72 予選の一幕
――ド派手な花火を打ち上げ、開会セレモニー。そして各施設での予選。
チェス大会は華やかに、賑やかに、そして大きなトラブルなく進行していく。
――そして予選四日目。
64名の選手が五日間で8回戦い、勝利数が最も多い8人が決勝トーナメントに進出する。勝敗数が同じ場合は、各試合の駒点の多さで判断する。
そして四日目ともなると、おおむね大勢が決まってくる。
「ダリオン様のオッズがじわじわと上がっています」
本選用会場内の運営本部に、セラの落ち着いた報告が響く。
「当然ね、彼は強いもの。予選でもいままで全勝で予選突破確実……向かうところ敵なしね」
ダリオンの試合は毎回観戦に行くが、いつも危うげなく勝ってしまう。相手が貴族でも誰でも、淡々と、圧倒的に。
「もうひとり、全勝がいるけれど……」
アンリエッタは少し苦々しい気持ちで、王太子レオナードの成績表を見つめる。
彼はもうすでに8勝――全戦で完全勝利して、予選突破が決定している。
(やっぱり、強かったのね……チェスだけは)
昔から、チェスだけはアンリエッタも敵わなかった。
そして誰にも負けないと気づいたレオナードは、ますますチェスにのめり込んでいった。
「殿下、お嬢様の煽りが効いているようですね」
「わたくしじゃなくてローズ嬢のよ。本当、参加してくださってよかったわ」
優勝すればバラ色の未来が待っていると信じている。
だからこそ勢いも自信もあるのだろう。
そして、彼は賢明なことに多くの錬金物を身に着けている。集中力が上がる護符。幸運を呼び込むブレスレット。おそらく宮廷錬金術師たちにチェス大会に役立ちそうなものを作らせたのだろう。
――それでいい。
「殿下には、ぜひ勝ちあがっていただかないとね。できれば、決勝の舞台に来てほしいわ。準備は進んでいる?」
「はい、つつがなく」
「さすがね」
「……殿下に参戦を考え直すように諫言した側近は、即日閑職に回されたそうですよ」
――王城の中にも、アグスティアの情報網は当然ある。スパイでも何でもない。そういうものなのだ。
「あの殿下に諫言なんて、当家好みの人材ね。お父様が気に入りそうだわ」
「はい、既にスカウト班が接触しています」
さすが、仕事が堅実だ。
「……それと、確定ではありませんが、王太子殿下には買収疑惑があります。試合前に何やらのやり取りをしているのを見た審判が何名か」
「あらあら……」
――あの王太子ならやりかねない。
「まあ、いいんじゃない。買収も実力の内よ。疑惑段階で王族を告発はできないわ。ただ話をしていただけと言われれば、不利になるのはこちらだもの」
王族オーラを振りまくのも、錬金物で身を固めるのも、買収も実力の内だ。
だが――もし買収の話が本当だったら、くだらない話だ。
昔から、チェスだけは強かったのに。
「――とはいえ、殿下の対戦相手の調査は進めておいて。どこかでボロが出てくれば上等よ」
「かしこまりました」
セラはどこか嬉しそうに頷く。
「ちなみに、ダリオン様のオッズは予選開始直前の1.8倍から1.2倍になりました」
「わたくしの大穴作戦が……」
「主に女性ファンに人気だそうです」
「……なんですってっ?」
聞き捨てならない。
「ああっ、そういえば次はダリオンの試合時間じゃない。急がないと」
アンリエッタはすぐさま本部を出て、ダリオンの次の予選試合会場である学校講堂へ向かう。
そこには既に観戦希望のファンが押し寄せていた。
――主に女性が。
観客席のいたるところには応援幕があり、「騎士様、勝って♡」「無口なあなたにチェックメイト♡」とか書いてある。
ある女性グループが持っている応援うちわには「ダリオン様、笑って♡」とかまで書いてある
アンリエッタは戦慄した。
「どうしてあの無愛想男がこんなに人気に?!」
「冷静沈着、物静か、鍛え抜かれた体躯に、完璧な礼儀……そしてあの金髪と青い瞳と横顔――」
セラは淡々と言葉を続ける。
「――それでチェスも強いとなれば、当然の結果かと。寡黙で頭脳明晰な美形騎士が注目を浴びないはずがないのです。乙女の夢ですから」
「な、なるほど……世界がダリオンに気づいてしまったわけね……」
腑に落ちるような、落ちないような気持ちで、講堂内にある運営用スタッフルームに向かう。
「でも、どうして『騎士様』って呼ばれているのかしら。ダリオンの経歴はすべて隠しているはずよ?」
――アグスティアの騎士爵ということは、一部の人間しか知らないはず。
「それはもう……どこからどう見ても騎士様だからでは? 叙勲など関係ないのです。ロマンです」
「……ロマン……」
乙女の夢だの、ロマンだの。
「ダリオンってそんなに美形なの? 確かに、見目はそんなに悪くないと思うけれど」
「面食いなお嬢様が気に入っていらっしゃる時点で、自明の理では?」
「面食いじゃない! ……いえ、かっこいいと思うけど……どちらかと言えば武骨な感じだし……」
すぐ人を子ども扱いしてきたし。
「もっと貴公子然としている爽やかタイプの方が乙女には人気なんじゃないの? ほら、あの人――カミーユ卿? とか?」
レグルス王国貴族の中でも美形でチェスが強くて紳士で、令嬢たちに人気だった。
「ええ、次のダリオン様の対戦相手です。レグルス王国の誇る貴公子にして、チェス界の麗しの騎士。令嬢たちの憧れと、ダリオン様――黄色い歓声が上がる試合となるでしょう。ほら、あそこの応援幕――」
観客席の幕には「麗しの騎士カミーユ様♡」と書かれたものもある。
「……予選には惜しいカードね……」
「ダリオン様はもう予選通過確実ですから、無理に勝つ必要はありませんが……」
セラの出してきたデータによると、ダリオンは7勝0敗、カミーユは5勝1引き分け1敗。どちらも残り試合はこの1戦のみ。
他の選手はだいたい4勝か3勝だ。引き分けも多い。
6勝1引き分け以上なら予選突破確実――
「カミーユ卿を勝たせてもらえないかしら。ダリオンに言ってみようかしら」
そうしたらオッズも変動して、ダリオン優勝時の分配金も増えるはず。
「……やめておいた方が、まだ可能性があるかと」
「どういうこと?」
「もしお嬢様がそんなことを言ったら、ダリオン様はほぼ確実に、彼を盤上で容赦なく叩きのめします」
「そんなまさか。わたくしが言っているのは演出的な話で、特別な感情はないもの。それじゃあ、いつもの差し入れに行ってくるわ」
アンリエッタは軽やかに言って、選手用の控室に向かった。
◆◆◆
ダリオンの控室のドアをノックしようとした瞬間、ドアが中から開く。
「あら? どこかに出かけるの?」
「いや、君の気配がしたからな」
ダリオンはそう言ってアンリエッタを控室内に迎え入れ、ドアを閉めた。
「調子はどうかしら」
「悪くはない。いつも通りだ」
そう言う彼の口元には微かな笑みが浮かんでいる。機嫌がいいときの表情だ。
(これなら、いけるかも……)
アンリエッタは『錬金術師の部屋』から差し入れ用の手作りケーキを取り出した。
「はい、いつもの特製ハニーショコラケーキ。今日はナッツをたくさん入れてみたわ」
「……ああ、いつもありがとう」
チェスは非常に頭を使う。そのため試合前の当分補給は重要だ。アンリエッタは試合前には毎回差し入れを渡すことにしている。
紅茶の用意をして、ケーキと揃えて出すと、ダリオンはゆっくりとそれを食べ始めた。
「あのね、次の対戦相手の……カミーユ卿、なかなか良い線いってるのよ」
――ぴたり、とケーキを食べる手が止まる。
「――良い線、とは?」
「実力者だし、女性ファンが多いの」
「…………」
なんとなく不穏な空気を感じながらも、アンリエッタは続けた。
「だから、ね。次の試合、彼に勝ちを譲ってあげられないかしら? あなたはもう予選突破確実だし……」
――そうしたら、オッズも変動してアンリエッタの儲けも大きくなる。
「…………」
――重い。空気が重い。沈黙が重い。
フォークを持つ手が完全に止まっている。
「……お、怒った……?」
「怒ってはいない」
そう言って、再びケーキを食べる。
アンリエッタはほっとしたが、再び無言が続いた。
――ダリオンがケーキを食べ終わり、紅茶を飲み切る。
「……だが、勝利を譲るつもりもない……君は、私にだけ微笑んでいてくれ」
「――はい?」
「……どうしても言うことを聞かせたいのならば『命令』すればいい。だが……効かないと思った方がいい」
「ダリオン……?」
――まずい。
怒っている。これは怒っている。雰囲気でわかる。
しかも契約を引き合いに出して、拒否するとまで言ってきている。
――どうしても嫌な場合は拒否できる、命令には絶対服従の契約を。
つまり、それほど嫌なのだ。
「え、ええと……ごめんなさい! 試合、頑張って!」
アンリエッタはそれだけ言って、逃げるように控室を飛び出した。





