第十二話(最終回)
第十二話(最終回)
レトロ喫茶店「アカシア」の窓際。
雨が静かに降り始め、ガラスに細い筋を描いていた。
和は、湊の向かいに座っていた。
カップから立ちのぼる湯気が、二人の間に淡く揺れる。
「……今日、来てくれてありがとう」
湊が静かに言った。
「ううん。私も……話したかったから」
二人の声は、雨音に溶けるように小さかった。
まるで、言葉を大きくすると何かが壊れてしまうと分かっているかのように。
湊は、カップを両手で包みながら、
しばらく黙っていた。
和は、その沈黙を責めなかった。
湊が言葉を探しているのが分かったから。
「上月さん」
湊がようやく口を開いた。
「うん」
「俺……ずっと逃げてたんだと思う。
誰かを好きになるのが怖くて、
傷つくのも、傷つけるのも怖くて……
だから、言えなかった」
和は静かに聞いていた。
湊は続けた。
「でも……上月さんと再会して、
もう逃げられないって思った。
逃げたくないって思った」
和の胸が静かに震えた。
「湊……」
「上月さんが、
“恋愛は勝ち負けじゃない”って言った時……
なんか、救われた気がしたんだ」
湊は、少し笑った。
弱さと強さが混ざった、静かな笑顔だった。
「俺……ずっと負けてると思ってた。
自分の弱さに。
自分の臆病さに。
でも……違ったんだね」
和は、胸の奥がじんわりと熱くなるのを感じた。
「湊は……負けてなんかないよ」
「ううん。負けてたよ。
でも、今日……やっと言える気がする」
湊は深呼吸をした。
雨音が少し強くなる。
「上月さん」
「……なに?」
湊は、和の目をまっすぐ見た。
その目は、大学時代と同じで、
でも、もう逃げていなかった。
「俺……上月さんのことが好きだよ」
和は息を飲んだ。
胸の奥に積もっていたものが、
一気にほどけていく。
でも——
「……遅いよ」
和は小さく笑った。
涙がにじんでいた。
「遅いよ、湊。
私、ずっと……ずっと好きだったのに」
湊は驚いたように目を見開き、
そして、ゆっくりと笑った。
「知ってたよ」
「え……?」
「気づいてた。
でも、怖くて……見ないふりしてた」
和は涙を拭った。
「ほんとに……ずるいよ、湊は」
「うん。ずるいよね。
でも……もう逃げない」
湊は、少しだけ身を乗り出した。
「上月さん。
俺は……上月さんが好きだ。
ずっと、好きだった」
和は、胸の奥が熱くなるのを感じた。
——この瞬間を、ずっと待っていた。
でも、言葉が出なかった。
代わりに、
和は静かに微笑んだ。
そして、
湊の目をまっすぐ見て言った。
「……勝った」
湊は一瞬きょとんとした。
次の瞬間、ふっと笑った。
「……そっか。
上月さんの勝ちだね」
「うん。
ずっと負けてると思ってたけど……
今日、勝った」
雨音が静かに響く。
喫茶店のランプの光が、
二人を柔らかく照らす。
湊は、少し照れたように、
でも確かに言った。
「……愛してる」
その声は、
小さくて、震えていて、
でも、嘘がひとつもなかった。
和は泣き笑いのような顔でうなずいた。
「……私も」
二人の間に、
静かな余白が落ちた。
その余白は、
痛みでも、迷いでもなく、
ただ、温かかった。
雨は降り続けていた。
でも、もう冷たくなかった。
未完だった物語は、
ここで静かに、
確かに、終わった。
そして、
同時に始まった。




