61 〈幻夢(VR)〉の帝都で愛を叫ぶ
「いやー、負けた負けた。ヴィオーラさん、半端ないわ」
試合を終え、皆と合流した俺は、酒場で食事を取りながら待っていた、ゼファーのそんな言葉に迎えられた。
ゼファーの準々決勝の対戦相手はなんとヴィオーラだった。グリフォンに跨り、空中から、急降下しながら繰り出される槍の攻撃に、成す術もなく敗れたとのことだった。
「空を飛べない身としては、どうにもならなかったよ。せめて飛び道具があれば一矢報いることもできたんだが…。やっぱカタナだけじゃ駄目だな。弓も練習しよう」
敗れたゼファーも、思うところがあったらしい。その瞳には、言葉とは裏腹に真剣な光が宿っている。負けて悔しくないはずがなかった。だが、この調子なら心配もいらなそうだ。
「地上で正面からだったら、ゼファーが勝ってたわ! 気にすることないわよ!」
キルシュはそう言って慰めている。俺も運ばれて来た酒で舌を湿らせつつ、
「それにしても、ヴィオの奴も容赦がないな。空から徹底して攻撃か…」
と言うと、
「当然でしょう? 相手が空も飛べない、飛び道具もない、となれば私ならひたすら弓で攻撃するわ。まだ槍で近づいて来るだけ慈悲があると思うわよ」
と、ジュネの感想は容赦がない。ロゼも追い打ちをかける。
「だから、あれほど弓の練習をしなさいと言ったでしょう? 近接バカはこの先生きていけないわよ」
「バカとはなんだバカとは! ローズマリーだって近接だけじゃないか!」
「私には魔法があるわ。それに私、弓も使えるもの」
ロゼの台詞に俺は興味を惹かれる。ロゼが弓を使っているところは見たことがなかった。
「ロゼは弓も使えるのか?」
「ええ。ソロ時代に少し教わったわ。使う機会はなかったけど…」
ロゼはそう言って言葉を濁した。確かに奴隷の立場じゃ弓なんて使う機会はなかっただろう。俺はそっとロゼの手を握る。ロゼは俺を見つめると、微笑んだ。俺の気持ちが伝わったのか、手を握り返してきた。
『ヴィオはとても強くなってた。ヴァイナスでも勝てるか分からない』
リィアはそう感想を漏らす。リィアの目から見ても、ヴィオーラは強くなっているのか。どれだけの試練を超えてきたのか…。俺が心の中で気を引き締め直していると、話題は俺の試合に移っている。
「それにしても、ヴァイナスの対戦相手は酷かったわね。観客を巻き込んでの攻撃はルール違反なのに、客席に向かってブレスを放つなんて」
『あれには驚いた。ヴァイナスなら何とかすると思ってたけど』
ジュネはあの男の行動に対し、随分とご立腹だ。俺も一歩間違えば皆を巻き込んだ可能性もあったので、あまり大きな顔はできなかった。
「【分解】の魔法が、ブレスの瘴気と合わさって威力が増した時にはどうなることかと思いましたよ。もっとも、ああでもしなければ、私たちは皆瘴気によって少なからず被害を受けていたとは思いますけどね」
テフヌトの言葉に皆が頷いていた。ロゼは俺の手を強く握り、
「ですから、ヴァイナスは気にすることはありませんよ。私たちを守ってくれたことを、感謝していますから」
と言って微笑む。皆も微笑んでくれた。俺は頷くと、皆に感謝を込めて頭を下げた。
「とはいえ、確かに行動は馬鹿だったが、あいつの強さは結構なものだったろう? ボーンドラゴンを使役するなんて、普通じゃできないぜ」
「あの男は〈勇士〉だったわ。〈魔導士〉ならば〈使役魔〉として従えることもできるけど、あれほど強力な魔物は、相当な実力がないと無理ね」
ゼファーの言葉に、ブリスが見解を述べた。テフヌトも頷いている。
「騎獣として購入したということはないのか?」
「戦闘用の騎獣として購入できるのは、軍馬や戦象といった動物が大半で、〈翼竜〉が稀に取引されるくらいよ。〈骸骨竜〉なんて存在、普通は騎獣にできるものじゃないわ」
俺の問いに、ブリスはそう説明してくれた。俺は頷くと、料理に手を伸ばす。そして、
「あいつは悪魔崇拝者とつるんでいたからな。そのルートでイベントを熟して手に入れたのかもしれない」
と言うと、皆驚きの表情を浮かべた。
「ヴァイ、貴方あの男を知ってたの?」
ブリスの問いに、俺は頷き、
「ゼファーと初めて会った時に乗っていた、奴隷船で漕ぎ手をやらされるきっかけを作ったのは、あの男なんだ」
と言う。そして、あの時の経緯を簡単に話した。ゼファーは頷いて、
「なるほどな。経緯は聞いていたが、まさかこんなところで再会することになるとは…」
「帝都の闘技大会は、オーラムハロムで最大規模のイベントだろう。戦闘思考のプレイヤーなら皆参加するだろうから、可能性としてはゼロじゃないだろうさ」
「それでも、あいつは南大陸で活動していたんだろう? わざわざ海を越えて闘技大会に来るのは、かなり骨が折れると思うがね」
「それだけ参加したかった、ってことでしょう?」
首を傾げるゼファーに、ロゼが言葉を返す。まぁ、あの男なりにこの世界を楽しんでいるのは間違いない。あれだけの強さを身に着けるには、かなり積極的にクエストやイベントを熟していかなければ無理なことは、俺自身の経験で実感している。
ゴルガスたちも、あの男も、彼らなりのやり方で、オーラムハロムを生きているのは理解していた。共感はできないが。
「ああいう、アウトサイダーというか、アウトローというか、アストレイな感じのイベントやクエストも結構あるんだろうな」
「むしろ、そう言ったイベントのほうが多い気もするけどね。奴隷にされたり、闘奴にされたり、犯罪者にされたり」
なんだか、言ってて悲しくなってきた。偶然とはいえ、あれだけ扱いが底辺の強制イベントが続くと、運営のバランス感覚を疑いたくなってくる。
「それでも、私は良かったと思ってる。だってヴァイナスに出会えたんだもの」
ロゼはそう言って、嬉しそうに腕を絡めてくる。唐突な言葉に驚いて横を見ると、ロゼは気が付けば、結構な酒を消費していた。褐色の肌が、酒気を帯びて赤く染まっている。
『私も、ヴァイナスと会えて良かった』
リィアは負けじと、俺の膝の上に座り、身体を預けてくる。
「私たちも、会えて良かったと思ってる!」
「この運命的な出会いを、神に感謝ってね」
ジュネやマグダレナの言葉に、俺は嬉しくなって笑顔を返す。確かに、皆との出会いは、オーラムハロムで何にも代えがたいものだ。苦労したイベントの報酬としては、充分に満足している。
「ああ、俺にも早く運命の出会いは来ないだろうか」
「何言ってるの? もうわたしと運命の出会いをしてるじゃない!」
ゼファーの言葉に、すかさずキルシュは絡んでいく。もはや定番となった二人のやりとりに、皆が笑っていた。
その後は皆と賑やかに食事を終えた俺たちは、船へと戻り、〈妖精郷〉で休むのだった。
〈妖精郷〉で英気を養った俺は、準決勝に出場するため、皆と共に闘技場へと向かっていた。試合も残すところあと2試合。今日勝てばいよいよ決勝戦だ。ここまで来たら、優勝を狙って頑張るだけだ。皆も俺の優勝を信じて、上限まで俺の優勝に賭けているようだ。もっとも、リィアだけはヴィオーラにも賭けているみたいだが。
…俺もヴィオーラの優勝に賭けておこうかな。ふと心の中を過ぎった誘惑を、慌てて振り払う。そんな弱気じゃ、勝てるものも勝てなくなってしまう。今日の対戦相手を含め、準決勝でヴィオーラと当たる確率は1/3。さて、どうなることやら…。
ゼファー達はイーマンの待つ観戦席へ、俺とマグダレナ、スマラは控室へと向かう。ここまで来ると、控室の豪華さは高級ホテルのスイートを思わせるまでになっている。トレーニングスペースにはアル=アシの闘場にもあった訓練施設が設置され、風呂やベッドも完備。希望すれば試合後のマッサージまで行ってくれるらしい。
聞けば、闘技場の上級闘士が普段利用しているそうで、ズォン=カの闘士も勝ち上がれば、〈異邦人〉にとって( 勿論、〈現地人〉にとっても )ハイリスク・ハイリターンで富と栄誉が得られる、花形イベントの一つなんだろうな。
特に〈異邦人〉は『蘇生』がある分、積極的に闘えるだろうし、俺も機会があれば闘士として闘ってみるかな。
俺の試合は準決勝第二試合。第一試合が終わるまでしばらく時間がある。俺は試合前のストレッチやアップのための素振りや型のなぞりなどを行っていたが、不意に鳴り響く鐘の音に驚いた。
それは試合の準備を告げる鐘。もう第一試合が終わったのか!? 余りの早さにマグダレナと目を合わせるが、考えていても仕方がない。俺は頷くと、装備を確認し、会場へと向かう。マグダレナも人化を解き、俺はマグダレナに跨ると、ゲートへと向かった。
会場からは歓声が途切れることなく聞こえてくる。俺が姿を現すと、歓声はより一層大きくなった。さて対戦者は…?
俺は、対戦者がいるであろう位置に視線を向ける。そこには微笑みを浮かべ、優雅に羽搏くグリフォンに騎した美女が、俺を見下ろしていた。
ヴィオーラ…!
『ここでヴィオーラか~』
スマラが気の抜けるような心話で話しかけてきた。
『まぁ今日か明日には闘うことになるんだ。覚悟はできてるよ』
『頑張ってね。約束通り手は出さないわ』
『ああ』
スマラと心話のやり取りを終え、俺は両手に武器を構えた。ヴィオーラも槍を構え、盾を翳す。
「マグ、【飛行】は任せた」
「分かった。【倍化】は?」
「頼む。俺は【魔刃】【金剛】で行く。初手の状況によっては【瞬移】で対応するよ」
「正面から闘うのね? 望むところ!」
俺の言葉に、マグダレナは闘志を燃やす。今回は搦め手はなしだ。堂々と闘う!
俺の気合に気付いているのかいないのか、ヴィオーラは上空で静かに目を閉じていた。俺たちは互いに、開始の鐘が鳴るのを待つ。
そして、その時が来た。
開始の鐘が鳴ると同時に、ヴィオーラは目を見開き、一直線に俺たちに向かって宙を駆け降りてくる。その動きに一切の迷いはなかった。その勢いに、俺は唱える魔法を変えようとする。しかし、マグダレナは【飛行】の魔法を唱え終えた途端、大地を蹴り、ヴィオーラたちに向かって飛び込んでいく。その心意気に、俺は予定通り【魔刃】の魔法を唱えた。マグダレナの双角と、両手の剣に魔法の光が宿る。
ヴィオーラが繰り出した槍での一撃に、俺は〈西方の焔〉を叩きつける。激しい火花が散り、ぶつかり合った武器が、共に大きく弾かれた。衝突を避けるため、マグダレナとグリフォンは、互いに身体を傾けて交差する。その際、マグダレナの角と、グリフィンの嘴が、互いを狙いぶつかり合う。
二頭の幻想種のぶつかり合いもまた、互角であった。互いに首を仰け反らせつつも、体勢を整え、向かい合った。
開始早々のぶつかり合いに、観客たちの歓声が大きくなる。そこで初めてヴィオーラが口を開いた。
「久しぶりねヴァイナス。あれだけ心配させておいて、これはどういうことなのかしら?」
「心配を掛けたのは謝るさ。でも仕方なったんだぜ。説明すると長くなるけど」
「そうね、確かに大変そうね。美人に囲まれて闘技大会を楽しんでいるんだから」
そう言って微笑むヴィオーラの目は、全く笑っていなかった。こりゃ完全に怒ってるな…。
いくら説明をしても、言い訳にしか聞こえなそうだ。俺は小さくため息をつくと、改めて剣を構え、
「どうやら、話を聞いてもらえそうにないな。試合が終わったら、改めて話すよ」
と言うと、ヴィオーラは不敵に笑い、
「あら、終わった後で話せるのかしら? 負けて悔しくて、私に顔なんて見せられなくなるわよ」
と言う。俺は肩を竦めると、
「どうかな? 負けた泣き顔を見ることになるのは、俺のほうかもしれないぜ」
と言った。ヴィオーラは槍を大きく振ると、
「これ以上は話しても無駄のようね。御託はいいから、話がしたかったら、私に勝つことね!」
と言い放つや否や、俺たちに向かって突撃してきた。その鋭さは、流石グリフィンだ。空では俺たちに比べて一日の長がある。
俺は【瞬移】の魔法を唱え、ヴィオーラたちの背後に転移する。マグダレナの【倍化】によって増加された体力を使い、強烈な一撃を繰り出す。
当たれば只では済まない斬撃を、ヴィオーラは突撃の勢いのまま急降下し、俺の斬撃から身を躱す。俺の【瞬移】は初見のはず。躱されるとはおもっていなかったので、驚愕し、追撃の機会を逸してしまった。
「迷いのない攻撃、本気だな」
「当然でしょ。貴方に手加減して勝てるわけないもの。それに、戦神ヌトスは全力で相手に当たることを、教義の第一とするわ。獅子は兎を狩るにも全力を尽くす。教えにある通りにね」
そう言ってヴィオーラは微笑んだ。なるほど、ヌトス信者のヴィオーラらしい。こりゃ手加減して勝てるとは思えんな…。
「了解だ。それならば俺も全力を尽くそう」
「あら、まだ全力じゃなかったの? それなら、お手並み拝見と行きましょう!」
「マグ、次は【神速】だ」
「うん」
俺はマグダレナに次の魔法を指示すると、【金剛】の魔法を唱え、ヴィオーラの次の攻撃に備えた。
ヴィオーラは槍を構えたまま、何かを唱えている。同時に盾を背に回し、何故か鎧の留め金を外し始めた。
〈戦士〉のヴィオーラが魔法を? それに鎧を外す?
俺の疑問に答えるかのように、ヴィオーラの姿に変化が現れた。ヴィオーラの周囲が光りに包まれている。ヴィオーラの詠唱が進むにつれ、その光は輝きを増していく。その間にも鎧は外され、地上へと投げ捨てられていく。
脱ぎ捨てられた胸甲が、手甲が、足甲が甲高い音を響かせる中、更に光は強さを増す。それと共に、徐々に露わになるヴィオーラの素肌に、思わず目を瞠った。
ヴィオーラの白い肌に、不思議な紋様が描かれていた。その、素肌に刻まれた紋様が、詠唱に合わせて発光している。そして、その光はヴィオーラの表面を覆うように展開していく。
仕上げとばかりにヴィオーラが槍を天高く掲げると、一瞬、強烈な光が周囲を白く染めた。
光が収まると、ヴィオーラの姿は一変していた。その体は光り輝く鎧に包まれ、槍と盾を構えた姿は、さながら神話に登場する戦乙女のようだった。
ヴィオーラは槍を一振りすると、高らかと宣言する。
「勇壮なる戦神ヌトスよ、照覧あれ! 我が槍は御身に捧げられ、御身の加護は我を護る鉄壁となる! 我に勝利を!」
ヴィオーラの口上が終わった瞬間、グリフォンは先ほどまでとは明らかに異なる速度で、俺たちに向かって飛翔する。
速い!
マグダレナの【神速】が発動し、俺の【金剛】が俺たちの身体を包んだ瞬間、矢のような速さで繰り出されたヴィオーラの槍が、目の前に迫っていた。
俺は〈西方の焔〉を胸元に引き寄せると、槍に添うように刃を当てる。激しい火花が散り、剣を持つ手に強烈な衝撃が加わるが、角度を調整し、背後へと受け流すように槍の進む方向を変えた。マグダレナはそれを受けて、態とグリフォンのいる方向へと身体を差し込んだ。
ガヅン、と音が鳴り、俺たちは背後へと大きく弾かれた。空中では勢いを殺しきれず、石畳を陥没させながら、マグダレナは着地するが、それでも堪え切れずにその場に膝を着いた。衝撃で脳が振れたのか、何度も頭を振っている。
だが、衝撃を受けたのはグリフォンも同様だった。【金剛】と竜鱗の甲冑によって護られたマグダレナの防御力は、生身で巨岩にぶち当たるに等しい。
自らの突進の勢いもあり、正面からマグダレナとぶつかったグリフォンは、嘴に罅が入り、右前脚から血を流していた。翼も痛めたのか、飛び方がぎこちない。
「マグ、大丈夫か?」
「大丈夫、よ…。ちょっとフラフラするけど」
マグダレナはそう言うが、未だ立ち上がれないところを見ると、ダメージは思ったよりも大きかったようだ。
「無理をするな。少し休め」
俺はそう言ってマグダレナの首筋をそっと撫でると、マグダレナの背から降り、庇うように前に立つ。
それを見たヴィオーラも、グリフォンに高度を下げさせると、ヒラリと飛び降りる。まるで羽毛のようにふわりと着地すると、改めて槍を構えた。グリフォンは上空を旋回し、貴賓席を覆う屋根の上に降り立つと、その場で羽根を休めた。
「大したものね、貴方の騎獣。私のエウラリアが空中戦で後れを取るとは思わなかったわ。まさかあそこで捨て身の体当たりを選ぶなんて…」
「鎧を捨てて軽くなった分、速度は上がった。逆を言えば軽くなったってことだ。俺の魔法の援護もある。耐えられると履んだのはいい判断だったよ」
「慕われてるのね。妬けちゃうわ」
「大事な『家族』だからな。言うまでもないけど、ヴィオ、君だって大切に思ってる」
「ありがと。嬉しいけど、その言葉、会う女性皆にかけてるんでしょう? ロゼさんだっけ? 再会できて良かったわね」
「確かに、偶然とはいえ再会できたのは嬉しかったよ。でも、ヴィオと再会できたことだって、同じくらい嬉しいよ」
俺の言葉に、ヴィオーラはゆっくりと首を振る。
「私だって嬉しかったわ。でもね、貴方を追って迷宮に入り、死ぬ思いをして帰ってみれば、貴方は他の女の子と仲良く楽しそうに闘技大会に参加している。私はあんなに苦労したのに、貴方は何でもないみたいに、笑ってる」
ヴィオーラはそう言って、盾を投げ捨てた。空いた手を天へと掲げる。
「お門違いだって分かってる。でもね、気持ちが収まらないの。全力で貴方を叩きのめさないと、許せそうにないの」
掲げた手の中に、何かが出現しようとしていた。それはヴィオーラの輝く鎧を凌ぐ、黄金色の輝きだ。ヴィオーラはそれを掴むと、優雅に胸の前で構えた。
「だからね、死にたくなかったら、本気で来なさい!」
ヴィオーラの叫びと共に、手の中の黄金色の輝きは強烈な波動となって俺を襲った。思わず全身に力を込め、吹き飛ばされないように身構える。
ヴィオーラの手の中で、長い穂先を持つ白銀の長鎗が、金色のうねるような焔を纏いながら、輝きを四方に放っていた。
「戦神ヌトスの力の顕現、女神に認められた者のみが、振るうことを許される神鎗、〈双螺旋の竜〉の力、とくと味わいなさい!」
ヴィオーラが輝く槍を振り抜くと、彼女を中心に放射状の突風が巻き起こった。
「マグ、動けるか!?」
「ごめん、ヴァイナス…。ちょっと無理そう」
いつもの声からは考えられないほどの弱弱しい声に、俺は迷わず〈小さな魔法筒〉を取り出し、合言葉を唱える。マグダレナは静かに吸い込まれた。
その間にも、ヴィオーラから放たれる風は勢いを増し、それどころか、風の中に黄金色の焔が混じり始めた。おいおい、これは洒落にならんぞ…!
「ヴィオ、それ、本当に大丈夫か?」
「心配しないで。観客を巻き込んだりしないから。貴方が逃げなければ…ね♪」
ヴィオーラの言葉に、俺は顔を引き攣らせた。くそっ、俺が観客を巻き込んだりしないことを逆手に取りやがった。ヴィオーラはああ言っているが、いざとなったら闘技場を吹き飛ばすことも厭わずに全力で来ることは間違いない。
大人しく喰らって復活するか…? だが、それじゃあヴィオーラも納得しないよな。前に約束したことを破るわけにもいかない。戦神ヌトスを奉じるヴィオーラにとって、闘いとは神聖なものだ。下手に手を抜けば、二度と口を聞いてくれなくなりそうだ。
こうなりゃ、正面から迎え撃つしかないか!
俺は覚悟を決め、体内のエーテルを高め、闘志へと変えていく。更に自身に対し、【倍化】の魔法で強化を加えていく。〈体力〉だけでなく、〈器用〉〈幸運〉も倍化していった。先のことは考えない。今はヴィオーラの攻撃をどうにかすることだけを考えていた。
ヴィオーラはその間、俺を攻撃することなく、泰然と構えている。彼女も正面から、全力の俺を倒すつもりなのだろう。
「待たせたな。いつでもいいぞ」
「ふふ。本当に大丈夫? ここから先は後悔できないわよ」
ヴィオーラは微笑んで確認してくる。俺が準備をしている間、彼女も準備を整えていたようだ。ヴィオーラを中心に吹き荒れる突風は、もはや嵐といっても良い勢いで会場を吹き荒れている。風に混じり合うように燃える黄金色の焔に、チリチリと肌が焼かれていく。
俺はゆっくりと〈西方の焔〉と〈聖餐の拳刃〉を構える。ヴィオーラも左右の槍を構えた。
「さあ、決着をつけようか!」
「望むところ! 吹き飛びなさい!」
俺とヴィオーラは、同時に大地を蹴り、真正面から飛び込んでいく。
先手を取ったのは、リーチの長いヴィオーラだ。両手に構えた二槍が、まるで別の生き物のように襲い掛かってきた。
だが、俺は冷静に、嵐のような攻撃を両手の剣でいなしていく。三重に掛けた【倍化】、【神速】、【魔刃】、【金剛】、力を魔法によって極限にまで高めた今の俺は、通常時の3倍近い戦闘力を誇る。
ヴィオーラの顔が驚きに染まる。
「噓でしょ!? この状態の私の攻撃を簡単に受け流すなんて…」
「俺だって遊んでいたわけじゃない。〈慈悲の剣〉を突破したのは、ヴィオだけじゃないんだぜ!」
黒き槍と白き鎗、次々と繰り出される怒涛の攻撃、その全てを防ぎながら、俺は反撃へと転じる。間合いを詰め、懐に入ろうとする俺の動きを、ヴィオーラは下がりながら牽制する。【神速】によって強化された俺の速度は、ヴィオーラを追い詰めていく。
今の距離を嫌ったヴィオーラが気合を込めた途端、彼女から圧倒的な風が巻き起こった。俺はその場で堪えたが、前に進むことができない。その隙に距離を取ったヴィオーラは、肩で大きく息をする。
「…本気なのね」
「約束しただろ? 闘う時は全力で、って」
「それでも、少しは手加減してくれても良いんじゃないの? 他の娘にはあんなに優しくしてるのに…」
そう言って唇を尖らせるヴィオーラ。こんな状況でなければ可愛いのだが、凶悪な槍を両手に構えて、焔風を吹かせている姿では、あまり効果がなかった。
「手を抜いたら怒るだろう?」
「当然よ! でも、それとこれとは話が別! ヌトスの信者としてじゃなく、女としての気持ちよ!」
理不尽だ。
ヴィオーラの言い分に、思わず苦笑する。ヌトスの信者としては手加減無用。だが女としては、優しくしてほしい。そんな矛盾を抱えた言葉だったが、俺としては、非常にヴィオーラらしくて納得してしまった。
俺の苦笑をどう受け取ったのか、ヴィオーラが、
「もう本当に怒った! どうなっても知らないから!」
と言って構えを取った。その雰囲気が更に変わる。これは…。
ヴィオーラが瞳を閉じる。その瞬間、感じていた闘気が倍以上に膨れ上がった。間違いない。
〈超入神〉。
〈勇士〉が使用する戦闘特技であり、〈入神〉を超える戦闘力を生み出す、まさに切り札だ。SPの消費は激しく、長時間は使用できないが、その圧倒的な攻撃力は、一軍を相手にできると言われている。
目を閉じているにも関わらず、ヴィオーラは迷いなく俺に向かって飛び込んで来た。
「この、浮気者!」
ヴィオーラの台詞と共に振るわれる槍の一撃は、さっきまでとは比べものにならない速度と力を持っている。慌てて剣で受けるが、手に伝わる予想以上の衝撃に、柄を握る手に力を込め直した。
「女たらし!」
台詞とは裏腹に、その攻撃には容赦が全くない。〈超入神〉状態に、手加減は一切存在しない。動くものが周囲になくなるまで、ひたすらに闘い続けるのだ。
「女の敵!」
俺は集中し、ヴィオーラの攻撃をいなし続ける。だが、反撃をすることができない。お互いの力が拮抗し、膠着状態となっている。
その間にも、ヴィオーラの攻撃が止むことはなかった。俺は焦るな、と自分に言い聞かせつつ、ヴィオーラの攻撃を捌いていく。
「あんなに心配させて!」
「頑張って迷宮も突破したのに!」
「貴方は楽しそうに、他の娘と仲良くしてる!」
ヴィオーラの言葉が、攻撃と共に俺を打ち続ける。俺は真摯な気持ちで、攻撃と言葉を受け止めていた。
「私だって」
どれだけ打ち合いを続けただろうか。とうとうSP切れが近いのか、徐々にヴィオーラの攻撃に綻びが出始めた。
「私だって」
ヴィオーラもそれに気が付いているのか、今まで以上に気迫の乗った攻撃を繰り出してきた。
「貴方と一緒に過ごしたかったのに!」
いつの間にか、ヴィオーラの閉じた瞳から涙が流れていた。彼女の気持ちと気迫が込められた、今日で最も早く力強い双撃。
その双撃を全力で打ち払うと、俺はヴィオーラの懐へと飛び込み、
力一杯抱き締めた。
「済まない。心配かけた。寂しい思いをさせたね」
剣を放り出し、しっかりと抱き締めると、俺はヴィオーラの耳元でそっと囁く。ヴィオーラの手から槍が零れ落ち、カランと音を立てた。その腕が俺の背に回される。
「寂しかった。会いたかった。抱き締めて欲しかった!」
ヴィオーラはそう言って、回した腕に力が籠る。俺はそっと額にキスをし、
「ただいま」
と言う。ヴィオーラは瞳を開き、涙に濡れた目で、
「おかえりなさい」
と言った。そして再び何かを待つように目を閉じる。俺はゆっくりと顔を近づけると、その唇を塞いだ。
闘技場を歓声が包み込む。未だ勝利は確定していないのに、勝利を告げる鐘が鳴り響いた。どちらが勝ったにせよ、確かにこれ以上の闘いは無粋だ。
闘技場の中心で、歓声に包まれた俺とヴィオーラは、鳴り響く鐘の中、口づけを交わし続けた。
 




