34 研究成果
「強力な眠り……これは、寝ている間に何をされても目覚めないほどの強さがある……」
「――ええ、そうよ。わたくしの錬金物によるものよ。だって、余計なものを見たり聞いたりするのはかわいそうでしょう? それで、あなたは眠くないのかしら?」
アンリエッタが動揺を抑えながら振り返ると、フォールネスはただ笑みだけ浮かべていた。
余裕に溢れた振る舞いに、少々腹立たしいものを感じる。
(状態異常無効の錬金物でも持っているのかしら)
何を持っていたとしてもおかしくない。
ここは彼の家。彼の拠点。彼の城。
あらゆる防衛のためのあらゆる錬金物が設置されているのだろう。
アンリエッタが一人でやってきたところで、フォールネスにとってはきっと脅威でも何でもない。
(ダリオンのことは気づかれていないみたいだけれど……というか、本当にダリオンはここにいるのかしら)
気配がまったく読めない。
内と外で分断されていてもおかしくない。
それでもアンリエッタは焦りを感じなかった。
いざとなればこの屋敷ごと吹き飛ばす。
それでもどうにもならなければ、死ぬだけだ。
死体を利用されないように注意して死ぬ必要があるが。
フォールネスは顎に手を添えながら、苦笑する。
「来ていただけたのは嬉しいのですが、困りましたね。あなたへの贈り物はまだ完成していないのです。これから取り掛かるところでしたので」
「何をくれるつもりなの?」
「あなたはいささか性急ですね。サプライズにしたかったのですがね」
「わたくし、驚かされるのは嫌いなの。喜ぶのを強要されるのもね」
はっきり言い切ると、フォールネスはやや困ったような雰囲気になった。
アンリエッタは続ける。
「それに、わたくしを感心させることができるのは、『賢者の石』くらいのものよ。もしくは、いままで誰も見たことのないようなもの」
「……それなら、ご期待に添えるかもしれませんよ」
「まあ。それは興味深いわね」
ここまでハードルを上げてもそんなことが言えるのなら、少しは期待できそうだ。
俄然興味が出てくる。
「完成してはいなくても、準備は進めているのでしょう? 見せてくれないかしら」
「ええ、もちろんです。こちらへどうぞ」
フォールネスが屋敷の奥に向けて歩き出す。
アンリエッタはわずかな逡巡の後、その背中についていった。
長い廊下を歩き、階段を下りる。
どこもかしこも掃除が行き届いていて、わずかな埃臭さもない。
フォールネスの研究室は地下にあった。採光窓がないものの、錬金物のランプでどこもかしこも一定の明るさが保たれている。
「ご存じの通り、人体には膨大なマナが蓄積されています。人々の命を転換して『賢者の石』を作るという方法は、かねてより何度も挑戦されてきました」
「まさに神に挑む所業ね」
アンリエッタは肩を竦め、机の上に整然と並べられている紙を見つめる。
そこには、フォールネスが言ったとおりの、人々の命を使った『賢者の石』の錬成計画が書かれていた。
――この街の住人を使って行われようとしている計画が。
「こんな、何百人もの命を使って行うこと?」
「『賢者の石』の完成は、世界に大きな躍進をもたらすでしょう。世界の発展のための尊い犠牲となるのですから、民も本望でしょう」
「……いつも不思議なのよね。どうして尊い犠牲の中に自分を含まないのかしら。何があっても絶対に文句を言わない素材なのに」
「ええ、そのとおりです」
いきなり力強く同意される。
驚いていると、フォールネスは振り返って自分の眼帯に手を触れた。
「私の肉体の視力は、己への実験によって失われました」
「それはご愁傷様」
「ですが、それ以上の視覚を手に入れた」
――マナで世界を見る感覚。
フォールネスはそれに満足しているようだった。後悔している様子など微塵もない。
「もちろん、実験段階での多少の犠牲はありましたが――」
「…………」
その一言で、彼のやってきた業が伝わってくる。
フォールネスは既に境界線を越えた側にいる人間――否、錬金術師だ。
「それ以上の成果がありました」
フォールネスは研究室の壁にかけてあったナイフを右手に取ると、左手の手のひらに突き刺した。
表情一つ変えずナイフを抜く。ぼたぼたと落ちる血と、赤く濡れたナイフが異様な雰囲気を出していた。
「何をやっているのよ……」
アンリエッタは呻き、そして目を見張った。
手に空いた穴がみるみる癒えていく。出血が止まり、肉が盛り上がり、何事もなかったかのように再生する。
あまりにも異常な再生能力だ。まるでモンスターのような。
フォールネスは涼しい笑みを浮かべたまま、同じナイフで己の首を斬る。
鮮血が弧を描いて噴き出すも、その勢いはすぐに弱まり、裂けた傷口は異常な速度で癒えていく。
――異常どころではない。
これは――……
「――あなた、不死の身体を手に入れていたのね」
「ええ、お恥ずかしながら」
アンリエッタの思考が勝手に動いていく。いったいこれはどんな仕掛けかと。
膨大なマナに、無尽蔵の生命力。
そして、そのマナの匂い――性質には、覚えがあった。
忘れたくても忘れられない存在の、力の一端を感じる。
「……もしかして、竜の心臓を、体内に入れた?」
「――さすが、ご明察です」
フォールネスは嬉しそうに声を弾ませる。
「なんてこと……自分を合成獣にしたのね! その思い切りの良さ、嫌いじゃないわよ! そんなあなたが何故まだ熟練級なのかしら?」
「――錬金術師ギルドでは、人命を素材に使うことは認められていませんからね。まったく馬鹿げた規律だ」
「あら。意外と理性的な組織なのね」
これは少々意外だった。
錬金術師ギルドはアンリエッタが考えているよりよほどまともらしい。ただし、所属している錬金術師には、その理念が浸透しきっていないようだが。
「――……竜の心臓を得て不死の身にはなりましたが、このままでは完璧とはとても言えません。この身は老いる。いまこの瞬間も」
フォールネスの声には、隠しきれない焦りが滲んでいた。
老化し、いずれ何もできなくなるという恐怖が彼には見えている。
そして、それでも死なないかもしれないという未来が。
正常な状態を保てなくなった人体は、精神は、最終的にどうなるのだろう。
アンリエッタも興味はあるが、自分で試したいものでもない。
そして、誰かで実験したいものでもない。
それはきっと誰もわからないままの方がいい。
世界と神秘に隠された秘密として、謎のままにしておいた方がいい事象だ。
(まあ、自業自得だけれど)
未来のリスクも予見したうえで異物を体内に入れたのだから、同情するところではない。
むしろ称賛する。
「拒絶反応もあるんじゃない? 相当苦しいはずよ」
生き物には免疫機能というものがある。
他者の臓器を取り込んでも、免疫機能はそれを異物と見なして攻撃する。この機能があるからこそ健康を保てるのだが。
他者の――竜の心臓を体内に埋め込めば、自分の身体も、そして竜の心臓自身も、お互いに異物と見なして攻撃するだろう。
しかし竜の心臓の再生能力で、攻撃を受けた部分を癒し続けているのだとすれば。
(まるでウロボロスね)
己の身を喰らう蛇。始まりも終わりも無い完全なもの。
「痛みや苦しみ……そういう余計な感覚はすべて捨てました」
「ふふ……もう人間でなくて、身体も心も立派な合成獣ね」
アンリエッタは感嘆し、苦笑した。
「そこまでしても、まだ不老不死には到達できていない。だからこそ、不老の秘密を知りたくて魔女アルティナの身体を調べたかったのね」
不老を知れば、きっと永遠に生きることができる。
これ以上老いることもなくなり、永遠の老衰の恐怖は消える。
そして完璧な不老不死に――……
(それって、永遠の地獄と何か違うのかしら)
アンリエッタはそう思うが、それは感性の違いであり、考え方の違いだろう。
(色んな考え方があるわよね。否定するつもりはないわ)
――転生できることを知っていたから、死を恐れなかったアルティナ。
(わたくしは……もう転生したいとも、永遠を生きたいとも、老いたくないとも思わないけれど)
ただ、楽しく生きたい。
美しく、華麗に、後悔なく。
泣いて、笑って、怒って。
鮮やかに生きたい。
一人の人間として。
――そのためにも、この錬金術師を放ってはおけない。
きっと後悔するだろうから。






