22.ラビリンス1
時間つぶしに読んでいた本から顔を上げると、稽古着を颯爽と風になびかせながら、木下雅美が立っていた。
「何か用?」
そっけない言葉に、少女の頬に朱がのぼる。
それでもひるむことなく、聖をまっすぐ見つめ返してきた。
「インターハイで二度も個人優勝した人が、部活をさぼって何をしているの?」
ストレートに告げられて、今度は聖が面食らう番だった。
顧問も、部長も、先輩も決して言わないことを、同じ剣道部とは言え、女子部の人間に言われたのだ。
「木下には関係ない」
ばつの悪さも手伝って、必要以上に冷たい声が出た。
言ってから、しまったと思ったが、いったん口をついて出た言葉は戻らない。
視線を逸らせて相手が去るのを待ったけど、雅美はじっと佇んだままだった。
いつまでも知らない顔をしているわけにもいかず、聖は本を閉じて立ち上がった。
「真琴のことが心配なんだ。遥は外泊続きでつかまらないし、真琴は病院と家の往復でまいってる。木下だって知ってるだろ? 誰かがそばにいてやらないと……」
沈痛な面持ちで本音を告げられて、雅美は無言でうな垂れた。
もちろん知っている。
手術の末、一条麗華は辛うじて命をとりとめたが、依然として意識は戻らない。
今さら説明されるまでもなく、一条家は大変な状況なのだ。
「真琴、今日は遅くなるよ。担任の先生に呼ばれてたから」
「うん、知ってる」
「病院にも行くの?」
「うん、ウチの病院だし……」
「好きなんだ?」
「え?」
「真琴がそんなに好きなんだ!?」
百七十センチの長身にスレンダーな身体つき。
男子生徒よりも女子生徒に人気のあるスポーツ少女が、何よりも大切な部活を抜け出した理由に、ようやく聖も気がついた。
目を見れば、おのずと思いはあふれ出す。
それは自分も同じはずだ。
一方通行の辛さだって、誰よりも自分が知っている。
「好きだよ」
弟に向ける複雑な眼差しも含めて全部。
「だから、ごめん。でも、試合には絶対勝つから」
きっぱりと告げると、浮かんだ涙を稽古着でぬぐい、雅美は笑顔で頷いた。
去っていく後姿を、聖は無意識に目で追っていた。
女の子をふったのは、初めてじゃない。
涙ぐむ子もいれば、両手で顔を覆って泣き崩れる子もいたが、涙を見せられたぐらいで、いちいち心が揺れるはずもない。
でも、一瞬だけ見えた木下雅美の涙は、はっとするほどきれいだった。