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毘の華  作者: 逍遙軒
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雇用

「政虎殿は身共に城を去れと言われるのか?」

「さにあらず。その方の預かりのままと申したであろう。兵と兵糧のみを差し出せばよい」

「し、しかし、この、どこの馬の骨とも分からぬ輩に」

「安心せい。兵の指揮そのものはこの柿崎景家に任せる。となりの広田は飾りじゃ」

「いったい何故に」

「まぁ、この広田の初陣の為だと申しておこう。しかし広田、その方本当に式部の血縁ではないのか?」

「このようなもの全く存じませぬ」

 あ、違うよって言おうとしたのに、羽生の殿様に先に言われてしまった。

「しかし御屋形様、何故この者を連れて行くのです」

 今度は本庄さんだ。

「儂は小田原に攻め登らねばならぬ。今は順々に関東の諸将が馳せ参じており、靡かぬ城を攻めているが、もしもだぞ、もしも広田が本当に先の世から参ったのであれば色々と使い道もあろう」

「どのように使われます」

「先を知る者ならばその知恵を借りるのじゃ。さすれば小田原も直ぐに落とす事ができよう」

 あの、そんな大声で話をされると皆聞こえちゃうんですけど。

 まぁいいか。

 でも俺、歴史なんか知らないから頼られても困っちゃうんだけどなぁ。

 まあ何やかやで羽生の軍勢は柿崎のおっさんが仕切る事になったので、俺はただ小田原に付いて行けば良いだけになったんだけど、羽生から小田原って何キロあるんだ?

 考えるだけでぞっとする。

 でもまだ出発はしないらしい。どうやらこの羽生の城で、近辺のお殿様達を集めるんだそうだ。

 そんなに殿様って多かったのか。知らなかった。

 羽生城に入ってからある日の夜、おれは謙信さんに呼ばれた。

 そうそう、あれからずっと羽生城で生活してるけど、流石に野宿と違って屋根が有るといいもんだ。

 吹きさらしの風や雨の中にいたら病気になっちゃうよ。

 さて、俺は妙なヤツだからって事なのか、特別に一人の部屋を宛がわれていたので、その部屋から廊下をスタスタ歩いて行った。

 謙信さんの部屋の前には何人かの若い小姓さんがいるので間違える事は無い。と思う。

 そして左程広くない屋敷に幾つか並ぶ部屋の脇を歩いて行くんだけど、このとき障子で仕切られた部屋ってのは夜だと良いもんだと気付かされた。

 各部屋で人が起きているところは、電気が無いから油皿に紙縒こよりを入れて、それに火を点けて明りを取ってる。それが中々の良い風情を醸し出しているんだ。

 感心しながら進んで行った俺は、小姓さんの座っている部屋を見つけて、中に声をかけてみた。

「広田ですけど、呼びましたか?」

 障子にゆらゆらと映る謙信さんの小さい影が見える。

「来たか、入れ」

 相変わらずの可愛らしいハスキーボイスだね。

 おっさんのくせにねぇ。

 障子をすっと開けて中に入ると、謙信さんはどうやら地図を広げてそれを眺めていたようだ。

 何をしてるんだろう。

「広田、お前はこの地図を見てどう思う」

 その地図は俺が見慣れたモノとは全く違う、いや、微妙に似ているが其々の面積がかなり曖昧に書かれた地図だった。

 たまに見かける場末の露店で売られている様な、大航海時代のひびの入った餅みたいな世界地図のような関東地方の地図だ。

「雑な日本地図ですね」

「雑か」

 ふっとほほ笑む謙信さん、なんだかゆらゆら揺れる光で艶めかしく見える。

 でもおっさんなんだよね。勿体ないなぁ。

「広田は、今我らがおる所はわかるか」

 見慣れた地図じゃなかったから大体の見当しか付かなかったが、この辺ですかねと指をさしてみた。

「そうじゃ。儂は越後の春日山から参り」

 そういうと、地図の新潟方面を指差して、すすっと移動させる。

「今はこの武蔵におる。今年初め安房の里見から助けを求める使いが春日山に来てな、北條に攻められておる故後詰を頼まれた」

 どうでもいいけど、謙信さん近い近い。

 地図を見ながら自分の世界に入っちゃったみたいで、やけに俺に近づいてきた。

 男のくせにパーソナルスペース小さいね。

 でも何でだろ?謙信さんおっさん臭くないな。

 揉みあげも近くで見ると毛が柔らかそうだし、肌の質感もしっとりしてるように見える。

 あ、いかん。俺BL入っちゃうところだったよ。

「どうした?」

「いえいえ、それで、これから里見さんでも攻めるんですか?」

「里見は味方だ」

 ちょっと呆れ顔になってる。

「里見を攻めていた北條は我らが関東入りすると同時に兵を退いた。故に里見への後詰は済んだ」

「と言う事は、これからどうするんですか」

「古河の公方の家人どもが全て集まった所で梁田の元におる藤氏を古河公方に据え、同行しておる近衛前嗣様を古河城に入れる。そして北條の推戴する義氏を討ったら、その足で先ずは鎌倉の八幡宮へ向かう」

 やばい、鎌倉しか分からなかった。

「鎌倉ですか。大仏見られますかね」

「広田は鎌倉へも赴いた事があるのか」

「ありますよ、小学校の旅行で」

「ほぅ、儂も小学校とやらに行ってみたいものじゃ。さすれば色々な所に行けて見分が広げられる」

 小学校ってそんなにすごい所だったか?

 まぁ確かに宿泊学習とか遠足は勉強だ!なんて言われた事はあったけど、只の遊びだった気がする。

「で、その家来達が皆集まったら小田原へ出発するんですね」

「そうだ。まずは内海(東京湾)の縁を通るように南下して、行く先々の城を落としながら進むつもりだ」

「へぇ。内海て東京湾のことかな?江戸城はあるのかな?東京見物しながら鎌倉へ行けるなんて、ちょっと得した気分かも」

「とうきょう?何の事だ」

「あ、俺がいた先の世界では日本の首都は東京になるんですよ、あ、都ですね。今は江戸って名前ですけど、東の京都で東京です」

「なんと、北條の城が東の都になるのか」

「いえ、北條さんて良く分からないけど、徳川家康でしたよ。たしか」

「徳川?知らんな。しかし噂によると葦原だけで何もない湿地が東の京になるのか」

「ええ、まぁ」

「広田、お主の話を聞いていると気が晴れるようじゃ。面白い。暫くは儂の小姓として身の回りの世話をせよ」

「世話ですか、あんまり気が利かないけど、それでよければ」

「その方は世話係と言うより御伽衆かもしれんな」

 御伽衆って聞いた事あるけど、何をするんだっけ。

 まぁ元々の知識の無い頭で考えても分からないか。

「んー、何をするのか良く分かりませんけど、宜しくお願いします」

 俺は精いっぱいの笑顔を作って頭を下げた。

 そのとき、謙信さんが急に表情を曇らせたことに気が付いた。


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