表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
96/118

94 〈現夢〉の迷宮で実地試験

 翌朝になり、準備を整えた俺達は、兵士の詰所に向かい、探索許可証を受け取ると、地下水路の入り口に向かった。

 街中には地下水路への入り口は無数にあり、小さなものは巡回する程度だが、人が通れるような大きな入り口には、全てに見張りが付いている。

 俺達は手分けして中に入ることにした。まずはゼファー達のパーティが入る。

「それじゃあ、行って来るぜ」

「ああ。気をつけてな」

 ゼファーはひらひらと手を振ると、普段と変わらぬ足取りで水路へと歩いて行く。

「頑張って、エメのこと、助けましょうね」

 ロゼはそう言って気合を入れると、ヴィオーラ達と頷き合って、ゼファーの後に続いた。ジュネ、ヴィオーラ、ブリス、キルシュもそれに続く。

「それでは、主殿、我らはここから」

 ガデュス達がそう言って示すのは、街の中でも特に大きな入り口だった。今回の探索において、最も人数の多いガデュスのパーティは、主水路となっている場所を中心に探索する予定だ。

 勿論、ダンジョン化している水路が、以前とは異なる構造になっていることは承知している。それでも、水路の大きさまで、大きく変わっているわけではないことを、俺とワルワラは、街への侵入時に確認していた。

「ああ。無理はするなよ」

「委細承知しております。吉報をお待ちください」

 ガデュスはそう言って最敬礼をすると、踵を返す。エウジェーニア達がそれに続く。今回の探索に当たり、閉所での戦闘や探索に長じたメンバーを新たに加えた、総勢15名が水路の闇へと姿を消す。

「それじゃ、次は俺達だな」

『そうね、頑張りましょう』

『早く解決して、エメを元気にしないとね』

 既に二人は合一装備となって、俺が身に着けている。この中にエメロードがいないことを寂しく思いつつ、その彼女を助けるために探索に挑むのだからと、気合を入れ直す。

 俺達が向かった場所、それはゼファー達が潜った入り口から少し離れた、ぽっかりと口を開けた水路は、俺達が街に入り込む時に使った入り口だ。

 ここから港の排水溝までは、探索が済んでいる分、探索が少なくて済むということで、俺はここから入ることにしたのだ。

「今日は朝から探索するのだな」

 俺を捉えた兵士が、許可証を確認しつつ呟いた。

「頼れる仲間も増えたし、無茶はしませんよ」

「ふん」

 肩を竦める俺に、兵士は許可証を突き返し、

「何かわかったら教えてくれ」

 と言って来たので、俺は受け取りつつ、

「はい。ですが、解決してしまっても構わないでしょう?」

 と言うと、兵士は呆れたように両手を広げて言う。

「はん、そうであればどれ程楽なことか。まぁ、それだけの気概がなければ、探索に挑むこともないか。…せいぜい、期待せずに待つことにしよう」

 彼なりのエールと受け取り、俺は頷くと水路へと足を踏み入れた。

 水路の湿った空気が頬を撫でる。水路の中は、先日通った時から変わった様子がない。

 どうやら、入る度に構造が変化する、ということはないようで安心する。俺は触手と戦った場所まで近づくと、不意を打たれないように警戒する。

 特に水面を注視したが、今のところ変化はない。俺はどの通路から探索をしようか思案するが、その前にやることがあった。

「…隠れてないで出て来いよ」

 俺は背後を見ることなく、声を掛けた。

 上手く気配を隠していたが、俺の感覚を誤魔化せる程じゃあない。やがて、観念したのか、背後に気配が生じた。

「どうして俺に付いて来た?」

「…申し訳ありません。どうしても、お役に立ちたくて」

 そう言って姿を現したのは、小柄なゴブリン、ワルワラだった。

「俺はガデュス達と共に探索するように指示したんだがな」

「お怒りが充分承知しています。けど、それでもあたいはヴァイナス様に付いていきたい」

 やれやれ、困ったな。

 俺はゆっくりと振り返ると、ワルワラはギュッと目を瞑り、肩を縮こませて震えている。だが、その手には長剣の柄を持ち、必死に震えを止めようとしていた。

「…怖いなら、戻ってエメの看病を頼む」

「こ、怖くはありません」

 それなら、何故震えている? そう問いかける前に、ワルワラは言葉を続ける。

「怖いのは、ヴァイナス様の傍に居れないことです。今回の探索、あたいはヴァイナス様に付いて行くことを許されました。それは、エメさんの呪いが解けるまで、探索は終わっていない、ってことです」

 ワルワラはそう言って目を開けた。そして真っ直ぐに俺を見る。

「あたいは決めたんです。ヴァイナス様と一緒に、この探索をやり遂げる、って。そして探索の役に立ちたい」

 そう言ったワルワラの震えは、既に止まっていた。目の前にいるのは、決意を秘めた瞳を燃やす、一人の〈探索者〉だった。


 …確かに認めた、からな。


 俺は小さく息を吐くと、

「付いて来るなら、謝るんじゃない。悪いことをしているわけじゃ、ないだろう」

「はい! 申し訳ありません」

 だから、謝るなと。ワルワラは、失言に気付いたのか、慌てて取り繕い、

「あ、すいません、じゃなくて、あ、ありがとうございます!」

 と言い直す。その顔が笑顔になるのを見、俺はこの小さな同行者と共に、探索を成功に導くことを心に誓った。

『貴方も甘ちゃんね。…それが良い所でもあるけど』

『私達も足を引っ張らないようにしないとね』

 スマラとマグダレナの念話には、言葉とは裏腹に、同行者に対する嬉しさを感じる。

 出発時から一人減り、だが、その一人を救うために、俺達は闇に包まれた、水路の迷宮へと挑むのだ。



 調べてみた結果、特に手がかりもない。仕方がないので、まずは手当たり次第に探索する。そう決めた俺達は、手近な水路から調べることにした。

 結局、貯水池に近づいても、触手は姿を現さなかった。どこかに行ってしまったのだろう。

「あの触手は何だったんでしょうね?」

「さぁな。あいつが何であれ、もう一度出会えば倒すだけだ」

 ワルワラの質問に、次こそは確実に倒すと気を引き締める。ワルワラは俺を先導するように、先を進む。いざとなればフォローするとして、まずはやれるところまでやらせてみよう。

 入り口から最も近い水路を進むと、十字路に出た。北側と東側から水が流れ込んでいる。

「どうします?」

「北に行ってみよう」

 因みに、特に理由はない。ワルワラは頷くと、北側に回るため、通路を渡るために架けられた石橋へと進む。

 と、突然ワルワラが背後へと飛び退いた。それと同時に背中の長剣を引き抜きざまに振るう。

 通路の側溝から飛び出したのは、体長2メートルほどの蛇だ。この街の水路は餌が豊富らしく、丸々と太った体躯からは想像もつかない程、機敏に飛び掛かって来た。

 だが、ワルワラは不意打ちを物ともせず、長剣は蛇の頭を跳ね飛ばした。頭を失った蛇の胴が苦し気にのたうつが、徐々に動きが鈍り、完全に動きを止めた。

 ワルワラは剣を構えたまま蛇を見ていたが、動きが止まったことを確認し、慎重に近づくと、長剣を突き立て、念を押して止めを刺す。

 ふむ、あの程度のモンスター相手は、特に問題ないな。流石にあの触手は荷が重いが、以前の地下水路に住み着くモンスターなら大丈夫だろう。小さく息をつくワルワラの肩を叩いて激励すると、俺達は先へと進んだ。



「何か音がしませんか?」

 ワルワラの言葉に俺は頷いた。確かに奥から何かの音が聞こえてくる。水の流れる音に混じって、腹に響くような震動と共に、音が聞こえてくる。

 慎重に足を踏み入れると、目に映ったのは上流から流れ落ちる滝のような汚水と、滝壺に当たる場所で鳴動する、巨大な渦巻だった。どうやら音の主はこの渦巻らしい。

「これ、何ですか?」

 ワルワラの声は周囲の轟音に呑まれ、辛うじて聞き取れたが、俺にも正体は分からない。だが、

「どういった機構か分からないけど、どうやら汚水を処理しているみたいだな。見ろ、渦巻の下流に流れていく水が、澄んでいるのが分かるだろう?」

 俺はワルワラの耳元に顔を近づけ、指で示して説明する。下流側には頑丈そうな格子があり、その間を水飛沫を上げて水が流れているが、その水は見て分かる程度に澄んでいた。

「この施設について、聞いたことはないか?」

「見たことはなかったですけど、聞いたことはあります」

 ワルワラも俺の耳に顔を近づけ、答える。彼女の吐息が耳に当たり、少しくすぐったい。内緒話をしているようで、少々童心に帰った感じがして、こそばゆかった。

「けど、ここを進むのは骨が折れそうだぞ」

 俺は流れ込む汚水と渦巻を見、通路などが見当たらないのを確認して、ため息をつく。【飛行】の魔法を使えば進めなくはないが、別の通路もあることだし、今は無理をして進むことはないだろう。

 俺は踵を返そうとした。その時、ワルワラの足元に忍び寄る、触手が視界の隅に入る。

 触手はワルワラを絡め取ろうと鎌首を擡げ、緩慢な動きから瞬時に距離を詰めて来た。


 くそっ、間に合わない!


 俺はワルワラを突き飛ばすように押し退けるが、代わりに触手に絡め取られてしまう。中途半端な体勢で踏ん張りが効かず、触手の力に抗うことができずに、引きずられた。

 抵抗しようと通路に爪を立てようとするが、濡れた石の通路では上手くいかず、あっという間に水際まで引き込まれてしまった。

「ヴァイナス様!」

 ワルワラが慌てて俺の右手を掴み、堪えようとするが、触手に対しては余りに非力だ。

「ワルワラ、離すんだ!」

「嫌です!」

 ワルワラの叫び声に、もう一度話すように伝えようした瞬間、俺達は水中へと引きずり込まれた。

 水面に近い場所は、渦巻が起こす水流が痛いくらいに身体を叩いたが、一定の層を抜けると、急に緩やかになった。俺はワルワラを離さないように右手でしっかりと彼女の手を握りながら、左手を短剣状に変化させ、足に絡みつく触手を切断する。

 さっき引きずり込まれる時に、こうして変化させて床に突き立てれば、引きずり込まれることもなかった気がする。やはり、咄嗟の時にはうまく使えないな…。

 特に抵抗を感じることなく、あっさりと切断した触手は、のたうちながら水面に向かって浮かんでいくと、渦巻に巻き込まれ姿を消した。

 俺は残った触手の主を探す。それは水底に存在した。

 ゆらゆらと蠢く触手の群れ。それらは根元で集約され、円筒形の胴へと繋がっている。

 触手の正体は、巨大な磯巾着のような魔物だった。

『〈魔巾着(メガ・アネモネアン)〉だわ! それにしても大きい…!』

 外から見た時もかなりの広さだったが、この汚水処理施設は深さも相当にあった。その水底に無数の〈魔巾着〉が蠢く様に、俺は背筋が寒くなる。あまり見ていて気持ちの良いものではなかった。

 こいつらが、汚水処理の役目の一端を担っているようだ。渦巻によって攪拌・分解された汚物を、〈魔巾着〉が摂取し、浄化しているのだろう。

 本来は、どちらかといえば大人しいはずの〈魔巾着〉も、地下水路がダンジョン化したことの影響なのか、動くものを積極的に捕食する魔物へと変化してしまったようだ。

 斬り飛ばされた触手は怯えるように引っ込んだが、代わりに他の触手が俺へと迫って来る。無数の触手が迫る様子に、ワルワラが慌てて水面へと向かおうと、俺の手を引きながら泳ごうとする。

 先程の手応えであれば、切り払うことは難しくなかったが、何しろ数が多い。ここで対応していたら、呼吸もできない。

 俺は魔法を使うことにする。動きを止めた俺に触手が殺到するが、一定の距離まで近づいた時、見えない壁に阻まれたように弾かれた。


 【障壁(フォース・シールド)】の魔法。


 14レベルのこの魔法は、術者を中心とした半径5メートルの空間に、淡い光を放つ壁を作り出す。今は水中にいるので、俺を中心に球状の壁を形成している。

 触手が近づこうとしては次々に弾かれることを確認し、今度は【呼吸】の魔法を俺とワルワラに使用する。そして必死に泳ごうともがいているワルワラを抱き寄せ、耳元で声を掛ける。

「落ち着け! 息ができるようにしたから」

 俺の言葉に、ワルワラは動きを止めると俺にしがみつき、壁を破ろうと周囲を蠢く触手を気味悪そうに眺める。

「このまま水面に出るぞ」

 俺の言葉に、ワルワラは頷きつつ両手でしっかりと俺にしがみつく。俺は【障壁】を操作し、水面へと向かっていく。ヒトがゆっくりと歩く程度の速さで、俺達は水面へと近づいていく。

 その間も触手は壁を取り囲んでいたが、俺が態と渦巻を通る様に進んで行くと、巻き込まれることを恐れたのか、触手は引っ込んで行った。轟音を立てて流れる渦巻の中でも壁は破られることなく、渦巻の周囲で悔しそうに蠢く触手を背に、俺達は水面へと到達した。

 水面へと出た所で、俺は【飛行】の魔法を使い、ワルワラを抱きかかえると水路の上流へと飛んだ。汚水の滝を超え、上流へと辿り着くと、汚水の噎せ返るような臭いが鼻を刺すが、触手に襲われ続けることに比べれば遥かにマシだ。

 整備用の足場らしき場所を見つけて降り立つと、ワルワラを降ろしてやる。

「ヴァイナス様、あの触手たちは何なんです?」

「〈魔巾着〉だよ。少し狂暴になっていたけど、基本は害の少ない魔物だね」

 俺はスマラの受け売りを説明してやる。それにしても、思いのほか魔法を使ってしまったな。こんなことなら、最初から【飛行】で飛んでおけば良かった。

「あの、ありがとうございました」

 ワルワラが俺を見上げ、申し訳なさそうに礼を言う。

「確かに、不意打ちは受けたけどね。あれは仕方がない。俺だって気付かなかったんだから」

 次からは水中からの気配にも注意しないとな。そう言うと、ワルワラはコクリと頷いた。

 さて、期せずして下水の上流に来てしまったわけだが、今更下流に戻る気もない。このまま進んで行こう。

 俺達は上流に向かって進んだ。下水を流れる汚水は上流に進むにつれて臭いがきつくなっていく。

「それにしても酷い臭いだな」

「そうですね。あたいも忘れかけていましたけど、以前はこんな臭いの中で生きていたんですよ」

『そんなに酷いの? 私は絶対に合一を解かないわよ』

 俺とワルワラの会話に、スマラが念話で念を押してくる。言われなくても分かってるよ。スマラはあれでいてかなりの綺麗好きだからな。マグダレナもそのつもりらしく、同意するような気配を感じた。

 まぁ良いけどな。今のところ合一を解かないといけない状況にはなっていないし、いざとなれば、たとえ汚水の中でも必要に応じて合一を解き、行動してくれるという信頼はある。

「ヴァイナス様、あれは…」

 ワルワラが小声で呟く。俺は頷きを返し、確認していることを伝える。俺達が進む通路の途中に、薄汚れた扉が見えてきたのだ。

 木製の扉のようで、下水路にあるためか、黴や汚れに塗れて元の色は分かりようもない状態だったが、造りそのものは頑丈なようで、腐りもせずに形を保っている。

 ワルワラは扉の前に立つと、まずは周囲の壁や床を調べ始めた。俺もそれとなく調べておく。どうやら、罠はないようだな。

 ワルワラも同じ結論に達したらしく、今度は扉の周囲を触れないように注意しながら、確認していく。

そして、慎重に扉へと近づくと、錆の浮いた鍵穴へ、開錠用のツールを滑り込ませた。この時、決して扉の正面には立たないようにする。扉自体が吹き飛んだり、鍵穴から毒矢が放たれたりすることへの用心だ。

 僅かな時間を掛け、カチリと音がすると、ワルワラはゆっくりと扉を開いていく。通路に対して内開きの扉は、軋る音を立てながら開いていく。

 今のは減点だな。錠が錆びていた時点で蝶番も錆びている可能性を考え、油をさして音が小さくなるようにすべきだった。

 思いの他大きく軋んだ扉に、ワルワラは一度小さく動きを止め、その後は一気に扉を開けた。同時に扉の先から死角になる位置へと身体を引き戻す。

 音がした後の行動は良い。すぐさま扉を開くことに行動を切り替え、その後の不意打ちに備える動きをした。通路の安全を確認した上での行動なので、特に悪い部分はなかった。

 強いて言えば俺に注意を喚起することが抜けているが、そこは俺への信頼だと受け取ろう。俺はワルワラと反対側の壁へと近づき、部屋の中に対応できるように構えを取る。

 幸い、魔物や罠による不意打ちはなかった。扉の先は暗闇に染まり、明りなどは見えない。ワルワラは手鏡を取り出すと、持ち手だけを扉の先に出し、確認を始める。

 《暗視》を持つ俺やワルワラは、鏡越しにも暗闇の中を見通すことができる。やがて確認を終えたのか、ワルワラは頷くと、ゆっくりと暗闇の中へと足を踏み入れていく。

 俺もワルワラの後に続いて扉の先へと進んだ。そこは小さな部屋になっており、厚く埃の積もった見た目から分からなかったが、降ろした踵から感じた木製の板の感触に、音を立てないよう、慎重に足を降ろした。

 ワルワラはまだその辺りが未熟だな。木板を踏んだ瞬間、微かに軋み音を立てたことに動きを止めると、そこからは慎重に足を運ぶ。

 部屋の奥には埃を被った荷物が置かれているのが見える。かつては倉庫だったのだろう。今は湿気と埃で見る影もなかったが。

「どうしましょう? 一応調べますか?」

「そうだな。呪いに関する手掛かりはありそうにないが、何か役に立つ物が見つかるかもしれない」

 俺の言葉に、ワルワラはゆっくりと奥へと進んで行く。まずはワルワラに探索してもらおうと、俺は少し離れて待機する。

 こうして実地でワルワラの仕事を見るのは初めてだからな。戦闘訓練はやっていても、ジュネに教わった『探索』技術を見る機会はなかったしな。

 今までのところ、大きなミスはない。とはいえ、俺だって実地で学んだこと以上は知らないし、正しいかどうかも知らないんだが。

 ワルワラは慎重に置かれているものに近づくと、直接触れることなく、まずは観察をしている。そして、気になるものを見つけたら、周囲を確認し、その後直接触れて調べるという行動を繰り返していく。

 基本の動きは俺と一緒だな。まぁ師匠(ジュネ)が一緒なので、自然とそうなるのだろうが。そうして調べていくうちに、ワルワラは古びた西洋行李(チェスト)を見つけると、嬉しそうにこちらを向いた。

 薄汚れたチェストには、頑丈そうな錠前が掛けられている。ポーチから開錠用の道具を取り出そうとするワルワラの足元から、ミシリと音がする。

 次の瞬間、ベキベキと音を立てて床が砕け、ワルワラは慌てて飛び退こうとするが、間に合わずに落下する。


 かに見えた。


 俺は左腕を変形させ、触手に変えると、ワルワラの手に絡みつかせ、支える。同時に【飛行】の魔法を唱え、二人分の重さに悲鳴を上げる床から浮き上がった。

 ワルワラは呆然と、自らの手を掴む触手と、眼下に空いた穴とを見比べている。俺はゆっくりとワルワラを引き上げると、そのまま横抱きにし、声を掛ける。

「目標に気を取られ過ぎだ。部屋に入った時に、足元の不安定さは分かっていたろう? 床が抜ける可能性を忘れたのが、ミスの原因だな」

 そう言ってニヤリと笑うと、ワルワラは恐縮して縮こまった。

「も、申し訳ありません」

「ま、悪くない動きだったよ。これから気を付けてやればいい」

「はい…」

 失敗が余程堪えたのか、顔を赤くして俯くワルワラを抱えたまま、俺はチェストの前へと移動する。ワルワラは開錠道具を落としてしまったので、代わりに俺が開けることにする。

「ワルワラ、俺の首に手を回して捕まってくれ」

「ふぇ?」

 俺の言葉を聞いていなかったのか、ワルワラは首を傾げる。

「このままじゃ両手が使えない。開錠するから、首に手を回して抱き着いてくれ」

「えぇ!? は、はい、わかりました」

 ワルワラは慌てて俺の首に手を回してしがみつく。それを確認し、触手を元に戻すと、俺は開錠道具を取り出し、錠前を外しにかかった。

 単純な造りの錠前だな。俺はカチャカチャと弄ると、あっさりと錠前を外す。中には宝石があしらわれたベルトや髪飾りといった宝飾品や、見事な仕立ての服などが収められていた。

 チェストが頑丈だったおかげか、保存状態も良い。俺は品物を手に取ると、〈全贈匣〉に放り込んだ。そして、飛行したまま入口へと戻る。

「さて、探索を続けようか」

 俺はしがみついたままのワルワラに声を掛ける。ワルワラは、最初反応しなかったが、俺が再度声を掛けると、慌てて床へと降り立った。

「ヴァイナス様、申し訳ありません。持ち物を幾つか落としちゃいました」

「探索をしていると、そういうこともある。予備は可能な限り用意しておくんだ。特に開錠道具なんかは自身の手に馴染んだものが必要だからな。常に予備を用意しておくこと」

 俺の言葉を、ワルワラは真摯な表情で頷きながら聞いている。俺は〈全贈匣〉があるので所持容量には余裕があるが、そういったものを持っていない場合、工夫して身に着ける必要があるからな。盗賊が小さなポケットが沢山ついた服や、隠しの中に道具を仕込むのには理由があるわけだ。

 この探索が終わったら、ワルワラにも〈盗賊〉向けの服を仕立ててやるか。

 改めて所持品を確認しているワルワラを見ながら、俺はこの後のことを考えていた。残念ながら、ワルワラの実地訓練は終わりだ。無理をさせるつもりもないし、エメロードのこともある。これ以上リスクを負ってまでやることはない。ここからは、俺の主導で探索を行おう。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ