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チャプター18

ーハインヒュッテの村近郊、ローゼンヒュッテ火山裾野の森ー



 ハインヒュッテの村から馬車で一時間、一行はローゼンヒュッテ火山裾野の森に到着した。そこは、かの火竜が棲んでいる森である。鬱蒼と木々の生い茂る森は、大型の草食動物や上空を飛ぶ大きな鳥など、明らかに他とは違う生態系をしていた。

「ねえ、ここってなんでこんなに変わった植物が生えてるの?」

 エルリッヒはしゃがみ込んで足下に生える草花を手に取りながら、二人に素朴な疑問をぶつけた。質問を受けた二人は、一瞬顔を見合わせ目配せをすると、ツァイネが教えてくれた。

「あぁ、これ? ほら、ここって火山のすぐ近くでしょ? 溶岩が吹き出してるから栄養豊富な溶岩土が流れて来るし、火山灰も降って来るし、何よりあの山自体が巨大な暖房器具みたいになってるんだよ。だから、冬でも他より暖かいし、栄養に恵まれてる。それが理由なんだってさ」

 返ってきたのは知っている知識で想像できる範囲の答え。だが、それを口に出す事はない。そんな事をしては自尊心を傷つけかねない。エルリッヒは、こういう時ちゃんと相手を立てるという事はできる娘だ。しっかりと嬉しそうな表情を作る。そして、その次に、ゲートムントに少し冷たい視線を向けた。

「ふぅん。ツァイネ君、結構もの知りだったんだ。それに比べてゲートムントと来たら」

「お、おいおい。俺はツァイネに回答を譲っただけで、俺だってそれくらい知ってたっつーの。まったくひでーなー。筋肉バカにでも見えたのか?」

 慌てて取り繕い、ふてくされたような表情になる。しかし、その様子についつい吹き出してしまうエルリッヒだった。

「ぷっ! 筋肉バカ! いいじゃんそれ! あーおっかしー。でも、分かってるよ。さっきの目配せでツァイネ君に答えを譲ったって。それより、こっちこそ本気でバカにしたんじゃないって事、気付いてよね」

「もー、二人とも。おかしいなぁ、全く」

 馬車を降りて歩いていると、それだけで会話が弾んで笑いが起こる。やっぱり、楽しい旅だ。そばで見ている御者も、ついつい笑いに巻き込まれて行く。が、そんな御者とはここで一旦お別れだった。

「さて、お三方、私と馬が付き添えるのはここまでだよ」

「そっか、もうそんなところまで来たのか」

「じゃあ、ここにキャンプを設営だね。それが済んだら出発しよう」

「え? え?」

 御者の言葉に、ツァイネ達は馬車の中からテントなどを取り出し、てきぱきと設営を始めた。御者を見れば、こちらはこちらで馬たちを太い木に縛り付けている。どうしてこんなところに中継地点を作るのか、エルリッヒ一人だけが理解できないでいた。

「ねえ、みんな何してるの? とりあえず私にも説明して欲しいんですけど」

「ごめーん! 忙しいから作業しながらでいい? ドラゴン退治の中継地点を作ってるんだよ。あんまり近くまで行くと危ないから、比較的安全な地域でこうしてベースキャンプを作って、ここを拠点にするんだ」

「御者のおっちゃんには、ここで馬車と馬の見張りと、荷物の番をしながら待っててもらうって寸法さ」

「前の時も、ここに作ったんだよ。それよりも二人とも、説明しなかったのかい? それはいけない。エルちゃんが同行するのを認めたのなら、こういう段取りもちゃんと説明しなくては」

 ツァイネはテントを固定する杭を打ちながら、ゲートムントは薪を割りながら、そして御者はテントの中に荷物を運びながら、それぞれ説明してくれた。このように説明されては、エルリッヒも何もしないわけにはいかない。

「えっと、私にも作業ちょうだいよ。このままキャンプの華をしてたんじゃ、申し訳ないんですけど」

「エルちゃんねぇ。ツァイネー、エルちゃんには何してもらう?」

「そうだねー、じゃあ食材の運び込みを頼める? そういうのはエルちゃんの方がいいだろうし」

 こういう事は手慣れているからか、ツァイネは手際よく指示をくれた。もともとコンビで旅をする事の多い二人、役割分担というものには慣れているのだろう。

 エルリッヒはエルリッヒで、指示さえ下ればその手は早く、手際も良い。持ち前のバイタリティで馬車内の食材を次々と運び込んで行った。




ー二時間後ー

「それじゃあ、気をつけて。私は一人おいしい料理を作って待ってるから」

 という御者の言葉に見送られ、三人はドラゴン退治に向かった。ゲートムントもツァイネも、しっかりと鎧を着込み、ツァイネは剣を鞘に納めたまま盾を背負い、ゲートムントは槍を包みにくるんだまま台車に寝かせ、それぞれしっかり武装している。

 本当なら、エルリッヒはベースキャンプに置いて行きたかったのだが、どうしてもと言う言葉に、ついつい根負けしてしまった。やはり、エルリッヒには弱い二人である。

「ところでさ、その台車の荷物がフォルちゃんからのプレゼント?」

「そ。爆弾とか罠とか、後は足止め用の閃光弾とか、気付け薬や回復薬なんかもくれたよ」

「回復薬は、出番がないといいけどな。いや、飲むだけの体力が残ってればまだいいか。こないだなんか、薬を飲む体力すら残ってなかったからな。苦い思い出だよ、全く……」

 冷や汗まじりに苦笑いをするゲートムント。今はまだ気配を感じないが、この森には、件のドラゴンが間違いなく棲んでいるのだ。考えただけでも、緊張が走る。

 まして一度負けているのだ、好奇心と冒険心だけで挑んだあの時とは違う。いやが上にも緊張は高まる。

「っ! 悪い! ちょっと腹の具合が!」

「え? ええっ?」

 極度の緊張からか、急にお腹を下したらしいゲートムントが茂みに消えた。

「ちょっとー! っとに下品なんだから! これだから男は……」

「まぁまぁ。俺だって緊張してるんだから。少し離れて待とうか? それとも、ここで待つ?」

 軽く気を遣いながら、先を促す。さすがにこの場で待ってもらうのは気の毒だ。

「先に進むに決まってるでしょ? ゲートムントー! ちょっと先で待ってるからねー! できるだけ早くしてよねー!」

「悪いー!」

 茂みの向こうから、ゲートムントの声が響いた。それは少し小さく聴こえる。彼なりに気を遣ってかどうか、少しばかり奥に分け入ったようだ。

「じゃ、目印置いておくから、それを辿ってねー!」

「おーう!」

 ツァイネは歩きながら、携帯食料を少しずつ足下に蒔いていた。

「それが目印?」

「そ。これ、味も匂いもあんまり他の動物には向かないみたいで、こうして地面に蒔いても食べられないんだよ」

 よく考えられているものだ、と感心する。携帯食料は麦を煎ったようなもので、ぼそぼそしてそうではあったが、決して不味そうではなかったのだが。

 これが、人間の味覚用、という事なのだろうか。

「で、どこで待つの?」

「うん、この先にちょっと広いところがあってね。そこで待とうかなって。あそこならゲートムントも知ってるし、ドラゴンに遭遇したエリアからも少しあるし」

 ツァイネに連れられるまま歩いて行くと、茂みの向こうに少し開けたところがあった。誰が切ったのか、大きな切り株があり、椅子やテーブルの代わりにもなりそうで、時間をつぶすには確かに最適な場所だった。

 その景色の美しさに、思わず駆け出す。

「わぁ! いい感じじゃん!」

「でしょ? ここでなら、待つのもいいよね」

 ツァイネは切り株の側に台車を置き、自らも切り株に座った。

「よっと」

「どれどれ? お尻汚れないかな」

 鎧越しに座るツァイネとは違い、エルリッヒはそのままの普段着である。ハンカチを取り出すと、それを敷いた上に座った。

「さてと、私たちはどれくらい待てばいいのかしら?」

「知らないよ。それはゲートムントの腹具合次第。一応、お互い出発前には用を足して来たんだけどね。緊張するとお腹下す人、結構いるんだよ。ギルドの仲間にも何人かいてさ、苦労してるみたい。ゲートムントも、前はそんなでもなかったんだけど、こないだ負けたのが相当堪えたんだろうね」

 語り口調は柔らかいが、言っている事はなかなかにシビアだった。少なくとも、前回の敗北はゲートムントの体質を変えてしまうほどのインパクトがあったのだ。

 それは、今まで培って来た経験や実績、そしてそこから築き上げられた自信やプライドすら打ち砕くほどのものだったのだろう。ツァイネには親身に理解できる事だが、エルリッヒはただただ想像するしかなかった。

「そっか。私には、遠い世界だね」

「そうだよ。女の子の中には、おとぎ話の騎士みたいな世界を想像してる子もいるけど、俺たちが足を突っ込んでるのは、もっと殺伐としていて、血の色に染まった世界なんだ。命のやり取りが仕事だって事だけは、理解してくれてるよね?」

 それは、決して忘れてはならない事だった。凶悪な魔物を相手にするだけならいいのだろうが、盗賊退治ともなれば、捕縛が叶わない事もある。それはつまり、同じ人間同士で殺し合いをする、という事なのだ。人間同士の大規模な争いが終結してしばらく、それでも人間同士の諍いや殺し合いはなくならない。

「うん、それは、理解してるつも……り……」

「? エルちゃん?」

 エルリッヒの表情が、凍り付いていた。

「ねえ、気配、感じない?」

「気配? っ! まさか!」

 エルリッヒの視線の向こう、目と耳を凝らす。すると、かすかに「ドシン……」という重たい足音が聴こえて来た。木々の向こうに見える赤は、火竜の色か。

 そんな事を思う間もなく、木々を薙ぎ倒すようにして問題の相手はやって来た。

「で、出た!」

「これが、ドラゴン!」

 赤い鱗に覆われ、巨大な翼と長い尻尾。そして尻尾の先には棘のようなものが生えている。顔は鋭い視線をたたえた青い瞳と、かすかに炎が覗く口元。もちろん、口元には鋭い牙がずらりと並んでいる。

 足だけでツァイネの身長より高いのではないかと思わせる巨大な体躯は、広げた翼の大きさも相まって、恐ろしいほどの偉容をしていた。

「エルちゃん! 逃げるよ!」

「う、うん!」

 ツァイネの判断は素早かった。が、しかし、行動は火竜の方がわずかに速かった。

『ゴァァァァァ!!!』

 激しいまでの雄叫び。フレイムリザードのそれとは比較にならないほどの音圧が、二人を襲った。

「っ!!」

 思わず全力で耳を塞ぐツァイネ。

「これが、火竜の雄叫びなんだ!」

 普段物事にあまり動じないエルリッヒも、これにはさすがに驚き顔でいる。

「とりあえず、逃げるからね!」

 ひとしきり音の波が去った後、再び指示を出した。

「うん!」

 しかし、ここでもやはり火竜の方が素早かった。二人の姿を逃すまいと、駆け出して来た。突進攻撃である。

「やばい! 来る!」

 二人の顔に、戦慄が走った。



〜つづく〜

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