77 遭遇と登場
――第二試合は、当然のように王太子レオナードの勝利で終わった。
そして第三試合はファルネリ商会代表のマルクと、計算力の化け物と呼ばれるルーシュの対戦になった。経験と駆け引きに長けた老獪な商人と、純粋無垢な天才少年。
「とても面白い対局になりそうだわ。一方は経験と駆け引きに長けた老獪な商人――もう一方は、素直で無垢な天才少年! この構図、まるで物語ね!」
堅実に、定跡どおりに駒を動かすルーシュに対して、マルクは一見意味のないような無謀な動かし方をして選択肢を無数に増やす、情報の洪水作戦を取った。
「ルーシュ選手が優秀な解答者なら、マルク選手は問題作成者よ。さあ、教師と生徒、勝つのはどちらかしら」
盤面はまさにカオス。複雑怪奇に変化し続ける盤上はルーシュ少年を大いに混乱させた。
「ふふっ、まるで仮面舞踏会のようですわね。どの駒がどの駒とダンスを踊るのかしら?」
――そして最後は、計算を上回る閃きによって、ルーシュ少年が勝利した。
「計算力の化け物から、閃きの天才への成長! ――わたくしたちは、新たな天才の誕生の目撃者よ! マルク選手も魅せる戦いをありがとう!」
◆◆◆
――次の第四試合は、伯爵家嫡男リカルド・ヴァンブランシュと、王国騎士団所属エルバン・ガルス。
実力伯仲の硬派対決。家柄の誇りと騎士の誇りをかけた一戦だった。
「……静かな火花が散っているわ。盤面の初手を見ただけでわかります」
互いの陣を固めながら一歩も引かない構えが続き、この相手だけには負けたくないという緊張感が伝わってくる。
「これは、どれだけ自分を信じられるかの勝負よ。家の名誉を、王国の盾としての矜持を懸けている。表情が変わらなくても――心の中では、剣を抜き合ってるのよ。これこそ、騎士道チェスです」
アンリエッタは試合をただのゲームにしない。選手をただの打ち手にしない。
――物語にする。観客が感情を込められるように。心から応援できるように。
「――これは、勝ち負けの先に美しさがある一局よ。でも、勝者は一人だけ」
――そうして最後は、エルバン選手の勝利となった。
「リカルド選手は『家のために』という意識が強かったかもしれないわね。終盤、焦りが見えていたわ。エルバン選手は終始落ち着いていた――それが勝敗の決め手でしょう。ともあれ、素晴らしい戦いだったわ。皆さま、二人に惜しみない拍手を」
◆◆◆
「――終わった! 疲れた!!」
本日最後の解説を終え、アンリエッタは音声を切って机に突っ伏した。
ほぼ丸一日チェス解説である。
手を出さなければよかったと思うほどの疲労度である。
「――お嬢様、お疲れ様です。観客の皆様の熱気が上がる解説でございました」
実況席のルドルフにねぎらわれ、アンリエッタも顔を上げる。
「ええ、ルドルフもお疲れ様。明日の準決勝はダリオンの試合と、殿下の試合ね。解説はお父様にバトンタッチよ」
裏方は色々とやることがあるのだ。
「――そして決勝戦は、わたくしが薔薇の言葉で締めくくって、華麗なる表彰式に繋げるのよ!」
ベスト4が決定したので、明日は準決勝戦と、その後に優勝決定戦となる。
準決勝戦は午前中と、午後の早い時間に。
決勝戦は夕方から始まるスケジュールにしてある。
チェスは非常に頭を使うため、休憩時間を長めにとってあるのだ。
――そして翌日。
準決勝戦で勝ち残ったのは、ダリオン、そして王太子レオナードだった。
(――ここまでは想定通り)
そしてここからが本番だ。
夕方からの決勝開催に向けて、アンリエッタはローズに扮し、スタッフと共に怒涛の忙しさに追われた。
準決勝戦終了後、観客は全員スタジアム外に出てもらい、舞台セットの変更に、決勝戦後の表彰式の準備。トロフィーである純金の女神像を設置。軍楽隊のリハーサル。照明の確認。
細部にまでこだわった物語の締めを、美しく飾るために、一切手は抜かない。
「……はぁっ……あと三分で照明チェック……!」
軽く汗ばむ額をぬぐい、控室とスタジアムを繋ぐ通路を駆け抜けようとしたそのとき――
視界の先に、ひとりの男が現れた。
「やあ。こんなところで会えるとは、運命を感じるね」
王太子レオナード・レグルスが、通路のど真ん中に立ちはだかっていた。
――まずい。
アンリエッタは瞬時に思考を切り替える。――ローズモードの笑顔を浮かべた。
「決勝進出、おめでとうございます。ご活躍をお祈りしております」
礼儀正しい微笑を浮かべ、通り過ぎようとしたところに――
ドンッとローズの進路を遮るようにして、王太子は片手を壁に置いた。
「応援に来てくれなくて……寂しかったよ」
低く甘い声が上から響く。
「プロポーズまでしたというのに、君はあまりにも――奥ゆかしすぎる」
「申し訳ございません、殿下。裏方の仕事が山積みでして……」
涼しい笑顔を浮かべたまま、淡々と続ける。
「それに、殿下なら必ず勝ってくださると信じていますから」
彼の手と顔が、さらに近づいた。
「……君は、僕の大切だった人に似ている」
「…………」
アンリエッタは絶句した。
――大切だった人? 誰のこと?
「……だが、彼女は……もうこの世にいない……」
「……それはもしかして、アンリエッタ様の……?」
「ああ、そうだ」
アンリエッタは胸中で悲鳴を上げた。
何を考えているのだこの王太子。
(あなたが浮気したのよね? わたくしを国外追放しようとしたわよね? どうしてあなたが悲劇の男ぶってるの?)
理解できない。理解したくない。
「しかし、君ならば、僕のこの孤独を癒せるだろう――!」
目がキラキラしている。この男、本気である。
そもそも他の女を口説くときに昔の女の話を出すな。
(――アッパーカットしていい?)
あるいはこれは揺さぶりなのか。
「…………」
「――君は『祝福の女神』なのだろう? 声を聞いてすぐにわかったよ」
「……彼女の正体は国家機密なので。申し訳ありませんがお答えできません。次の仕事がありますので、通していただけますか」
顔を上げ、認識阻害メガネ越しに睨む――
「……やはり、似ている……もっと、顔を良く見せてくれないか」
レオナードの手がアンリエッタの認識阻害メガネに伸びる。
「ちょっ――」
ここで正体を暴かれるのはまずい。
物事には段取りというものがあるのだ。
「戦いに赴く私に、祝福と微笑みを――」
アンリエッタは錬金術で腕の筋力を強化する。狙いは顎。アッパーカットで記憶に残らないよう、一撃で仕留める――
腰に力を溜めた、その刹那――
『ワンッ!!』
合成音による犬の鳴き声が通路に響き渡る。
声の先、通路の奥から、巨大な影が現れた。
ライオンのたてがみを持つ犬のような、マスコット。
――忠犬騎士くん。名前未公表。






