76 〈幻夢(VR)〉で料理修行する
…誰?
振り返った所にいたのは、神薙の装束に身を包んだ、若い男だった。180を超える身長と、褐色の肌に金髪が、神薙の装束に驚くほど似合っていない。
「今回の〈稀人〉は剛毅だな。まあ俺としては助かるんだが」
俺のことを〈稀人〉と呼ぶってことは…。
「貴方が、この『世界』の管理者ですか?」
「ああ、そうだよ。俺の『世界』にようこそ。いや、こんなマイナーな『世界』にくる稀人がいるなんてな。あんたも運がない」
随分な言い様である。いきなり自分の『世界』をディスる奴がいるとは思わなかった。
「この『世界』を創ったのは貴方でしょうに」
「創ったからといって、別に誇るもんでもないよ。客観的に見て、世界観的にも違和感があるだろうし、もう少し考えりゃ良かったかなって後悔したし」
最初は面白いと思ったんだけどなぁ。男はそう言って頭を掻いた。なんというか、随分と砕けた印象の男だった。でもこの人も神様なんだろうな。
「それで、この世界における『試練』はどういったものなのでしょうか?」
「おっと、その前に自己紹介だ。俺はミカって呼ばれている」
ミカ、か。聞いたことのない名前だな。俺は頷いて、
「俺はヴァイナスと言います。この子はスマラで、こっちはエメロードとマグダレナです」
「ほっ、美人に囲まれて羨ましい限りだ。俺も美人に囲まれたい」
挨拶もそこそこに無遠慮に眺める男の視線から、スマラたちは隠れるように俺の背後へと回る。俺はため息をつくと、
「それで、『試練』はどういったもので?」
「おう、試練か。簡単なことだ。俺を満足させる料理を作ってくれ!」
…はい?
「今なんて…?」
「うん? 聞こえなかったか? 俺を満足させる料理を作ってくれ!」
どうやら聞き間違いじゃないらしい。この男は、俺に料理を作らせたいらしい。それも満足させる料理ときたもんだ。
「俺、探索者であって料理人じゃないんですが…」
「別に探索者が料理しちゃいけないって決まりはないだろ? この『世界』に来た者は、須らく料理で俺を満足させなければ、次の試練に進むことなんてできやしない。満足させるか、諦めるかだ」
男は笑顔でそう言い切った。まったく、開発者は何を考えているんだか…。
コンビニやスーパーの総菜コーナーの充実や通販、宅配サービスの普及拡大、それに高齢者の増加や少子化、独り暮らしの割合増加と相まって、家庭で料理がされなくなれつつあるのが現実世界の現状だ。
家にあるのはレンジと電子ケトルだけ。IHのコンロなんて必要ない。そんな昨今、料理ができる人間は職業料理人か、趣味で料理をする者が殆どだ。
小中学校ですら、家庭科の授業で教えるのはレンジの使い方とカップラーメンの作り方だっていうんだから、辛うじて親が食事を作ってくれていた世代である俺には何とかなるが、若い世代のプレイヤーに、料理をしろと言ってできるものじゃなかった。
尤も、これは日本における環境が特殊なだけで、海外では普通に料理をしているし、日本だって田舎に行けば、自炊が当たり前である。
だが、オーラムハロム(VRMMO)を遊ぶ世代の中心年齢、それも日本人のプレイヤーに関しては酷なイベントであると言えた。
スキルやアーツで何とかなるものじゃないからなぁ。
ゲームによっては用意されているであろう、料理スキルや関連したアーツなどはオーラムハロムにはない。
この辺りは開発者の興味が薄かったか、探索や戦闘といった部分に力を入れたのかは分からないが、少なくとも俺にとっては救いがあったといえる。
これが「作曲しろ」とか「彫刻を刻め」とかだったら、完全に詰んでいた。俺、芸術系はサッパリなんだよな…。まぁ、この世界の優秀な能力があれば、技術を学びさえすれば、何とかなりそうな気もしてしまうのだが。
「それで、どうやって料理を用意すれば?」
「そうだな、料理ができたらここに持って来てくれ」
俺の問いに、ミカは結論だけを言う。
「いや、まずどこで料理をすれば良いか…」
「それじゃ、楽しみにしてるぜ」
ミカはそう言って、光に包まれると、その場から消え去った。
「…」
俺は暫し呆然とする。ミカのやつ、自由過ぎだろ!
思わずツッコミを入れそうになるが、何とか堪えると、ため息をつく。さて、どうしたものか…。
この『世界』で行動できる範囲、その中で考えた場合、取れる行動は殆ど選択肢がない。
頼んでみるしかないよな…。
「それで、どうするの?」
スマラの問いに、俺は頭を掻きつつ、
「まあ、やるしかないんだが。取り敢えずさっきの食堂に戻ってお願いするかな」
と言う。スマラは首を傾げつつ、
「何を?」
と問うので、俺は笑みを浮かべつつ言った。
「料理を教えてください、ってね」
その後、行動できる範囲の確認を終えた俺達は、5時を過ぎ、夕刻となったので、食堂へと戻った。
裏口を抜け、食堂へと入ると、
そこは、戦場だった。
「中華丼と生姜焼き、ハンバーグ!」
「餃子とレバニラ、フライ定食あがり!」
食堂から声を張り上げる女将さんに、調理の手を止めることなく、出来上がった料理をカウンターに並べていく店主。食堂から聞こえる喧騒は、この店が書き入れ時であることを教えてくれる。
「おう、戻ったか! もう少しで落ち着くから、適当に待っててくれ」
見事な手際で複数の料理を仕上げつつ、店主は俺達に向かってそう言った。その動きは機械のように無駄がなく、俺達は邪魔をしないように隅に固まってただ見ているしかなかった。
「すごい…」
「格好いいね」
エメロードとマグダレナも感嘆の声を上げる。磨き上げられた技術は、それだけで一種の芸術と言える。
店主はそのまま、流れるように調理を熟し、女将は出来上がった料理を次々と客席へと提供していく。
それにしても、店内は物凄い盛況ぶりだ。決して広くない店内は満席で、開け放たれたままの入り口( 俺には真っ暗な闇にしか見えないのだが )からは、時折暖簾越しに店内の様子を伺う、空き待ちの客がチラホラと顔を覗かせていた。
客たちも弁えているので、食事を終えた者はその場に料金を置き、「ごちそうさん!」の言葉と共にさっさと出ていく。
女将さんは慣れた手つきで代金を回収、そのまま食器を片付け、手早くテーブルを布巾で拭くと、
「どうぞ!」
と声を掛ける。すると、次のお客が席に着き、早速注文をしていた。女将さんはメモも取らずに確認すると、厨房に食器を下げながら店主に注文を伝える。
店主は料理を出しつつ、復唱して調理に取り掛かる。この繰り返しだ。いやはや、見事な手際だ。
注文は店員がハンディモニタで打ち込み、データをキッチンに送る。もしくは備え付けのタッチパネルを客が操作して注文をするのが当たり前の、日本のレストランの風景を見慣れている俺には、目の前の光景は、日本なのにオーラムハロムの食堂が重なって見えた。
日本でもこういった店はあるんだなぁ。そんな感想を持ちつつ、店を切り盛りする二人の仕事ぶりを鑑賞させてもらった。
客足が緩やかになり、漸く店内が落ち着いて来たのは、備え付けの時計が午後9時を回ってからだった。その間、休みなく働いていた二人に、
「お疲れさまでした」
と声を掛けた。店主は調理に使った鍋を洗いながら、
「おう、済まなかったな。待たせちまって」
と頭を下げる。俺は首を振り、
「とんでもない。職人の仕事ぶり、興味深く見させてもらいました。失礼とは思いますが、楽しく拝見させて頂きましたよ」
俺の言葉に、スマラ達も頷いている。彼女たちには【翻訳】の魔法を掛けている。俺達が話す日本語も理解していた。
「それじゃあ早速調理するとするか」
「え? これからですか?」
「当然だ。お前さんたちを待たせていたのは、そのためなんだからな」
そういって笑う店主に、俺は恐縮しつつ、
「あれだけの繁盛では、食材も残っていないのでは?」
と聞いてみる。すると店主は笑い、
「確かに、切らした食材もある。だが、あの程度で料理ができなくなるようじゃ、飯屋なんてできないぞ」
そう言うと、早速コンロの火を入れる。そして、
「ばいなすさんよ、あんた等食べられない食材ってあるのかい?」
「特にはないですね」
「そうかい。いや、外人さんは宗教上の理由とかで、禁忌になる食材もあるからよ。さっきの料理の時にも聞きゃあ良かったんだが、つい忘れててな。不味かったかと思ってよ」
店主の言葉に俺は頷いた。確かに牛肉や豚肉、中には肉全般を食べない菜食主義者もいるのだから、料理を提供する側としては、気にすることなのだろう。特に外国人は分からずに注文してしまう時も多いだろうし。
「それなら、ウチの看板メニューを用意するぜ。もうちょい待っててくれ」
店主はそう言って調理を始めた。取り出したのは、見事な厚さの肉だ。色味と脂身のさし具合から、恐らく豚ロースだと思われる肉に、手早く小麦粉と卵、パン粉を塗して熱した油で揚げていく。これは…!
「おう、当店自慢の極厚トンカツだ。だがそれだけじゃないぜ」
店主はそう言うと、奥にある火に掛けっ放しの鍋に近づき、
「カレーとハヤシ、どっちが良い?」
と聞いて来た。なんと、カツカレー( カツハヤシ )とな!? その発想はなかった! 俺がどちらにするか悩んでいると、
「カレー? ハヤシ?」
エメロードが首を傾げた。マグダレナも、
「カレーはヴァイナスが作ってくれたから分かるけど、ハヤシって何?」
と聞いてくる。俺は頷いて、
「説明するより、食べてみた方が早いな。すいません、どっちもお願いしていいですか? カレーとハヤシを半々で」
「ほほう、相掛けとは通だな。お前さん、外人なのに良く知ってるな」
「こんな格好ですが、俺は日本人ですよ。彼女たちは違いますが」
俺の答えに、店主は目を丸くして、
「そうか、そりゃ失礼した。ばいなすさんは帰化人かい? それともハーフ?」
「僕自身は日本生まれの日本育ちですし、両親も大和民族でしたね。この姿は…まぁファッションみたいなものです」
「そうかい、まぁ形は関係ないな。それじゃあ相掛けで4人前だな」
「お願いします。あ、トッピングにチーズとかできますか?」
俺の注文に、店主は可笑しそうに笑い、
「贅沢だな! 良いぜ、任せときな!」
と言って腕まくりをした。俺達は客席へと向かい、厨房から漂う香りに耐えながら、料理の完成を今か今かと待ち望む。
「貴方が作ったカレーとは、違った香りがするわね」
「うん、多分、欧風のカレーなんじゃないかな? 辛さはマイルドで、コクがある。洋食屋のカレーだな」
ハヤシライスもあるし、洋食も出しているようだが、昼に食べた中華も美味しかった。ここの店主は何者なんだろう? 定食屋にしては、レパートリーが多い気がした。
そんなことを考えながら待っていると、いよいよ料理が完成したらしい。店主と女将さんが、トレイに料理を乗せて運んできてくれた。皿から立ち昇る湯気と香りに、昼から何も食べていない胃が刺激された。
「そら、相掛けカツハヤシカレーだ。ルゥは追加をポットに用意したから、好きな風に掛けてくれ」
「おお…!」
極厚のカツの上に、ふんだんに掛けられたハヤシとカレーのルゥが見事なコントラストを描いている。トッピングに掛けられた、溶けたチーズの黄色も素晴らしい。箸休めの福神漬けとラッキョウも、専用の容器に入っているのが嬉しかった。
「「「頂きます!」」」
俺達は挨拶もそこそこにスプーンを取ると、早速食べ始めた。
俺はスプーンを使ってカツを掬い上げた。切り口からは肉汁が溢れ、掛けられたカレーとチーズの香りと混じり合い、鼻孔を擽った。俺は喉を鳴らして齧り付く。
噛んだ途端、口の中に肉汁が溢れる。カレーのスパイシーな辛さとチーズの酸味が混じり合い、頬が落ちそうになる。
肉も厚さに反して柔らかく、抵抗なく嚙み切ることができた。衣もサクサクとしていて、噛むたびに幸せな気持ちになった。
次はハヤシの掛かったカツを食べる。こちらはデミグラスソースのコクのある濃厚な味わいに肉汁が混じり合い、豊かなハーモニーを奏でていた。
続いて、ライスと共に頂く。硬めに炊かれた米は俺好みで、米の甘みが加わり、スプーンが止まらなくなった。
スマラ達も話すこともなく、ひたすらにスプーンを進めている。みるみるうちに皿が空になり、俺はご飯のお代わりをお願いする。体格の小さいスマラですら、普段ならしないお代わりをしていた。
満足するまでカレーとハヤシを堪能した俺達は、膨らんだ腹を摩りながら、食後の余韻に浸っていた。
「いや、良く食ったもんだ。嬢ちゃんたちも気に入ってくれたようで何よりだよ」
「本当に美味しかったです。ありがとうございました」
食後に出されたお茶を飲みながら、そう言って笑い掛ける店主に、俺達は頭を下げる。
「お粗末さん。まぁ料金分の仕事をするのが、一端の料理人だからな。残さず食ってくれたのが、何よりの礼になる」
店主はそう言って笑っている。女将さんも隣でニコニコしていた。
「さて、今日は店じまいにするんだが、お前さんたち、宿はどこなんだ?」
「それなんですが、折り入ってお願いしたいことがあります」
店主の問いに、俺は居住まいを正すと、真っ直ぐに店主を見つめ、切り出した。
「不躾なうえ、突然のことで戸惑われるかと思いますが、お願いします。俺に料理を教えてください!」
俺はそう言って頭を下げた。店主は目を丸くして言葉を無くす。
「俺、ある人に料理を作らないといけないんです。その人が満足する料理を作らないと、国に帰ることができません。今日頂いた料理で、店主さんの料理の腕にとても感銘を受けました。お願いします、俺に料理を教えてください!」
頭を下げたまま、俺は言葉を続けた。
「いきなりだなぁ、おい。突然そんなことを言われて、はいそうですか、とは言えんぞ?」
「分かっています。店主さんの仕事の邪魔はしません。お時間のある時で構いませんから、教えて頂きたいのです」
「…その料理を作る相手ってのは、どんな人なんだ?」
「…実は良く分かりません」
我ながら、突拍子もないことを言っているな、と自覚する。こんな話を聞いて、引き受けてくれるとは思わないが、俺としては、ここしか縋るところがなかった。
勿論、今の俺が作る料理でミカが満足してくれればいい。だが、これは『試練』だ。この世界でできることをやってからでないと、試練をクリアすることはできないに違いない。
この店に最初に通されたのには意味があるはず。俺は難しいことは考えずに、直球でぶつかることにしたのだ。
どうせ、考えたって分かるわけがない。下手な考え休むに似たり。ここは勢いで押してやる!
「…客として来たのかと思えば、今度は料理を教えてくれとは。何だか狐に抓まれたような気分だな」
店主は呆れた声を上げる。俺は頭を下げたまま、店主の答えを待つ。
「私たちからもお願いします!」
「お願いします!」
「教えてください!」
スマラ達も次々に頭を下げ、店主にお願いする。
「おいおい…」
店主は困惑気味に女将と顔を合わせる。女将も困ったような笑みを浮かべた。だが、
「ねぇあんた、面倒見てあげたら?」
「お前…」
「どうやら、ばいなすさん達困っているみたいよ。あんたにできることを頼ってきてるんだから、助けてあげられないかしら?」
「とは言ってもなぁ…」
女将さんの言葉に、店主はわしわしと頭を掻き、
「…お前たち、何でもするか?」
「! はい、俺達にできることなら、何でもやらせて頂きます!」
店主の問いに、俺は顔を上げ、即座に答えた。
「言っとくが、俺の教え方は厳しいぞ? 何より教えることが下手糞だ。見て盗め」
「はい!」
「ウチの店は毎週火曜の定休日以外、休みなしだ。仕込みや仕入れもある。朝は5時起き、夜は12時まで仕事だぞ。それを手伝えるか?」
「否や応もありません」
「嬢ちゃんたちには、店内のほうも手伝ってもらうぞ」
「「「頑張ります!」」」
スマラ達も顔を上げ、即答する。
店主は唸り声を上げると、わしゃわしゃと頭を掻き、
「分かった、明日から雇ってやる! ダメだと思ったら、即座に放り出すからな、覚悟しろ!」
「「「はい! 宜しくお願いします!」」」
怒鳴るように発せられた店主の言葉に、俺達は返事をし、頭を下げる。
「あらあら、明日からは楽しくなりそうね」
店主の横では、女将さんがコロコロと笑っている。
さあ、明日からは、料理修行だ!
 




