55 〈幻夢(VR)〉の街で闘士再び
本選に向けて英気を養った俺たちは、再び闘技場を訪れていた。いよいよ本選が始まるのだ。
本選はトーナメント形式となっており、各ブロックからランダムに選出されたシード権を持つ出場者に加え、本選から参加の第2シードの者も含めた、134名の出場者による勝ち上がり方式だ。
組み合わせも無作為に決定されるため、実力者同士が早期に対戦することもあり、組み合わせに恵まれた幸運な者が、実力以上に勝ち進むこともあって、賭けの方は大いに盛り上がるらしい。
今年の大会は〈異邦人〉の新顔が結構な人数本選に残っており、予測がつかない対戦が多いために、賭けの方は荒れそうだと、隣で酒を飲みながら笑うおっちゃんに礼を言って、皆と合流するため立ち去る。
俺は運良くシード権を得たので、今日は観戦である。ゼファー達はシード権を得られなかったので、これから彼らの闘いを見る予定なのだが、1回戦は4つのブロックに分かれて行われるため、俺はリィアたちと共に、闘技場で上映される映像を見ながら応援することにしたのだ。
それに、闘技場で観戦するのは、別の理由もあった。それは俺が今向かっている場所も理由の一つになる。
俺が向かっているのは、観戦席の中でも上階層にある貴賓用の区画だ。出入りする際、衛兵によるチェックがあるが、俺は用意された招待状を見せ、先へと進む。
目的の部屋を訪れると、俺に気が付いたリィアが手を振って迎えてくれた。俺は笑顔を浮かべ、近づいていく。スマラも影から飛び出し、テフヌトの傍で微睡むエメロードの背に乗り、丸くなる。
部屋の中には、リィアの他にクライスやエメロード、ファリニシュに加え、テフヌトがスフィンクスの姿で寛いでいた。その上、マグダレナの膝の上で寛ぐリィアの髪を梳きながら微笑む女性と、酒杯を片手に上映に釘付けになっている男性がいた。
「お招きに預かり、参上いたしました」
俺が声を掛けると、男性はこちらを振り返り、
「なんだ、堅苦しい言葉遣いなど不要だ! 我らが名誉闘士殿」
と笑顔を浮かべる。俺が笑顔を浮かべると、男性は酒杯を置いて立ち上がり、俺を抱き締め背を叩く。
「お久しぶりです。イーマン様もお元気そうで何よりです」
思わぬ親愛の籠った歓待に苦笑しつつ、俺は答える。
そう、これが理由だった。
俺は闘技大会を観戦するために、帝都を訪れていたアル=アシの街の君主、イーマン・アル=アシに招待されていたのだ。
イーマンが俺に気付いたのは予選の映像を見た時だったらしく、配下の者に俺を探させたそうだ。そして、港に停泊する『幸運の風』を発見、見張りのゴブリンに招待状を託したというわけだ。
招待状には俺以外の者も連れて来て構わないと記されていたので、折角だからとクライスたちも連れてきたのだ。
訪れた時、生憎とイーマンたちはまだ部屋にはおらず、ゼファー達の対戦の予定を確認しに、俺が離れている間に部屋に来ていたようだ。
すでに自己紹介は済ませていたらしく、皆は思い思いに寛いでいたわけだ。俺としてはリィアの髪を梳りながら、ニコニコしているナジィルが驚きなのだが…。
「それにしても昨日の闘いは見事だったな!」
「ありがとうございます」
「あれから、また腕を上げたようではないか! さぞかし困難な探索を乗り越えたのだろう。本選も楽しみにしているぞ!」
「黒馬を駆り、触れる者を皆切り払う姿に、私も思わず興奮してしまいました。兄の命に従い、闘場での活動を控えていた分、気持ちが昂りましたわ」
そう言って目を輝かせて俺を見つめるナジィルに、イーマンが苦笑しつつ、
「こいつもしっかりと反省し、一切闘場に関わることなく、日々の政務を勤勉に熟していたのでな。慰労も兼ねて〈闘技大会〉の観戦を許したのだが、まさかお前が参加しているとはな」
と言ってきたので、俺は頷きつつ、
「探索を終えて、この街でヴィオーラたちと合流する予定だったのですが、入れ違いになってしまいまして。代わりに別の知り合いと合流することになり、彼らの誘いで参加することになりました」
と答え、今までの経緯を粗筋で伝えた。イーマンは俺の話を聞き、
「なるほどな。中々破天荒な経験をしてきたようだ。お前の話でなかったら、酒の肴の与太話かと思うところだ」
イーマンの感想に俺は苦笑するしかなかった。確かに、転移の事故で迷宮に押し込められ、試練を突破したかと思えば、広大な森に閉じ込められる。更にはドラゴンと二度にわたる戦闘となれば、俺が聞いても作り話だと思うだろう。
「ヴァイナス様は、〈竜殺し〉の英雄なのですね…!」
ナジィルの俺を見る目が、更にキラキラしてきた。確かにドラゴンを斃してはいるが、スマラやマグダレナの協力があってこそだ。俺一人の功績ではないので、少々気恥ずかしい。
何も言えずに照れ隠しに頬を掻いていると、イーマンは笑みを浮かべつつ、
「我が闘場で無敗の名誉闘士であり、竜殺しの英雄の闘い、しかと見させて貰うぞ」
帝都の闘技場、破竹の十連勝を遂げた覇者との闘い、楽しみにしているぞ。そう言って笑うイーマンの言葉に、俺は首を傾げる。
闘技場の覇者って誰だ?
俺の疑問に気付いたのか、イーマンは不思議そうに、
「なんだ? 聞きたいことがあるのか?」
と聞いて来たので、俺は頷き、
「ええ。闘技場の覇者というのは、どなたなのでしょう?」
と質問すると、イーマンは驚いたという顔をし、
「知らないのか? 近年出ることのなかった帝都の闘技場における、無敗の十連勝を成し遂げた〈覇者〉を」
と言うので、俺は頷く。すると、イーマンは笑い出し、
「なるほど、そういうことか! 納得したよ、彼女が怒るわけだ!」
と言って笑い続けている。俺は訳が分からずにイーマンの笑いが収まるのを待つことしかできなかった。するとナジィルが、
「十連勝の〈覇者〉はヴィオーラ様ですよ」
と言った。俺は目を見開き、
ヴィオーラだって!?
と叫んでしまった。俺はいつの間にか膝の上に来ていたリィアに確認する。
「リィア、ヴィオーラは闘技場で当座の稼ぎを得たって言っていたが、十戦も闘っていたのか?」
『うん』
俺の問いに頷くリィア。ナジィルが更に説明してくれた。
「それは見事なものでしたよ。対戦当初こそ、無名の闘士でしたが、初戦のトロールとの戦いを制すと、次々と組まれる強敵との戦いに悉く勝利し、遂には対戦相手の幻想種、〈鷲獅子〉に認められる偉業まで成し遂げたのですよ」
ナジィルの話を聞き、俺は開いた口が塞がらなかった。ヴィオーラの奴、なんて無茶をしていたんだ…。
俺の様子を見て、ようやく笑いの収まったイーマンが、
「その分だと、ヴィオーラとはまだ顔を合わせていないな? ヴィオーラの奴、相当お冠だったぞ。探索を終えて戻ってきてみれば、お前は呑気に闘技大会に参加している。闘技大会でお前を叩きのめすまでは、絶対に会わないと息巻いていたぞ」
イーマンの説明に、俺は思わず頭を抱えたくなった。仕方ないだろう! 連絡の取りようがなかったんだから!
イーマンは笑いながら、
「ヴィオーラも闘技大会に参加しているし、本選にも出場している。決勝まで残れば、ヴィオーラと闘う機会もあるんじゃないか?」
楽しみにしている、と言うイーマン。期待させて悪いが、俺はヴィオーラと闘いたくなんてないよ…。
だが、ヴィオーラが俺たちの元を訪ねてきていない以上、本気で俺と闘うつもりなのは間違いない。こりゃ、覚悟しておくしかないな…。
以前交わした約束もある。もし闘うことになったら、全力で闘うつもりだ。そのうえで、決してお互い殺すことのないように勝つしかない。
最悪俺は死んでも『蘇生』があるので構わないが、ヴィオーラの心にトラウマを残しそうなので、死なない方が良い。
思いもよらなかったヴィオーラの活躍に、俺は驚きと同時に、安堵する。闘技大会にも参加しているということは、無事に〈慈悲の剣〉を突破したということでもある。
ヴィオーラの無事を喜びつつ、俺はイーマンたちと共に、これから始まる仲間たちの闘いを観戦することにした。
昨日の組み合わせ決定の時点で、三人とも別のブロックで試合があるのが分かった。そこでシード権を得た俺は観戦に回ることになったのだが、特定の誰かを応援に行っても( 特にジュネとロゼが )角が立ちそうなため、折衷案として闘技場での映像による観戦に落ち着いたのだ。
まぁ、明日からは俺も闘いがあるし、彼らの活躍をじっくりと見れるのは今日だけだろうと思うので、しっかりと観戦するつもりだ。
「さて、皆さん勝てますかね?」
「予選を見ていてどうだった?」
絨毯敷きの床で寛ぎながらのテフヌトの問いに、俺は逆に聞き返す。
「どのブロックにも結構な手練れはいましたよ。無作為とはいえ、ある程度実力者は振り分けられていたように見えましたね。格が5にも満たない方たちは、早々に倒されていましたから」
「つまり、本選出場者は皆強いということか?」
「そうですね。ですが、本選は1体1でしょう? 遠距離から攻撃できる魔術師や、射撃武器を得手とする者が先手を取れるため、有利でしょうね。近接型、その中でも特化型の能力構成の人には厳しそうです」
特化型ってそんなにいるのか? 俺の疑問を察したのか、テフヌトは微笑み、
「本来なら、特化型の人はそれほど多くありません。ですが、闘技大会に向けて、迷宮探索などを利用して吶喊で鍛えた者が多くいます。汎用型に能力を成長させていた者も、この時期だけは特化型になる者が増えますから」
なるほど、そういうことか…。短期決戦である闘技大会では、組み合わせによっては、特化した能力でゴリ押しすることが奏功する場合がままあるらしい。
そこで、期限ギリギリまで粘って得意な能力を伸ばし、後は組み合わせに賭ける、という方法で上位に食い込む者が結構いるらしいのだ。
テフヌトの説明を聞いて納得したが、それにしても、
「テフヌトは闘技大会に詳しいのか?」
俺は気になったことを訪ねると、テフヌトは頷き、
「そうですね。都合がつけば見るようにしています。帝都とはいえ、私のような高位の〈幻想種〉は多くありませんから。ですが、私のような幻想種が街を歩いても、この時期に関しては五月蝿く詰問されることもありませんし、未来の『勇者』候補が見れるとなれば、守護者として気にならないといえば嘘になります」
最近は、私の元まで辿り着く方も少なくなりましたので。そう言って微笑むテフヌト。確かに、闘技大会で上位に入るような実力者であれば、〈慈悲の剣〉を突破することは充分に可能な気がする。
もっとも、今の〈慈悲の剣〉は、犯罪者を「処理」するためのデス・ダンジョンという認識なので、〈現地人〉は寄り付かず、〈異邦人〉もわざわざ挑戦することはないという悲しい現実があるのだが。
『始まる』
膝の上のリィアの声に、俺は映像へと意識を集中させる。人化したマグダレナも、食い入るように映像を見ている。明日からの闘いで対戦する者もいるのだ。闘い方を見ていて損はない。
4つのブロックで同時に開始された闘いを観戦する。テフヌトの言葉通り、魔術師や飛び道具を装備した者が、近接型の者に対して先制攻撃を加えているのが目立つ。
放たれた魔法に抵抗し、射撃を避けて肉薄する者も存在するが、やはり特化型の者が多いのだろう、半数は近づくこともできずに倒れていく。
逆に近接を許した魔術師などは、その時点で『降参』している者が多かった。再度魔法を掛けようとして斃される魔術師もいたが、恐らく〈異邦人〉だろう。実際に斃された後、『蘇生』して光の粒子となって消えていった。
そんな一方的な闘いとは異なり、遠距離同士、もしくは近接同士の闘いは白熱したものになる。
魔法が飛び交い、矢が、投擲武器が放たれる。剣と剣がぶつかり合い、鎬を削る攻防に、観客たちのテンションは嫌が応にも上がっていく。
『ロゼ!』
リィアの声に、俺も頷く。
次々と闘いが消化されていく中、まず最初に出番が来たのがロゼだった。相手は見るからに魔術師と分かるエルフの男。自身の身長を超える杖を持ち、装飾の施された革鎧を着込む胸元には、緑色のプレートが揺れていた。
相手は8等級の探索者か…。奇しくも、エルフ同士の対決となったわけだが、ロゼは右手に〈広刃の長剣〉を構え、飛び道具としては逆手に構えたダークのみだ。魔法は使えるが、魔法の実力でいえば、専業である相手の方が上だろう。
ロゼはどんな戦法を取るのか…。俺たちが見守る中、開始の合図と共にロゼは飛び出し、一直線に魔術師へと向かっていった。
魔法は抵抗し、近接で勝負か! 魔術師もそれは読んでいたらしく、焦る様子も見せずに魔法を詠唱する。相手も闘い慣れているな。
ロゼは迷いも見せずに距離を詰めていく。だが、それより早く、魔術師の魔法が完成した。ロゼに向かって突き出された杖の先端から、光り輝くエーテルの矢が迸り、ロゼを撃つ。
エーテルの輝きから、強化されたことが分かる【呪弾】の魔法を受け、ロゼの顔が苦痛に歪む、かと思えた。
だが、予想に反して、ロゼは何事もなかったかのように駆け続ける。魔術師は、必殺の魔法が効かなかったことに驚愕しながらも、次の魔法の詠唱に移った。
しかし、その行動は遅すぎた。ロゼは距離を詰めると、突進の勢いが十分に乗ったブロードソードを、上段から振り下ろした。魔術師は慌てて詠唱を止め、手に持った杖で防ごうとする。
一見華奢に見えるロゼだが、その膂力は5レベルの魔戦士として相応しいものを持っている。汎用型として成長したロゼの実力は、特化型の魔戦士とは比べ物にならない。
魔術師は防ぎ切れずに、大きくバランスを崩した。その隙を逃さず、ロゼは逆手に持ったダークを振り抜く。胸元から肩口にかけて大きく斬り裂いた一撃は、魔術師の戦意をもぎ取るには充分だった。
「こ、『降参』だ! 『降参』する!」
痛みに呻きながらも、必死に『降参』をアピールする魔術師に、油断せずに剣を突き付けたロゼは、魔術師が杖を離して両手を上げるのを確認し、剣を突き上げ勝利を示した。
真っ向から魔術師を打ち破ったロゼに、観客から称讃の歓声が巻き起こる。ここからでは決して届かないことを分かりつつ、俺もロゼに拍手と共に称讃の声を送った。
「やりますね。ローズマリィは、格としては確か5だったはずですが、相手の方が格は上だったはず。ですが行動に迷いがなかった。あらかじめ作戦を立てていたのでしょうか?」
テフヌトの疑問に俺は答えることができなかったが、それは後で合流してから聞けばいい。横ではイーマンとナジィルも興奮していた。
「あのエルフはローズマリィと言ったか? ヴァイナスの仲間だったな。見事だ! ああも真正面から魔術師を斃すとは。我が元に欲しいくらいだ!」
「本当に。闘場へ再び関われるようになった暁には、私と契約して頂けないかしら…」
二人の手放しの称讃に俺も嬉しくなる。ロゼの実力なら、アル=アシの闘場でも充分に通用するし、名誉闘士となるまで頑張ってみても良さそうだな。勧めてみるか…。
次に出番が来たのはゼファーだ。対戦相手は、ガッシリとした体格のドワーフの戦士。重厚なプレート・アーマーに身を包み、身長を遥かに超える両手持ちのハルバードを軽々と振り回していた。
開始と同時に、両者とも一気に距離を詰めた。上段からシャムシールを振り下ろすゼファーに対し、ドワーフは地を這うようにハルバードを振り上げて応戦する。
お互いの武器が打ち合わされ、火花が散る。膂力に優れる戦士同士が真っ向からぶつかり合う姿に、歓声が上がった。
鍔迫り合いを続けていた二人の表情が変わるのは、武器を撃ち合わせてから1分ほどだったか。
ドワーフの表情は驚きに変わっていた。一方のゼファーは口元に笑みを浮かべている。〈体力〉に関してはヒューマンの倍近い基本値を持つドワーフのハルバードを、ゼファーが徐々に押し込んでいるのだ。
ドワーフは必死に押し返そうとするが、努力は実らず、豊かに蓄えられた髭にゼファーの刃が迫っていた。
ドワーフは真っ赤になって更に力を込めた。その瞬間、ゼファーが突然背後へと飛び退いた。全力で力を込めていたドワーフは、急な動きに付いていけず、押し返そうとした勢いのまま、つんのめるように転倒する。
ゼファーはその隙を逃さず、再度ドワーフに近づくと、ハルバードを足で抑え、ドワーフの太い猪首にシャムシールを突き付けた。
ドワーフはハルバードから手を放し、両手を上げる。ゼファーはそれを見て、シャムシールを天に向かって突き上げた。
ゼファーの勝利に歓声が上がる。俺も拍手をした。
「あの者はゼファーといったか? あの膂力、ヒューマンとは思えんな! ドワーフと力比べをして圧倒してしまうとは!」
「ドワーフに比べたら華奢ともいえるあの体躯のどこに、あれだけの力をお持ちなのでしょう。驚きですわ」
二人の称讃に対し、テフヌトの感想は、
「少し盛り上がりに欠けますね。相手が膂力に優れるドワーフであったから評価されますが、エルフやホビットの戦士相手では評価されないでしょう」
と厳しいものだった。俺は苦笑しつつ、
「ゼファーもその辺は分かっているんじゃないかな? 相手がドワーフだったから、敢えて力勝負にしたんだと思う」
と一応フォローを入れておく。テフヌトは頷き、
「まあ良いでしょう。兎に角勝ったことは間違いありません。次の闘いに期待しましょう」
と言った。イーマンも、
「テフヌト殿は手厳しいですな。あの者も我が闘場で充分に活躍できる逸材。ヴァイナスの傍には優秀な戦士が集まるようで、非常に羨ましく思うぞ」
と言って、意地の悪い笑みを浮かべて俺を見てくる。俺は苦笑するしかなかった。
最後に闘うのはジュネだ。対戦相手はドラゴニュートの戦士。並みの戦士なら両手で扱うグレート・アックスを、軽々と片手で振り回していた。生来の強靭さを誇る鱗に包まれた肉体を、〈重甲冑〉で覆い、背丈ほどもあるタワー・シールドまで構えている。
対するジュネは軽装の革鎧に、レイピアと〈防御短剣(マン=ゴーシュ)〉という如何にも盗賊といった装備だ。肩から掛けた〈小型の弩〉は初めて見るが、相手に比べて余りにも無防備に見える。
だが、ジュネの表情に怯えは一切見えなかった。むしろ、口元には微笑みさえ浮かんでいる。その笑顔を挑発と受け取ったのか、ドラゴニュートは大きくグレート・アックスを振り回すと、盾と同時に構えた。
開始の合図と同時に、ドラゴニュートが距離を詰める。それに対し、ジュネは距離を取りながら魔法を使った。
発動した【神速】によって、ジュネの動きが加速する。ドラゴニュートは無理に追うようなことをせず、ジュネに向かって最短の距離で動くように、その場で向きを変え、牽制していく。
次にジュネが唱えたのは【付与】の魔法。肩から下げたクロスボウを構えると、【付与】の魔法によって淡い光を纏う。
クロスボウを構えるため、足の止まったジュネに対し、ドラゴニュートは一気に距離を詰めた。壁を背後にしているジュネは、左右どちらかにしか移動することができない。
ドラゴニュートは盾を持つ左手側に攻撃が来るように、ジュネの右方向から近づいている。クロスボウを撃たれても、盾や鎧で充分に防げるという判断だろう。
ドラゴニュートの動きに逆らわず、ジュネは左方向に向かって移動しつつ、構えたクロスボウを発射する。何の策もない、真正面からの射撃に、ドラゴニュートは口元に笑みを浮かべたような気がした。
その時、驚くべきことが起きた。
クロスボウから放たれた矢は、すぐに消え去ったかと思うと、ドラゴニュートがいきなり倒れ込んだのだ。よく見ると、倒れたドラゴニュートの脚に、太矢が突き刺さっている。
太矢は鎧の隙間を縫うように突き刺さっている。ドラゴニュートは唸り声を上げて盾を捨て、太矢を掴むと一気に引き抜いた。
傷口から血が噴き出すが、ドラゴニュートは気にした様子もなく、抜いた太矢を放り出した。だが、その表情には疑念が溢れていた。
確かに、今の射撃は奇妙だった。発射した瞬間、矢が消えたように見えた。まるで矢がテレポートしたような…。
ドラゴニュートは慌てずに盾を拾い、その場で油断なく構える。そして、ジュネに向かってゆっくりと近づいていった。
四方を壁に囲まれた会場では、逃げることができる場所が限られている。クロスボウは矢が尽きてしまえば撃つことはできなくなる。ドラゴニュートは矢が尽きるまで撃たせてから、じっくりと攻めることにしたようだ。
それを見たジュネは、無造作にクロスボウを構えた。そして迷いもなく矢を放つ。
その瞬間、金属同士がぶつかる甲高い音が響き、ドラゴニュートがよろめいた。その表情は驚愕に目を見開いている。
よろめいた角度から、兜の側面から衝撃を受けたことが窺える。だが、ドラゴニュートは正面からジュネに向かって進んでいたのだ。側面から射撃を受けるのは明らかにおかしかった。
ジュネはそのまま距離を取るように離れていく。ドラゴニュートは迂闊に追うこともできずに態勢を整えたまま、その場で動けずにいた。
そこからは、一方的な展開になった。ジュネの放つ太矢は、盾を翳し、必死に構えを取るドラゴニュートを嘲笑うかのように、側面から、更には背後から攻撃を加えていく。
ただ攻撃を加えているのではない。鎧の隙間や装甲の薄い部分を狙って繰り出される攻撃に、ドラゴニュートは体捌きで打点をずらし、致命傷を避けることしかできてない。
そして極めつけは、ジュネが太矢を装填しなくても、自動的に矢が補充されていることだった。避けることに必死でそのことに気が付いていなかったドラゴニュートは、その事実に気が付いた途端、斧と盾を放り出し、両手を上げ、『降参』の意を表した。
それを見たジュネは、クロスボウの構えを解く。マジックアイテムを使用したとはいえ、重装備の戦士を手玉に取ったジュネに対して、観衆からの声援が沸き上がる。
イーマンも手放しで褒めていた。
「いや天晴! あのクロスボウは〈魔法の品物〉であろうが、ああも見事に使いこなすとは。ヴァイナス、あの者はジュヌヴィエーヴだったな。探索者の教官をしていたそうだが、闘場でも充分戦えそうではないか。クロスレィもそうだが、闘ってもらえるなら、射撃戦の仕合も検討したくなる」
ナジィルも楽しそうに観戦していた。俺はテフヌトに確認する。
「あれは、お前が作ったのか?」
「いえ、違いますよ。元々ジュヌヴィエーヴが持っていたものでしょう。おそらく〈百中の弩〉と呼ばれる品ですね。矢を放った瞬間、矢が転移して目標に必ず当たると言われています」
ですが、とテフヌトは続ける。
「その効果は『必ず当たる』ということでしかありません。目標の、狙った場所に狙い通りに当てているのは、使い手自身の技量でしょう。ジュヌヴィエーヴの射撃の腕は、相当なもののようですね」
テフヌトの説明に、俺は頷いた。俺との訓練時には使用していなかったが、あれがジュネの本来の戦闘方法なのかもしれない。恐らく、通常の弓でも精密な射撃を熟すと思えた。
「それにしても、つくづくヴァイナスが羨ましいぞ。お前の元にばかり、何故こうも手練れが集うのか…」
「本当ですわ。ヴァイナス様がアル=アシの街で闘士を取りまとめる立場となっていたらと思うと、戦々恐々しますわ」
二人の感想に、俺は何も言わずに微笑んだ。確かに、今のアル=アシの闘場でなら、俺たちの誰であっても上級闘士として活躍できる。それだけの人材が一つの勢力としてまとまってしまうと、他の勢力が勝つことができずに、試合が盛り上がらなくなりそうだ。
「まぁ、ヴァイナスとヴィオーラは名誉闘士であるし、街に来た時には大いに活躍してもらうので問題あるまい。機会があれば、彼らにも闘場で闘って欲しいものだがな」
どうだ? 闘技大会の後で一度アル=アシに来てみては? そう提案を持ちかけてくるイーマンに対し、
「そうですね。状況次第では考えておきます」
と俺は答えた。確約できないのは、〈陽炎の門〉の探索が、どう転ぶか分からないからだ。重要な情報が手に入れば、闘技大会ですら、途中で棄権して出発する可能性だってあるのだ。
「いい返事を期待しているぞ」
そう言って笑うイーマンに、曖昧な笑顔を向けつつ、俺は未だ続いている闘いへと、視線を戻した。まだ見ぬ強敵や、ヴィオーラの姿を探しながら。




