1ー8
俺は、ここ最近の理不尽を押し付けられた苛立ちが抑えきれずに人気の無い林だが森だか深林だか……そんな所で叫んだ。
小太り中年の俺にだって叫びたい事のひとつやふたつやみっつや…………たくさん、ある。
彼女と別れ。
親の借金を抱え。
休みも碌にくれない会社から突然の解雇。
課長は人のアイデアを盗んでミスを押し付け。
部長は自分の言うことを聞く人だけを大事にして。
退職金は奪われ。
気晴らしにきた母校で訳のわからぬ事件の連続。
もういい加減にしてほしい。
「アホかぁーーっ!!!」
俺はゴミ箱じゃないんだ。押し込んだからって全部飲み込めるかっ!
そんな思いが叫びとなって出てしまった訳だが、それを誰かが聞いていて優しく受け止めるような言葉が返ってくるとは思わなかった。
おそるおそる振り返った俺は1メートル程離れて立つ女性を見つけた。
小学校へ続くだろう小道を歩くのではなく木々の隙間から悠然としたそぶりで出てきて俺を見ている、その女性は…………美しかった。絶世の美女とはこの女性を言うのだろう。きらびやかに輝くウェーブのかかった金色の髪は緩やかに背中の中程まで流れ。白磁もかくやと思える白く艶やかな肌。並んで比べないとはっきりと言えないが俺より数センチは高いバランスの良い肢体を紅い豪奢なドレスで包み、むき出しの肩は艶かしく大胆にカッティングされた胸元からは寄せて上げてない胸と谷間が誘いをかける。
しかし、強い違和感をもたらすのが紅い瞳と口端から覗く……八重歯《「牙」》。
「どうしたのじゃ? 主殿、妾の顔に何かついとるかの?」
身動きもしないで自分を見る俺に戸惑ったように形の良い眉を動かした女性。
確かにすざましく美しい彼女の美貌に言葉を無くしたのは事実だが俺が身動きも出来ずにいた理由は。
彼女が片手に持つモノ。
一つの白いスニーカーと脛までの黒の靴下。そこから伸びる健康そうな肌色の脚、そしてその付け根。
男ってヤツはこんな時でも、そこを見てしまう。ちなみに薄いピンクに花柄のワンポイントがありました。
ごちそうさまです。
俺が身動きが出来ずにいたのはコスプレでもしているような彼女が片手に女の子の足を持って引き摺り歩いていた事とめくり上がった紺色の布が高校の制服っぽい事とピンク色が頭の中でグルグルと駆け巡って処理落ちしていたからだった。
「主殿。主殿っ。」
再起動をはたした俺の目の前にうろんげな美女の顔が。こんな近くにあっても鑑賞にたえる顔を見るというか絵画を見ている気持ちになりながら近くなりすぎた距離を離して胸の動悸を抑える。俺ぐらいの年になると胸の高鳴りなのか突発的な病気によるものか分からなくなって不安が沸き上がってくるのだが、今、この時ばかりは悩まなくても理由が分かる。
「おお。主殿、気がついたのじゃな? 突然、動かなくなるから心配したのじゃよ。」
距離を取った俺に八重歯を輝かせ再び詰め寄る彼女。その距離は“マウス トゥ マウス”の距離。彼女の方が、やや背が高いのだが、かがんで顔を更に近づけてきた……と思ったら、いきなり俺の前から飛び退いた。彼女に片足だけを持たれた女の子はその急な動きに開脚しオヤジな俺でも忘れてあげたくなるようなあられもない姿で引っ張られた。しかも彼女はまるで旗を振るように哀れな女の子を左右に振り回した。
女の子がきっちりと着ていた筈の制服はベストからはだけ小さくない胸を包むチェックの下着が丸見えになっていく。しかし、そこに“男”が奮い起つようなエロチックさは存在しなかった。どちらかというと泥水をかぶったマルチーズのような哀愁感漂う姿に涙が止まらない。
悲鳴どころか呻き声もあげない女の子は抵抗もしないで壊れた人形みたいに振られている。そんな女の子を片手で軽々と持ち振るう彼女は、別に誰かを応援する為に振っている訳では無かった。女の子を振る度にポトリ、ポトリと棒のようなものが落ちていく。
よく見ると鏃の付いた本物の矢だった。その落とされた矢が10本を越えたあたりで
「チッ。」
舌打ちと共に彼女は大きく飛び退き手に持った女の子を木々に向かって投げた。グルグルと横に大車輪しながらまっすぐ飛んでいく女の子。
俺は映画かアニメでも見ているような、現実味の無い光景に口をパカーンと開けて見ているしか出来ない。
「ってか、女の子投げたらダメだろ!」
いやいや、男の子だって投げちゃダメだ。
思わずそんな事を叫んだ俺はかなり疲れていたのだろう。
しかし、女の子は遠心力で手足を広げながら人間手裏剣状態で木々に向かって飛んでいく。
「きゃっ!」
「うわっ!」
投げつけられた女の子が木にぶつかる寸前、小さな悲鳴と共に二人の女性が木の裏側から出てきて女の子を受け止めた。
一人は金髪に白い肌の清純な感じの美少女で、もう一人は銀髪に褐色の肌をした妖艶な感じの美少女。二人共、笹舟みたいな長い耳をピンッと伸ばして手裏剣な女の子を優しく受け止め地面へ下ろすと
「何すんのよ、オバさんっ!」
二人同時に異口同音な事を言った。確かに二人共、十代後半の若い女性だが視線の先にいる女性だって、まだ二十代中から後半ぐらいの若い娘である。俺からすれば“オバさん”は酷いと思うのだが。
「なに、カトンボがなにやら悪戯をしておったのでな、妾もからかったまでよ。」
ホホホホホッと口を手で隠して笑い声をあげる女性。
「何がカトンボよ。」
「助けるべき人じゃないの?」
余裕ありげに笑う彼女に息の合った二人は反論した。
「……ムッ。」
その言葉に不機嫌そうな顔を作り黙る彼女に今度は二人組の方が嗤い
「御歳、千才ですものね~。」
「確かにボケが始まってもおかしくない。」
フフン。
二人は鼻を鳴らして冷笑の類いの友好的ではない笑顔をした。
「誰がボケじゃと?」
「あんたよ、あ、ん、た。」
「自覚が無い分、周りの苦労が増える。」
「……ホホホッ。……まるで自分達は若い、と言わんばかりじゃな。小娘達とて確か三百才になるであろう? 主殿からしてみれば妾も小娘達も“同じオバさん”であろうよ。」
「……そんな事は……無い……はず。三百才はまだ若い……よね?」
「マスター?」
俺の許容範囲を越えた話をしている三人を見ながら俺の頭は固まっていた。
中年の頭をなめてはいけない。突発的な事態についていけるほど柔軟ではないのだ。
半笑いのまま固まっていると小学校の校舎がある方から人影が二つ、歩いてきた。
人影の一つは背の低い女性。がっちりとした体つきで遠目には樽《「たぁるっ。」》が歩いているようにも見える。
そしてもう一つ、こちらはかなり問題に思えるのだが背には薪をのせた背負子、手には本。歩きながら本を読み家計を助けながら立身出世をはたした偉人の子供の頃を象った銅像。
二宮金次郎像が片手をあげて俺を見ていた。