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4.フタリシズカ side.N


 助言教員の教授と毎週行う卒論についての話し合いを終え、白樺教授の研究室へと私はキャンパス内をひとりで移動していた。そこへ、寮のルームメイトである友人――佐伯真(さえき まこと)が何やら怒った様子で現れた。ベリーショートの黒髪に男と間違えるほどカジュアルな服装の真は、私を見つけると大きな声を上げて駆け寄ってきた。


 「奈緒子聞いてくれよ!(なつ)が、あたしの夢の計画を邪魔してきてさ!いいかげんにしろっての!」

 「ちょっとあんた達、また犬も食わない喧嘩してるんだ?今度はなんなの、話してごらんなさいよ。ほれほれ」

 「犬も食わないとか言うな!実は、今度の夏休みにさ、ひとりでフランス旅行しようと思ってるんだよ。時間があるうちに、もう一回行ってみたくてさ」

 「へえ、フランスで1人旅。ふうん。――とどのつまり、あんたを溺愛してやまない一之瀬(いちのせ)君は、あんたが手の届かないところで危ない目に遭わないか心配だから許さないんでしょ?少しは彼氏の気持ちも汲んでやったら?」

 「……奈緒子はいいよな。ドイツに語学研修に行ったことあるし、小さい頃からお父さんに連れられて色んなところに行けてさ。どうせあたしは一度しか……」


 小さくなっていく声と比例して俯いていく真。なんかデジャヴだわ、これ。っとにもう、しょうがないな。


 「……シン、一之瀬君のパリの撮影に同行した時、あっちの男の人に声掛けられまくってショートしかけてたんだって?危うく部屋に連れ込まれそうになったとか」

 「はっ!?どうしてそれを!?」

 「あんた達が帰って来てしばらくして、一之瀬君が。『真さんの危機管理能力は本来発揮されなければならない状況で、どうして低くなってしまうんでしょうか。僕は、生きた心地がしませんでした』って。ただでさえ仕事で大変なのに更に世話かけてどうすんの。この2年ちょっとでシンがどれだけ成長したのかを鑑みて、それでも一之瀬君は駄目だって言ったんでしょ。――ねえ、そういうことだよね?」


 最後の問いかけは真に対してのものではない。真の背後に立つ彼に対してだ。


 「ええ、菱田さんの言うとおりです」

 「はっ!?夏!?いつからそこにいたんだよ!?」

 「ついさっきです。電話に出てくれないのであちこち探していたら、高嶋がこっちへ走っていくのを見たと教えてくれたので」


 高嶋――静くんが?

 無意識に視線を巡らせかけた時、一之瀬の後ろから涼やかな声がかかった。


 「一之瀬、見つかったのか?」


 羽織っている白衣の裾をはためかせ、花が植えられた鉢を腕に抱えた静は私に目を留めて瞠目した。小さく会釈してくる。

 私も片手を挙げて応じた。


 「ええ、無事見つかりました。ありがとうございます。菱田さんも、彼女の説得に協力していただいて感謝します」

 「いいよ、別に。それよりちゃんと話し合わないと駄目だからね。油断してると勝手に行っちゃうから気をつけなよ。真、あんたも意地張らないで素直になりな。それと、そんなにフランスに行きたがるのには何か理由があるんでしょう?」

 「うっ……」

 「どうしてもって言うんだったら、私がいっしょに行くから。そしたら一之瀬君も安心できるんじゃない?」


 私がそう提案すると、一之瀬と真は同時に顔をしかめた。なによ、その反応は。


 「申し訳ありませんが、それはもっと安心できません」

 「は?」

 「奈緒子は常に男の注目集めてるじゃんか。ドイツにいた時も結婚申し込まれたり、知らないうちにファンクラブできてたんだろ?それに奈緒子フリーだから、あたしより何十倍も何百倍も危ないって。よく無事でいられたよな、今まで」

 「は?っていうか、どうしてそんなこと知ってんの」

 「引率した教授から聞いた。あんなドラマみたいなことが次々と起こった研修は初めてで退屈しなかったって」


 なによ、それ。どうりで面白がってるなとは思ってたけど。

 呆れて物も言えない私に、じっと視線を向ける静。何か言いたそうだ。


 「?静くん?どうかした?」

 「や、なにも……」


 はっとして目を逸らし、赤く染まった頬を隠すように、そのままスタスタと歩いていってしまう。

 え、待ってよ。気になるじゃん。

 慌てて追いかけようとした私は、人差し指を二人に突きつける。


 「とにかく、しっかり話し合いなさい。言葉にしなくても伝わるから言わなくてもいいなんて甘えてても駄目なの。言葉にしないと伝わらないこともあるんだから。いいこと?」


 揃って頷いた一之瀬と真に「よろしい」と微笑みかえし、奈緒子は地面を蹴った。



 私はいろんな国の言葉を学ぶのが好きだ。

 これまで英語、フランス語、ドイツ語を習ってきた。

 数は減少しているが、この世界には、たくさんの種類の言語で満ちている。

 自分が伝えたいことを、言葉という形あるものにして相手に送る。

 伝え方を間違えたり誤解が生じたりすると、言葉は時として凶器にもなり、偶然であっても故意であっても人を傷つけてしまう。

 真実なのか嘘なのか。

 愛情なのか憎しみなのか。

 人は言葉に惑わされ、言葉に想いを乗せる。

 人はなぜ言葉を紡ごうとするのだろう。違う国の言葉を学ぼうとするのだろう。

 それはきっと―――。


 「気をつけた方が、いい」


 研究室の書庫を整理していると、不意に静が呟いた。私は着ている白衣の袖を折り返していた。


 「気をつけるって、何を?」

 「その……」

 「ああ、ここに積み重ねた本のこと?崩さないように気をつけるよ」

 「いや、そうじゃなくて……」

 「そうじゃない?じゃあ、なに?」


 私はエスパーでもメンタリストでもない。

 どんなことを思って、どんなことを考えているのかだなんて、そんなの言葉にしてくれないと分からない。

 ただ憶測で察するだけじゃ、相手の本当の気持ちを知ったことにはならない。

 だったら、じっと待つしかない。

 静は忙しなく目を泳がせ、何度も口を開いたり閉じたりしている。

 我慢我慢。

 作業の手をとめて静の顔をじっと見つめれば、もう逃げることはかなわないと悟ったのか、きゅっと唇を引き結び、小さく口を開いた。


 「――花は、種を存続させるために蝶や蜂が蜜を吸いにくるよう色鮮やかな花弁を身につける。それに甘い香りで誘惑して、受粉と種の拡散という目的を果たすために目立とうとする」

 「……うん?」


 え、いきなり授業始めたんだけど、この人。

 どういうことだろうと戸惑いつつも私は頷いて先を促す。いや、促すしかないだろう。


 「仮に菱田が蝶か蜜蜂だとする」

 「え?……ああ、うん。仮に私が蝶か蜜蜂だとして?」

 「綺麗な色の花と地味な色の花、菱田なら、どっちの蜜を選ぶ?」

 「えー……そうだなあ、やっぱり綺麗な方?おいしそうだし」

 「……そうか」


 しゅん、と落ち込んだように顔を伏せる静。え、どういうことよ。

 疑問は深まるが、何よりその反応はずるい。可愛いと言ったら怒られるだろうが、その様は小さな子供がいじけてるみたいで思いきり抱きしめてあげたい衝動に駆られる。我慢我慢。


 「そりゃあ見た目に惑わされるかもしれないけど、でも種類とか味にもよるんじゃない?私だって見境なく蜜吸ったりはしないし。……ねえ。もしかして、人が良さそうで誘惑してくる男には気をつけろって言いたかったの?」


 私の指摘に、静は耳まで真っ赤になった。可愛いなあ。

 にやにやしながら山の上にある本を手に取り、静にさしだす。


 「静くんが私のこと心配してくれるなんて嬉しいな。まあね、彼氏とかできたら寄りつかなくなるんじゃないとか周りからはよく言われるけど、ピンと来る人に今まで出会えなかったんだよ。――それに、私はどちらかというと、甘ったるいのよりかは檸檬の香りに惹かれるんだよね。今は」


 「檸檬?」静はきょとんとして首を傾げる。「檸檬が好きなのか?」

 鈍いなあ。私は苦笑しながら本の整理を再開させる。

 この空間には私たちしかいない。あの日、初めて出会ったときのように。


 「ねえ、今日は何の植物について教えてくれるの?」


 さながら私は、檸檬の香りに誘惑された蝶なのだろう。


 fin.


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