38 契約の先
何を言っているのか理解できない。
呆然とするアンリエッタに、ダリオンは更に言葉を重ねた。
「それに、君になら何をされても構わない」
「嘘」
「嘘ではない」
「錬金術師相手によくそんなこと言えるわね。いまここで何があったか見ていたでしょう?」
不老不死を求めて滅びていった愚かな錬金術師――フォールネスが何をやってきたか、ダリオンは聞いていたはずで、ありありと想像できているはずだ。
アゾット剣があるからいざとなれば対処できると思っているのだろうか。
それはアンリエッタを侮っている。
「彼と君は違う」
「何が違うのよ」
「君は自信家で、強大な力を持ち、常識を知らないが――人の道に外れたことはしない」
ダリオンはアンリエッタをまっすぐに見つめながら、静かに続ける。
「聡明で慈愛に溢れ、道理を知っている」
「…………」
アンリエッタは驚きで言葉を失った。
ダリオンがアンリエッタをそのように思っていたなんて。
「わがままで傍若無人で挑発的で、女王のように振る舞うが――」
「――ちょっと」
「君は、誰よりも優しい」
その言葉に嘘偽りが一切ないのは、アンリエッタにもわかる。
だから、彼にそう言ってもらえることは、そんな風に思っていてもらえたことは、嬉しい。
そして同時に泣きそうになる。
「ふふっ……あなたって、本当にひどい人ね」
声が震えるのを抑制しながら気丈に振る舞う。
「それってまるで、わたくしのことが好きみたいよ?」
冗談めかして言うが、ダリオンは怒らない。否定するかと思ったのに何も言わない。
むしろどこか肯定しているような雰囲気さえ感じる。
――期待してはならない。そう、自分に言い聞かせる。
それでも、何かを願ってしまいそうな自分がいる。
心というものは、どうしてこんなにも浅ましいのか。ままならないのか。
「……もし、ほんの少しでもわたくしのことが好きなら、好きって言って……」
「……嫌いではない」
「素直に!」
再び長い沈黙が訪れる。
静寂の中、アンリエッタは待った。彼の言葉をひたすら待った。
ダリオンは一度重い息を吐き出した後、ぽつりと呟いた。
「私は卑怯な人間だ」
いきなり何をと驚いたが、これはきっと大切な話だ。ダリオンが自分のことを話すなんてめったにないから。
だからアンリエッタは、真剣に耳を傾けた。
「騎士とは、弱き人々を守るためにあると信じていた」
その声はいつもの冷静さとは少し違い、悔恨の響きが含まれている。
これは彼の昔の話だ。
いまも忘れられない痛みの話だ。
「――敵対する国の村を潰す命令を、私はどうしても遂行できなかった」
「…………」
「その罰で追放刑を受け、国外追放の身となった。守りたかった人々も守れず、家にも迷惑をかけた。なのにまだ、のうのうと生き延びている」
――騎士とは何のために存在するのか。
ダリオンには信念があった。強く眩しい信念が。
それは呆気なく砕かれた。
「いまだに自分のしたことが間違っていなかったと――心のどこかで考えている……愚かで卑怯な人間だ」
ダリオンの言葉はそこで終わる。
重い空気の満ちる中、アンリエッタはダリオンの瞳を見上げた。
「それが、ダリオンの正義を証明したかった理由?」
「……そうだ」
「馬鹿ね」
一瞬、ダリオンの顔が強張る。
「こんな高潔で優しい騎士様を追放した連中は、大馬鹿よ」
驚くダリオンに、アンリエッタは微笑みかけた。
「わたくしは、あなたが何者だろうと、どんな人間だろうと構わないけれど――あなたは立派な騎士様よ。昔も、いまもね」
断言する。
信念のために命令に背き、国から追放され、騎士ですらなくなっていても。
彼は騎士だ。
「あなたの信念は、一つの国や王に捧げられるものじゃない。もっと広く、多くの人々を救うものよ」
心からの言葉を紡ぐ。
彼は、策謀や欺瞞を許せない。悪を許せない。その姿はあまりにも眩しすぎて。
その姿に憧れたものも、貶めようとしたものもいただろう。
悪意によって引きずりおろされても、いまだダリオンはその高潔さと清廉さを失わずにいる。
その輝きはきっとこれからも、多くの人々の光になる。
(わたくしなんかが触れていいひとじゃなかったわ)
こんな卑怯な契約などで束縛していい相手ではない。
自分にはあまりにも眩しすぎる。
そして、彼を好きになってよかったと思った。
ダリオンは一瞬アンリエッタを見つめ、そして静かに頷いた。
「――アンリエッタ」
「ええ」
「――二度は、言わん」
アンリエッタは覚悟を決めた。きっとここが別れになる。
そして、ダリオンのことをすべて覚えておこうと決めた。
美しい姿を。夜の海のような瞳を。
「――私は、君を愛している」
その言葉は現実感がなくて、頭に入ってこない。
だが、揺さぶられた心臓が激しく鼓動している。
「もう一回言って」
「二度は言わんと言っただろう?!」
「お願い」
アンリエッタが再度懇願すると、ダリオンは息を呑んで目を閉じる。深く息を吸い込み、ゆっくりと吐き出す。己の中の感情を整理するように。
再び目を開けたダリオンの瞳は、先ほどと同じようにアンリエッタを映した。
「――私は君を愛している。一生かけて守りたいと思っている」
重く、真剣な声と言葉は、アンリエッタの胸に直接響く。
「……それって、まるでプロポーズみたい」
「そう受け取ってもらって構わない」
その瞬間、胸がぎゅうっと締め付けられる。
嘘みたいだ。夢ではないだろうか。夢なら永遠に覚めないでほしい。
いますぐダリオンに抱き着きたい。夢ではないと確信したい。
「……いままで気づかないようにしてきた。触れるつもりもなかった。そんな資格など自分にはないと思っていた」
「ダリオン……」
「だが、君が本気で消えようとした時――……君が姿を消そうと思ったら、私にはどうやっても見つけ出すことはできないだろう。二度と会えなくなると思うと、身体が勝手に動いた……」
ダリオンは自分の手をじっと見る。アンリエッタを捕まえ、離そうとしなかった手を。
「――だめ」
ダリオンの気持ちを聞けば聞くほど、アンリエッタの頭の奥が冷静になっていく。
「ダリオンの気持ちは嬉しいけれど、やっぱり良くない」
彼の言葉がどれほど嬉しくても、このままではいけない。
『運命の契約書』の存在が、安心を得るために結んだ契約が、アンリエッタに重くのしかかる。
「契約をそのままにしておくと、ダリオンは一生わたくしの命令に絶対服従だもの。そういうのはよくないわ。対等ではないもの」
「…………」
「だからやっぱり一度サインしてもらって、ゼロから始めるのはどうかしら?」
「――嫌だ」
断固拒否される。
短く、はっきりと言い切ってくる。
「も――もう一度、ダリオンに好きになってもらえるように頑張るから」
「ッ……そういう問題ではない。私は、君のことをひとつだって忘れたくない」
「でも――」
なおも食い下がろうとした腕を、軽く握られる。
「……そもそも、君から命令をされた覚えはない」
「え?」
「わがままが激しいとは思っているが、君ぐらいの年頃ならばそんなものだろう」
「――わたくしの命令を、単なるわがままと思っていたの?!」
「ああ、可愛いものだ」
一瞬、苛立ちが沸き上がる。また子ども扱いされている。
「――それに、契約などなくとも、私は君の望みを叶える。叶えたいと思う。だから、君は何も気に病まなくていい」
「じゃあ、キスして」
ダリオンが動揺するのが見て取れた。
「いま、キスして。あなたから」
それは命令ではない。
本当に、ダリオンがアンリエッタを望んでくれているのなら。
すべてを覚悟して受け止める気があるのなら。
ダリオンの意思で、触れてほしいと思った。
「……本当にいいのか?」
長い沈黙の後の声には、ためらいと優しさが混ざっていた。
アンリエッタの気持ちを確認するように。
ここで頷けば、きっと色々なものが変わる。
――変えたい。
その先に行きたい。
アンリエッタは強い決意と共に頷いた。
◆◆◆
アンリエッタはひとまず街を出るのをやめ、正式にここに住むことにした。
もう出ていく理由はなくなったし、愛着が湧いてしまった。住み心地はいいし、人の縁も増えた。永住する気はないが、拠点の一つにするつもりだ。
ダリオンと一緒に冒険者ギルドに依頼を探しに行くと、先日の屋敷の調査と掃除の依頼の件についての完了手続きを求められる。新品同様になった屋敷に、依頼主は大満足していたらしい。
そのまま借りる手続きをし、居住の申請書を書く。二人で住むための必要事項を記入していく。
住む人数は二人。そこの関係性を記す欄で、ふと手が止まる。
ペンを持ったまま、ダリオンに声をかける。
「ダリオン、どうする? 夫婦にでもしておく?」
「ああ、構わない」
笑いながら言うと、真顔で応じられる。
予想外の反撃を受けてアンリエッタは言葉を詰まらせる。
「似たようなものだろう。そう遠い話でもない」
「黙って」
もう二度と冗談は言わないと思いながら、「同パーティ」と記す。
「――はい、確かに受領しました」
ギルドの職員は書類を確認しながらも、少しだけ寂しそうな顔をしていた。
「面白い依頼はないかしら?」
「普通はそうそう面白い依頼は飛び込んできませんよ」
「あら? これ、面白そうじゃない。『求む、モンスター肉』だなんて」
ギルド職員が顔を引きつらせる。
「そ、そうですね……何でも珍しいモンスター肉を納品してほしいとか。珍しければ珍しいほどいいそうです。可能な限り解体されていない状態がいいそうですね」
「何に使うのかしら?」
「高貴な方々の間では、そういう珍味が流行っているそうです……」
――つまり、食べる。
「へえ。いい趣味してるじゃない」
「……君も随分物好きだな」
「ふふっ、面白ければ面白いほど好きよ」
アンリエッタの『錬金術師の部屋』の中にモンスターの肉がたくさん詰まっている。スタンピードで集めた肉は、自分たちではとても食べ切れないぐらいの量がある。
「いくつかあるから納品したいのだけれど、ここで出していいのかしら」
「いえ、鑑定や解体、鮮度の関係で、こちらのお屋敷に直接納品希望だそうです」
「ふぅん、ますます趣味がいいわね。この依頼、受けるわ。さあ、ダリオン、行きましょう!」
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