09.彼の恋の始まりは1
初めて彼女を認識したのは半年と少し前――騎士団長のエーゴン・ベルクマンと、彼女の姉、バーリー子爵家長女との結婚式の日だった。
エーゴン団長は俺が騎士団に入団した時から目をかけてくれていて、面倒見の良いひとだった。
当時は彼が副団長で、団長を務めていた方が騎士職を引退したタイミングでエーゴン団長がそのまま昇進し団長になり、それを機に結婚した。
エーゴン団長は侯爵家の長男で、新生活のために王都に新居を構えた。そのお披露目も兼ねて新居で行われた披露宴で、俺は彼女を見つけたのだ。
人の集まる場は昔から苦手だった俺は、団長への挨拶を済ませると一息つきに庭へ出た。
そこでとても美しい歌声が聞こえてきて、冗談ではなく一瞬天使が舞い降りたのかと思った。
導かれるようにその声の方へ足を進めると、噴水の縁に腰掛けて歌っている女性を見つけた。
歌詞は特にないような、メロディーだけを自由に口ずさんでいるような歌声だったが、俺はその声から耳が離せなくなってしまった。
気がついたら彼女が歌を口ずさむのをやめるまで近くで聞き入っていた。
社交界にも興味のなかった俺は、彼女が誰だかわからなかったが、声をかける勇気も持てなかった。
俺は昔からよく女に間違われた。
〝可愛いお嬢さん〟
などと言われたことに腹を立て、相手を殴ってしまったこともある。
男からはそのようにからかわれ、女からも可愛い可愛いとまるでおもちゃのように扱われた。
母は娘が欲しかったのだ。
嫡男が生まれて喜ぶ父の隣で、母はいつも複雑な表情を浮かべていた。
そして顔が母親に似た俺の髪を伸ばし、いつも「ヴィリは綺麗ね」と、まるで娘に掛けるような言葉を漏らしながら俺の髪を梳かした。
そのせいだとは言い切れないが、とにかく俺は人付き合いが苦手だった。
騎士になる道を選んだのはそのコンプレックスが主な理由だ。
この国の騎士団に女はいない。
それに、騎士団は訓練が厳しいということは有名だ。騎士団に入り、身体を鍛えれば女に間違えられることもなくなるだろうと思った。
学生の頃から鍛錬に励み、身体を鍛えていった。成長期であったせいもあり、俺の身体はどんどん男のそれになっていった。
良い成績を収め、身体も大きくなっていけば、周囲の俺を見る目が変わっていくのがわかった。
男は俺に一目置くようになり、機嫌を取ってくる者までいたし、女は急に甘い声を出して近づいてくるようになった。
意味がわからん。
突然そんなことをされても、こいつらがどんな人間であるかはわかっている。
だから今まで通り相手にすることなく、俺は首席の成績で騎士団に入団することができた。
〝男〟になっていく俺の姿を見て母は悲しそうだったが、騎士団訓練生のうちは寮に入り、母と距離を置いた。
女のようだった髪も切り、身の回りのこともある程度自分たちで行うようになった。
周りには肉体的にも精神的にも強い男ばかりで、楽だった。
覚悟の甘い奴は続かずに辞めていくのだ。
それでいい。
ともかく、俺は訓練に没頭する毎日を送った。
その時にはもう女に間違われることもなくなっていたが、単純に騎士としての仕事が自分の性に合っていたのだ。
国のために戦う。そのために強くなる。
なんとも単純で、それでいてやりがいのある誇れるものだった。
成果を挙げればきちんと報われるというのもありがたかった。
のちに任されたのはクラウディア王女の護衛だったが、エーゴン団長(当時は副団長)は、そんな俺によく稽古をつけてくれていたのだ。
――そんな団長の結婚式だから、招待を断るわけもなく参加したのだが、まさか運命的な出会いがあるなんて思いもしなかった。
彼女の歌声を聞いて以来、あの声が耳に残り、彼女のことが頭から離れなくなった。
彼女が新婦の妹だということはすぐにわかった。
つまり、バーリー子爵家の次女ということだ。
後にエーゴン団長から、彼女はカティーナという名で、俺と同じように人の多い賑やかな場所が苦手らしいということを聞いた。
彼女とはもしかして気が合うのでは?
そう思い、嬉しくなってしまったのを今でも覚えている。
ちょうどその頃、父からそろそろ婚約者を決めろとうるさく言われていた。
早く決めなければ父が相手を見つけてくると言われ、騎士の昇進試験を控えているから待ってほしいと願い出ていたところだった。
しかしこれは本当で、エーゴン団長が昇進したことにより、副団長の枠が空いたのだ。
国王は副団長の座には実力のある者を就かせると決め、一年後に地位や階級を問わず、平等に試験を行って決定することになった。
つまり、本当に俺にもチャンスがあるということだ。
世話になってきた団長に恩を返すつもりで、俺はその試験に臨むことを決めた。
だが、それとほぼ同じタイミングで彼女と出会ってしまったのだ。
歌声を聞いただけで惚れるなど、そんな奇妙なことがあってたまるかと自分に言い聞かせたが、何日経っても彼女を忘れることができなかった。
それで結局エーゴン団長に義妹であるカティーナ嬢がどんな女性なのか聞いてしまった俺に、団長は言った。
『ヴィリ、それは一目惚れというやつだ』
……一目惚れ?
一目惚れとは、あの、魔術のような、あれか?
そんな恐ろしいことが自分の身に起きるなど信じたくなかったが、どうやら認めざるを得ないと確信したのは、団長の口から「カティーナちゃんに縁談の話が上がっている」と言われた時だった。
もしかしたら彼女が他の男のものになってしまうかもしれないと思うと、これまで感じたことのないような焦りや恐怖を覚えた。
女性に――誰かに、このように想いを寄せる日が来るなど、思いもしなかった。
俺は一生誰かを愛することなく、父に決められた相手と義務的に結婚するのだと思っていた。
だが、話したこともない彼女に出会って、俺は変わった。
だから父に申し出た。
「婚約を申し込みたい女性がいる」
――と。
俺がその気になったことに父は喜んだ。
バーリー子爵家は先代から飛躍的に業績を伸ばしていて、下手な伯爵家よりも良家であったため、父は反対しなかった。
俺にはそんなことは関係なかったが、話がスムーズに進むのであればどちらでも良かった。
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