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エピローグ

「そしてバカヒロはバカゆえに、ルイ様を気遣うことなく何度も勝手に海外へ飛んでいた、ってわけか」

「そのとおり。まぁ、最近は事前にどこの国に何泊滞在かは教えてくれるようになったけどね」

「じゃあいいじゃん。俺なんて崇宏と会うどころか声聞くのさえ何年振りだろ?」

「なるほど。篠原って本当に災難だったわけね」

「そう。崇宏にはいいように使われるし、ルイ様にはすぐ忘れられるし」

「まあ……それはほら、名前を覚えるのが苦手ってことで……ねぇ?」


 瑠依は苦笑いしながらちらりと崇宏に視線を向ける。が、思い出し泣き中らしいのでそっとしておく。


「いろいろあったみたいだけど幸せそうでよかった。ノリも気にしてたからさ」

「あ……。ノリは……元気?」


 鼻を啜っていた崇宏の肩がぴくんと動いた。洋介はすぐに気づき苦笑するが、瑠依はさっぱり気づく様子もない。もしかするとわざとなのかと洋介は勘ぐるが、元からこのふたりは自分の想像の斜め上をいく組み合わせのため、早々に勘ぐることを放棄する。


「ノリは元気だよ。女でもできて忙しいんじゃないかな」

「そっか……。うん、元気ならいいや」


 グラスにワインを注ごうとした瑠依の手が洋介にとめられた。きょとんと見上げる瑠依に洋介は笑う。


「そこでほら、いじけてる子がいるから。俺もそろそろ帰るよ」

「え、ちょっと待ってよ。こんなに残していかないで」

「崇宏が全部飲むって。じゃあ、また」


 いそいそと帰ろうとする洋介の姿に涙を拭った崇宏と瑠依は怪訝に思いつつも玄関まで見送る。靴を履いた洋介は、少し迷うように視線を落とし、意を決したように瑠依を見つめた。


「あー……ルイ様、悪いんだけどちょっと下までいい?」

「は? あたし?」


 一瞬きょとんとした瑠依は、ちらりと崇宏を見上げる。見たことのない無表情な顔、そして見たことのない冷たい目で洋介を見据えている。


「てめぇ……タダ飯食ったうえに俺の瑠依ちゃんをどうするつもりだ」

「や、タダ飯は悪かった。だが今日の俺は被害者だ。そしておまえのルイ様をどうにかしようなんて微塵も思ってない! そんな恐ろしいことができるかっ!!」

「ちょっと……どういう意味よ」

「いえ、すみません、口が過ぎました。でもわりとマジで話あるんだけど。ちょっとルイ様、下まで送ってくんない?」

「まあ、別にいいけど。じゃあ崇宏、片付けよろしく」


 瑠依はサンダルを履いて玄関を出た。続いて洋介が出てくる。

 廊下でもエレベーターの中でも洋介は無言だ。瑠依も洋介のことをよく知らないため、どんな話題を振ればいいのかわからず黙っていた。

 1階に着くと、洋介は無言のままエントランスを抜け、マンション敷地内の花壇に腰を下ろした。が、すぐに立ち上がり、きょろきょろとあたりを見渡す。そして近くにあった自動販売機へ向かい、缶コーヒーと果汁100%のオレンジジュースを買って戻ってくると、ふたたび花壇に腰を下ろし、瑠依にも座るよう促す。

 怪訝な顔のまま素直に座った瑠依にオレンジジュースを手渡し、自分は缶コーヒーに口をつける。

 沈黙を破ったのは、無言の時間にイライラしてきた瑠依ではなく、洋介だった。


「ルイ様、まじであれっきりノリに会ってないの?」

「会ってないけど。ノリになにかあったの?」

「いや、ピンピンしてる。ただ、崇宏と結婚したってことはそういうことなのかなーと思って」

「あたし、あんたがなにを言いたいのかサッパリわかんなくてちょっと苛ついてきたんだけど」

「うん、ごめんなさい。まあ……俺の勘違いだったら非常に申し訳ないし土下座の覚悟で聞いてみるんだけどさー」

「だからなんなのよ!」

「あー! そうカリカリしないで!! 腹によくない!」


 噛みつく寸前の瑠依がぴたりと止まった。

 頭を庇い、身を小さくしていた洋介は、深々と息を吐いて背筋を伸ばす。


「ルイ様、妊娠してね?」

「……なんで?」

「勘、としか言えないんだけど、酒豪のはずのルイ様が一滴も飲まないのって変だなと思ったのがひとつ目。ノリが昔、高いピンヒールで颯爽と歩くルイ様が恐ろしくサマになっていたって言ってたのに、会ったときも今もヒールが低いのに違和感があったのがふたつ目。崇宏の作った天ぷら、すげーうまかったのに、ルイ様はひとつも箸をつけなかったのがみっつ目」

「あー……もういい。あんた、子供いるの? ってか結婚してたの?」

「俺の兄貴の嫁さんがね、妊娠中そんな感じだったからもしかしてと思っただけ。んで、崇宏は全然そんなの気づいてないみたいだし、なんかあんのかなーと思って。どうなん?」


 洋介はまっすぐ瑠依を見つめている。なにをそんなに真剣な顔で尋ねているのだろうと見返しながら考えていた瑠依は、突然噴き出した。


「篠原、もしかしてあたしがノリのこと引きずってるとか思ってる?」

「違うの?」

「あったりまえじゃないの。最後にノリと会った日にちゃんと終わってるし、あんたがあたしをどう思ってんのか知らないけど、あんたが想像している以上にあたしは崇宏が好きだよ」

「じゃあなんでそんな顔してんの?」


 心配そうに瑠依を覗き込む洋介を見ていると、笑い飛ばすのが申し訳なくなってくる。

 実際、瑠依はこのことを崇宏に言い出せず、悩んでいたからだ。

 しばらく思案して、瑠依は手の中のオレンジジュースを膝の上で転がした。


「崇宏を縛り付けちゃうのが怖い」


 ぽつりと呟いた声は思っていた以上に小さく、次の言葉が続かない。

 けれど今度は洋介が噴き出した。ムッとして見返すと洋介は腹を抱えて笑っている。


「いやーごめんごめん。ルイ様のことだからてっきり崇宏を下僕に悠々と生きてるんだろうなーと思ってたんだけど、なんだ、普通の女じゃん」

「……あたしのことなんだと思ってんのよ……」

「ルイ様は今も昔もルイ様だよ。なんだそっかぁー。崇宏、喜ぶだろうなー」

「ホントにそう思う? 今でさえあたしの世話で大変なのよ、崇宏」

「じゃあルイ様は、崇宏が産むなって言うとでも思ってるわけ?」


 逆に問われ、瑠依は沈黙する。

 そんなことは考えてもいなかった。ただ、崇宏の背負う物をこれ以上増やしていいものかと勝手に悩んでいただけだ。


「崇宏は昔からずっとルイ様だけだよ。信じてやってよ」

「……親友のあんたがそう言うならそうなのかもね」

「とか言って、ルイ様が一番わかってんじゃないの? あいつ、今ごろテーブル片付けながら俺のこと呪ってるよ、絶対。俺の目の前で瑠依ちゃんを連れ去るなんてあいつは死刑だとか言ってる気がする」

「ああ、言いそう」


 ふっと瑠依の顔に笑みが戻った。洋介は安心したようにコーヒーを飲み干し、立ち上がって軽くズボンを払う。


「家族が増えたらまた呼んでよ。今度はルイ様も一緒に酒飲もう」

「ん。篠原も他人の世話ばっかりじゃなくて、せめて彼女くらいできたらいいね」

「ちょっと待て。俺にだって彼女はいるんですけど」

「ああ、そうなの? それは失礼」


 ぺこりと頭を下げると洋介は小さく笑って片手を上げた。

 去っていく後ろ姿を見送り、瑠依は星空を見上げる。今日も星は瞬いていて、どんなときも瑠依はあの星に祈ってきた。崇宏との未来を。


「さすがバカヒロのお世話役だっただけあるよねー、篠原も」


 高校時代の洋介の存在はほとんど思い出せないが、崇宏と話すときに必ず登場してきた名前だけは覚えている。実は少しだけ男相手に妬いていたなんて口が裂けても言えない。

 片付けを終えた崇宏が本格的に呪いの儀式を始める前に家へ戻ろうと立ち上がると、転がるように自動ドアから崇宏が飛び出してくるのが見えた。

 心配性な馬鹿男は瑠依を見つけるとホッとしたように微笑んだ。


 ふたりで家に戻ると、崇宏は念入りに瑠依のボディチェックを始めた。着衣の乱れ、ナシ! などと呟いている。親友のくせにそこまで信用がないのかと思うと、ほんの少しだ洋介に同情する。

 キレイに片付けられたテーブルの上には、水が入ったグラスと胃薬が置いてある。どうやら馬鹿な崇宏でも瑠依の体調には気づいていたらしい。

 なんとなく申し訳ない思いを抱きつつ、胃薬を薬箱にしまい、ソファに腰を下ろした。隣をぽんぽんと叩くと崇宏は心配そうな顔で素直に隣へ座る。


「瑠依ちゃん、最近全然食べないけど大丈夫? ビールも飲まないし。病院、行った?」

「うん。この間昼休み前倒しして行ってきた」

「どうしてすぐに言わないのっ!?」


 半泣きの崇宏を宥めながらも、どう切り出したらよいのかわからず沈黙が続く。ぎゅっと握られた手は少し震えていて、どうやら崇宏は瑠依が重病なのではと勘違いし始めたらしい。

 早めに誤解をとかなければと慌てて口を開く。


「あのね、実は……」

「瑠依ちゃんが死ぬなら俺も一緒に死ぬっ!!!」

「まず落ち着いてくれる? 病気じゃないし、勝手に殺さないで」

「じゃあなんなの……瑠依ちゃんがお酒飲まないなんておかしいもんっ!」

「いや……実はね、あたし、妊娠したみたいで」

「……おのれ洋介。こんな短時間で瑠依ちゃんを妊娠させるとは。やっぱり沈めてくるべし!!」

「あんた、馬鹿?」


 深々とため息をつき、瑠依はがっしりと握られたままの手を自分のお腹にのせる。

 そして馬鹿でもわかるよう、ゆっくりと説明した。


「ここにね、赤ちゃんがいます。今で7周目くらい。妊娠2ヶ月って言われた。崇宏くん、2ヶ月ってことはどういうことかわかりますか」

「2ヶ月も前にあのやろう!!!」

「篠原と会ったのは今日の仕事帰りだってば。それまで存在すら忘れてたわよ」

「うわーん! 瑠依ちゃん、大丈夫! 俺が育てるから!」

「当たり前でしょっ!? あのねぇあんた、あたしにケンカ売ってんの? あたしがあんた以外の男と子作りしてくるような女だと思ってんの!?」


 瑠依の言葉にぴたりと停止した崇宏は瞬きひとつせずに瑠依の腹部を見つめている。やっと少し伝わったらしい。


「ない。瑠依ちゃん、浮気、ない」

「なんでカタコトなのかよくわかんないけど、あんたの瑠依ちゃんはあんたの子供を妊娠しました。質問は?」

「ない。え、うん、え?」

「ごめん……」

「え、なんで謝るの?」

「まだ子供、欲しくなかったんじゃないかなと思って……」


 身体の変調に気づいてこっそり検査したときは嬉しかった。病院に行って妊娠が判明したときもただただ嬉しかった。けれど、すぐに崇宏へ連絡しようとした手はぴたりと止まってしまった。

 海外を含め、遠方での撮影以外、崇宏は瑠依が帰宅するまでに帰ってきて部屋に明かりをつけてくれている。『おかえり』の笑顔とおいしそうな夕食の香りで出迎えてくれる。最近は散歩がてら、瑠依もカメラを持って崇宏の趣味に付き合っているが、基本、崇宏はすべてにおいて瑠依優先で動いてくれる。なにもかもだ。

 これ以上の負担をかけていいのだろうか。

 そんな思いが、連絡しようとした瑠依の手を止めた。

 崇宏はそっと瑠依のおなかに手をあてた。


「動いてる?」

「まだ動かないよー」


 崇宏の馬鹿発言にちょっとだけ笑った瑠依は、静かに息を吐いた。

 言い出せなかった自分に少し腹が立つ。崇宏はいつだって馬鹿だがいつだって幸せそうだったではないか。

 突然帰ってきたときはしれっとしていたけれど、瑠依からいつ別れ話をされるかと怯えていたではないか。ほんの少し優しくするだけで泣いていたではないか。

 瑠依は顔を上げ、崇宏の口の端に唇を押し当てた。キスしろという命令形のおねだり。崇宏は誘われるまま唇を重ねる。

 何度もキスをして、そのうち自分の頬が濡れるのを感じた崇宏は驚いて手のひらをあてた。

 泣いてない、大丈夫だ、とホッとした瞬間、目を見開く。

 瑠依は泣いていた。


「る、瑠依ちゃん、どうしたの!?」

「思い出しただけ。憎たらしい!」

「もう置いていかないってばー……」

「待ってろぐらい言えばよかったじゃない! 馬鹿!」

「ごめんなさい……」

「……嘘だよ」


 瑠依は崇宏の肩に瞼をあてたまま独り言のように呟いた。

 待ってろだなんて言えない崇宏の気持ちも立場もわかっていた。ただ、待たせてもくれないで一方的に去っていったのに、ずっとずっと崇宏の帰りを待っていた自分が憎たらしい。だけど好きなのだ。


「帰ってきてくれてありがとう。私を愛してくれてありがとう」

「約束したもん。一生瑠依ちゃんだけ愛すって」

「やっぱり崇宏って馬鹿だね」

「一途って言ってよ!」


 小さく笑った瑠依はぎゅっと崇宏を抱きしめて耳元で囁いた。

 抱きしめ返して崇宏は笑って頷く。


「知ってるー。そんなの疑ったことないよ」

「嘘ばっかり。篠原と浮気したってあんた、泣いてたじゃない」

「あのときは俺、ちょっとお馬鹿だっただけですー」

「今もですー」

「違いますー。今はわかるもん。瑠依は俺のこと待っててくれたもん」

「産んでもいいですか」


 唐突に切り出された崇宏は腕の中に視線を落とした。なにを言われたのかわからない。

 そんなめでたいことなのに、産んでもいいかという問いかけの意味が理解できない。


「瑠依ちゃん、ごめん。俺、今ちょっと変。なに? 産んでいいに決まってるでしょ。なんで聞かれたの、今」

「崇宏、仕事忙しいし……家事も手伝ってくれてるし」

「いやいや。仕事ないときは家でぐうたらしてるだけだからごはん作ってるだけでしょう。経済的な心配……は、ないよね。貯金、かなりできたってこの間よろこんでなかったっけ?」

「うん……私のお世話も忙しいでしょ、崇宏」

「はぁー? 瑠依ちゃん、俺を見くびってはいけません。瑠依のためならなんでもできるように遺伝子に組み込まれてるの、証明しなかったっけ?」

「じゃあ……私、お母さんになってもいいですか……」

「もちろんです。俺をお父さんにならせてください」


 ホッとしたように笑って崇宏の胸に顔をうずめた瑠依をぎゅっと強く抱きしめたあと、慌てて力を緩める。

 そしてもう一度そっとおなかに触れてみた。


「瑠依ちゃん、俺で後悔してない?」

「するわけないでしょ。私、崇宏の写真、好きだもん。撮ってるときの崇宏、好き」

「よかった……」


 崇宏はもう一度抱きしめて、肩に瞼を押し当てた。じわりと瑠依の肩口が濡れる。

 本当によく泣く男だ。

 けれど瑠依は、この泣き虫で少々馬鹿で過剰すぎる愛情表現をする崇宏のことがやっぱり好きだ。


 囁いた言葉に偽りはない。


『私も崇宏のこと愛してるよ』


 星の瞬きは幾千もの時を超えてその存在を伝えている。

 瑠依の想いも同じだ。付き合っていた5年間も、捨てられたあとの6年間も、帰ってきたあの日からもずっと。

 おなかに宿った小さな命は、たなばたの箱舟が運んできたのかもしれない。瑠依は泣き虫の男の頭を撫でながらそう思った。


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