今から僕と恋愛できるか?
高い校門を抜けると大学であった。……なんて、馬鹿の川端康成のような一説が頭に浮かぶ。ちなみに『雪国』を読んだことはない。というか、最後に本を読んだのいつだっけ。
「うわぁ、人がたくさん……」
甲高く笑う声、低く広がる声……あ、怖い。思わず足がすくむ。
(………ダメ!)
(ここで止まったら、また同じことの繰り返しだ……!)
透子は高校時代の自分を思い出す。
凶器のような爪、コテで巻きまくった金髪、天高く跳ね上がったつけまつ毛。
""友達が多いと言えば、ギャル""
そんな安易な憧れだけでやってみたものの、見事に浮いてしまった。過去の失敗を振り払うように透子は再び歩き出す。
今度こそ、今度こそ普通に。
高校卒業を機に、似合わない金髪はやめた。暗めのブラウンにして、巻きすぎていたカールも緩くした。付けまつげもやめたし、長すぎる爪も切った。服だって、ネットで「大学生 女子 無難」と検索して揃えたものだ。
鏡で見た限り、多分もう“普通の女の子”に見える……はず。
少なくとも、前みたいに浮くことはない……はず。
(大丈夫。式典にさえ出れば、今日のミッションは完了。席は決まってるし、自由時間もない。多分、浮くことはないはず……いやいや、そういう消極的なとこがダメなんだって!)
ザワザワと揺れる人だかりの向こうに講堂があった。白い建物が太陽を掲げて立っている。
(式典が始まるまでまだ時間あるな…)
少し早いが先に入っておこうか、いやでも……恐る恐る周囲を見渡すと、皆親しげに笑い合っていて、所在のなさが一層浮き彫りになる。
(まてまて焦るな、まだ初日なんだから……ほら、緊張する時はまず手の平に字を書いて……えぇっとなんの字だっけ?)
「君、ちょっと」
自分の名前でも書こうとしたその瞬間。低く、しかしよく通る声が講堂の横から聞こえてきた。
反射的に声の方を振り返る。
「えっ……と?」
日陰に細長い影が立っていた。
(私に話しかけてる?)
透子は確信が持てず、曖昧な表情で黒い影を見つめる。影は、水草のように揺れながら近づいてきた。
「あー聞こえてる?君に話しかけてるんだけど」
「あ、え、はい!なんでしょう!」
影はくっきりとした声で、今度は明確に透子に向かって話しかけてきた。黒い影が日光に晒され、輪郭が露わになる。
「悪いが、詳細は省かせてもらう」
黒々とした瞳が透子を見つめていた。日差しが眩しいのか眉間にシワを寄せ、細い身体を猫のように丸めている。
「は、はい」
声は軽いのに、妙に迫力のある言葉に思わず息を飲む。男の、少し開いた首元からわずかに煙草の匂いがした。
「単刀直入に聞く。今から僕と恋愛できるか?」
「はい?」
周囲の笑い声が急に遠く聞こえる。
……え?
………新手のナンパ?
にしてはあまりにやる気がなさすぎる。
「え、えっと…」
困惑する透子をよそに男がふいに呟いた。
「さすがに無理か」
「は?」
「あえて普段の一人称である俺ではなく、僕と言うことで紳士を演出する作戦だったが、ちょい弱かったな」
「……は?いや知らないよ、そんな些細な工夫!というか、紳士がいきなり初対面の相手にそんなこと言うわけないし!…って、あ、ごめんなさい、つい…」
男の頓珍漢な発言に思わず突っ込みつつ、透子は口元を押さえる。やば…初対面の相手に失礼すぎた?そんな透子の心配をよそに、男は苦い表情で透子の無礼を優に上回る無礼さで吐き捨てる。
「チッ、ぎゃあぎゃあうるせぇな。タイプじゃなさすぎる。しくったな」
「な……ちょ、ちょっと失礼すぎない?!ってか、いきなり恋愛できる?とか意味わかんないし…!ふざけてるなら他当たって!」
「ふざけてる?バカいうな、こっちは本気だ。俺には時間がないんだよ。じゃなきゃ誰が好き好んでタイプじゃないやつに話しかけるか」
「な……タ、タイプじゃないのはこっちもだから!私のタイプは高峯優雅くんみたいな笑顔が素敵な美少年なんで!!」
透子は思い切って自分のスマホの待受を男の前に突き出した。スマホの画面いっぱいに透子の愛するアイドル・高峯優雅が微笑んでいる。
男は眉をしかめて待受を見ると、口を開いた。
「高峯?あぁ、この子か。確かに裏でもいい子だったな。一回現場行ったけど、ちゃんと挨拶してくれたし」
「……え?!」
予想外の返しに時が止まる。
「あ、やば」
男がしまった、という顔で項垂れる。"高峯くん"という推しアイドルの名前に、透子の警戒心は一瞬で消え去った。
「え、ちょ、あんた高峯くんの知り合い?!え、うそ、なんで?!!現場って何?!?!!もしかして関係者…?!あ、スタッフとか?!」
「うるさ!こいつドルオタかよ…あーもう仕方ねぇ。高峯くんが出てたドラマ『引きオタニートの成り上がり』って知ってる?」
「もちろん!知ってるもなにも、あれで高峯くん好きになったんだから!」
「あれの原作者は知ってる?」
「え?知らない。あ、でもなんかやたらゴツい厨二っぽい名前だったような…」
「俺」
「え?」
「そのやたらゴツい厨二っぽい名前のやつ、俺ね」
「……うそ」
透子は男を見た。
猫背で陰気。そして信じられないほど失礼。
(こいつが…あの作品の原作者?)
これが、作家・八神恭介———— のちに透子のキャンパスライフをめちゃくちゃにする疫病神との出会いだった。




