82 楽屋裏
「なんてことしてくれるのよ!」
――舞台裏の控室にアンリエッタの声が響く。そしてそれと同時に、怒りに任せて投げられたクッションがダリオンの胸にぼすっと当たる。
ダリオンは避けることも、途中で受け止めることもせず、当たり前のように受け入れる。
控室の外からは、いまだに歓声が聞こえてくる。
公爵令嬢の復活、そしてキスに、アグスティア中が熱狂している。
表彰式は完全に崩壊していた。本当ならこの後に優勝者インタビューも、優勝者とアンリエッタとのエキシビジョンマッチも予定されていたのに――当然のように中止となっている。
あくまでサプライズなので、プログラムに入れて公開していなかっただけ幸いだったが。
――いや、そんなことは些細なことだ。この男がしでかしたことに比べたら。
「全国中継よ、全国中継?! あの光景が、国中に見られたのよ?!」
王国全土のあらゆるスクリーンに、しっかりと。
「――ばかあああああぁぁ!」
アンリエッタは羞恥に叫びながら、二個目のクッションをダリオンに投げる。今度は顔面に直撃。
ダリオンは落ちてきたクッションを丁寧に抱え、傍のソファにそっと置いた。
「――だからこそだ」
「なにが?」
「君の復活は、これ以上なく人々の記憶に刻み付けられた」
「でしょうね」
もうバッチリ映っている。言い訳しようのないくらいしっかりと。
――いまだ聞こえてくる熱狂こそ、その証拠だ。
「頬では、ただの儀礼だ。唇なら――君のことを、誰もが忘れられなくなる」
「ふ、ふーん。全部、あなたの策略ってわけね」
ダリオンは首を横に振る。
「……違う。それだけではない」
わずかに言い淀み、しかし覚悟したように口を開く。
「これからも君の隣に立つために……あの瞬間、どうしても譲れなかった」
「…………」
その目は驚くぐらい真剣で。
そして、表彰式で唇を重ねる直前と、同じ色をしていた。
(――わたくし、とんでもない男を運命の相手に選んだのかもしれないわ……)
すべてを覚悟して、決して引かない。
多くを語らないくせに、決めたことは絶対にやり遂げる。
(……す、好きにならないわけないじゃない……!)
心臓がうるさいくらい高鳴っている。もう、苦しい。
「……じゃ、じゃあ、わたくしを抱えて途中退場したのはどういうつもり?」
「……君の顔が真っ赤だったから、このままでは倒れかねないと思った」
「赤くもなるわよぉ!!」
三個目のクッションをつかもうとしたとき――
『ワン!』
扉の外から忠犬騎士くんの合成音が響き、アンリエッタははっと手を止めた。
そして、ノックもせずに扉が開かれ――ダリオンがアンリエッタを守るように立ち、巨大な着ぐるみはぎりぎり扉を通って入ってくる。
忠犬騎士くんはしっかりとドアを閉めてから、背中を向けたまま頭を取り外した。
――そこに現れたのは、見慣れた後ろ姿。
「……ふむ。いささかこれは窮屈だな」
「か――閣下?!」
ダリオンが驚きの声を上げるのを聞いて、アンリエッタはくすくす笑った。
「あら。あなたにも読めないことがあるのね」
アンリエッタは着ぐるみの傍に寄り、脱げた頭を支える。
「お疲れさまでした、お父様」
「うむ」
父――ジグフリート・アグスティア公爵は着ぐるみを着たまま振り返り、ダリオンとアンリエッタを見た。
「よくやったな。見事なものだった。――一番近くで見届けさせてもらったぞ」
「あ……ありがとうございます」
ダリオンは受け取った忠犬騎士くんの頭をソファに置いて、わずかに動揺したまま応える。
「まさか、公爵閣下でしたとは……スタッフの騎士の誰かかと……」
「なかなか快適なものだったぞ。着ぐるみの中身に話しかけてくるものはおらぬし、これほど気楽な場所もない。少々暑かったがな」
「その剣……本物ですね」
ダリオンは忠犬騎士くんの腰の、どう見てもおもちゃの剣を見て真剣に呟く。
「うむ。いざとなれば護衛も、そして反撃もできるというわけだ」
「ダリオンの意見をフィードバックしたのよ。試着テストで剣が抜けないと言っていたでしょう?」
その状態で、父はずっと舞台にいたのだ。
決勝戦の立ち合いとして、そして表彰式でアンリエッタのサポートとして。
アンリエッタは黙って父の背後に回り、ファスナーに手をかけた。ダリオンも自然と動き、公爵が着ぐるみを脱ぐのを手際よく補助する。
着ぐるみを脱ぎ終わった公爵は、ふうと息をついてソファに座った。
「……今回の大会は、予想以上の成果だった」
外の喧騒と切り離された場所で、父はゆっくりと今大会を振り返り始めた。
「各地への中継によって、我がアグスティア公爵領がどれほどの力を保持しているかを、内外に示すことができた。会場の設計、設備、進行、すべてが国家級の水準だと証明されただろう」
――そう。アグスティア公爵家が、王家に劣るところのない――むしろ王家以上の力を持っているということが、王国中に示された。
「そして――中継放送という新技術――これの恐ろしさは、地位のあるものなら誰でも気づく。我が娘ながら恐ろしいものだ」
アンリエッタは微笑んで頷いた。
積極的に軍事利用するつもりはないが、防衛用は徹底的に有効活用する。
そして、この技術の使い道は軍事だけではない。
娯楽。
娯楽を制するもの、世界を制する。
チェスという知的遊戯も、魅せ方によれば熱い戦いになる。マスコットキャラクターはビジネスになる。そして、各地に映像と音声を届ける技術。荘厳な式典も、スポーツも、演劇も、音楽も、これがあれば届けることができる。
今後小型スクリーンを販売すれば、間違いなく売れる。
大衆はもう知ってしまった。娯楽というものを。娯楽は、パワーになる。
「それから――ダリオン」
父の目が、ダリオンに向けられる。
「君の勝利は、王家に対する静かな革命となった」
「…………」
「君が正々堂々と、一切の交渉にも揺るがず、ただ実力だけで勝ったことが――この国の民に、希望を与えたのだ」
「……私は、ただ……」
ダリオンはその言葉と視線から、わずかに目を逸らした。
「アンリエッタの騎士であろうとした。そうだな?」
「……はい」
父はふっと笑う。
「それでよい。その覚悟、確かに見届けた」
その顔はどこか嬉しそうで、アンリエッタは不思議な気持ちになった。
どうしてだろう。ダリオンは私的な事情ゆえと言っているのに――国のためでも、アグスティアのためでもないのに――むしろ、それを喜んでいるように見える。あれだけ国のために、家のために動き続けてきた、政治家であり軍人である父が。
(お父様の考えていることは、よくわからないわ……)
大人になったらわかるのだろうか。
自分はまだまだ未熟ということなのか。
それとも――父親特有の気持ちなのか。
「君が負けた場合も手を打っていたのだが、必要なかったな」
アンリエッタはダリオンを見上げ、笑う。
「……万が一王太子殿下が勝った場合は、わたくしが壇上で王家の所業と闇を全部明かす段取りだったのよ、ふふっ。わたくしが王家によって殺されたことの経緯とか、色々ね」
何せネタは山ほどある。
アグスティアは名門貴族。古くから王宮の重鎮である。
「だが、君が勝ち――これ以上なくわかりやすいかたちで愛を示したことで、民衆の支持は我々の方にある。――騎士譚はいつの時代も支持される。なにより、ロマンがあるからな」
――無名の騎士が、戦いの中で猛者や貴族を打ち倒し、悪役王子をも正々堂々と戦って倒す。
そして、悲劇の姫を救い出し、口づけし、抱き上げて立ち去る――……
確かにこれは騎士譚だ。間違いのない騎士譚だ。
多くの人々が好み、受け入れやすい物語を、ダリオンは完璧に再現した。
「――これはもう、華麗なる無血革命と言ってもいいのではないかしら?」
王家の威信は、もう崩れ去っている。
正々堂々と負けていたらこんなことにはなっていない。
買収工作。冒険者を侮辱する発言。慢心からの勇み足――そして、チェックメイト失敗。
すべては自業自得なのだ。
もしその敗北すら拍手を持って称えられるほどの潔さだったら、アンリエッタは王家の闇暴露計画を延期せざるを得なかった。
世論の空気は、重要なのだ。
「あなたは英雄よ……わたくしのダリオン」
――アンリエッタが表舞台で正々堂々と立つために、そしてその先の未来も支えるために、すべてを懸けて戦ってくれた騎士。
「――わたくしの隣に立つのに、あなたほど相応しい人はいないわ。優勝、おめでとう」
ダリオンは微かな笑みを浮かべ、アンリエッタの手を取った。
軽く――だが強く、握りしめる。
「……ありがとう」
「ふふっ、色々あったけれど……すっごく楽しかったわね!」






