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【8/6書籍発売】追放された悪役令嬢は【錬金スキル】で華麗なるチート生活を満喫する  作者: 朝月アサ


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76/84

76 癒しの時間





 解説席を下りたアンリエッタは、ふぅと息を吐いて、仮面を外した。

 そこにセラが飲み物を持ってやってくる。


「お嬢様、お疲れさまでした。次の試合の解説はどうされますか?」

「……本当に疲れたわ。今日はもう終わり」


 ソファに沈み込みながら、唇を尖らせる。


「本当はもっと騒ぎたかったし、応援したかったのに! あの姿だときゃあきゃあ言えないのよ!」


 あくまで公平な『祝福の女神』として座っていなければならないので、「ダリオン頑張って」なんて色んな意味で言えない。


 ――公平、だったつもりだ。


「じゃあ次の解説は、ダリオン様にお願いしてみましょうか」


 セラの言葉にアンリエッタはびっくりして飛び起きた。


「ダメ! プレイヤーに何をさせる気?! 試合のないときは彼をゆっくりいたわってあげたいの! 解説するにしても、わたくしの隣で二人きりでしてほしいの!」

「それは解説ではなくデートです」

「いいじゃない……恋人なんだから……」


 アンリエッタはどことなく恥ずかしいものを感じながら、よく冷えたレモンティーを飲む。


「次の解説は、お父様とかいいんじゃない?」

「……公爵閣下は、貴族の方々に囲まれていますので……」

「だからこそよ。お父様もゆっくりチェスを観戦したいはずよ。ルドルフと一緒なら、リラックスできるはずよ」

「……とても重厚なチェス中継になりそうです」

「でしょうね。これは昔のどこの戦いの陣形を再現しておる、とか言いそうね。それはそれで需要があるんじゃない?」


 ――チェスに詳しくない人間は眠くなるかもしれないが。


 次の試合は王太子レオナードの試合である。どんな中継でも、話題性は抜群すぎる。多くの人間が見届けるだろう。

 そしてその試合でアグスティア公爵が語る――というのは、貴族たちにとってインパクトが大きい。


 娘を失ったアグスティア公爵が、王太子を見て何を語るのか――注目度も話題性も抜群だろう。


「それにわたくし、他の人たちの試合なんて……特に王太子殿下の試合なんて……毒を吐く気しかしないわ」

「そうですね。では二戦目の試合解説は公爵閣下にお願いしてみましょう」


 ――話が早い。


「多分大丈夫よ。お父様、この大会の成功を一番願ってくれているから」

「ですが、ダリオン様と殿下以外の方々の試合は、祝福の女神様が解説をお願いします。視聴率100%を目指すのですよね?」

「――わ、わかったわ。ちゃんと語るわよ。『物語』をね」



◆◆◆



 第二試合――レオナード王太子。対するは、予選七位の若き子爵令嬢エルネスタ。

 王族と貴族、美男と美女の華やかなる対局の幕が上がる。


 客席の多くは貴族で埋め尽くされ、そこかしこに金糸の刺繍が瞬いている。

 スクリーン越しに見える世界はさながら舞踏会のような空間だ。


 その試合を、アグスティア公爵ジグフリートが、重厚な声で静かに解説する。


『この陣形は、百年戦争の折に生まれたものだ。……左翼のビショップ展開が鍵となる。殿下は、こうした戦術史に通じておられるのだろう』


 威厳と風格に満ちた声は、年配の貴族たちにとって格別の響きを持ち、若い者たちには眠気と重圧を、そして敬意を与えていた。


 ――それはまさしく、貴族のためのチェス。

 静かで、雅で、格式高く。

 まるで画面越しに薔薇の香りが漂ってきそうだ。


 アンリエッタはその様子を、ダリオンと一緒の控室で観戦していた。


 ――正直、眠い。とても。

 様々な疲れが一気に押し寄せてきたかのように、瞼が重い。


「ねえ、ダリオン……よかったらでいいんだけど……」


 アンリエッタは青いドレス姿のまま、ソファの隣に座るダリオンの腕に頭を預け。


「膝枕、お願いしていい?」


 そっと、囁く。


 ダリオンは一瞬だけ動きを止め、軽く身体を開いた。


「……おいで」


 短く、優しい言葉に、胸がきゅっとなる。


 アンリエッタは静かに身を預け、そっと彼の脚に頭を乗せた。


 ダリオンの手がゆっくりと動き、アンリエッタの頭を撫でる。

 大きくてあたたかい手に、緊張がほどかれていく。

 包み込まれるような感触に、アンリエッタは安心して目を閉じた。


「君は、無理をしすぎだ」

「んー……でも、手ごたえは悪くないの……」


 このチェス大会、何もかも手探りだけれども、うまく進行している自負がある。


「もう少しだから、頑張るわ」


 ――すべての試合が終わり、極上のサプライズが始まるまで、あと少し。


 アンリエッタは膝枕されたまま、スクリーンを眺める。

 映し出されているのは、レオナード王太子と子爵令嬢エルネスタの一戦――貴族同士の洗練された駆け引きだが、どこか味気ない。


「どうかしら、二人のチェスは」

「堅実な社交的チェスの応酬だな」


 淡々とした声で言う。


「黒の動きが悪い。実力差以上に、雰囲気に圧されているのだろう」

「そりゃあ、相手が王太子殿下だもの。どうしても委縮しちゃうでしょうね」


 ――委縮。


 自分の言葉が、棘のように胸に刺さる。


 もしかしたら、かつて自分もしていたかもしれない。

 婚約者である王子の、唯一得意なチェス――アンリエッタは彼にずっと勝てなかったが、もしかしたら心のどこかで勝とうとしていなかったかもしれない。


 ――その方が丸く収まるのだと、勝手に思っていたのかもしれない。


 それに気づくと、自嘲が零れ出た。


「……勝つより、負ける方が得られるものが大きいのよ」


 苦く笑って言った言葉に、ダリオンは少しだけ黙し、それからスクリーンの表示を消した。

 音が途絶え、映像が消える。

 控室には、ふたりきりの静けさだけが残った。


「……いいの?」

「見るべきものはない」


 あの場で行われているのは社交のチェス。

 ダリオンが興味を惹かれるものは一切ないのだろう。


 アンリエッタはくるりと身体を捻り、ダリオンの身体側に頭を向けた。


「――ねえ、ダリオン。あなたからみてわたくしのチェスってどんな感じ?」

「強い。――だが、少し窮屈そうに見える時がある」

「……そう」


 大きな手が、再びアンリエッタの頭をそっと撫でる。


「君はもっと自由になれる。クイーンだからな」


 ――クイーン。盤上で最も自由で、最も強力な駒。

 その言葉が、心の奥深くにじんと染み渡る。


「ふふっ、そうね。でもわたくしは、盤上には収まらないわよ」







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