33.レクイエム1
東北の無人駅。
握り締めた切符を塗りの剥げた木製の小箱にぽとりと落とし、改札を抜けた。
駅前からタクシーに乗るつもりだったけど、タクシーどころか人影もない。
うろうろと歩き回った末、駅舎の隅に置かれた公衆電話に貼り付けられたタクシー会社の名刺を見つけてほっとした。
深呼吸してボタンを押すと、十回近くのコールの後、ようやく電話がつながった。
村に一つだけしかないタクシー会社。
その会社が所有するタクシーはわずかに二台。
白髪頭の運転手に住所を記したメモを見せると、「墓参りですか」と訊ねられた。
少し考え、「はい」と答えた。
運転手の瞳には、たった一人で辺鄙な村を訪れた少女に対する、心配の色がありありと見てとれて、ここで頷いかなくては、車を動かしてはくれない気がした。
「若いおじょうさんが、一人で行くような場所じゃ、ありませんからね」
村の外れの無人の教会を、訪れる者はほとんどいない。
でも、ごくたまに、教会に付属する小さな墓地に、墓参りをしに行く人がいるという。
エンジン音をたてながら、車は山道をのぼり始めた。
秋草におおわれた休耕田。
誰にも顧みられることのない柿の実が、細い枝の先で重そうに揺れている。
駅から往復すると3万円以上かかる場所だと聞かされて、少なからず憂鬱になった。
弟の遥と違い、真琴はひとりで出歩くことがない。
母親は常に忙しく、家族旅行とも無縁だった。
そんな自分が、たった一人で、こんなところまで来てしまったのだ。
橘直己のことが、ずっと頭から離れない。
いなくなってみてはじめて、直己のことを何一つ知らないことに気がついた。
あるだけの勇気をかき集めて、直己が所属していた派遣会社に行ってみた。
わずかな手がかりは本籍地だけで、そこにあった教会に付属する施設が、橘直己にとって唯一故郷と言える場所だった。
こんなところにいるはずがない。
いないことを確認できさせすれば、それで気が済むはずだった。
そのままUターンして駅に戻り、二度と橘直己のことは考えない。
どこか悲愴な決意は、運命のいたずらによって、あっけなくかき消された。
「おや、先客がいる」
運転手の低いつぶやきに、真琴は身を乗り出した。
暗灰色の空、古びた教会の傍らに、白い中古車が停まっている。
「降ります」と告げると、運転手が怪訝な顔で振り返った。
「あの車、きっと兄です。ここで会う約束なんです。今日は両親の命日で……」
こんな嘘をつくのは初めてだ。
高鳴る胸を抑え、しどろもどろにならないように気をつけながら早口で告げると、運転手はうなずいてくれたけど、自分もタクシーから降りてきた。
「きれいなお嬢さんを、こんな場所で一人にするのは心配ですから」
運転手は真琴を手招きし、教会の背後に続くなだらかな丘を登り始めた。
急速に色を失っていく晩秋の景色の中、西洋式の墓が不規則にならでいる。
橘直己はそこにいた。
黒いスーツを着て、白い薔薇の花束を背負ったその姿は、ヨーロッパの映画から抜け出たように端正で、真琴が知っている、どこかのほほんとした青年とは全く別人のようだった。
「なお……お兄さん!」
わざとらしく手を振ってみたが、直己は反応しなかった。
けれども、気遣わしげな面持ちでこちらを見ている運転手に向かっては、辛うじて会釈をしてくれた。