第3章36
震えるシシィの背中をゆっくりと撫でさすると、次第に震えは治まっていった。
「シシィ。心配をしてくれてありがとう。私も危険なことだとわかっているわ」
「でしたら……!」
目に涙を溜めながら私を振りあおいだシシィに、私は首を振ってこたえた。
「でもダメ。……危険だからって、見捨てられないわ。たとえ出会ってからひと月と経っていない相手だとしても、死ぬかも知れないのに黙って見ているなんて出来ないわ」
決意をこめて見つめると、シシィも真っ直ぐに見つめ返して来た。大きな瞳から、ポロリと涙の雫が零れ落ちて、胸が痛む。
「そんなに、ミカエル様を……好いていらっしゃるのですか?」
「……そうなのかしら……いいえ、多分違うわ。そうね、ミカエルのためではないわ。自分が後悔しないためにするの。だから私の身勝手なのよ」
「お嬢様……」
「私はミカエルを助ける。そう決めたの。止めても無駄よ」
にっこり笑って言い切ると、やがてシシィは諦めたように首を振った。
「わかりました……いえ、わかりたくないですけれど!もう止めません。ですが!」
「ですが?」
「何をしていらっしゃるのか、ちゃんと私にも教えて下さい!さもなくば、地の果てまでもついて行きますからね!」
フン!と顎をそらして言い切るシシィ。その瞳は真っ赤になっていて、よく見ると目の下にはくまが出来ていた。
本当に心配してくれていたんだね……ごめんね、シシィ……
「い、いい話だな……ズビズビ。シシィ、ずっと怖いヤツだと思ってたけど、実は優しいんだな……チーン!」
ゲオルグの鼻をかむ音でハッと我にかえった。そして、タイミングを計っていたかのようにレミアスが麗しい笑みを浮かべつつ宣言した。
「もちろん、私たちにも全て!教えて下さいね。作戦に参加させて頂きますから」
その、怒りつつ笑うっていう高等技能……レミアスさん、さすがッス……
怒れる友人たちに締め上げられた私たちは、その後作戦の洗いざらいを吐かさせられたのだった。
暖かい午後の昼下がり、閑静な邸宅の中庭に朗らかな笑い声が響く。
こんもりとした可愛らしい植木がランダムに配置された中庭は、春の花々が咲き乱れている。散歩する者の姿を隠すように敷かれた小径のなかに白く瀟洒なあずま屋があり、同じく白いティーテーブルには様々なお菓子やお茶が所狭しと並んでいる。
鈴を転がすような高い声の持ち主は、明るい昼間に似合わない肩を大きく露出した扇情的なドレスに身を包み、傍の青年にしなだれかかった。燃えるような赤い髪が情熱的な、セクシー美女である。
一方の明るい金髪の青年も拒否することはせず、穏やかな笑顔で受け入れた。
「まあ!ドランジュ子爵は博識でいらっしゃるのね、お若いのに流石ですわ」
「麗しいリヨネッタ様にそういって頂けるだけで、本の虫になった暗い過去にも光がさすようですよ。フフ……」
レミアスが生来の美貌を遺憾なく発揮し、色気溢れる妖艶な流し目を送ると、リヨネッタ様は白い頬をほんのり赤くし満足げに微笑んだ。
なんだろうか、あのそこはかとなく背徳的な雰囲気は。
いや、現実を直視しなければ!
とてもじゃないが十七歳とは思えない。
しばらく会わなかったうちに、彼に何かあったのだろうか。
純粋なガリガリ少年だったレミアスはどこに。
若干遠い目をしていると、背中から興奮した料理長に声を掛けられた。
「コーデリア師匠、あのお茶菓子は大成功ですね!さすがです!黄金にあんな使い方があるとは思いもよりませんでした!」
「そう?あれ?食べていらっしゃったかしら?」
「いいえ!」
「悪びれない?!すごいキッパリ言うわね……」
食べてないなら成功かどうかわからないじゃないか。
今回用意したお菓子は、色どりおはぎである。
金箔を散りばめたゴージャスなもの、黒ごまを使ったものから普通のもの、ずんだ餡を使ったものまで思いつく限り用意した。
エリオットさんのセシル商会で用意してもらった金箔は、もったいなかったかも……
ほんの少ししか使っていないが、真っ黒いお菓子に食いつくとは思えなくてついつい飾ってしまった。
「それにしても、あのアルトリア貴族の方は随分お美しいですね。男性だと言うのに、惚れ惚れします」
「そうね……さ、夕食の準備に取り掛かりましょう。今夜の晩餐は気合をいれないとね。お客様を驚かせなくっちゃ!」
「あっ、はい!師匠!」
惚れ惚れとレミアスを眺める料理長を促し、私たちは中庭を後にした。
そんな二人の後ろ姿が植木の合間からチラリと見えたリヨネッタは、首を傾げてポツリと言葉を漏らした。
「あれは……最近入ったという料理人?腕がいいと評判の……でも、あら?なんだか見たことがあるような」
「どこにでもいるような者なのでしょう。そんなことはどうでもいいではありませんか……ね?」
レミアスは首を傾げるリヨネッタの手をとると、うっとりするほどに美しく微笑み、その白魚のような手にそっと……おはぎを握らせた。




