#9
「声をかけたのは俺からですけど、確かに会いました」
「その子は『セネメラ』といってな。自分の意思とは関係なく、自分以外の存在の欲望が視えてしまう力を持っている」
セネメラ。……それが、少女の名前。
「セネメラは、その能力故に自分以外の存在が怖い。人間を一人、この学校に勧誘してきてくれとお願いしたときは、正直無理だと思っていた」
「どうして無理なんです? 彼女はドが付くほどの、ド美少女だ。そんな子からお願いされたら、大抵の男は断れないと思いますよ」
俺の発言に、アレスさんは額に手を触れながら溜息を吐いた。
「はぁ。自分以外の存在が怖いんだぞ? それに、セネメラからではなく、慎也が声をかけたのだろ?」
「そうですけど」
「自分から声をかける分には、まだ心の準備ができる。だが、声をかけられたとなれば、相当に戸惑うはずだ。慎也に話しかけられて、よく逃げなかったものだ」
随分な言われようだ。流石の俺でも傷つく。
それにしても、話を聞く限りだと、セネメラはあのとき相当に戸惑っていたのか。無表情だったから、てっきり不機嫌なんだとばかり思っていた。
「そんな子が、初対面の俺に毒を盛るなんて……」
「毒? 慎也、セネメラに毒を盛られたのか?」
信じられないといった表情で、俺を見るアレスさん。
「盛られましたよ。この学校に入学してくれと言われたとき、お願いではなく、脅迫でしたからね。よほど、俺のことが嫌だったみたいです」
「はははははっ!」
なにがおかしいのか?
アレスさんは、腹を抱えながら大声で笑いだした。
笑える雰囲気ではなかっただけに、その光景は異常に見える。
「……ホント、死ぬかと思ったんですからね」
「いや、悪い悪い。それと慎也、どうやらセネメラは、お前のことを相当に気に入っているみたいだぞ?」
「……毒を盛られたんですよ?」
「ん? 毒で脅迫するほどに、慎也をこの学校に入れたかったってことだろ?」
「それは、無理があるかと……」
「ふふ。セネメラは『毒』を司る神だ。この学校にも一人だけ、セネメラに毒を盛られた奴がいたが、哀れなことに、そいつは解毒をしてもらえなかった」
「物騒な話しですね」
「まぁ、そいつはタフなことに生き伸びたんだがな。この話しから解るように、セネメラがもし慎也を嫌いだったとしたら、慎也は死んでいたよ」
「ぶ、物騒すぎる」
今更ながら、あのときのように、また鳥肌が立った。
「欲望を視られていたにもかかわらず、俺はよく生き伸びられたもんだ……」
「ん? どういうことだ」
「俺って、欲望が具現化したような存在なんですよ。彼女……セネメラは、欲を嫌っているんですよね?」
「欲望というのはドス黒いものだからな。それを、嫌でも見てしまうんだ。嫌いになって当然だろうな」
「それならば、俺はセネメラにとって、とんでもない有害物だったはずです」
「ふふ。口ではそう言っているが、実際はどうだか解らんぞ? 欲望と聞けば、悪いイメージばかり思い浮かぶかもしれないが、ひとえに悪いものだけではない。もしかしたら、自分でも覗けない心の奥底に眠る欲望というのは、セネメラを惹きつけるほどのなにかがあったのかもしれない」
「……」
よくよく考えてみると、ダメ出しを含めても、アレスさんは俺を過大評価し過ぎではないだろうか?
俺は、そんな評価されるような存在ではない。
「いや~、それは考え過ぎですよ。欲に馬鹿正直な俺だったら、簡単に釣れると思ったんじゃないですかね」
誉められることには慣れていない。
嬉しいと思う反面、なぜか俺は素直に受け取ることができない。
「はぁ。慎也はひねくれ者だな。物事はポジティブに考えなくては損だぞ? 根が馬鹿なんだから、変なところで気を使うな」
アレスさんは呆れ顔で俺を見た。
どうしてか、その表情は、俺の心を見据えているような気がしてしまい、俺の不安を煽る。
「……アレスさん、あなたは勘違いをしています。俺の考えでは、馬鹿には二通りある。一つが、学力のない馬鹿。もう一つは、素で周囲を呆れさせてしまう馬鹿。この二つに分類されると思います。後者は救いようのない馬鹿ですが、俺は前者の、勉強すればなんとかなる馬鹿なんです」
だから俺は、必死で話をはぐらかした。
「勝ち誇った顔をしているが、どちらにせよ、慎也は馬鹿なのだろう?」
「救いようのある、馬鹿です」
「……そうか。まぁ、なにも言うまい」
こいつ面倒くさい。アレスさんの顔がそう語る。
……これで良いんだ。
「おぃ。小さき人間」
今まで会話に混じらなかった校長が、急に横やりを入れてきた。
あまりにも話が進んでいなかったのが原因だろうか?
「理由は解らないが、アテナはお前のことを気にいっている。……だから、我がアテナの代わりに説明をする」
校長はそう言うと、アテナ理事長と同じ紅い瞳、――強い意志の宿った瞳を俺に向けた。