インファンタは表情を変えることなく、俺の動きを不思議そうに眺めていた。痛みはないようだな。
それにしても、柔らかい足裏をしている。まるで生まれたての赤ん坊の様だ。このままでは満足に歩くこともできないと思い、〈全贈匣〉から靴や衣服を取り出そうとすると、背後に殺気を感じて振り返る。
そこには笑顔を浮かべた女性陣が集合していた。いや、笑顔なのは表情だけだ。目は全く笑っていない。
「ヴァイナス、その方は? 綺麗な方ですね」
まずはロゼが尋ねてくる。俺は衣服を用意しつつ、
「ああ、紹介が遅れたかな。彼女はインファンタ。この迷宮に住んでいた竜を奉じる〈人魚〉の巫女だ。此処に来るまでに世話になったんだ」
と答える。インファンタには通じていないようで、女性陣を見て柔らかに微笑んでいる。先程掛けた【翻訳】は、薬の効果のために解除されてしまったようだ。再度【翻訳】の魔法を掛けるが、効果を発揮しないようで、インファンタは首を傾げている。これは、思ったよりも強い効果のようだ。
試しに〈精霊語〉で話しかけてみたが、〈黒鱗病〉に罹患した時とは異なり、話が通じない。これは厄介だぞ。
「〈人魚〉? それにしては綺麗な足をしてるけど?」
ヴィオーラの指摘に、ジュネやブリスも頷いている。
「ああ、これは奥に進むために、秘薬で人の足へ変化させたんだ。代償として、声を失っている」
俺は説明をしながら用意した衣服をインファンタに渡すが、服を着る文化のないインファンタは、着方が分からず首を傾げている。
流れるような美しい髪の合間から、見事な双丘が揺れる度、女性陣の殺意が上昇するが、俺は敢えてそれを無視すると、
「済まない。彼女には服を着る習慣がないんだ。着方を教えてやってくれ」
「…仕方ないわね。言葉は通じるの?」
「いや、秘薬の効果で会話ができないみたいだ」
「了解。まぁ大丈夫でしょ」
ジュネがそう言いつつインファンタへと近づき、用意した衣服を手に取って、
「ちょっと、何よこれ男物じゃない」
「仕方ないだろ。女性用の服なんて持ってないぞ」
ちょっと待ちなさい。ジュネはそう言って〈全贈匣〉を開き、中から服を取り出した。
「私のだとサイズが合わなそうだけど、我慢してね」
そう言って身振り手振りを交え、手際よく服を着せていく。靴はサイジング機能のある魔法のブーツを用意したので問題ない。
服を来たインファンタがゆっくりと立ち上がる。その足元はまだおぼつかない。転びそうになるのを支えてやると、嬉しそうに微笑み、頬にキスをされた。
ロゼ、そんなに力を入れたら服が破れる。勿体ないから止めて!
ヴィオーラ、何故槍を構えているのかな?
ジュネ、見えないように脇腹を抓るのは止めて欲しい。
ブリス、耳を引っ張らないで! マジで痛い!
女性たちの『攻撃』を甘んじて受けつつ、俺の腕にしがみついたインファンタが歩くことに慣れるまで、支えて進むことにした。
「ゼファー、周囲の警戒を頼む」
「おお、やらせて頂きます。ええ、やらせて頂きますとも」
畜生、まただ、またヴァイナスばかりが良い目を見る…。ゼファーの怨嗟の声に、キルシュは私がいるでしょ? と抱き着いている。
俺は苦笑しつつ、インファンタの歩調に合わせてゆっくりと歩く。
「詳しい話は後で聞きます。まずは解決してから、ですね」
俺の傍でさりげなくインファンタのフォローをしつつ、ロゼが呟いた。俺は頷くと感謝の視線を送る。ロゼは目を細めて首を振る。
「声を失ったんじゃ、どうやって意思疎通すれば良いのかしら?」
「一時的なものらしいし、その間は筆談でもすれば? 【翻訳】なら通じる? 通じないのか…。でもヴァイ、今度教えて~」
「私、竜語なんて読み書きできないわよ? …エメもいることだし、覚えようかしら」
ジュネやブリス、ヴィオーラもインファンタを案じて周囲に集まって来た。インファンタは戸惑いつつ、それでも、自身に向けられる感情が否定的でないことには気づいたのか、嬉しそうに微笑んでいる。早く解決して、エメ達の元に戻らないとな。
合流するまでの情報を交換しながら、エゴンの案内で、俺達は封印されているという扉の前に立った。一見しても、迷宮内にある他の扉と違いはなかったが、試しに開けようとしてみたが、ピクリとも動かなかった。
「無駄だ。特殊な封印だからな。俺以外解くことはできない」
エゴンはそう言って封印を解くための準備をする。俺はその工程をつぶさに観察した。何かに応用できるかもしれないと思ったからだ。ブリスも興味深そうに眺めている。どうやら、同じことを考えているみたいだな。
エゴンが作業を終えると、扉は軋んだ音を立てながらゆっくりと開いていく。奥からは独特の臭気を持つ、澱んだ空気が漂って来る。
『ヴァイナス、この気配…』
『ああ。間違いないな』
マグダレナの言葉に、俺は念話で答える。ザフィリからも感じた瘴気、あれよりも一層濃さを増したものが、目に見えるかのように流れてきているのが分かった。
「嫌な空気が漂ってるな」
「なんか、気持ち悪い…」
ゼファー達も顔を顰めている。ガデュスも表情は変わらないが、握り締めた拳が危険を感じていると伝えていた。
「この奥に、ベリトがいる。行こう」
エゴンはそう言って、迷うことなく足を踏み出した。俺達も後に続く。いよいよ、呪いの元凶と対峙する。腕にインファンタの温もりを感じながら、俺は気を引き締めた。
 




