凍りつく戦場
――ぶおん。
シアンの拳が唸る。一瞬の間をおいて、その拳を追うように風が走る。スカーレットの紅い髪が舞い上がる。
シアンの放った一撃は、スカーレットの頬をかすめていって。その拳は、鱗に覆われた太い腕を弾き飛ばした。
蛇目頭の大蛇を思わせるその右腕が、スカーレットの背後へと迫っていたのだ。
「ごめん、シアン。助かった」
「気を付けてよ」
シアンの言葉に目線を送るスカーレット。その視界に、シアンの背後から迫る甲冑の姿が映る。
……やばっ。
スカーレットは、とっさに迫る六郎の前へと立ちふさがった。ちょうどシアンとその立ち位置を入れ替えた形になる。突っ込んできていた六郎の足が止まる。対峙する二人の魔法少女と二人の怪人。
また、睨み合いというか、鍔迫り合いというか。つまりは、膠着状態に陥っていた。
二人の魔法少女は、少年をかばうように、怪人と向かい合っていた。怪人がその立ち位置を変えても、常に少年と怪人の間を塞ぐように魔法少女が立ち回る。
……ええい、クソ!
六郎は苛立ちを隠せずにいた。
二人の怪人が参戦し、秘密結社シュバルツローゼの戦力は大きく増したはずなのに。それなのに、どうして攻めあぐねているんだ?
……うぬぬぬぬ。
声にならない声が、蛇目頭の大蛇の口から洩れる。
二人の怪人が参戦し、秘密結社シュバルツローゼの戦力は大きく増したはずなのに。それなのに、未だあの少年に接触できないのは何故だ?
二人の怪人がそれぞれに対峙する魔法少女を睨みつける。そんな中、スカーレットは考えていた。
……もし、もしもだよ。戦闘員が変身した人だとして。これだけの人数が集まるってことは、それだけ蓮軽市や近郊に住んでるってこと? もしかしたら、知ってる人が混ざってるかもしれないんじゃ?
あ、やばい。
そう思った時には、もう遅い。スカーレットの頭に『あの戦闘員たちの中に』『顔見知りがいるかもしれない』という考えが刷り込まれてしまった。
……どうしよう? もしもを考えちゃったら、殴ったりできないよ!
「んんんーーーーーーっっっ!」
いきなり、両手で頭を抱えて悶絶するスカーレット。くねくねと体をくゆらせている。
突然のその動きに、接近していた戦闘員も、目の前で対峙していた甲冑の怪人も、シアンも、それどころか、反対側でシアンと対峙していたへび怪人と怪人たちまでもが、動きを止めた。
まるで時間が止まった世界で、スカーレットだけが動いているかのようだ。くねくね。
ひとしきり、くねくねし終えて、はっと我に返るスカーレット。
……まずい、これじゃただの変質者じゃない?
そっと、視線を上げると。ただただ唖然と立ち尽くしている怪人と戦闘員たち。兜や仮面で表情は読み取れないけれど、その背後におおきな書き文字が浮かんでいるように見える。
《ぽかーーーん》と。
ジッと見つめるスカーレットに気付いたのか、は! っとした様子で動き出すと、気まずそうに視線を逸らす怪人と戦闘員たち。
……がーーーん。うそ、それは無いよ。
まったく、イタい子を見るように見ないで欲しい。救いを求めてそっと振り向くスカーレット。だが、そこには。
やっぱり、唖然と立ち尽くしている怪人と戦闘員たち。そしてシアンがいた。そしてやっぱり、気まずそうに視線を逸らす怪人と戦闘員たち。
シアンはというと、何の感情も感じさせない眼で、スカーレットを睥睨していた。そこにはオオグソクムシに向ける優しささえ感じない。それはまるで、植木鉢の下のワラジムシを見るかのような視線だ。ちょっと待って。尋常じゃないほどショックなんですけど。ぬぅ。
そしてシアンは問うた。
「ねぇ、戦闘中なんですけど?」
……はい、申し訳ございません。私が悪うございました。
こころの中、全力で謝るスカーレット。土下座どころか、五体投地してしまいそうな勢いである。
「で、一体どうしちゃったの?」
シアンが私だけに聞こえるくらいの小声で問いかける。
「じつは……」
スカーレットは、つい刷り込まれてしまった考えを、ぼそっと語った。
「……だから、攻撃するわけにはいかないかな。って」
「そっか。でも、悟くんを守ることが、今は優先じゃないかな」
そう言って、ちらりと視線を後ろへと流すシアン。と。
シアンの青い眼が大きく見開かれた。思いもかけない光景に、その動きが止まる。いや、スカーレットがまたくねくねしていた訳ではなくって。
そのシアンの表情を見て、スカーレットも視線を移す。同じく、二人の怪人と戦闘員たちも。そして皆が皆、目を見開き、動きを止めた。シアンとまったく同じように。
その時、その場の空気は、一様に凍りついていた。
シアンが振り向いたその先には、悟がいる。そのはずだった。
ううん、悟はいたのだけれど。それが、シアンの、スカーレットの、二人の怪人と戦闘員たちの見知っていた姿ではなかっただけで。
それは、胸を抑え、身体を丸めてうずくまる少年の姿であった。でも、それだけだったら、シアンたちがそこまで驚くこともなかっただろう。
その少年の丸まった背からは、黒い靄がじわりと湧き出してきていた。肩甲骨の後ろあたりから、まるで角が突き出るかのように。黒い靄でできた二本の黒い角がみるみる間に伸びていく。
「……っっっっっっっ!」
少年が声にならない叫びをあげる。黒い角がずんと伸びるごとに、少年を耐えがたい苦痛が襲っている。その表情に、悟の優しい笑顔の面影はなくて。悪鬼羅刹のごとき形相が、そこに浮かぶ。
そして、その少年の眼は漆黒の闇の色に染まっていた。黒色というよりも、何も無い空洞がそこに在るようであった。無いものが在るなんて、矛盾しているとは思うけれど、そうとしか言い表せない様子だったから。
だから、誰もが、それを『悟』だと認識できなかった。




