57 防衛計画修正中
冒険者ギルドへの依頼完了報告は後日にすることにして、『空飛ぶ絨毯』で城のバルコニーに降り立つ。
ダリオンはすぐに秘密の作戦会議室に移動して、防衛計画地図の修正を始めた。
――空からの視察を経て、地図上に記された計画が微調整されていく。
森林の密度、川の水量、日照による視認性――机上の空論に終わらせぬよう、ダリオンは現実の土地を踏まえ、さらに完成度を高めていっていた。
アンリエッタはその姿をすぐ近くで見つめながら思う。
(この男、軍師としても優秀?)
そしてさらに思う。
――父はおそらく、ここまで本格的なことは求めていない。期待していない。
だがダリオンは、その期待を上回ろうとしている。
それはおそらく能力を誇示しようとしているのではなく――いや、それも少しはあるかもしれないが。
真剣に、領地の――そこに住む人々の安全について考えているのだろう。
だからこそ、その横顔が愛しい。
「……ねえ、ダリオン。ミルクティー飲む?」
「ああ、いただこう」
アンリエッタは微笑み、くるりと踵を返した。
紅茶を入れるついでに夕食のスープも作ってあげようと厨房へ向かう。
そうして城の廊下を進んでいると、若い騎士が通りすがりに深々と頭を下げてきた。
目元は潤み、口元は震えている。
「姫様……ご無事で……」
声がかすれていた。
アンリエッタは少々困惑しながらも、手を振って微笑む。
――ずっとこうだ。
帰還してからずっと、城内の人間は、アンリエッタを見ると感極まっている。
メイドや洗濯係までが足を止めて頭を下げたり、手を合わせて拝んできたり。
(……なんだか、皆の態度が変な気が……)
アンリエッタの帰還は城内ではもう周知の事実。――戒厳令は敷いてあるが、誰もが知るところである。実際に見て驚かれるならともかく、感極まられるのは不思議で仕方ない。
胸に小さなもやが生まれながらも、厨房を借りて夕食のスープの下ごしらえをして、ロイヤルミルクティーの材料をもって部屋に戻る。
錬金術でミルクに紅茶の葉と蜂蜜を入れてゆっくりと過熱し、適温になったらティーカップに入れる。
ダリオンはまだ地図に書き込みを続けていた。
「はい、どうぞ」
すぐ傍にそっと湯気の立つカップを置くと、彼はペンを止めて顔を上げた。
「ああ、ありがとう……、どうした?」
「え?」
「何か悩み事か?」
この男に隠し事は通じない。
「いえ、なんだか……皆、わたくしに妙な態度を取っているような気がして……」
「妙な?」
「なんというか……感極まってるというか、拝まれてるというか……」
ダリオンは少しだけ沈黙したあと、静かに答えた。
「当然だろう」
アンリエッタは目を瞬かせた。
「皆、君が死んだと聞かされていたんだろう? しかも王家が勝手に火葬し、遺体もないと」
「ええ、たぶん……」
「君を慕っていた騎士も、世話係も、領民も。皆、王家への怒りを抱えながら耐えていたのは、想像に難くない」
「……そんな、こと……」
「君が思っているよりずっと多くの人が、君の生存を祈っていた。……そしていま、君が生きていることに救われている。そういうことだろう」
アンリエッタは言葉を失い、目を伏せた。
「……君は、自分がどれほど大きな存在かを、見くびっているきらいがある」
ダリオンの声には、淡い怒りと深い憂いが混ざっていた。
「君の事情を聞いたとき、私も感情を抑えるのに苦労した。父君の前でなければ、どうしていたかわからない」
その声には、微かに震えが混じっていた。
ダリオンはアンリエッタの顔を正面から見つめる。
「――二度と、君をそんな目には遭わさない」
◆◆◆
――ダリオンという男ほど、己の言葉に責任を持つ人間は知らない。
早朝は騎士団の訓練。
午前中から夕方までは冒険者ギルドの仕事と視察。
その後は城の見回りと防衛計画の調整。
――それを何日も繰り返す。
防衛計画図にさらなる印を打ち込み、手元のペンは止まらない。
だが、さすがに寝不足の影がわずかに瞼に残る。
――夜、アンリエッタは机に向かうダリオンの後ろから抱き着く。
「ねえ、あなた。いつ休んでいるの?」
耳元で問いかけると、ダリオンはわずかに息を詰め、答えた。
「休む暇はない。公爵閣下が戻ってくる前に、素案は完成させておかないと話にならない」
「だーめ。身体を壊したら元も子もないわ」
肩越しにそっとペンを取り上げる。
視線を向けてきたダリオンに、アンリエッタはにっこりと微笑んだ。
「そんな疲れた顔で、お父様とお会いする気?」
いじわるっぽく問いかけると、ダリオンは息を吐いて肩の力を緩める。
「……君には敵わないな」
「当たり前でしょう?」
アンリエッタはダリオンの両肩に手を置いて、頭に頬を寄せる。
「わたくしを抱きしめる腕は、あたたかくないと嫌よ?」
「…………」
ペンを失ったダリオンの指先がぴくりと震える。
「ふふっ、今日からは一緒に寝て、ちゃんと眠っているか確かめようかしら。それとも、膝枕してあげましょうか?」
「……エッタ」
「ちょ、ちょっと。不意打ちでその呼び方をしないで」
「二人きりの時はこう呼べと言ったのは君だろう」
アンリエッタは頬を膨らませ、それでもダリオンからは離れず、ダリオンの作成した地図を見る。
「それにもう、この計画で完璧に見えるわよ」
ダリオンは無言のまま、駒のように石を動かして地図を整える。
「……そうだな。策がすべて通れば、この地は要塞のように堅くなる」
その低く力強い声に、アンリエッタは目を細めて微笑んだ。
「この計画をお父様に承認してもらったら、いよいよ実行ね。お父様、早く帰ってこないかしら」
アンリエッタは再びダリオンの耳元に口を寄せる。
「あなたは、この領地の盾ね。わたくしの、大切な剣で、盾」
ダリオンの手がわずかに止まった。
彼は答えなかったが、一度だけ深く頷いた。
「……ただ、相手が『魔女』ならこれでも足りない」
「本当に心配性ね。大丈夫よ。あなたにはアゾット剣を持たせたもの。あの剣はきっと、魔女すら斬り裂くわ」
マナ構築を阻害する、マナと魔力を操るものたちにとって恐怖の剣。
始まりであり終わりである剣。
アンリエッタが前世アルティナの肉体を再構築して作り出した剣。
それを持つのが竜殺しの騎士なのだから、マナ使いにとっては最大の脅威だろう。
だからこそ、頼もしい。
「――それとやっぱり、冒険者の力も借りたいところよね。細かい仕事やモンスター対応は冒険者の得意分野だし」
「そうだな。冒険者と領主の連携は必須となる」
「冒険者にたくさん来てもらうには、アグスティア公爵領の良さをアピールしなければならないわね……」
アンリエッタは真剣に考える。
「各地にビラでも撒こうかしら。ただいま報酬金二倍キャンペーン中とか、冒険者なら安価で泊まれる、居心地の良い宿を作るとか」
勢いよく提案したところで、かすかな笑い声が耳に届いた。
ふと隣を見ると、ダリオンが口元を緩めている。
「いま、笑った?」
「君らしいと思ってな」
「それって褒めてるのかしら?」
唇を尖らせて問いかけると、ダリオンはかすかに笑ったまま答えた。
「ああ、勿論」






