帝国と王国
「わかりました、皇帝さん。私のことは気軽にセレネとお呼びください」
「わかったよ、セレネ」
またもや数瞬の間シルイトを観察するように見つめるセレネ。その後にっこりと微笑むのもさっきと同じである。
シルイトがどうしたものかと考えていると、セレネが口を開いた。
「まずは、お礼をさせてください」
「お礼、ね」
お礼、セレネから言われた言葉をシルイトは少し考える。
すぐに思いつくのはボモラを倒したことだが、対外的にはシルイト・ウィスタームの成果であり、自分とは別人という設定である。新たな体を手にしたシルイトにはお礼を言われる要素はないように思えた。
「はい。コンフィアンザさんから教えていただいたのですが、月に赴き神様との交渉の末、大陸の荒ぶる外海を鎮めてくださったと聞きました」
コンフィアンザはこの会談を設けるにあたって直接王城へと出向いている。
その際に、自分の名前とともにシルイトの王国への貢献を話したのだ。そうすることで女王に恩を売り、何かあった際に相手から譲歩を引き出しやすくするという魂胆である。
「ああ、その件ね。確かに、ボクがやったよ」
「実は、外海の沈静化は私の王位継承時の公約にも掲げていたことでして、大変うれしく思っております。ありがとうございました」
「ボクとしても、大陸の外に出られないのは好ましくないからやったまでだ。まあ、感謝は受け取るよ」
シルイトの言葉にセレネはにっこりと微笑み、紅茶が入ったティーカップを一度口へと運んだ。
紅茶はシルイト達が座ってすぐに使用人が持ってきたものである。
そうして一息つくと、今度は表情を真剣なものへと変えて口を開いた。
「さて、今回の会談は帝国の方から持ちかけられた物ですが、一体どのようなご用件なのかお聞かせ願えますか?」
この言葉はシルイトにとって予想外のものだった。そもそも王国に行くというイベント自体、前日にコンフィアンザから聞かされたことで知ったわけで、どんな理由があるのかも聞いていなかったからである。
そんなシルイトをフォローするようにコンフィアンザが口を開いた。
「私たちは今回、平和的関係を構築するために会談を申し入れました」
「平和的、ですか・・・」
「平和的とは、すなわち相互不戦条約の締結を意味します。詳しい内容は別として、大まかに言えば基本的に相互の国家間での戦争は避けようというものです」
その言葉を聞いてシルイトはなるほどと思った。
平和的関係の構築は単に不戦の誓いに留まらない。王国と帝国は敵ではないことのアピールとなる。そして、練魔術を戦闘に使わないことをティルスクエルにアピールすることにも繋がる。
帝国はまだ建国されたばかり。国力も十分とは言えず、戦力もボモラとの戦いで消耗している。この状態で四面楚歌になることは避けたい。
ならば王国だけでも味方に引き入れたいと言うのがコンフィアンザの考えだ。
一方で王国側もボモラとの戦いから十分に復旧できたとはまだ言えず、戦わなくてすむ外交を推進している最中だった。
ボモラとの戦いで使用したルーナウェポンは、特に秘匿していなかったため噂が広まりつつある。そうした未知数の軍事力を持つ国家と、ある意味で味方同士だという事実そのものが他国に対する抑止力になるのだ。
こうした両者の思惑まで考えてコンフィアンザは立案したのだろうとシルイトは気付いて感心した。
「皇帝さんも同じ考えでしょうか?」
「うん。どちらの国も万全とは言えないから、味方が出来るのに越したことはないと思うよ」
「・・わかりました。こちらも具体的な条約の内容について私たちでも議論を始めて参ります」
セレネは、一度持ち帰って王国の官僚などと協議するつもりのようだ。
そこで草案を出して、別の会合において帝国の草案とすりあわせを行う考えなのだろう。
しかし、セレネが後ろの騎士に不戦条約について伝えるよう目配せしようとするのを遮るように、コンフィアンザが口を開いた。
「その具体的な内容なのですが」
そこでコンフィアンザが一枚の紙を取り出した。
「こちらの方で既に具体的な内容まで考えておりまして、条約文も作成済みなんです。この内容でよろしければぜひ女王陛下に署名していただきたいと思います」
その言葉にセレネを含め、王国サイドの人間が一様に驚きの表情を見せる。
とても信頼関係を構築したいという風には見えない強引な姿勢に、セレネ以外の騎士が警戒感をあらわにする。
コンフィアンザの強引な態度は、相手に考える時間を与えずに自分たちの草案を飲ませようとしているようにも見えるのだ。
一方で、セレネは驚きの表情でコンフィアンザを見た後、シルイトの方へ視線を移し、シルイトの表情を見ていた。
対してシルイトはと言うと、こちらも驚いていた。応接室の中で平常心のままでいたのはコンフィアンザくらいのものだろう。
シルイトはこのまま交渉が破綻してしまう可能性を想定した。
コンフィアンザが持っている紙をちらっと見て文の内容を確認してみると、どちらの国にとっても不利にならないようよく考えられたものだとわかる。
うまくフォローすれば何とかなると考え、シルイトは口を開いた。
「えっと、これは強制とかじゃなくてあくまでもこっちからの提案だからさ。別に署名しないで新しい案を出してくれてもいいよ。ただ、この条約文はどっちの国にも不利にならないようによく考えて作られているから、十分検討して欲しい」
「わかりました、署名します」
シルイトが笑みを浮かべながら言い切るのと同時にセレネが条約への署名を宣言した。
少年版シルイトの笑みにやられたとは考えたくない。
「じょ、女王陛下!?」
セレネの言葉に後ろの騎士が思わずと言った風に声を上げる。
しかし、セレネは気にした様子もなく自分の言葉通りに条約へスラスラと署名をした。ペンは、紙と一緒にコンフィアンザが机の上に置いたものを使っている。
「はい、署名が完了しました」
「・・ずいぶん行動が早いんだな。じゃあ、ボクも署名をするよ」
セレネから紙を受け取り、自分の名前を記すシルイト。
最初の一文字目をシルイトのシの字を書きかけて、筆を運ぶ途中で修正したため、少しいびつな文字になりつつもエーリュシオンという名前を記入する。
その様子をセレネは微笑ましげに見ていた。
そうしてシルイトも記入が終わってペンを机の上に置くと、二人の署名が淡く光り始めた。
そして、その光に呼応するように文書の文字全体が光り始めた。
「これで帝国と王国の間に不戦条約が結ばれました。この協定は、私たちの技術によって絶対的に履行されますのでご安心ください」
コンフィアンザは光が収まった条約文を手に取ると、条約の成立を宣言した。
錬金魔術とは言わない。シルイト達は事前に錬魔術の存在を隠すことを決めていた。錬魔術を広めないことにより、帝国の技術的優位性が保たれるからである。
「ええ、それはいいんですが・・」
「セレネ?どうした」
「条約文の内容を教えてください」
これにはシルイトもコンフィアンザもあきれた顔を見せたのは言うまでもない。
その後、改めて条約書を読んだセレネは、紅茶を一口飲むと口を開いた。
「内容は把握しました。ただ、ずいぶん王国に都合が良いように見えるのですが」
条約の内容は、大雑把に言うと王国が攻撃を仕掛けるまでは帝国が王国に対して手を出すことを禁じる、というものである。
事実上、王国に対しては何の制限もかけられておらず、王国が帝国を攻撃するために準備を進めていたとしても、実際に攻撃されるまでは帝国は何もすることが出来ない。
セレネの問に対してコンフィアンザが答えた。
「我々の帝国は空の上にあります。一方で王国は地上。もし我々が王国を攻撃するとすれば一方的なものになるでしょうし、逆の場合においても王国側が不利な条件です。そんな相手と王国が不戦条約を結ぶのであればこのくらいのハンデは必要だと考えました」
明らかに王国側を下に見た発言に、騎士達は再びピリッとした雰囲気を漂わせるも、セレネは同じように笑みを浮かべたままだ。
「なるほど、わかりました。では、これで御用事は終わりということですか?」
シルイトはこの後の予定も、会談の目的も知らないので黙ったまま。代わりにコンフィアンザが答えた。
「はい。大変有意義な条約を結べたことをうれしく思います」
「もう帰るの?」
「はい」
「少し待ってください」
シルイト達が帰ろうとしたとき、セレネからの制止の声がかかった。
「シルイト・ウィスタームの墓を作ったのでぜひお参りしていただきたいのです」
シルイトとコンフィアンザは一瞬顔を見合わせたが、すぐに了承の意味を込めて頷いた。
セレネに案内されて着いたのは例の公園。
その一角に一つの墓石がたてられていた。
「こちらがシルイト・ウィスタームのお墓です。コンフィアンザさんによると帝国では何も作られないとのことでしたので、僭越ながら私が作りました」
墓石にはシルイト・ウィスタームの文字と生年、没年が彫られている。
自分の墓石にお参りするという変な感覚にとらわれつつも、シルイトは手を合わせて数秒目をつむった。
ーー
「それじゃあ、帰るね」
「はい、お元気で」
シルイトはセレネに向かって手を振ると、ドラゴンの方へ体を向けた。
ドラゴンは公園に降り立つことができないので、上空を飛行しながら待機している。シルイトの体を構成しているイシルディンに慣性操作の特殊効果を付与させて、ドラゴンのところまで行くという算段だ。
シルイトが空を飛ぼうと上空を見据えてセレネに背を向けると、セレネから呼びかけがあった。
「シルイト!」
「ん?」
シルイトは思わず反応して振り向いてしまった。
その姿を見て慌てたコンフィアンザはシルイトを急かす。
「早く、ドラゴンのところまで行きましょう!」
イシルディンを持たないコンフィアンザは、本来シルイトに引っ張られるはずなのだが、気迫的にはむしろシルイトを引っ張るようにしてドラゴンに乗り、浮島へと帰っていった。
後に残ったセレネ。
口元には抑えきれない笑みがこぼれている。
「やっぱり、そうだったんですね」
だが、ドラゴンの姿を追うその目にはどこか悲しみを含んでいた。
次回は来週の土曜日の零時に投稿します。




