29 調査依頼
翌朝、アンリエッタはダリオンと共に冒険者ギルドに訪れる。
カウンターには馴染みの女性ギルド職員がいた。
「いい家があると聞いたのだけど?」
「あ、はい。少々お待ちくださいねー」
書類棚の方からいそいそと書類を出してくる。
「アンリエッタさんに一番おすすめの物件がこちらです。以前の借主が突然いなくなってしまって、家の持ち主さんも困っているそうです。……ここだけの話ですが、幽霊が出るらしくて……」
「幽霊?」
それはとても興味深い。
依頼書と間取り図を受け取り、ダリオンと共にその依頼書をじっと眺める。
「この家の調査と掃除が依頼内容で、無事完了した冒険者に優先的に貸してくれるそうです。相場よりかなりお安くしてくれるそうですよ」
「それは素敵な話だと思うけれど、どうして?」
念のために聞いてみると、ギルド職員は小さく首を傾げた。
「ええと……もし幽霊が出ても倒してくれそうだからとかでは? それで幽霊がいなくなったら、次からは高く貸せますし。それに、前の借主が行方不明になった家って、なかなか新しく借りてもらえないんですよね。新しい借主が入れば、その情報は上書きされますし」
「新しい借主も行方不明になったらどうするのかしら」
素朴な疑問が浮かぶ。
ギルド職員は明るく笑った。
「それはもう立派な事故物件ですね」
「立派な事故物件……面白い響きね。気に入ったわ。まあ、わたくしがそうはさせないけれど」
アンリエッタは堂々と言い、胸を張る。
「頼もしいです。ところでその……やっぱり、アンリエッタさんが借りるんですか?」
「そのつもりよ。宿暮らしも悪くはないけれど、色々と手狭になってきたし」
答えると、ギルド職員は申し訳なさそうな顔になる。
「とても言いにくいんですが、一人で住むとなると、借りにくいかもしれません……」
「どうして?」
「そういうものとしか。家主さんが嫌がりやすくて」
家賃を滞納するとでも思われているのだろうか。それともすぐに出ていくとでも? 別の商売を始めないか警戒されている? 錬金術の工房はどうなるのだろう。
「――問題ない。私が一緒に住む」
ダリオンの発言にギルド職員が固まる。
「――愛の巣計画?!」
悲壮感のある叫びがギルドに響き渡る。すると、奥からギルドマスターが顔を出してきた。
「おー、ダリオンさんもついに所帯を持つかぁ。感慨深いなぁ」
「違います! わたくしとダリオンは何もないから! 全然、まったく、何もないから!」
「パーティとして借りるつもりだ」
騒ぎの中で、ダリオンだけが落ち着いていた。
「――ええと……パーティで家を借りるのはよくあることですから、家主さんも納得すると思います……」
「そうか。ならばその予定で進めてほしい」
「は、はい……」
なんだか勝手に話が進んでいく。
「――でも、わたくし、他のパーティに入るつもりだし……」
アンリエッタがぽつりと呟くと、ギルドが水を打ったような静けさになった。
ダリオンの落ち着いた――を通り越して凍りつくような眼差しが、アンリエッタに向けられる。
「――聞いていないが」
「初めて言ったもの」
「誰だ? どこのパーティだ」
「……き、決めていないけれど、あなたには関係ないんじゃない?」
――空気が、冬の早朝ぐらい凍りついている。
「――君とは一度、ゆっくりと話し合う必要があるようだ」
「そうね。ひとまずは、この依頼が終わってからね」
剣呑な雰囲気の中、ギルド職員がおずおずと受付サインのされた書類を受け取る。
「ええと、それでは、鍵をお渡ししますね……」
◆◆◆
冒険者ギルドを出て、地図にある住所へ――街の外れにある屋敷へ向かう。
人の気配がだんだんと減っていき、辺りが静かになっていく。
「なんだかこの景色……見覚えがあるような」
「地図だとこの辺りだが……」
ダリオンが見つめる先には、陰気な雰囲気がする屋敷が佇んでいた。
「あの家? なんだかとっても見覚えがあるわ」
「私もだ」
それは、以前にアンリエッタを錬金術師ギルドに勧誘してきた、名前も知らない男の屋敷だ。
「ふぅん……行方不明になっちゃったの……どこに行ったのかしら」
マナを操る部分を壊し、錬金術師として生きていけなくしただけで。
「幽霊になったとか?」
「悪い冗談だ」
「じゃあきっと、故郷にでも帰ったのね。契約満了のサインもせずに」
不老不死になるという夢を諦めて。
そうだったらとても平和だ。賃貸契約をそのままにしていくのは感心しないが、それだけショックだったのだろう。
「依頼内容は掃除と調査だったわね。手早く済ませましょう」
アンリエッタはそう言うと、預かっていた鍵を使って古びた扉を開放する。
中に足を踏み入れる。
以前来た時も散らかっていたが、いまはそれ以上だった。
空気はどんよりとしていて、床には埃が積もっている。かなり掃除しがいがありそうだった。
「幽霊が出てきてもおかしくない雰囲気ね……ねえ、本気で、一緒にここに住むつもり?」
「ああ。問題があるのか?」
「問題だらけじゃないかしら」
フォールネスを警戒してのこととはいえ、二人きりで住むなんて。
こんな狭い屋敷に。
「一緒に暮らすのが最善だ。部屋も多く、二人でも持て余すぐらいだ。汚れているが傷みはあまりない。ちゃんと掃除して修繕すれば、充分暮らせる」
「すごく具体的に考えているじゃない……そうね、確かにそれが最善でしょうね」
理屈で考えれば。
ただ、感情というものは物わかりがよくない。
(やっぱり、問題だらけよ……)
一緒に住むということは四六時中一緒にいるということだ。
野宿とは意味が違う。他にも人がいる宿屋暮らしとも違う。
誰の邪魔も入らないふたりきり――……
(いえ、これはチャンスではないかしら? ダリオンをわたくしの虜にして、契約満了したくないと言わせればずっと一緒にいられるんじゃないかしら)
わずかな期待に胸が高鳴る。
(――でも……どうやって?)
シンプルであり、最大の問題が見えてくる。
どうすれば、相手の心を奪うことができるのか?
命令――? まさか。もしそんなことが可能でも、契約の力で愛されたとしても、まったく嬉しくない。虚しいだけだ。
愛されたい。
ただ純粋に愛されたい。
好きになってほしい。
(無理よ……)
アンリエッタは愛し方も愛され方も知らない。
脳裏に、元婚約者の王太子と聖女の姿がよぎる。
あのふたりはどうやって愛し合ったのだろう。
あの男爵令嬢はどうやって、王太子の心を手に入れたのだろう――
(いえ、最後は罵り合っていた気がするわね……)
アンリエッタが真実を伝えたことで、王太子の心は離れた。
つまり、あの聖女もどき男爵令嬢すら、真実の愛は手に入れられていななかった。本命の男にも利用されていただけだった。
(恋愛って、わたくしが考えている以上に難しいのではないかしら?)
絶望的なまでに。
世の中の恋人たちは、夫婦は、いったいどうやって恋愛をしているのか。
(もっと、いろんな人の話を聞いていればよかった)
――王太子妃になる自分には、恋愛の知識なんて必要ないと思っていた。
それなのに、いまになってこんなに悩むことになるなんて。
ぼんやりと考えこんでいると、ダリオンが軽く咳払いをした。
「――あと、他のパーティに移るという話だが」
「あら、覚えていたの?」
「忘れるわけがないだろう……いまはまだ他のパーティは早い。君の力を理解し、君を守れるのは私だけだ」
真剣な声と眼差しで、諭すように言ってくる。
「確かに、それができるのは契約しているダリオンだけかもね」
「わかっているなら――」
「でももう、わたくしもだいたいわかってきたわよ。何が普通で、何が規格外か。あなたのおかげでね。だからもう、保護者は必要ないと思うの」
「決めるのは君ではない」
「そんなに信用ならない? ――それとももしかして、ダリオンがわたくしと一緒にいたいの?」
わずかな期待を込めて問いかける。
こんなに渋ってくるのは、アンリエッタがどうしても信用ならないからか。
それとも、ダリオンもアンリエッタと同じように思ってくれているからか。
――離れたくないと。





