98 〈現夢〉で儀式に挑む
「エゴン、来てくれたのね。漸く、解かってくれたのかしら」
ベリトらしき少女は、瘴気に澱む通路の先で、俺達を待っていたと言わんばかりの態度で微笑んでいた。
話は少し遡る。
俺達が足を踏み入れた扉を抜けると、すぐに下りの階段へと変わり、長い階段を降りるにつれ、その様子は次々と姿を変える。周囲の壁や階段の材質が次々と別のものに変わった。これは作られた年代が異なることを表しており、それが地層のように折り重なり、通路を形成しているのだ。
そして階段が終わると、石造りの通路へと変わる。かなりの時を経ているのか、通路は奇妙に歪み、ともすれば平衡感覚を失いそうだった。歩くことに慣れていないインファンタが転びそうになる度、ロゼ達が支えている。
それにしても妙に歪な通路だ。角度もおかしいし、地震や地殻変動によって歪んだのだろうか? 迷宮化したことも理由の一つかもしれないが。
それに壁面や床板に施された彫刻や文字らしきもの、規則性のない模様も気味が悪い。漂う瘴気を合わせ、不快さが増すのを無理矢理抑え込む。
「ヴァイナス様、良いですか?」
ワルワラが俺の傍に近づき、話しかけてきた。
「どうした?」
「ガデュス様に言われて、あたいはヴァイナス様の傍にいるように、と」
俺はガデュスを見る。ガデュスは目礼した。ふむ、俺の傍ね。
「無理はするなよ? それと、インファンタを頼む」
「はい!」
ワルワラは気合を込めて返事をした。インファンタは今戦える状態じゃないからな。ガデュス達を護衛につけるより、ワルワラの方が良いだろう。
ワルワラには剣を貸したままだ。結局良いものは見つからなかったからな。サロスの街に戻ったら、師匠に何か鍛えて貰おう。今回は頑張っているし、褒美があっても罰は当たるまい。
「それにしても、奇妙な場所ね」
ヴィオーラがうんざりした様子で呟いた。ヌトスの信者であるヴィオーラにとって、この場所は俺以上に居心地の良い場所ではないのだろう。顰めた眉が今の気持ちを良く表している。
それにしても、通路が狭いな。それに奇妙に歪んでいるせいで歩き辛い。今回は大所帯だから、闘いはできるだけ広い空間でやりたいところだが。
「ヴァイナス、闘いになると思うか?」
ゼファーが俺の隣に並び、小声で聞いて来る。俺は前方を見ながら頷いた。
「呪いに侵されたサファイアドラゴンと闘ったんだが、理性を失い襲い掛かって来た。ベリトがどういった状況なのかは分からないけど、同じように狂気に侵されていれば、戦闘は避けられないと思う」
「成程な。エゴンはああ言っていたが、正直言って希望は持たない方が良いってことか」
「ああ。少なくとも俺達は、最悪の状況を想定しておいた方が良い」
「了解だ」
ゼファーは頷くと、足早に先へと進み、先頭を行くエゴンとガデュスの所に合流する。俺はインファンタの様子を横目に見ながら、周囲を伺いつつ歩を進めた。
「この先だ。以前は古い遺跡だったが、迷宮化してからはどのように変化しているかは確認していない」
「おいおい、それじゃあ別の通路が生み出されて、そこから逃げた可能性もあるんじゃないか?」
エゴンの言葉に、ゼファーが呆れた声を上げる。俺もそれが懸念だったが、エゴンは首を振り、
「逃げることはない。それだけは断言できる」
「それって…」
俺が言葉を発する前に、目的地へと到着したようだ。狭かった通路が開けたかと思うと、目の前に異様な光景が浮かび上がった。
歪な円形の広間には、不均衡な面を持つ角錐が立ち並び、奇妙なオブジェを形成している。その表面は通路にも施されていた文字とも模様ともつかぬ紋様で埋め尽くされ、不気味な明滅を繰り返していた。
そして、目に見えるほどの濃度で漂うのは、瘴気。まるで質量を持つかのように蠢き、脈打つように漂う様は、何かの生物のようにも見える。
広間の中央には祭壇が設けられ、その周囲には商機を纏う魔物達が、奇妙な声を発しながら時に首を垂れ、時に天井を見上げながら、まるで祈りを捧げているかのように蠢いている。
そして、それに合わせるように瘴気を掻き分けて姿を現すのは、テラテラと光る粘液に包まれた、幾本もの触手だった。それらは祭壇を囲み、魔物達が発する悍ましい旋律に合わせ、リズムもテンポも不揃いの、奉納の舞を興じていた。
祭壇の周囲には瘴気が渦を巻き、まるで荒波のようにうねりを上げている。その中に存在するであろう『何か』が発する気配に、思わず全力で魔法を打ち込みそうになるのを必死に抑えた。
その奥に鎮座する、玉座らしきものに腰を降ろしているのは、炎の様に赤々とした毛並みのウルフリングだ。その瞳に宿る恍惚とした光に、俺は思わず息を飲む。
あれがベリト、なのだろうか…?
眼下で繰り広げられる正気を失いそうな饗宴の儀式を、慈しむかのように眺める姿を見て、説得は無駄であろうという思いが胸中を満たした。
だが、やってもいないうちに、決めつけることはない。俺はエゴンに尋ねる。
「あれがベリトか?」
「そうだ。彼女がベリトだ。…頼む、彼女を救ってくれ」
説得は無理そうなんだが…。ベリトの瞳に浮かぶのは、どう見てもまともじゃない光だ。それが狂気に侵されたザフィリの瞳に重なり、俺は頭を振る。
「正直、まともに話し合いができるとは思えないが、ね」
だが、まずは話し合うしかないか。俺としては問答無用に先制攻撃を仕掛けたいところだったが、封印を解いてくれたエゴンの気持ちに応えるためにも、立ち上がり声を掛けた。
「お忙しいとは思いますが、少々宜しいでしょうか?」
我ながら何て言い方だ、とは思いつつも、他に言い方も思いつかず、セールスの勧誘に来た営業のような口調で言葉を発する。
ベリトはその声に顔を上げ、俺達を見つめると、口元に笑みを浮かべ、口を開いた。
そして冒頭へと至る。ベリトは嬉しそうに目を細めると、エゴンへと話しかける。その眼中に俺達の姿はない。
まるで俺達がいないかのように、エゴンのみを視線に捕え、言葉を紡ぐ。
「見て、漸く偉大なる御方をこの地に迎えることができるのよ。そして、そのお力によって世界はあるべき姿に還る。エゴン、貴方も私と共に新たな世界へと向かいましょう」
「ベリト、もう止めてくれ。トルベンも、君の兄さんも〈黒鱗病〉に侵されているんだ! このままでは彼も命を失うことに…」
エゴンの言葉に、ベリトは嬉しそうに目を細めた。
「まぁ、兄さんも『祝福』されたのね! 良かった、兄さんにも解かって貰えて」
そう言葉を発するベリトの表情は、本当に嬉しそうだった。だが、その瞳にあるのは、紛れもない狂気だ。彼女はエゴンを見つめるが、エゴンを見てはいない。その先にある、別の何かを見つめながら、ベリトは言葉を紡ぐ。
「解かるわ、エゴン、貴方も『祝福』を授かっているわね。貴方から偉大なる御方の力を感じるわ…。ううん、それだけじゃない、貴方、そう貴方よ」
ベリトはそう言ってゆらりと玉座から立ち上がると、潤んだ瞳を俺に向けた。
「貴方からは、もっと強くお力を感じる…。ああ、そう、そうなのですね、貴方こそ私が待ち望んだ方…」
ベリトはそう言うと、その身を包んでいた衣を脱ぎ捨てた。深紅の体毛とは対照的な、真っ白な形の良い乳房が曝け出される。だが、それには目を向けることなく、俺の視線は『それ』を捉えた。
臍を中心とした部分に浮き上がる、漆黒の紋様。脈動の様に不気味な明滅を繰り返すそれは、俺の背に浮かぶ、呪いの紋様と瓜二つだった。
「あの紋、ヴァイナス様の背に浮かぶのと同じ…?」
ワルワラが、誰に言うとはなしに呟く。隣でインファンタが息を飲むのが分かった。どうやら、俺の受けた呪いは、皆のものより強いものだったようだ。
どうりで動悸が静まらないわけだ。俺の心臓は、ベリトの持つ紋様の明滅に合わせて鼓動を打つのが感じられる。元凶を何とかすれば、この呪いも解けるのだろうか。
「さぁ、此方へ。私と共に、偉大なる御方をこの地へと奉じ奉りましょう」
ベリトは恍惚とした表情で俺を見つめ、両手を差し上げる。熱く火照る肢体に浮かぶ汗が、紅潮した乳房の上を艶めかしく伝い落ちる。
瞳に浮かぶのは、本能のままに雄を求める情欲の光。だが、それは恋人であるエゴンにではなく、真っ直ぐに俺へと向けられていた。
そこには『愛』というものの片鱗は見ることができず、ただ惹かれるままに番を求める、獣の性しか感じられなかった。
俺はエゴンに視線を向けるが、エゴンは唇から血が出るほど噛み締めながら、ベリトを見つめている。ベリトはその視線に気づくことなく、艶めかしく吐息を漏らしながら、一心に俺を見つめていた。
ベリトの言葉を受け入れるつもりはないが、どうしたものかと考えていると、
「まったく、呪いで狂ったからって、恋人の前で他の男に色目を使うなんて。同じ女として恥ずかしいわ」
呆れた声を上げたのは、ヴィオーラだ。ベリトに見せつけるように俺の首へと手を回すと、頬にキスをし、そのまま刃のような鋭さで、ベリトへと視線を向ける。
「貴方がどういう結論を出しても、私の気持ちは変わりません」
ロゼはそう言うと、するりと俺の腕を取り、ヴィオーラ同様、ベリトに見せつけるように寄り添うと、腕を絡ませてきた。
「あの娘には悪いけど、私達を納得させないと、ヴァイナスには近づかせないわよ」
ジュネはそう言うと、ロゼとは反対の手を取り、自らの腰に絡ませ、寄り添う。
「ただでさえ此処に来て一人増えたっていうのに、更に寝取りなんてさせるわけ、ないでしょ!」
ブリスはそう言って俺に軽く口づけをすると、頭の上へと移動する。
『何にせよ、アレは無いわね。まぁ貴方が寝取るのが好きっていうなら、止めないけど』
『ヴァイナスなら倫理観を持って行動してくれると信じてる』
スマラとマグダレナは念話で話しかけてくる。てゆうか、流石にアレは無い。NTRなんて趣味じゃないし、そもそも瘴気のせいで正気を失っている女性を、好きにするなんて真似ができるはずもない。
俺の周囲を固める女性陣に対し、ベリトは首を傾げ、
「何故、そのような端女に慈悲を与えているのですか? 無駄なことに時を使うのは、貴方の慈愛に満ちた御心故にでしょうが、貴方のことを誰よりも理解し、恋い焦がれているのは私だということは、お解りでしょうに」
と言う。その言葉に女性陣の殺意が目に映るが如く噴き上がるが、俺が「落ち着け」と声を掛けると、取り敢えずベリトに向かって飛び込むようなことはなかった。
「エゴンさん、ベリトさんですけど、完全に正気を…」
「あのような姿は見たくなかった。私は無力だ。彼女に対して、俺ができることは…」
俺の問いに、エゴンは答えることなく肩を震わせ、只管ベリトを見つめ続けている。まるでそれが、彼女を正気に戻す唯一の方法であるかのように。
「さてどうするよ? ありゃ『お話合い』ができるようには見えねえぞ」
ゼファーが肩を竦めつつ、俺に確認する。おや、今回は嫉妬の炎が燃えていないのだろうか?
「うん? ああ、俺毛深いのはちょっと…」
「ほほう、それは俺に喧嘩を売っているってことだな? 今ならどんな喧嘩も買うぞ!」
「いやいや、そんなつもりじゃ…」
ゼファーが感想を漏らすと、余裕のないエゴンはいきなりゼファーへ噛みつき始めた。さっきまでの理知的な態度が微塵も残っていないな。これもある意味正気を失っていると言えるのだろうか。
「てゆうか、随分と余裕だよね? 何かいい方法あるの?」
キルシュが冷静に確認してくる。正直言ってあまり関わりたくないのが本音だったが、『偉大なる御方』とかいうやつが元凶なのだとしたら、そいつを倒せば呪いは解けるだろう。
ダメな時には、最悪ベリトの命を奪うことになるかもしれない。けど、放っておけば、ル=グルゥの街だけでなく、大陸全土が呪いによって被害を受ける可能性もあるのだ。放置はできなかった。
エゴンには悪いが、その時は甘んじて恨みは引き受けよう。殺されてやるつもりはないから、その時はエゴンの命も奪うことになるかもしれないけど…。
インファンタやトルベンにも、恨まれるだろうな。できれば、そういった後味の悪いことにはなって欲しくない。そのためにも、早いところ『元凶』に出てきてもらわないとな。
「それで、ベリトさん。偉大なる御方はいつ此処に来るんですか?」
「貴方と私が交われば、この胎に降臨りて来られます」
あ、ダメ元で聞いてみたら、ちゃんと答えてくれた。でも、
「いや、それ以外の方法では?」
この場で公開プレイは勘弁願いたい。可能であったとしても、エゴンからの報復は待ったなしである。俺は他の方法を尋ねる。
「儀式を行い、然るべき贄を捧げれば、この地に降臨されるでしょう」
ベリトはそう言って微笑んだ。だがその眼は俺と一つになることを疑っていない。成程、儀式と贄ね。
「贄、とは?」
「偉大なる御方の依代となる、真なる器です。器になれるのは、一握りの選ばれた存在。そのような者は此処にはおりません…」
ベリトはそう言って微笑んだ。そして一つになりましょう、と俺を誘う。その周囲には儀式であろう、不協和音の詠唱をする魔物達と、不可解な舞を舞う触手達。
俺はじっと自らの左手を見る。選ばれし存在、か。
試してみるか。
「器になれる存在なら、目の前にいるだろ?」
俺はベリトの目を見て、そう答えた。ベリトは意味が分からずに首を傾げる。
「俺が真なる器になろう」
俺がそう言うと、ベリトは目を見開き、周囲の者たちは騒めいた。
「何故? そんなことをしなくても、私と交われば良いのです。態々…」
ベリトは全く意味が分からないと首を振る。そして仲間たちには猛反対された。
「何馬鹿なことを言ってるの! あの売女と交わるなんて論外だけど、だからって貴方が犠牲になる必要なんてないでしょう!?」
売女って…。エゴンが泣きそうな顔をしているが、まぁあの様子を見れば言われても仕方がないな。
「そうです。何故ヴァイナスがリスクを負う必要があるんですか? そんなことをするよりも、儀式を阻止して元凶を断つ方が良いのでは?」
ロゼの言い分も尤もだ。でも、
「元凶を断つにも、ここで儀式を阻止したら、別の場所で再会されるかもしれない。それまで〈黒鱗病〉が続くのであれば、被害が広まるのは避けられない」
それならば直接対決した方が、俺としては納得できるし、エゴン達と余計なトラブルを起こさなくて済む。一番平和的な解決方法な気がするんだが。
「だからと言って…」
「俺の考えでは、あの呪いは与えられただけで、ベリトが正気ではないのも呪いの影響だと思う。俺が何とかできるのであれば、彼女も正気に戻るんじゃないかな?」
ベリトは『偉大なる御方』から直接呪いを得ているようだから、竜の血も意味がないだろうし。俺が今の呪いを得たのは、恐らくザフィリを倒したからだ。力を認められて、新たな呪いを得ることになったのだろう。
「それなら、あの娘を贄にすれば? 自業自得だし、喜ぶんじゃない?」
ジュネの提案に、エゴンが息を巻く。
「ベリトが呪いを受けているのは、本意である筈がない!」
「それを言ったら、ヴァイナスが本意なわけないでしょ!」
エゴンの反論に、ブリスが即座に言い返す。いやまぁ確かに本意ではないけど。正直言ってベリトが『偉大なる御方』に認められたのは、女性として子を成すことができるからだと思うからな。
大抵、こういう時に選ばれた女性は、神を孕んで産み落とす際、命を失うことになるのが定番だ。〈現地人〉であるベリトは蘇生できないし、俺なら最悪蘇生すれば良いか、と言うのも俺が贄を行う理由の一つなのだが。
まぁ、そのことをエゴン達に説明するのは面倒だし、ベリトと交渉するか。
「どうだい? 俺では贄には不足かい?」
「貴方と偉大なる御方が一つに…。そして私は、偉大なる御方と交わり、御子を産む…。ああ、なんて素晴らしいのでしょう! 分かりました。貴方を贄に致しましょう」
ベリトは感極まった表情で、宣言する。俺は頷くと、ゆっくりと祭壇へと近づいていく。
「ちょっと! ヴァイナス待ちなさい!」
「悪いけど、これが一番リスクが少ない方法だよ。皆、後は頼む」
ヴィオーラの制止を振り切り、俺は歩みを進めた。
「ああもう、結局自分で何とかしようとするんだもの! …止めても聞かないですし、好きにしてください!」
「まぁヴァイナスなら何とかするでしょ」
「そうね、ヴァイなら」
皆も口々に諦めともつかない肯定をしてくれた。ガデュス達からは信頼の視線しか返ってこないし、ゼファーは親指を立てて送り出してくれた。俺はインファンタへと視線を送る。彼女も頷き、そっと瞳を閉じると両手を組み、祈りを捧げ始めた。横にいるワルワラも、頷いている。
『全く、無茶をするわね』
『でも、この方がスマートだろ?』
『安易な自己犠牲と、自ら危機へと飛び込んでいく様は、物語の主人公みたいね』
スマラとマグダレナは、合一したまま俺と共に向かう。どんな結果になろうとも、最後まで付き合うつもりらしい。
俺は魔物や触手の間を抜け、祭壇へと辿り着いた。ベリトは興奮に火照る身体を自ら抱き締めながら、俺を見つめる。
「では、祭壇の上へと昇り、気を鎮めてください」
ベリトの言葉に従い、俺は祭壇へと昇ると、胡坐をかき、瞳を閉じた。周囲から聞こえる詠唱の質が変わる。それに伴い、祭壇を取り巻く瘴気の渦が、俺を包み込んだ。そして、
「イア! イア! 偉大なる御方、母なる森の深淵に微睡む玄の羚羊よ! 御身が姿を我が前に、我らに慈悲を、祝福を与え給え!」
ベリトの言葉と共に、俺の中に『闇』が凝縮するのを感じ、俺の意識は途絶えた。




