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俺は母校である、第二太平小学校の屋上に来ていた。しかし、この屋上に来て違和感が膨らんでくるのを感じて景色を見ながら考えを巡らす。
そもそも今、感じている違和感は何か、だが漠然と何かがおかしい、としか言えない。
一度、ここに来るまでの事を思い出してみる。
昨日、いきなり仕事を首になった。
今日の朝、ラジオで母校の小学校が廃校になったと聞いた。
自宅から歩いて十数分の小学校に来て校内に入った。
職員室は俺の記憶通り机が置かれ書類が乱雑に机に置かれていた。
校長室がやたらと豪華絢爛にして豪奢に作られていた。
屋上に来て周りを見渡したら車の事故で開いた仕切りの金網フェンスが壊れたままだった。
自分で言いながらも引っかかるモノがいくつか。そこに先程、考えていた事を追加する。
俺がこの学校に通っていたのは三十年以上前でこの学校と同時期に建てられた中学校は建て替えになった。
俺がいたのは三十年以上前。
車の事故で壊れたフェンスはずっと開きっぱなしなのか? 中学校は建て替えになるくらい時間が経っているのに? 中学校が建て替えになったのにここは建て替えにならなかったのか? 職員室が散らかっているのもおかしい。いきなり廃校になった訳でもなし散らかったままにするか? 廃校とは言え管理する人間がいないのはおかしくないか? よしんばいなくても勝手に入られないように鍵は閉めるよな。俺は何故、入ってこれた?
ザワッ。
小学校の周辺は色々《いろいろ》変わっている。なのに、この小学校は何も変わっていない。
ザワッザワッ。
俺は屋上から校庭の方を見ていたが視線を動かし反対側を見る。校門とプール場、そして石炭置き場。俺がいた頃は教室に石炭ストーブが一つあり日直がバケツに石炭を入れて持ってくることが出来るように山盛りの石炭が小屋の中にあった。ただ石炭ストーブは俺が卒業してからすぐに石油ストーブに変わったはず。何故、石炭置き場がまだあって石炭が山盛りになっているのが見える?
ザワッザワッザワッザワッ。
屋上からはプール場の泳ぐ所はよく見える。今日は風はそれほど強くないのにやけに照り返しが眩しい。プールが波打っているだけでは説明出来ないくらい。
ちょっとした違和感が不信感にすりかわり大きな不安を掻き立てる。それでも俺はまだ余裕はあった。日の光が強く降り注ぐ今の時間になにが有るはずがない、と。
最期に俺が六年生の頃に使っていた教室を見てから帰ろうと考えて三階に降りた。L字型の校舎をつなぐ角の部分に大きめの階段があり俺はそこを大階段と勝手に呼んでいたがその大階段に近い六ノ一のプレートが有るのが俺がいた教室だった。前と後ろにあるスライド式の扉の前側を開けると懐かしい教室が現れる。入ってすぐに連絡板。ここには予定表や注意、挨拶の仕方等のプリントが貼られていた……今も貼られている。その横の黒板には“さようなら。僕達のクラス”と色とりどりのチョークで書かれた文字がデコレーションされていた。そして横に教卓。担任の教師はここで俺達と一緒に昼食を取ることになっていたらしい。もっとも俺は教師がそこで食べているのは見たことがない。なんと言っても一クラス四十人いるのだ。テストの丸付けは全て“手”。資料を作る時はカーボン紙、枚数を作る時は印刷機。学級新聞を作るのはガリ版で音楽の授業でレコードが流れた時代である。たぶん、お昼休み等無く仕事をしていたのだろう。
教室の窓側には棚が並んでいて学級図書と呼ばれる生徒の持ち寄りの本が置かれていた。クラスの中で本好きな生徒が自分の本を持ってきて棚に置いておくとクラスの誰かが借りて読めるというシステムだったが、何せ子供の責任感である。汚しても知らない顔で返して本の持ち主が泣く、という事が重なり俺の時は二学期中ぐらいまでしか続かなかった。
……ポテチを食べながら紙の本は触っちゃダメだぞ?
今、廃校になった、この教室に学級図書らしき本が十数冊、残っている。持ち帰らなかったのだろうか? 俺の時は学級図書が終わる日に持足されたのだが。当時いじめられていた俺は、この本を読むことだけを楽しみに学校に来ていた。その事を思い出して学級図書を……?
学級図書はほとんどが俺が六年生の頃にあった本だった。残りの本もなんとなく見覚えがある。この魔法使いの生涯を書いた本は三部作で俺がうっかり汚してしまったものだから犯人探しが凄かった。本の中程、主人公の魔法使いが鷹に変身して師匠である老魔法使いの元に飛んでいくシーンと老魔法使いが主人公を諭すシーンは何度読んでも飽きなかった。俺はそのシーンが書かれたページ全てに汚れをつけてしまったのだ。持ち主は女の子でその本が物凄く好きでクラスのみんなに読んでほしいから、と持ってきたのだ。
誤魔化したけどばれていたよな。
……あの女の子の泣き顔が忘れられない。
毎年、持ち寄りされた本のバリエーションは変わるはずで汚れがある本も汚れ方も変わるはず。しかし懐かしい思いと罪悪感を同時に感じつつ開いたその本はかつて何度も読み返したその子の本でページ中程に一度ついたら落ちないポテチの汚れが、俺の覚えている辺りに、俺が覚えているページ数分ついている。
今度こそ背筋が凍った気がした。
震える指で最後のページをめくった。これが学級図書なら最後のページに持ち主の名前がシールで貼られているはず。
……田中裕子。
俺が汚した本の持ち主と同じ名前だった。