22 帰り道
「じゃ、帰ろうか」
郁ちゃんが助手席のドアを開けてくれる。さり気ないエスコート。
白いコンパクトサイズの車は今日のために借りたレンタル。
都内に住んでいると車がなくても不便に感じないけれど、今日は遠出なので前もって借りてくれたという。
「シートベルトした?よし、出すよ」
丁寧な運転。
うちのお父さんなんて、私が座るとすぐに発車しちゃうよ。安全確認しないといけないんだよね?
免許のない私にはよくわからないけど、気遣いはわかる。
…いつも、彼女とか乗せてるから助手席にいる私に同じように接してるだけかな。
たぶんそうなんだろうな。
今日は、おばあちゃんに会いに来ていてた。
先週入所したばかりの老人ホームへ。
こーゆー施設って初めて来るから、両親と来るつもりだったんだけど、日曜日はCOUNTRYの仕事が入ってて。
そしたら郁ちゃんが車出すし、一緒に行く?って誘ってくれた。
一人で来るにしても駅からバスでなかなかの距離だし。
「不規則な仕事は、俺もだから」
そう言われて。
最初に、この話が出たのはいつだっけ。
そうそう!
私が歌番組を見てた日。
週末の夜に家にいてF2の出演を、録画してるのにリアルタイムで正座しながら見てたあの日だ。
例のマフラーを『もふ』って。
光稀くんが、ふわって持ってハフってしてニコってした、あの『銀華』披露の歌番組!!
興奮しまくって、友達にわけわかんないメッセージ送りまくってしまった。
放送終わって、そこだけエンドレスリピート!
編んでよかったぁー。
つか、そのモフをバッチリ収めてくれたカメラマンさん!
感謝だよ!
あ、あとスイッチャーさんも!
あのモフでご飯三杯いける!
パン派だけど!
あ、そうそれで。
そんな楽しいけど疲れる時間を楽しんでたら電話が鳴ったんだ。
母親から、おばあちゃんが老人ホームに入ったと。
「え?聞いてない」
入ろうと考えてる。とか、入ることに決まった。なんてことじゃなく、既に入っちゃったの?
ついこの間、会ったばかりなのに。
「凛々子には言わないでって言われてたけど、秋ぐらいからあちこち入れるところを探していたのよ。お祝い気分の正月に別れ話はしたくないって言うから、内緒にしていたの」
秋から?
「なんで?元気だったじゃん。え?っと、ホームって、デイサービスとは違うんだよね?全然わかんないよ」
「そうね…コタツより、椅子のほうが楽だって言ってたでしょ?一度座るとなかなか立てないのよ。特にコタツみたいに下に座っちゃうとね」
腰が痛いとかって、年寄りなら当たり前で、施設に入るほどだなんて思ってなかったよ。
「探せば探すほど迷うのよね。部屋の設備や広さ。医療体制の充実。色々比べて…母さん達もパンフレット見て、一緒に検討したのよ」
「伯母さんは?初枝伯母さんがおばあちゃん診てたでしょ?なんで家出るの?そもそも、おばあちゃん元気じゃない」
「元気だからこそ入れる施設があるのよ」
母親によるとホームにも色々あるようで、要介護、自立、その人に合わせたホームの形があるそうだ。
おばあちゃんの容態とか全くわからないし、聞いたことない言葉が多くて何言ってるか理解できないけど。
老人ホームなんてテレビのCMで見る、幸せそうな高齢者の顔ぐらいしか私には知識がない。
施設内で体操したり、併設された庭で散歩したりしてる映像。
「夏にね、初枝さん倒れたでしょ。凛々子には言ってなかったかしら」
倒れる?
長い母親の話を割愛すると、夏に初枝伯母さんは熱中症なった。
普段からの介護疲れもあって、回復が長引いたと。
その前から腱鞘炎だの腰痛だの伯母さんはあちこち痛めていたらしい。
足腰の悪いおばあちゃんの世話は私が思うより体力勝負なのかな。
さらに初孫にも恵まれ、そちらへ手伝いに行ったりと、とにかく忙しくしていたのだという。
仕事もまるで開店休業。
今では大きな催しのときぐらいしか顔を出さないという。
「凄い。まだ先生してんの?伯母さん定年とかないんだ?」
「ないでしょ。したくてもお弟子さんから連絡あれば駆けつけるような人じゃない」
ふーん。
義信伯父さんもうちの両親もバタバタした夏。施設を考えようかと話がでて、それでもまだ、先の話だと気楽にパンフレットを取り寄せていたら今度は伯父さんがぎっくり腰に。
もう、老老介護なのねって母は言うけど。
まだ両親は若いと思っていたからびっくりだ。
「条件の良いところは高いのよ。手頃な金額だと今度は心配でしょ?」
丁度いい施設は空き待ち。
やっと見つけた頃には冬。
それなら、おばあちゃんが正月にみんなと会ってから入所したいと言い出したらしい。
施設のほうも年末年始より、休み明けの方が受け入れやすい。
「ファミレスぐらいしかないけど、お茶してく?車に慣れていないと酔いやすいでしょ?」
都内に入る前に小休止。
私が何も言ってないのに休憩したいってよくわかったな。
さすが、付き合い長いだけある。
まぁ、郁ちゃんなら遠慮せずトイレ行きたいとか喉乾いたって言うけどね。
平日の夕方、席は半分ぐらい空いていて、窓側の席に向かい合わせで座る。
ドリンクバーでカフェオレを。疲れていたので甘いものを食べたいと思ったが、長居したくないので飲み物だけにした。
「遠いね。伯父さんの家から施設って結構な距離だったし」
「風光明媚?パンフレットはどこも景色のいい場所だったよ。その分駅から遠くて行くのは大変だけどね。つか、駅チカは入居費が大変らしいし」
そっか。じゃあ、今日郁ちゃんに車出してもらってよかった。
「通えない距離じゃないけど、もう少し近くで見つけようって、最後まで反対したのはうちの母親だし。やっぱり家でお世話するって言い出したり、俺も兄貴に聞いたからよくわからないけど、年末は大変だったらしいね」
「え。伯母さんが介護できないから…って」
「姑を追い出すように施設に?」
「あ、そうゆう意味じゃ…私もお母さんから聞いただけだし」
郁ちゃんはコーヒーを一口。そしてため息。
「母さんと婆ちゃんは仲いいよ。義隆さんとかりんりんちゃんには愚痴をこぼすから俺とは違って見えるんだろうけど。子供が小さくても仕事ができたのは、婆ちゃんが兄貴と俺を見ててくれたからだし、考え方が違うから喧嘩もするけどさ、一方的じゃないんだよ。お互い言い合うの。すごいよね、それってお互いの主張を聞いてんだよ。でも、受け入れないの、歯向かっても大丈夫って信頼が半端ないんだよ」
「どうゆうこと?仲良かったら言い争ったりしないでしょ?」
「黙っていれば楽だけど、ずっと一緒に生活するからね、嫌なことはちゃんと言ったほうがあの二人には楽なんだろうね。そうゆうの家族じゃなきゃわからない部分なんだけど…」
本当に嫌ってたら同居しないよ。って郁ちゃんは言う。
「難しいんだね」
「親戚づきあいとか…今回の入所とかさ、面倒になっちゃった?」
「うーん。わかんないや。私はおばあちゃんも伯母さんも好きだから、仲がいいって知れたのは良かったけど、施設に入ることにしたのとか、そのへんのことは全然わかんない」
入所してすぐはホームシックで不安になるけど、施設内の趣味サークルに参加したり知り合いが増えれば大丈夫だってスタッフさんやヘルパーさんが言ってた。
それでも、時間をみつけてまた会いに行こうかな。
「また、時間があれば車出してくれる?」
お父さんでもいいけど。
けど、お父さんと車内で何話したらいいかわかんないし。まだ、郁ちゃんの方がまし。
「もちろんいいよ。…りんりんちゃん、さ。その。俺…悩み事があるんだけど」
うん?なんだろう。
カップにカフェオレがない。もう一杯取ってくるほどの重要な話だろうか。
いくぶん真面目な顔の郁ちゃんから、次の言葉を待つ。
「あ、今じゃなくて。そうだな、相談料として夕食奢るから、お酒なんかも。今日は車だからね」
お酒の力を借りたい話?
…転職…とか?
同じ芸能界の裏方としてアドバイス求められちゃたり?
あり得る。
もし転職なら早いほうがいいんじゃない?
「明日は打ち合わせがあって、明後日の水曜か…木曜なら」
「ありがとう。俺のスケジュール確認して後で連絡入れるよ」
郁ちゃんはほっとした様子でため息を一つ。
さり気ない仕草で伝票を取るとそのままお会計を済ませに行く。
「あ、私の分」
「いいよ。ポイント貯めたいから払わせて」
そんな、ドリンクバーじゃたいしてポイント増えないのに、気の利いた奢り方するなぁ。
その後、家の近くのコンビニで下ろしてもらう。
車を返す時間があるから早めにお別れだ。
マンションまで送るよって言われたけど、明日の朝のパンを買いたかったからここでいい。
今日は一日郁ちゃんと一緒だった。
疲れた。
さっさとお風呂も夕飯も済ませ、早めに寝ようとしていたら、メッセージが入った。
『木曜日にSSR本社の最寄り駅東口改札で』
私はフレックスで早帰りできるので、時間を決めてもらうよう折り返す。
木曜日のEGGの案件は、雪乃ちゃんに任せてみようと考えていたから私がいないぐらいで丁度いい。
りこさんは家政系の学校を出ているので、自炊はできる。
けどその時間があったら積んでる光稀くんの消化をしたいから、ご飯はコンビニ任せ。
さて次回、郁ちゃんの相談とは。




