19.卒業パーティーで婚約破棄
卒業パーティーが行われる学園ホールは、学園の敷地内にある。
貴族の館のように煌びやかな建物で、内装も美しい。催しなどが行われる場所だが、卒業式の夜だけはこうしてパーティーが開かれるのだ。
アリーシアとエドアルドはわざと少し遅れて来たので、ホールではすでにパーティーが始まっていた。楽団が演奏する音楽が鳴り響き、賑やかな話し声や楽しそうな笑い声が聞こえてくる。
ホールの出入り口までの階段を二人で上る。
「一緒に入ろうか」
「……いいえ、わたし一人で大丈夫。でも、後でちゃんと踊ってね」
「もちろんだ。じゃあ……ちゃんと見守っているからね。頑張って」
「ええ」
アリーシアは扉の前で息を整えた。
「いよいよ……だわ。今日ここで、必ず婚約破棄をしてもらわなくちゃ!」
独り言を言いながら扉を開けると、優雅なワルツに合わせて、着飾った男女が踊っている。
薔薇色の豪華なドレスを身にまとったアリーシアは、躊躇することなく中に進み出た。歩く先には、ユスティスとイザベラが楽しそうに笑いながら踊っている。
周りでひそひそ話をされているのが耳に入った。
従姉妹に婚約者を奪われた惨めなアリーシアの話だ。イザベラのほうが綺麗だと嘲笑されている。
「あら……だけど、今日のアリーシア様はいつもと雰囲気が違うわ。なんだか別人みたいに綺麗で……。ねえ、こんな人だった?」
「え……? そういえば……」
そんな会話が交わされている中、音楽が終わり、ダンスも終わった。ユスティスとイザベラの二人は、互いに見つめ合いながら微笑み合っている。
アリーシアは彼らにつかつかと歩み寄った。
「わたしの婚約者がどうして他の女性のパートナーになっているのかしら」
声をかけると、彼らは一瞬ギョッとしたような顔になったが、すぐに意地の悪い笑みを浮かべて、こちらを見下すような視線を向けてきた。
「なんだ、おまえか。何か文句でもあるのか?」
横柄な態度でユスティスは唇を歪めて笑った。
王太子と思えない下品な言動だ。幻想魔法を使えるようになるまでは、こんな彼の態度にもじっと耐えていたのだ。
抵抗することすら思いつかなかった。
でも、それも今日で終わりなのよ。
婚約破棄を口にするまで、この人を怒らせてやるわ!
イザベラはアリーシアのことを完全に馬鹿にしきっていて、平気で貶めてくる。
「そうよ。だいたい、ここは召使い同然のあんたなんかが来るところじゃないのよ。そりゃあ、卒業生は誰でも来られるけどね……。で、そのドレスはどうしたのよ? どこから盗んできたの?」
失礼すぎる彼女の言葉には反応せず、アリーシアは泰然とした微笑を浮かべた。
「さる御方がプレゼントしてくださいました。婚約者からは何もいただいていませんけど。……ああ、わたしの婚約者は浮気者ですから、仕方ないですね」
プライドを傷つけられたユスティスは、顔を真っ赤にして、自分に対して不敬だと叫んだ。
「本当のことじゃありませんか。ここにいる皆さんもご存じでしょう。わたしが殿下の婚約者であることは。でも、殿下はわたしの従姉妹とばかり親しくしていらっしゃる。これが浮気でなくて、なんと呼ぶのです?」
「おまえより、イザベラのほうが何百倍も何千倍も美しくて、俺にふさわしいからだ!」
「そうですか。では、何故わたしとの婚約を解消しないんです? イザベラを妃にしたいんでしょう?」
「それは……おまえとの婚約は父上からの……」
王太子といえども、国王には弱い。そういうことだ。しかし、それでは話が進まない。
さらにアリーシアは追いつめる。
「陛下には逆らえないのですか。イザベラへの愛はそんなものだったのですね。ガッカリしました」
できるだけ蔑んだ目で見てやる。すると、思惑通り、彼はカッと血が頭に上ったようだった。
「俺を馬鹿にするな! おまえなんか……今日限りで婚約破棄してやる!」
よし! かかった……!
これでやっと屈辱の日々から解放される……!
「殿下からの婚約破棄のお言葉、確かに承りましたわ」
喜びに震えそうになる気持ちを抑えて、打って変わって神妙に答えると、彼は勝ち誇ったように笑った。
「俺はずっとおまえじゃなく、この可愛らしくて素直なイザベラと婚約したかったんだ。公爵令嬢という身分しか取柄がないおまえなんか、王太子妃にふさわしい女じゃない」
アリーシアは思わず失笑してしまった。
彼は何も知らない。知らないからこそ、アリーシアを大事にしなかった。
でも、それでいいわ。こんな男と結婚しなくて済んだんだもの。
「……何を笑っているんだ?」
「いえ、殿下はイザベラのことを愛しているんですのね」
「そ、そうだ……! 俺はイザベラを愛している!」
傍らにいるイザベラは、みんながいる前で堂々と愛の告白をする王太子にうっとりしている。ユスティスは芝居がかった仕草でイザベラの手の甲に恭しくキスをした。
そして、アリーシアにキリッとした眼差しを向ける。
「俺達の絆は永遠だ! おまえに邪魔されたりしない!」
アリーシアは馬鹿馬鹿しくなり、無表情で二人を眺めた。
ええ、永遠に手を取り合って生きていってくださいな。わたしはもう関係ないから。
「それでは、そのように国王陛下にお伝えください。婚約が解消されたという正式な文書を早急に送ってくださることをお願い申し上げます」
メルテンス侯爵の捜査が始まれば、彼は後ろ盾を失う。イザベラは男爵令嬢でいられるかどうかも分からない。だが、彼らがどうなろうが、知ったことではなかった。
アリーシアは優雅に礼をした。
すると、出入口近くの壁際に立っていたエドアルドがゆっくりと歩み寄ってくる。それを見た女生徒達が騒ぎ出した。
この素敵な殿方は誰?……と。
わたしの予想通りね。
もし彼がこのままの姿で学園に通っていたら、女生徒からいつも熱い視線を送られていたことだろう。
彼はアリーシアの傍に立ち、ユスティスに挑戦的な視線を向けた。
「誰だ? おまえ……」
不躾な視線を向けられ、ユスティスは眉を潜める。兄弟なのに、彼が誰か分からないのだ。
「久しぶりですね、兄上」
「兄上? おまえ……エドアルドかっ?」
二人がこうして顔を合わせるのは、子供のとき以来だろう。
「どうして、おまえがこんなところにいるんだ?」
「アリーシア嬢をダンスに誘いにきただけですよ」
「は? ダンス? そんな奴とか?」
彼は大笑いをした。さっきから周囲は動きを止めて、自分達のやり取りを見ている。楽団だけが音楽を奏で続けていた。
「父上に見放された第二王子と、名ばかりの公爵令嬢の組み合わせとは面白いな。せいぜい楽しく踊るがいいさ」
「兄上も楽しまれてください。……今夜はね」
エドアルドはアリーシアに向き直り、手を差し出した。
ユスティスに向けた強い眼差しと違い、こちらは柔らかく優しげだ。
「アリーシア嬢、どうぞ僕と踊ってください」
「ええ、喜んで」
手を取ると、彼はにっこりと笑いかけた。
彼の笑顔にはいつもドキッと胸が高鳴る。
多くの人が見つめる中、二人は手を取り合い、音楽に合わせて踊り始めた。
明日になれば――。
すべてが変わる。
ユスティスと婚約解消した今では、アリーシアには怖いものは何もなかった。
◇◇◇
アリーシアはエドアルドと何曲か踊った後、あっさりと学園ホールを出た。
他の女生徒達がエドアルドに興味を抱き、何かと話しかけてこようとするので、面倒になったからだ。
馬車の中で、向かいの席に座る彼に話しかける。
「ね、わたしが言ったとおりでしょう? あなたは素敵だから、みんなが注目するのよ」
「僕にとってはどうでもいいけどね」
彼は本当に興味なさげに肩をすくめた。
「僕は君以外に注目されても嬉しくないんだ」
好きな人にそんなふうに言われて、幸せな気持ちにならないはずがない。アリーシアはうっとりと彼の姿を眺めた。
「エドの外見だけが好きなわけじゃないのに……。でも、外見も好きだわ」
「僕も同じだよ。……ところで、本当にこのままイルディオン家に帰るのかい?」
イザベラが帰宅した後、アリーシアを虐めないか、彼は心配してくれているのだ。
「平気よ。叔父夫妻はそれどころじゃないだろうし」
何しろ国王からのお達しが届いているはずだからだ。一家全員、それからアリーシアも王宮に出るようにというお達しだ。
彼らはアリーシアをさんざん虐げていたが、国王から呼び出されて、突然、我に返ったのではないだろうか。
もし、アリーシアが叔父一家の横暴ぶりを国王に訴えたら……。
そうでなくても、アリーシアにどんな格好をさせるつもりでいるのだろう。王宮へ行くのに、粗末な古いドレスを着せるわけにもいかない。薔薇色のドレスのまま帰るつもりだが、このドレスは夜会用に作られているため、日中に着るようなものではないのだ。
そして、帰ってきたイザベラはユスティスとの婚約を嬉々として報告することだろう。
もうパニックになるしかないわね。
それとも……愛娘が王太子と婚約だということで、国王からの呼び出しはそのためだと勘違いするだろうか。
ついでに、イルディオン公爵家が自分のものになると思い込んだり……?
それはそれで楽しい。舞い上がった彼らがどん底に落ちるところをぜひ見たいものだ。
わたしって、性格悪いかしらね。
エドアルドはこんなわたしをどう思うかしら?
そっと彼を見ると、彼はアリーシアの手を取った。
「やっぱり心配だ。一緒についていく」
「まあ……」
心配してくれるのも守ってくれるのも嬉しい。一人でなんとかできるが、彼が現れたら、叔父夫婦がどんな反応をするだろうか。
なんだか面白そうと思う自分は、やはりなかなかの性悪なのかもしれない。
「じゃあ、お願いするわ。でも、叔父と叔母には特に責めるようなことは言わないで。彼らにいろいろ想像させたいから」
「ああ……なるほど。そうだね。楽しみは後に取っておくのもいいな」
エドアルドはすぐに理解してくれて、頷いた。




