79 決勝戦
鐘の音が静かに余韻を残す――その瞬間だった。
中央上空に、眩い光柱が立ち上った。
それは魔導照明による演出ではない。舞台背後の奥、透明の魔水晶で形成された巨大な構造物が、外からの光を受けて煌めく。
高らかなファンファーレが空を裂く。
金管の音が何重にも重なり、祝福と勝利を奏でる旋律が天井いっぱいに広がっていく。
同時にスタジアム全体を金と銀の粒子が包み込む。
その輝きの中を、ふたりの決勝進出者が静かに歩いてくる。
右――王太子レオナード・レグルス。白と金の略式礼服を着た彼の姿を照らす。王者の威風に相応しい輝きだった。
左――ダリオン・ヴァルフォード。黒の外套をまとい、歩みは静か。
歩くたびに、光の粒子が靴の先で舞い、まるで神話の英雄が降り立ったかのような光景が出来上がっていた。
――これは、ただの競技ではない。
これは、この国と、この時代を象徴する一局。
そして、未来への道を決める、一手の戦い。
光がすっと収束する。
盤面が照らされる。
ふたりの英雄が向き合う――
三分割にされたスクリーンには、中央に盤面、左右に両プレイヤーの表情、右端には実況と解説者の姿が映っていた。
そこには、穏やかに微笑むルドルフと、仮面をつけた『祝福の女神』が並んで座っている。
――決勝戦のアンリエッタは、深紅のドレスを着ていた。告知ポスターと同じ色のドレスを。
その姿は、ステージ奥に高々と飾られている優勝トロフィー――純金製の女神像ともよく似ていた。
「ついに決勝戦! 冒険者ダリオン選手と、王太子殿下の頂上対決! この歴史的一戦の解説は、祝福の女神様にお願いしております」
「よろしく。決勝にふさわしい、政治と美学のぶつかり合いになりそうですわね」
「両者ともこれまで全勝でございますが、今宵に頂点に立つのはただ一人! ――決勝戦の立ち合いは、アグスティアの忠犬騎士くんとなります」
着ぐるみの調整が完了したばかりの忠犬騎士くんが、両者の間に立って先攻後攻抽選用のポーンボックスを持っている。
「中の人などいません」
アンリエッタはさらりと言い、微笑んだ。
王太子レオナードは一瞬怪訝そうな顔を忠犬騎士くんに向けるが、特に何も言わずボックスからポーンを取る。
ダリオンもそれに続きポーンを取り出した。
中継用メガリアが二人の手元をアップする。
白のポーンを掲げたのは――
「白の駒を引いたのは……王太子殿下!」
実況ルドルフが叫び、観客席から歓声が上がる。
ダリオンは無言で黒のポーンを観客席に見せるように掲げ、そして対戦席に向かった。
黒の外套がひらりとはためき、剣を対戦台の横に置く。
王太子レオナードも同様に、剣を置く。
お互い、一歩では手に取れない位置に。
――それにしても。
白衣の王太子が白を取り、黒衣の騎士が黒を取った。
(なんて、絵になるのかしら……)
偶然とは美しい。まるで必然かのように。
――この決勝戦だけは、ある仕掛けを用意してある。とは言っても、盤上の音声を拾い上げやすくなっているだけだが。
観客席に聞こえるのは駒の移動音くらいだが、アンリエッタと、父のジグフリート・アグスティア公爵にだけは選手たちが漏らした息や呻き声が聞こえるようにしてある。
――まるで、すぐ近くに座って対局を眺めているかのように。
そして――開戦の鐘が鳴った。
開幕、王太子の白の軍勢から、ポーンが迷いなく前進する。
ダリオンも受けるように黒ポーンを前進させ、しばらくお互いに陣形を整える時間が続く。
カツン、カツン、と小気味よい盤上の音。
レオナードの表情は王者の余裕と自信に溢れていた。
対するダリオンは無表情。――静謐、という言葉すら似合う。
そしてお互い十手目ともなると、ほぼ陣形が完成する。
レオナードの白の軍は攻撃陣形。
ダリオンの黒は防御陣形。
――特筆すべきことと言えば、ダリオン側が多くの時間を使っていることである。
――そして、白の軍が動く。
「王太子殿下、派手なルーク攻勢です! 見た目にわかりやすい、いかにも『強者』といった陣形ですね!」
「ええ。威風堂々とされたものです。殿下が軍勢を率いる様子が、目に見えるようですわ」
見ているものの脳裏に、王太子レオナードの軍が威勢よく攻めている絵が思い浮かんでいることだろう。
(……でも、あまりにも見た目重視)
そうして序盤が終わるころには、白の軍勢が戦場の中央を制して黒に圧をかけている格好になる。
「……それにしてもダリオン選手、長考が続きますね。既に持ち時間の半分を費やしています……」
「……その分だけ、深く潜っているのでしょう。もしかしたら、彼にはもう終局図が見えているかもしれません」
観客席がざわつく。
アンリエッタの解説に「まさか」とでも言うように。
――その時、アンリエッタの耳元に盤上の声が届いた。
『――私が欲しいのは勝利だけだ。私が勝ったら、貴様に賞金を倍にして渡そう』
――買収。
くだらないことをする。
勝利を確信しているのに、あえて投降を促している。
――いや、確信できていないからだろう。
レオナードは怖いのだ。
勝っているのに勝ち切れていないような気がして――だから、早めに勝負を終わらせようとしている。
ダリオンは表情一つ変えることなく、次の手を指した。
『もう貴様の負けは見えているだろう……このままおとなしく降参すればいい』
『…………』
アンリエッタは手元の音量調節ボタンで、スクリーンに出力される音量を上げた。
「倍では足りないと……? なら三倍だ」
こそこそとした呟きが、感度を上げたミミウスによって拾われ――音量を増して、スクリーンから流れる。
ダリオンは変わらず無視していた。
しかし、観客はそうではない。いまの王太子発言の意図を察し、どよめいている。
盤上の音声が増幅されてスタジアム内に響いていることに、選手たちは気づかない。
選手たちが集中できるように、外部の音はほぼ遮断されるように設計している。もちろん完全ではないため、注意深く周りを見れば異変に気付くだろうが――
頭に血が上っているレオナードには聞こえていないようだ。
――そして。
「ならば、十倍だ! 冒険者風情ならば一生遊べる金額だろう!!」
王太子の声が、高らかに会場に響き渡る。
もちろん中継にも乗って、王国全土に届いている。
――観客の、そして観戦者たちのざわめきは、選手二人には聞こえていない。
だがアンリエッタにははっきりと感じ取れる。国が、大きく揺れたのを。
「おおっと!? 王太子殿下、これは……まさかの……!」
「勝ちを譲れば、優勝賞金の十倍を渡すと取引を持ち掛けたのでしょうね」
――言い逃れのできない買収の証拠。
しかしダリオンはまるで聞こえていないように眉一つ動かさず、駒を進める。
「ですが……誇りと誓いを胸に戦場に立つ騎士は、動かせなかったようですわね」
――王家や王家派貴族がこの中継を見ていたら、いまごろ椅子から立ち上がっているだろう。
もちろん王都には中継スクリーンをたくさん設置したので、どこかで見ている――見ていなくても、報告が上がっているのは間違いない。
(さすが殿下、見せ場を作るのが上手ね)
だがレオナードは気づいていない。観客席のざわめきにも、王族の威信が窮地に陥っていることも。
むしろ完全に無視されていることでヒートアップしていて、どんどん勢いよく攻めていく。
強引にでも詰ませ、相手の王の首を取ってやろうという気概が伝わってくる。
――そして、39手目。
レオナードが白のクイーンを手に取り、黒王を狙える位置に堂々と置く。
ダリオンが次の手で黒のナイトを動かし道を阻むが、それも次の手で取られる。
「――チェックメイトだ!」
――勝利宣言。
追い詰められた黒のキングの首元に、白のクイーンの刃が突きつけられる。
――一見、どこにも逃げ場がないように見える。
「王太子殿下が勝利宣言! 殿下の表情は完全勝利のそれ! これは……決まったのか……?」
実況の声と、観客の歓声が響く中――
「これで、ローズ嬢も、アグスティアも、僕のものだ――」
レオナードの喜びが、そして笑みがスクリーンに拡大される。
アンリエッタはそれを、静かに眺めていた。
(――あの方は、いつだって、詰めが甘いのよ)
ダリオンは静かに黒王を手に取り、前進させた。
一手だけ残されていた隠し通路――ナイトによって開かれた、死角に生まれていた逃げ道によって、キングが窮地から脱出する。
まるで、最初からそう決まっていたかのように。
「――へ?」
レオナードの間の抜けた声が響き、その直後、顔面が驚愕と焦りによって崩れた。
チェックメイトの錯覚と共に。
――王手は王手ではなくなり、レオナードの勝利の確信は儚く消え去った。






