74 仲直りとインタビュー
夜――。
さすがのアンリエッタも限界を感じ始めた頃、そっとセラが声をかけてきた。
「お嬢様、本日はそろそろお戻りください」
「ま、まだいけるわよ……ツカレトレールを取って」
「なりません。迎えがきていますから、馬車にお乗りください」
「うう……」
渋々ながら立ち上がり、本部の外へと足を運ぶ。
ひんやりとした夜気が頬をなで、無意識に身を竦めた刹那、そこにいた影に身体が強張る。
夜の中に静かに佇むダリオンに。
「ダリオン様、お嬢様をよろしくお願いいたします」
セラが深く頭を下げ、アンリエッタを託す。いつものように。
チェス大会が始まってからこうして毎日迎えに来てもらっているとはいえ――今日は来ないかもしれないと思っていたのに。
(職務に真面目すぎる……気まずい……絶対まだ怒ってるわよね……)
心の声を押し隠しながら、アンリエッタは平然を装って視線を上げる。
ダリオンは無言のまま馬車のドアを開き、手を差し伸べた。
その手に、自分の指を重ねた瞬間――ダリオンの指先が少しだけ、強く握り返してきた。
馬車の中に乗り込むと、ドアが閉まり、静かに走り出す。
――沈黙が、ひたすら重い。
だが、これはいい機会だ。
アンリエッタは勇気を振り絞って、口を開いた。
「ダリオン、今日はごめんなさい……試合前にあんなことを言ってしまって……」
本当に、どうして、勝ちを譲れだなんて言ってしまったのだろう。
ダリオンにも、対戦相手にも、あまりにも失礼だった。
誇りを、信念を、穢してしまった。
ダリオンはしばらく黙ったままでいたが、ゆっくりと口を開いた。
「誰に何を言われても、勝負を譲るつもりはないが……」
「…………」
「君にはただ、勝利を信じていてほしい」
その言葉が、深く胸に刺さる。
「ええ、もちろんよ。あなたは勝って。勝ち続けて」
「……ああ」
確かな決意を湛えた声が返ってくる。
それだけで、じわりと目元が熱くなった。
アンリエッタは距離を縮め、その肩に体重を預けた。
――すぐに、肩を抱き寄せられる。
優しくて、あたたかい手の温もりに包まれて、胸の奥がじんわりとあたたかくなる。
――ああ、やっぱり、好きだ。
「――それで、あの騎士とはどんな関係だったんだ?」
唐突な問いに、アンリエッタはぱちりと瞬きをする。
「えっ? カミーユ卿のこと? 関係って言っても……何回か挨拶して、あとは……一度チェスしたくらいよ」
「…………」
アンリエッタにとっては、騎士のひとり、という認識でしかない。
肩を抱く腕の力が、わずかに強くなる。
アンリエッタは目を丸くし、小さく笑った。
「……もしかして、やきもち焼いたの?」
「…………」
答えはない。
だが沈黙こそが、何よりも雄弁な肯定だった。
彼の胸にそっと手を当て、アンリエッタは囁く。
「……わたくしが愛しているのは、あなただけよ」
「……エッタ……」
「全勝、おめでとう」
伝えられていなかった言葉を、ようやく口にする。
そっと髪を撫でる感触が、ふわりと伝わってきた。
「――王太子殿下も全勝で勝ち上がったけれど……本戦トーナメントでは両端だから、当たるのは決勝戦よ。傾向、聞いておきたい?」
「いや……君の口からあの男の話は聞きたくない」
「ふぅーん、そう」
アンリエッタはからかうように微笑み、彼の胸元に額を預けた。
「じゃあ、勝って。わたくしが誰よりも、あなたを誇れるように」
「……わかった。私のすべてをかけて」
「ええ、楽しみにしているわ。……わたくしの騎士」
静かに抱き合い、二人きりの時間を過ごす。
「――あなたは、本戦に備えて明日はゆっくり休んでね。少しインタビューをお願いするかもしれないけれど」
「――君は?」
「わたくしはバリバリ働くわよ!」
せっかくの中休み。本戦に向けて準備することがたくさんある。
「……さすがに、働きすぎじゃないか?」
「大丈夫。『ツカレトレール』をたくさん飲んでるから。本部にも大量に積んであるわ」
スタッフも飲み放題にしている。みんな元気に働き続けてくれている。
「あれは常飲するものではない……」
「そのあたりの調整もちゃんと考えてるわよ。大会中に倒れたりしないわ」
「……君は、自分を大切にしてくれ。本当に」
「だって、わたくしを信じて一緒に頑張ってくれる人たちがいるんですもの」
一人だけのんびり休むなんてできない。
「……そうだな。君は、そういう人だ」
「そうよ。だから安心してゆっくり休んでて」
「いや、明日は君の傍にいる。君から目を離す方が落ち着かない」
そうしているうちに、目的地に到着して馬車が止まった。
「……まあ。じゃあ、雑用でもしてもらおうかしら」
「何なりと」
アンリエッタは小さく笑い、ダリオンの手を取って馬車を降りた。
◆◆◆
――本戦開始日、会場周辺では運営本部よりフリーペーパーが配布された。予選を突破した八名に対するインタビュー記事と写真が掲載されたペーパーの表紙は、全勝で本戦出場を決めた二人の男が掲載されていた。
王太子レオナード・レグルス。
冒険者ダリオン・ヴァルフォード。
◆特集1【王太子】レオナード・レグルス 戦績:8勝0敗
――自己紹介をお願いします。
「王国王太子、レオナード・レグルスです。名だけで判断されるのは本意ではありませんので……盤上で語らせていただきましょう」
――チェス歴について教えてください。
「物心ついた頃にはすでに触れていました。最初の師は父。次に王家付きの軍師。どちらも、容赦のない相手でしたよ。いまの私に敵はいませんが」
――戦いの信条は?
「信じた道を貫く。それが真に王たる者の器だと、私は思っています」
――好きな食べ物は?
「クロテッドクリームを添えたスコーン。母と過ごした時間の記憶が、味に重なっているようです」
――休日の過ごし方は?
「書庫で歴史や戦史を読み耽るのが習慣です。気晴らしには乗馬を。……ただ、気ままな時間はそう多くありませんね」
――好きなタイプを挙げるなら?
「聡明で、志を同じくできる方……でしょうか。ええ、すでに特別な存在はいます」
――注目している対戦相手は?
「いません。王道を歩むのは、ただ一人だけですから」
◆特集2【冒険者】ダリオン・ヴァルフォード 戦績:8勝0敗
――自己紹介をお願いします。
「ダリオン・ヴァルフォード。元は放浪の冒険者です。いまは……ある御方の護衛を務めています」
――チェス歴について教えてください。
「最初は師に。その後は剣の修練の合間に、独学で覚えました。戦場の読み合いに近いものを感じたので……そういう意味では、長く続けています」
――戦いの信条は?
「退かず、引かず、護り抜く。信念も、大切なものも……簡単に手放すべきではない、と思っています」
――好きな食べ物は?
「ナッツ入りのチョコレートケーキ。……誰かの好みに、影響されたのかもしれません」
――休日の過ごし方は?
「ある方の護衛を」
――休日、ですよね?
「ええ。彼女と過ごす時間が、一番の安らぎです。……傍にいるだけで、不思議と世界が静かに……そして時折……どころではないですが、賑やかなります。彼女のその時間を守りたいと思います」
――好きなタイプは?
「誇り高く、誰よりも強くて、誰よりも可愛い人」
――注目している対戦相手は?
「……います。ただの対戦相手ではなく、超えなければならない壁です。あの人に、誇らしく思ってもらえるように」






